ラセツと井上の場合 中編
井上は自分の配信を聞き返すことにした。リアルタイムで立ち会えなかった配信も、アーカイブと呼ばれるデータとなっていつでも楽しめるようになっているのだ。自分の声を聞いてみると、確かに、かっこよく聞こえた。本来、井上は自身の声を嫌うほどマイナスに評価している。しかし、アーカイブを再生して聞こえてくるのは、中性的な声である。安物のマイクのせいか、ネット回線を通しているせいか、理由は分からないが、奇跡的に井上の声や発声の悪いところにモザイクがかかっているようだった。
それからというもの、両親が不在の場合は、ほとんど欠かさず配信を行った。雑談と称して好きなものを語ることが多かった。匿名でメッセージを送れるサービスを利用し、質問やシチュエーションボイスを募集するということもした。
ラセツのファンのほとんどは女性である。フォロワー数こそそれほど伸びておらずまだ四桁に届いていないが、以前のアカウントよりも濃いファンが定着していると本人は感じていた。面白いことを言う時があるからなんとなくタイムラインに置いておこうという層から、声が好きだから配信まで見に行くという層に変わりつつあるのである。
「今日も、あんまり長くは話せないんだけど。ちょっともらった質問読むね」
初期の頃に比べると、明らかに作った声だった。しかし、この方がウケがいいと考えるラセツに改めるつもりはない。
「えぇと。いつも変な時間に配信していますが、学生さんですか? か。質問ありがとう。学生じゃなくて、ちょっと特殊な仕事だから言いにくいんだけど、まぁ大雑把に言えば時間の自由が利くIT系、って感じかな」
ラセツは快感を感じていた。「何がITだ、インターネットテクノロジーじゃなくて、いつだってつわりがきそう」だろうが、と自分の体型と境遇を蔑みながら嘘をつく。そう、心おきなく嘘をつけるのである。
「えぇと、次は……って、質問というか、単発のシチュボイスかな? 今日喉の調子悪いからなぁ」
たははと芝居じみた笑い声を出したあと、ラセツは軽く咳払いをする。彼女はやる気満々だった。むしろやりたくないなら読んでいないので、これが選ばれた時点で実演されるのは確定だったと言えよう。喉の調子は悪くなんてない、相手が気に食わなかった時のただの予防線である。
「……いけない子だね」
ラセツがそう言うと、表示されているコメントの流れが少し早くなる。決まった。そう確信して、「恥ずかしかったぁ」などと思ってもいないことを口にしてみせた。この台詞を恥じる前に、井上には恥じるべきことが山ほどある。
しかしこの日の伸びは良かった。次の質問を選びながら、それを何気なく呟くと、コメント達がその答えをくれるのであった。
「あぁ、今日祝日か。午前中は普通に仕事だったから、全然忘れてたな。明日から土日だし、それで見に来てくれてる人が多いのかな」
前者は完全に嘘である。単純にまともに働いておらず毎日がホリデー状態のため、感覚が麻痺しているだけだった。井上は今日、昼過ぎにのっそりと目覚めている。
あと少しで三桁に乗りそうなリスナーの数を見つめながら、井上は高揚感と緊張感を感じていた。他の配信者も同じように伸びているのだろうと自分を諌める。しかし、上手くいけば注目の動画としてトップページに表示されるかもしれないという期待は、どうやっても消せなかった。配信サイトのトップページに掲載されれば、視聴者数が爆増することは周知の事実である。自分はこんな形で人から注目されたかったのか、井上が寝る前にベッドに横になって冷静に考えたなら、答えは当然ノーである。文章の投稿で人気者でいれれば、それで良かったのだ。しかし、今は配信中である。それも、自分の声を聞きにきた人に向けて、話し続けている。冷静とはほど遠い状況であった。
「うーん、なるほどね」
冷静になる為の手段か、冷静だからこその判断か、冷静ではないから思い付いた賭けか。井上にはもう何の判別もつかなくなっていく。これから言おうとしていることが正解なのか、分からない。それでも、口はまるで他人に操縦権があるように紡いだ。
「一回配信を切って、一、二時間後にまたみんなで集まらない? 長めに配信する準備してくるよ。三連休の人も多いだろうし、楽しもうね」
