第38話 過去へ

(この光は――!)


 身体がふわりと浮かび上がるような感覚があった。視界に映っていた巨石も仲間達も見えなくなり、世界は真っ白になった。

 だが怖くはなかった。この感覚、この輝きを自分は知っている。身体が透明になるような、自分が溶けていきそうな、この感覚は――。


「ラズ! ラズッ!」


 どこからか響く呼び声。


「シリシラ……?」


「ラズ! お前の存在が消えかけているっ! お前はどこに行く気だっ!? 消えちまうのか!」


 シリシラの声が怯えているように聞こえた。彼にはわかるようだ、石に触れた自分に何が起きようとしているのか。


(けど、ここで“戻った”として、どうなる? どうすれば?)


 白い世界を見ながら、これまでのことを考える。自分がなんのために、何をしてきたのか。

 全ての始まりは石を手に入れたこと。その力に気づいたこと。これはなんのためにあるものなのか。


(ずっと自分のために使ってきた。でもこの力は違うことに使えるんじゃないか? 誰かが望んでいるんじゃないか?)


 今まで戻る時はずっと同じだった。執務室での何気ない時の中から、いつも再開していたのは自分がそれ以前のことは考えなかったから。

 ではもっともっと、もっと……前のことは。


「シリシラ」


 だが、それを選ぶのは全てとの別れを意味する。戻ってこれる保証はない。

 しかし、シリシラが――大切な一人が悲しもうとしているなら、それをどうにかしてから行かなくては。領主として、友人として。


「なんだよ、君らしくないな。君は泣き言を言うような性格じゃないだろ。いっつも俺に絡んできたじゃないか」


 せっかく仲良くなれたのに、もう別れとなってしまうのは残念だ。自分のことを好きだと言ってくれたこと……正直嬉しかった、だから笑っておく。


「これからも君は気が強いままでいてくれ。ハルーラのためにもさ」


「……お前……」


 姿は見えないが声ははっきりと聞こえる。彼の声は心地良い。不思議と緊張も不安も押し流してくれる。


「俺は全てを終わらせる……いや、違うな。始まらないために行ってくる。チャンスは多分、これしかないと思う。始まらなければこの時代がどうなるのか、何かが変わってしまうのかもしれない……でもなんとかなるよな。君もマッカも強い。ジンもセネカも頼りになる……なんとかなるよな……」


 自分がいなくても大丈夫。元より一人になるべく行動していたのだから。


「ラズ……バカ野郎……大丈夫に決まってる。絶対になっ……お前、きっと、大丈夫だっ……」


(シリシラ……)


 シリシラを励ますつもりが逆に励まされてしまった。これは領主としては情けないが、友人としてなら……いいと思う。

 大丈夫。その言葉に、ラズはうなずいた。


「行ってくる、シリシラ、ありがとう!」


 以前は小さな石だったから天に掲げて使用したが、この巨大さでは掲げることは不可能だ。

 ならば手を当てて念じればいい。


「さぁ、始めよう――時を戻してくれっ!」


「ラズッ――!」


 シリシラの声が遠ざかっていくと同時に、ラズが今まで立っていた世界は“ぐにゃり”と歪み、自分はその歪みの中に飲まれていく。

 それは身体がフワフワとどこかに飛んでいくような感覚だ。冷たいような、あたたかいような風が流れる不思議な感覚。何度もタイムリープを繰り返した自分は体験している。

 けれど、これが最後だと、言われたわけでもないが納得している自分がいる。これで全てを終わらせるのだ。


 短かったのか長かったのかもわからないまま、足がどこかの地を踏んだ。

 やわらかな草。穏やかな天気。庭園を飾る手入れをされた花や木。見慣れた屋敷。

 今度は夢ではない。身体に触れると自分の肉体の感覚があり、生身の自分がタイムリープして、ここにいると感じることができる。


 来てしまった……そんな後悔はない。気持ちは澄んでいた。やるべきことをやる、という気持ちが心のモヤモヤを吹き飛ばしている。


(さて、では――)


 動き出そうとした時、背中に何かが当たり、ラズは前へバランスを崩した。


「あっ、ごめんなさいっ」


 振り向くと見覚えのある人物がいた。振り向きざまには申し訳なさそうにしていた表情は自分を見た瞬間、恐怖に変わる。


「あ、あっ、ご主人様っ! も、申し訳ございません! 私の不注意でっ」


 ぶつかってきたのは、エイリスだった。

 エイリスは天色の瞳に涙をため、唇を震わせながら頭を下げた。この様子からして自分を現在のカルスト当主と思ったのだろう。不本意だが顔は似ているから。


「……エイリス」


「は、はいっ」


 いきなり彼に出会うとは予想外だ。何も心の準備ができていない中、何を話したらいいのか。

『すぐに逃げろ』

『マディと共にここを離れろ』

『二人で逃げて、幸せになれ』

 そう願いつつも、それが本当に可能なのかと考える。自分の言葉一つでこの状況が変わるのか。エイリスは他の大地の民を見捨てて逃げてくれるのか。マディは共に逃げてくれるのか。もしかしたらマディだって両親や兄弟を抱え、逃げ出すことが難しい身なのかもしれない。


(ここに来たはいいが、俺は何もわからない……ただこの選択を間違えれば、もうやり直すことはできない)


 あれは最後のタイムリープだった。過去に戻り、全てを変えるつもりでここに来た。


「……気をつけろ」


 わざと冷徹を装い、頭を伏せたままのエイリスに背を向け、屋敷へと向かう。背後では震えた声で「はい」という返事が聞こえた。

 それが今できる、自分の精一杯だ。焦りで心臓の動きは速く、吐く息が震えた。


(考えろ、俺……! 何をすれば始まらないのかをっ! 彼らに逃げろと言うのは簡単だ。だがそれで解決するのか? 逃げたところでカルストがまた捕まえたら、それこそもっと酷い仕打ちになる可能性もあるっ!)


 タイムリープができればやり直しができる。それで何度も終わりを回避してきた、今までは、だ。それができない今、選択は慎重になる。確実な方法を、皆が幸せになる方法を……と不安で胸が痛かった。


「……またご主人様、使用人を一人処罰したらしいわ」


 屋敷に向かう中、ふと話し声がした。建物の影で使用人達がコソコソと話しているようだ。


「またか、これで何人だろう」


「お給料は良くてもこれじゃあ……」


「奥様も厄介なのよね……あんな領主じゃ、いつか滅びるわよ」


「しぃっ、聞かれたら大変だよ」


 自分のことではないが、それは自分のことのように突き刺さる。最悪な領主、地に落ちた人望。きっと多くの人間から恨まれているのだろう。


(……生きている価値もないな)


 歩き出した足は、再び止まる。

 とある考えが頭に浮かぶ。


(始まらないためには……そうか、そうだな)


 ジャケットの下に忍ばせてあった短剣に手を触れる。自分の体温であたたまっている鞘の感触、硬い手触り。レイシーが、いつかくれた物だ。


(レイシー、こんなところで、これが役に立ちそうだよ)


 まさか“自分”を斬ることを考えるとは思わなかったけれど。

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