Ⅰ. Roses or Lilies

第2話

俺は今や彼女を後ろ姿だけでも見分けられる自信があるし、声を掛けられないほど遠くから姿を見つけただけでも、例えようもない高揚感を覚える。


「お前変態だな」


「断じて変態じゃねえ」


高校時代からの腐れ縁、高津の言葉を即座に否定して俺は主張する。


「石山さんの全てを愛しているだけだ」


「重っ!」


高津がぎょっとしたように飛び退いた。そのオーバーリアクションさえも愛していると、いまの俺は言えるぜ親友。


「とにかく、お前が石山さんとの縁を繋いでくれたこと、本当に…」


「あ、おい」


俺の真剣な語りを遮った高津は、窓の向こうに見える建物を指さして、その名を読んだ。


「出てきたぞ。蛍ちゃん」


「何っ!」


座っていた椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。飲みかけのアイスカフェオレを目の前の男に押し付けると、まだ全然飲んでいないそれが波立って、勢いよくテーブルにこぼれた。


「おい…」


「お前にやる! あと、立て替えといてくれ」


「はいはい…ったく、男の飲みかけなんか…」


気持ち悪そうに吐き捨てた友人の言葉も最後まで聞かず、カフェテリアの出口まで猛然とダッシュする。


隣の建物を出て、風を切るように歩くすらりとした女の子。重そうなトートバッグを華奢な右肩にかけ、やはり華奢な左手首を持ち上げて、きらきらした腕時計にちらりと目をやる、その人に。


「石山さん…っ!!」


「え」


小さく声をあげ、彼女は立ち止まった。軽やかなショートヘアがさらりと揺れて、瞳は俺を映すと動きを止める。


黒目がちなその瞳が俺をみとめ、じりじりと温度を下げ始めた。


「柚木崎くん」


「はいっ!! ユキザキです」


「柚木崎くん…、あの、この前は」


「急にごめん。待ち伏せなんかして。でも、どうしても石山さんにもう一度会いたかったんだ」


彼女の片眉がピクリと持ち上がる。瞳は徐々に温度を下げる。


「この前…」


「この前は伝えきれなかった思いを、伝えに来ました!」


「…は」


目を見張る彼女の胸に向かって、紙袋から勢いよく引っ張り出したそれを捧げる。


 


ピンクの薔薇の花束。


 


「石山さん!」


「ゆきざ」


「これを受け取ってください! 俺と、デートしましょうっ!!」


 


渾身の大声で愛を伝える。恐る恐る目をあけると、薔薇の花の向こうには、顔を赤くした石山さんが唇を震わせている。


 


え、顔赤い。


 


これは、もしかすると。


 


甘い希望を抱きかけた俺の前で、彼女はいっそう顔を赤くし、唇を震わせながら、キッとその瞳をあげる。


 


「この…」


「はいっ石山さん!」


「少しは……場所ってものを考えなさーーーいっっっ!!!」


「ぉわっ」


聞いたことも無い石山さんの絶叫に驚き、反射で身を引いたその瞬間、彼女は猛然とスカートの裾を翻し、あっというまに俺の視界から消え去った。


 


「えええ…」



ピンクの薔薇を抱えた男ひとり。



「石山さん…」


我にかえって辺りを見回せば、唖然とした表情で哀れな男に注目する人々が、ぐるりと俺を囲んでいた。


「柚木崎ィ」と、腐れ縁の男の声がする。呆れ顔の友人のもとへとぼとぼと歩いていくと、励ますように肩を叩かれた。


「お前、蛍ちゃんを怒らせたな」


「そ…そんなあ」


情けない男の声は、残念なことに俺自身の声だ。ばらばらと散っていく人だかりを後目に、俺は懲りもせず、彼女の黒目がちな瞳を思い返していた。

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