最後にクスッと笑うことも怠らない。井上にそんな癖は無いが、以前の台詞読み上げで好評だったので、思い出したときだけやるようにしていた。それじゃ、またね。等と言い、惜しまれながら配信終了ボタンを押す。
立ち上がって財布を手に取り、七百円しか入っていなかったので、玄関ではなくリビングへと向かう。井上の心は空っぽのままだった。ちなみに、服装はスウェットに半袖のシャツなので、井上にしては大変マシな恰好をしている。一応そのまま外に出られる恰好なので、上等である。今日のような猛暑日には、まともに服を身につけていないことも少なくないのだ。
「お母さーん……は、いないか」
二階の子供部屋から降りた井上は、階段すぐ近くにある間仕切のドアを開けて、リビングへと入った。誰も居ない。テーブルの上には、井上への置き手紙があった。曰く、今日は自分でどうにかするように、だそうだ。手紙の隣には千円札が置かれている。
思わぬ臨時収入に笑みを作りながら、電話の親機が置かれている棚へと手を伸ばす。木製の棚に鍵はついていない。把っ手を摘んで引くと、そこには封筒が入っていた。当面の生活費を井上の母が管理しているのだが、彼女は躊躇することなくそこから五千円札を抜いた。
財布に六千七百円が入った状態で、井上は家を出た。ゴミのようにくたくたのスニーカーをつっかけて、その踵を踏み潰している。真夏の日差しは、元々ベタベタだった井上の前髪に人間らしい理由を与えた。
家からコンビニまでのルートを頭で思い描くと、信号が赤になって足を止める。車の往来が無ければ井上は平気で信号を無視する女だが、この通りでそれをやると簡単に死ねてしまうので大人しく待つ。そこで、やっと考える気になったのだ。親の金を盗んだことについてではなく、ラセツというネットの女について。
「……まぁ、チャンスといえば、チャンス」
声の活動は、井上には全く向いていなかった。いや、ファンがついている時点で才能が無いと断じることはできないのだが、とにかく彼女の性格と合っていなかった。元々言葉遣いが綺麗ではないのに、畏まって普段と違う話し方で初配信をしたことは、大いに井上を苦しめている。さらに、即興で気の利いた文章をSNSで送ることはできるが、声やリアクションについては自信が無かった。当然である、普段まともな人間では考えられないレベルで人と接していないのだ。練度が圧倒的に足りない。咄嗟の失言を、井上は常に恐れていた。だから事前に届いた質問やリクエストに答えることを主体として配信を重ねているのである。
ただ前のアカウントが消えた言い訳をしたかっただけなのに、どうしてこうなった。井上は自問自答する。彼女は賢いので、それはすぐに終わった。というか明白だったのだ。そう、調子に乗ったからである。本来の目的を終えたというのに、ちょっと煽てられて木に登ってさらに空を見つめてしまったから、その空の景色を諦めきれないから、今もこうして悶々と悩んでいる。
コンビニに到着すると、弁当の類いは一切買わずに、スナック菓子やジュースをカゴに放り込む。唯一夕飯として買われていそうなものはカップ麺のみである。新作のコンビニスイーツなんかは端から買う勢いだった。支払いを済ませて財布の中身を入店時の半分以下にして、井上は帰路につく。
罪悪感など微塵もない。それどころではないのだ。井上は、やっと認め始めていた。SNSでも配信でも、自分はなんでも良かったのだ、と。プライドなんて無い。ただSNSでは文字で発信する文化があって、それが井上の性に合っていただけ。配信などやめて自分の本来の活動に立ち返ろうという迷いは、炎上リスクなどから逃げようとする心の現れではないかと分析する。
それからだらだらと自室へと戻った井上は、キッチンから持ってきたお盆に、最も見栄えのいいスイーツを置いていた。カメラアプリを起動させ、食品用のフィルターに切り替えて、いい構図を探す。忘れてはいけない。ラセツはバリバリと働いており、気まぐれでコンビニスイーツくらいさくっと買ってしまう、心にも財布にも余裕のある女なのだ。最近は、ラセツのイメージを維持するような活動が出来ていなかったと、井上は少し反省する。生活費を抜いたことは反省していない。
