塩むすび
「塚田さんを表す漢字ってなんだろう?」
練習を終えた体育館から寮への短い帰り道、並んで歩く滝沢が、唐突に言う。
「あれっすよ、今年の一文字、みたいな……年末に総括で一個、今年を表す漢字、みたいのを決めるじゃないですか? それっす」
俺、来月にはアメリカだし、まだ七月だからちょっと早いけど、今年の総括、しちゃいます?
……なんだこの変なノリは? ジャパネットたかたの年末商戦でも始まるんだろうか? 真夏に?
「塚っさん! 俺、分かりました! わかっちゃったな~これ! ふふん。塚田さんが俺の漢字、なに選んだのか分かりましたよ。いやこれ、たぶん絶対合ってるな。自信あるっす! 逆に塚田さん、俺が塚田さんイメージで何の漢字選んだのか分かりました?」
……滝沢が、また独りで暴走している。
「今年の塚田」を表す漢字一字を勝手に考案し「俺、塚田が考える滝沢を表す漢字一字」を何故か滝沢が勝手に予想、さらにはそれをネタに一人でクイズを開催し始めた。
俺なんかまだ状況しか把握してないし「滝沢を表す漢字一字」を考えるとも言ってない。そもそも滝沢と俺、会話にすらなってない。ここまで、あいつが全部独りで喋ってる。
……滝沢にはまず、クイズの始め方から指導が必要なのか?
それとも「意中の部活の先輩とのコミュニケーション術」みたいな人間関係のHOW TOを教えるべきか?
クイズの心得
一.クイズを始めるならせめて対戦相手の合意を取ろう
二.問題は出していい、解答は相手に委ねろ。それがクイズだ
三.相手の答えを予測するな。プレッシャーを与えることはクイズ本来の目的ではない
立ち尽くす俺に構わず、滝沢はカバンの中から表紙に小さく「現国」と書かれたノートを取り出す。二つに折って、その場で、一ページを使ってデカデカと漢字を一字書き記した。
「塚田さんが選んだ俺の漢字、これっすね⁈」
玉
「どうすか?! 合ってる? ベタだけどこれでしょ⁈」
いやーこれ、トリプルミーニングくらいの意味が込められてるっすよねー?
塚っさん、俺のこと大好きだから。このくらいわかりますよー。俺、玉のような男の子だし? 玉入れ上手だし? あと授業で習ったんすけど、玉はね、昔、真珠のことを言ったんすよ。玉石混交の玉は、美しいものの意味だし?
……いや合ってねーわ。
てか考えてもないわまだ。
しかも独特すぎるだろ……ていうか下ネタかそれ?
頭が痛い。こいつ来月から独りでアメリカに行くんだぞ?
「……俺が考えたお前の漢字は違う」
俺も鞄の隅に入っていた数Ⅱのノートを開いてページをめくる。
滝沢に見えないように、しゃがんだ膝の上でノートにグリグリとペンで漢字を書き付けた。
「お前の漢字、今はこれ」
亀
「うわああん。塚っさん、酷い!」
滝沢が吠えた。
「俺の生傷に塩擦り込むみたいな真似して! ばか! 嫌い!」
「塚田さんなんか! 塚田さんなんか‼ もう知らないです! 下ネタかよ!」
効果音付きで泣き出した滝沢は、俺の手から数Ⅱのノートを奪い取ると、自分の現国のノートを地面に叩きつけた。
あー。
滝沢は、あっという間に寮への道を全速力で走り去った。
あいつが叩きつけた現国のノートを拾って、ぱんぱんと砂を払う。
……で、俺の漢字は?