撮影が終わると、パソコンを置いてあるテーブルの空いたところに食べ物を置いて行く。素敵な配列などは一切意識していない。ただ、買って来たものを袋から出す作業を行っただけだ。撮影が終わるまで映り込みの可能性があるので、袋の中で待たされていた食料達である。最後まで袋の中に残っていた炭酸飲料を取り出すと、キャップを捻る。
食料を並べる過程でマウスに体をぶつけていたらしい。入力信号を受けたパソコンは、いつの間にか真っ黒い画面から復旧していた。右下に時間が表示されている。配信を終えた時間から考えると、そろそろ再開してもいい頃合いだった。
「……まぁ今日家族帰ってくるの遅いっつってっし」
手紙の内容を思い出しながら呟く。日は傾き始めていた。井上はあまり外に出ないので、夏になると陽が完全に沈むまでに長く掛かることを、今の今まで忘れていた。家族は少なくとも、八時過ぎまでには帰ってこないのではないかと考える。どういうことかというと、井上は一丁前に配信のゴールデンタイムについて考えを廻らせていたのだ。昼間よりも夜の方がアクセスが伸びやすいことは周知の事実である。
「話を引き延ばしても三十分から一時間程度……それ以上はネタがなくなって空気が地獄になるし、喋り慣れていない私の喉が悲鳴を上げる」
井上は逆算する。つまり七時頃に配信を始めるのがベストである。と答えを導くと、次にタイムラインを巡回した。よく配信を聞きにくるフォロワーが、配信までに用事を終わらせようだなんて、随分といじらしい投稿をしている。これほど真っ直ぐな好意を受け止め慣れていない井上は顔を強張らせた。
モリゾーは聞きに行けない、悔しいと騒いでいる。結局、性的な発言が禁止されてからも、モリゾーは何かしらでずっとうるさかった。しかし井上はさほど気にしていない。太陽光でゆっくりと動くオモチャのような扱いで、これはほっといても勝手になんか動いてる、という認識になり、井上の視覚と脳はモリゾーのやかましさをキャンセリングできるようになっていた。
見に来る人は何十人といるのに、ラセツの配信について話をしているのは二人だけ。大量に送られてくる匿名サービスを利用した質問も、台詞のリクエストも、もしかすると熱心なたった一人のファンからかもしれない。毎回リスナーが二桁遊びにくるが、これは定着した客層ではなく、ちゃんと複数回来てくれているのは片手で数える程度。有り得なくもない空想は、井上の体感温度を少し下げた。
——早ければ一時間くらいで再開するって言ってたけど、すみません。まだかかりそうです。時間が分かったらお知らせします
井上は淡々とした様子で、当初の予定よりも配信が遅れる事実だけを書き込んだ。彼女はこれからアニメの続きを見て適当な頃合いに告知するつもりだが、いま投稿された内容に誤りはない。もし後に言い訳をする機会がなければ、井上はどうやって「仕事で」「致し方なく」というニュアンスを盛り込むかに苦慮するだろう。しかし、そんな心配はもう要らない。後から自らの声で、いくらでも言い訳ができるのだから。さっきはごめんね、急な仕事で。これから口にするであろう台詞を、頭の中で一度さらった。
ブラウザのブックマークから動画配信サービスをクリックすると、続きもののアニメが半端なところで中断されていた。井上は再生ボタンを押す。データ読み込みの間の後、何かがいきなり爆発するシーンから動画は再開した。パソコンの中で生きるキャラクターを見つめて、井上はふと気付く。SNSとか配信サイトとか、井上にとって本当に大切なのはどちらでもない。彼女に必要なのは、嘘をつける環境とそれを信じてくれる誰かなのだ。
「嘘言えるってサイコーだわ」
極めて俗っぽいが、これこそが井上の本音の中の本音だった。
配信で喋る時の為に準備したという体で用意した菓子だが、配信前に生き残っているのは画像を投稿したロールケーキのみであった。本人も食べ過ぎかもしれないと最初は自制したが、「そもそもみんな私のトークを聞きたくて来たのに、私がそんなに食べてちゃ駄目じゃない?」という大義名分を手に入れてしまってからは駄目だった。そうなってしまえば誰も彼女を止められない。次々と菓子を平らげて、時計を見ると七時を過ぎていた。とはいえ、当人はあまり焦っていない。家族は早くても八時過ぎまで帰って来ないのである。それよりも遅くなる可能性の方が高いという見立てでいるので、呑気なものだった。
—―お待たせしました。お話しましょうか!
そう投稿すると、井上は音質終了イヤホンマイクを装着し、設定を確認する。一丁前に配信用のソフトを入れて配信するようになったが、機材を揃えるつもりも細かく設定を分けるつもりもないので、ただ配信開始のボタンの場所がブラウザからソフトの中へと変わっただけである。
「お疲れ様です。すっかり遅くなっちゃってすみません」
配信が始まると同時に、連携しているSNSでも配信中という投稿がされる。異変は最初からあった。待機していたアカウントがあるので数字が底上げされていたのだ。井上は配信開始直後から、このタイミングにスタートできたことを喜んでいた。
「私は、さっきコンビニで見つけたロールケーキを頂くよ。みんなは何、食べてる?」
❝何❞で一旦息を止め、無音を作り出してから精一杯色気のあるTとA、つまりTA、要するに❝た❞を発音する。あとは流れで普通に、でも少しゆっくりめに。
イケボだと言われてから、井上は明らかに調子に乗っていた。からかわれているだけかもしれないと自問する時期はとっくに過ぎ去っている。悪戯で送るにしてはあまりにも熱心なのだ。回数も内容も、何人が匿名のツールを使用して井上にメッセージを送っているかは分からないが、とにかく自己評価の高くない井上を見事に乗せてしまうほどの熱量があったことだけは確かである。
「じゃあ、どこまで話したっけ? いけない子だね、は……あぁそっか、やったか。じゃあ他の読もうかな。え、もう一度言って欲しいって? ふふ、本当にいけない子だな」
普段のラセツであれば最後の語尾は、「だね」である。恐ろしいことに、井上に切り替えている意識はない。ラセツとして配信をするときだけは、いい声を出すように心がけている。その差が言葉遣いにも現れているのだが、はっきり言って井上はそれどころではなかった。
明らかに玄関が開いた音がした。それはもう本当に明らかだった。生涯でこんなことを願う日が来るだなんて考えていなかったが、井上は心から泥棒であることを願った。それなら嘘で塗り固められたラセツの、初めての本当にあった逸話になる。配信中に泥棒が入ってくるなんて持ち過ぎてて恐ろしい。しかしそんなことはない。現実は非情だった。
井上の母はそそっかしく、車に忘れ物をしては取りに戻ってを平均二度は繰り返す。いつも聞く、閉じたばかりの玄関ドアが開く音が響く。井上の部屋にも届いている。配信に載っていないか心配になるような聞こえ方をしているが、ドアの開閉音なんてこの際どうだって良かった。そのまま一時間くらい戻って来ないで欲しいという、彼女の無茶な願いは届きそうもない。
配信画面を見ると、ラセツの数秒間の無言を慮るコメントが流れていた。彼女はコメントに感謝しつつもすぐに異変に気付く。自分の配信では、こんなスピードでコメントは付かない。悲しいことだが事実である。井上が配信画面を見ると、視聴者数のカウンターが300を回っていた。
これまでにこれほど伸びたことは無かったし、そんな日が来るとすら思っていなかった。しかもカウンターはじりじりと数字を増やし続けて、井上の心にぎゅんぎゅんとプレッシャーをかけた。
——いけない子だなって、強めの言い方もいいですね! さっきとは別の良さ!