せめて答え合わせしてから行けよ。
滝沢を表す漢字を考えていた。でも一文字には絞れなかった。
あいつを表す漢字。「光」と「温」と「涙」か。
俺たちを照らす圧倒的な輝き、俺にまとわりつくあの温もり、俺の服を湿らす生暖かい塩水。
この三つを一字で表すとしたら。それは「海」だ。
光を蓄えた水面、太陽が温める命の温度、広大な塩の水。万物の生みの親であり、すべての生命の源。
そして、これからの俺たちを隔てるもの。
圧倒的な光で俺に道を示した。まとわりつく温もりで俺の心まで温めた。俺の服を濡らす涙は俺に何度も気持ちを伝えた。俺が生きるための生命力の源泉。
これからも、コートでパスを出す俺の指先は、お前の不在に戸惑い続けるだろう。
コートに、視界の端に、9のユニフォームの姿がないことにいつ慣れるのか。
逡巡しながら、いつもより力を加減して手からパスを放つたび、お前の不在を、圧倒的な光を思い出す。冷えた背中の汗を感じるたびに、お前の涙のベタつきと、体温と「海」という漢字を思い出す。
俺を暖かく包み込み、浮かせてたゆたう、大きく、果てしのない塩の水。
俺だけの海。
鼻の奥がツンとした。
たかが一七のお前に俺が貰ったものは、明るすぎて、眩しすぎて、温かく生々しい。
しばらくはそのハレーションに目を慣らさないと、道の先を見つけることも難しいだろう。
光が去るのだから、ここは少し暗くなる。
滝沢のノートに、三つの漢字と一つの距離を書き記した。
塚田さんを表す漢字を考えたら「米」以外に思い浮かばなかった。
別におかしなことじゃない。だって最高だ。ここは秋田だし、米は絶品。この土地から生み出される最高級ブランドアイテムだし、愛して止まない大好きな食べ物。日本人の魂であり、主食。俺の身体を形作るもの。
俺に生きるため、走るため、ボールを追う活力をくれるもの。原動力。俺が愛して止まないもの。無いと気が狂いそうになるもの。
見た目だってそっくりだ。白くてツヤツヤして、良い香りがして。噛めば噛むほど甘みが出て美味いし、どんなおかずだって最高に輝かせる。
塚田さんのパスみたいだ。
そこまで考えて、つらくなってやめた。
美味い米は、おかずを選ばないから。どんな味も引き立てて、最高の献立を完成させてしまう。
うまい米を簡単に味わえなくなってしんどいのは、どうやら俺の方だ。
俺がたとえ渡米しても。塚田さんにダメージはたぶん少ない。
塚田さんは米だから。
大地に根を張り、水を吸い上げ、揺らがず、たわわに穂を垂れる。多くの人々を生かすために、あの人はその体に栄養を蓄える。
俺だけのものにはなってくれない。
俺だけのものに、したいのに。
握った拳を口元に当てて焦りを抑える。
それでも俺はあの人が好きだ。あの人がいなくちゃ生きていけない。
泣きながら、諦めきれず愛しい人の名を呼んだ。
その日の練習の後で、皆が三々五々着替えて寮に戻ったあと、部室に残った滝沢が俺に言う。
「塚田さんは『米』です……でも、塚田さんが浮気者って意味じゃないですからね?」
そう言いながら、数Ⅱのノートと、アメリカの住所が書かれた紙の束を渡された。
ハガキだ。切手が既に貼られ、英語で住所が書かれたハガキの束。
……「米」と「浮気者」の関連性はどこに?
「手紙をください。俺も、沢山手紙書くんで。塚田さんがいないと、俺、どうやって生きてったらいいのかわかんなくて。だから、俺の「米」として、必要不可欠な主食として、塚田さんには自覚を持って俺を支えてもらいたいんです」
泣きそうな顔で、ものすごく自分本意なお願いをする滝沢に、胸の奥がギュウと絞られた。
話は全く見えないがこの際それは脇に置いとこう。
俺も、滝沢に現国のノートを渡す。
お前は俺にとっての「海」だ。
お前はデカくて、いつもそこにいる。俺は、お前が眼の前にいなくても、いつもお前に悩まされるし。俺の生命力の源もお前だから。お前に俺が必要不可欠なら、俺はお前に欠かせないものになろう。もはや人類の生命力の源がお前だから。お前を想うことが俺の生きる力になるように。
抱きしめた滝沢はいつもみたいに泣いて、口付けるとその首筋も頬も唇も生命の水の味がした。
「俺、握り飯は塩むすびが一番好きです」
相変わらず会話は全く噛み合わない。
それでもお互いを求める手は強く握られ、唇で貪るように互いの味を記憶した。
臨戦態勢/塩むずび @3cococo3
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