——それな。良さみある
流れていくコメントに気が狂いそうになる。本当のいけない子はほぼニートのような状態で家族に寄生したまま三十路を向かえようとしてるくせに何の躊躇もなく生活費から五千円を抜いていく井上である。他の追随を許さないいけない子だし、そろそろ子と呼ばれることに疑問のある年齢に差し掛かっているので、いけない方と表現すべきかもしれない。
配信を止めてしまえば、それで幸せになれる。しかしそれが今のラセツには分からない。何故か、簡単である。これまで一度も見たことのない視聴者数を手放したくないのである。ラセツはとにかく必死だった。実際に音声や配信を聞いたことは無いが、この世にはASMRという、立体音響を楽しむ界隈があることは知っていた。というか界隈があることしか知らなかった。ラセツは、何故か少し猫背になる。イヤホンマイクなので別にマイクと口との距離が変わるわけではない、小さな奇行である。
「今日、さ。みんなと何しようかなって考えて。ちょっとこそこそ? 話したりしたいなって」
吐息多めに話すラセツだが、彼女は知らなかった。ASMRとはバイノーラルマイクという機材を使用して初めて実現できるもので、コンビニで用意した地獄片道切符イヤホンマイクでそんな話し方をしても、ただ聞こえにくくなるだけである。本物のマイクは心音すら拾うスグレモノなので一緒にしてはならないのだが、その事実を彼女が知るのはずっと後のことである。
配信をしながら自分の声がどのように届いているか、リアルタイムで確認する術はラセツには無い。きっといい感じだろうと信じながら、母がこれ以上目立った行動を取らないことも合わせて信じていく。こんなにたくさんのものを信じて生きることになったラセツは確信した。信じるコツは真実であるかどうか確認しないことだ、と。ラセツがこの配信のアーカイブを自らチェックする日は、きっと来ないだろう。
——一人称ぼくでしばらく話して!
一度も見たことのないアカウントからのコメントに、ラセツは息を止める。超えてはいけないラインがそこにはあった。これまでラセツと井上がやらかしてきたことが子供のいたずらに思えてしまうような禁忌である。
「ぼく……? 別にいいけど、ぼくにぼくって呼ばせて、なんか楽しい?」
囁くような声でラセツはそう言う。国境を跨ぐような感覚があったにも関わらず、それは即決だった。リアルタイムで流れていく「ありがとうございます!」達を見やりながら、彼女は悪魔に魂を売ってしまったような気がすることを、今更ながらに悔いていた。同時に、これほどウケがいいのであれば、しばらく維持してもいいかもしれないと考える。リスナーは増え続け、既に600を回っていた。人に注目される高揚感とやめとけと叫ぶ自我がせめぎ合っている。
「えーと、ぼく、このままロールケーキ食べるね。さっき買ったやつ」
よく分からないけどASMRっぽいと、彼女は嬉々としてごそごそとフィルムを剥がす。その音を聞かせようと、頬や髪にクリームが付きそうな勢いで顔面を寄せているが、ただ雑音がうるさいだけである。あと、ビジュアル的におぞましいことになっている。妖怪を描いた作品で見かけそうな光景が広がっていたが、その妖怪には特攻とも言える存在があった。
ズンズンと明らかに二階に登ってくる足音である。今ならラセツの心臓にバイノーラルマイクを当てても音がしないかもしれない。それほど彼女にとっては絶望的な気配だった。もう駄目だ、切るしかない。ちらりとカウンターを見ると、九百人以上がこの配信を開いていた。顔出しもない、面白いことも言わないラジオ配信にしては奇跡的な数字である。見たことのないスピードでコメントが流れていく。古いコメントを押し除けるように新しいコメントがやってきて、それがすぐにまた古いコメントになる。流れているのは「あの、うるさいかも」「さっきからぼーぼーいってるの鼻息?」など、ASMRを楽しんでいるとは思えないコメントだったが、もうどうでも良かった。ラセツは背後に迫る足音に神経を集中させて、呼吸することしかできない。足音が別の部屋へと向かうよう祈っていると、ついにノックの音が響く。
「ねぇちょっと」
終わった。怒気を孕む声色は、たまに聞く母のそれだった。下の名前を呼んできたら、そう思うと気が気じゃない。井上は頭をフル回転させて、気付いた頃には取り返しがつくかどうか分からないことを口走っていた。
「ちょっと待って。隣の部屋の人になんか、なんだろう、来客?」
あろうことか、井上は他人のふりをした。かなり無理があるが、これなら万が一母が名前を呼んでも他人としらばっくれることができると思い付いたのである。
ラセツは一人暮らしの設定だった。明言したことはないが、自立した女性であることを仄めかしているので、誰もがそう思っていることだろう。効果があるかは分からないが、ラセツはマイク部分を手で覆い、できる限り外の音を拾わないようにする。しかし、出て行こうとしない娘に腹を立てた母の怒りはそんな小さな抵抗を無に帰した。
「聞いてるの!」
絶対にはっきり入った、ラセツは配信に母の声が載ったことを確信しながら、一度初めてしまった芝居を続けるしかない。
「こわ、何したんだろうね、隣の人……」
当然だが、当人には心当たりしかない。玄関のドアが開く音がしたときには、突然帰ってきた母に憤る気持ちもあったが、既にそんなものは霧散していた。コメントは流れていく。人には他人の不幸やアクシデントを楽しむ習性があるとしか思えない。リスナーは千二百人を超えていた。
――ブチギレてて草
――ヤク中じゃね
——あんまり酷いと通報した方がいいかも
自分のせいとはいえ、ブチギレヤク中される母を思うと複雑な心境になる。あくまで他人、傍観者であるというスタンスを崩そうとしないラセツは、都合のいいコメントだけを拾って反応してみせる。
「通報……そう、だよね」
「ぼそぼそぼそぼそ誰と喋ってんの!」
絶叫にも似た声がした直後、ドアが大きくバンと鳴る。手のひらで叩かれたドアの悲鳴は、しっかりと配信の音声にも載った。
「ひっ」
井上の中で確定した。あの怒りようはまともな夕飯を食べたのか、これから夕飯を作るがお前も食べるか、という質問では有り得ない。金を盗んだことが早々にバレたとしか思えなかった。
——これ叩かれるのこの女の部屋のドアだろwww
的確に現状を言い当ててしまったコメントに反論する前に、なによりも先に。ラセツはついに配信停止のボタンを押した。膨れ上がっていくリスナーの数も、今の彼女を引き止める材料にはならない。視界の端には食べ散らかしたスイーツの袋やらパソコンの周辺機器やらが映ってるはずなのに、配信終了中の文字しか頭に入って来ない。ボタンを押してから配信が終わるまでに、数秒のラグがあることは知っていた。しかし、気に留めたことなどなかった。一秒、一瞬でも早く止まることを爆発しそうな感情で祈り続ける。
「また生活費抜いたでしょ!」
母の絶叫が響くのとほぼ同時に配信は終わった。どこで配信が切れたかによって、ラセツとしての命運が決まると言っても過言ではない。早急に確認したいところではあるが、ブチギレヤク中ということになってしまった母への謝罪もとい開き直りが先である。
見つかると厄介なので、手早くゴミを片付け、散財した痕跡を見えなくする。フィルムに付いていた生クリームやスポンジ生地のカスなどが井上の手を汚したが、彼女は一切構うことなく素早く手を動かした。この間も、母は井上に呼びかけ、ドアを叩き続けている。
内鍵のつまみを回すと、井上がドアを開けるより早く彼女の母がドアを押した。不意打ちで額、左目の上辺りのを強かに打ち付けたが、母に備える心が痛みを無かったことにする。
「何してたの!」
「何って、友達と電話だけど。うるさいんだけど」
「だからあんたまた生活費抜いたでしょっつってんの!」
「でも五千円だけだし」
言った直後、井上の頭上に雷もとい母のげんこつが落ちる。いい加減にしなさいという怒号を飛ばして、母はドアを強く閉めたが、井上には分からないままだった。それは金を抜いた時の母の反応について。猛烈に怒るときと、呆れたようにため息をついて流すときがあり、井上にはその見極めができないのだ。最近は怒られていなかったから今回も上手く行くだろうと踏んでいたのである。人とまともに接して来なかった彼女は知らない。叱ったり怒ったりという行為は、する側もストレスを伴うということを。自分のことしか考えられないので、金を抜く行為についても「体力が無く、人並みに働くことができないのだから仕方ない」と考えているし、もっと言ってしまうと「一万札じゃなくて遠慮して五千円札を抜いたのに」と譲歩してやった気ですらいるのだ。
ちなみに、彼女は知る由がないが、母が井上の為に置き手紙をしたのは朝で、置かれた金は昼食のためのものだった。千円も置いていくなんて甘やかしすぎだったかもしれないという母の自省をあざ笑うかのように生活費に手を付けられたのだから、怒りもする。
「……っざけんな!」
頭のてっぺんが熱を帯びていたが、母への怒りと混ざって自分では何が痛みなのか認識できなくなっていた。当然のことで叱られた出来事を他人に転嫁すると、次に井上がすべきことは決まっていた。
のたのたとだらしない体を揺らして自身のパソコンの前に座り直すと、大きく息を吐く。どこで配信が切れたのか、確認しなければならないのだ。それによってラセツとしての身の振り方が変わってくる。いきなり配信のアーカイブを観る勇気が出なかった彼女は、SNSの投稿をチェックすることにした。
「くそ……なんで私がこんな目に……」
親切な者がその場にいたなら「それはね、親の目と金を盗んで配信をしたからだよ」と懇切丁寧に教えてくれるだろうが、そんな存在を彼女は持たない。どうしてもと言うならChatGPTにでも頼るしかないが、井上はその手の話題に興味を抱くタイプの女ではなかった。
いつもの五倍は愚鈍になった指先が、マウスの左先端をぎゅうと押込む。SNSの画面にはラセツを心配する声がいくつかあった。不意に、配信を閉じる直前に流れてきたコメントを思い出す。自分の部屋のドアを家族に叩かれていないか、という茶化すような指摘である。
現実から目を背けたい気持ちが膨れあがる。ここの連中に何を思われようが所詮は他人だと割り切ろうとする自分が現れて、ラセツがそいつを押しのける。井上は忙しい心のまま配信の履歴を開き、どのように終わったか確認するために再生した。
——ひっ
ラセツの声である。この直後に母は「また生活費抜いたでしょ」とドアに向かって叫んだ訳だが、悲鳴からあと二秒ある。井上にとっては、自分の情けない悲鳴も受け入れがたい事実の一つだが、本題はこの後の二秒間である。
——またせ
配信はここで切れていた。何度確認しても、間違いない。生活費、という単語まで入っていれば言い訳はかなり難しい状況だったが、最悪の事態は免れたらしい。配信をすることができれば、最後まで音声が載っていたとしても、ラセツは隣人のトラブルだと言い張るだろう。しかし、流石にしばらく配信をする気分にはなれなかった。
「っはー……」
——ご心配おかけしてすみません。隣から聞こえる声により住居の特定に繋がると思い至り、いきなり配信を切ってしまいました。あ、通報はしてきました。配信の最後で切れているのは「待たせておいて何してるの」という言葉で、隣人がろう城してるように窺えますが、まぁ他人なのでこの辺で。
ここまで入力して、その右手は投稿ボタンを押すことすらしなかった。どうせ投稿できない。井上はそれを痛いほど分かっている。むしろ、どうせ投稿できないから、好き放題に書いた。
――ご心配おかけしました!とりあえず女性は去っていきました!通報については、悩んでいる間にいなくなってしまいました。ひとまず安全です、今日は早めに寝ます。おやすみなさい!
嘘をつかない、その塩梅を見極めつつあるラセツであった。当然だが、隣人という要素を足すと嘘になる。投稿してみると、疲れが数年ぶりに体にのしかかったような錯覚に陥った。いや、錯覚ではないのかもしれない。この生活の中でくたびれている感覚は常にあったというのに、これまでの自分は羽のように軽い体を持った幸せ者だったのだと、そう思わざるを得なくなった。張り詰めていた糸がぷっつりと切れ、ドカっときた。端的に言うと、井上はラセツという何かを維持する意義を見失いかけているのだ。
二日後の午後。井上は、なんとあれほど執心していたSNSの更新を休んでいた。二日も浮上しなかったことはラセツのアカウントが稼働してから一度も無い。風邪でダウンしたときすらラセツは自身の体調を知らせながら、病院で見かけたという体で面白おかしい嘘を発信していた。
何もかもが億劫だったのだ。アカウントを確認して、返事をしなければいけない声掛けに気付くことすら心が拒絶していた。例の配信のリスナーは母襲来をどう考えているのか、仲の良いフォロワーがこっそり減っている可能性もある。とにかく様々な要因が井上をラセツから遠ざけていた。それと同時に、井上は人を試す自分の浅ましさにも気付いていた。誰か、浮上しないラセツの名前を挙げたりしないだろうか。そんな期待が、SNSから離れようとする心のガソリンになっていた。この下心がなければ、井上はとっくにSNSをチェックして、ついでに一言くらい投稿していただろう。ちょうどバイト先の店長にもう少し入れないかと打診を受け、週二日だったバイトを一日だけ増やしていた。家に居たくなかった上に、SNSにも居場所があると思えなかったことが井上にはいと言わせたのだが、本人にそこまでの自覚は無い。
とはいえそれもそろそろ限界である。井上の僅かなバイト代は全て井上のために消える。生活費を抜く女が家に月々お金を入れている訳がない。登録している動画のサブスクは二つ。人よりも多くの時間を持て余している井上は多くのドラマシリーズを消化済だが、それでもこの世には映像作品が溢れている。最近は専ら、忙しくて観る暇が無かったと宣いながら、海外ドラマを消化していた。ちなみに吹き替えである。字幕は目が疲れるという理由から彼女は好まない。文字を読むということが得意ではなかった。推しているアニメの推しキャラに関わるものだけは例外なのだが、とにかく彼女は小説というものに興味がない。
ちんけなモニターの中で繰り広げられている壮大なストーリーを、マウス操作一つでストップさせると、海外ドラマを観すぎて同じ姿勢で居続けたせいで肩が凝るという、一般的な社会人が聞いたら呆れ返るような理由で伸びをする。
「やっぱゾンビものって、結局ゾンビ問題から人間同士の資源の奪い合いになるんだよな」
それっぽいことを呟いて見せると、久々にSNSを開いた。誰か自分のことを心配したりしていないか、そんな淡い期待はしていたが、井上は画面の通知に度肝を抜かれることになる。なんと、淡白な人間だと思っていた田町から、個別にメッセージが届いていたのである。
「え……?」
井上は田町を「気難しい性格をしている、恐らく女」ということしか知らなかった。更新頻度から、誰かに小説を書けと脅されているとしか思えない変わり者。偉そうに創作論を語っていて信者にうんうんと唸らせてニチャリと笑っているような印象があった。
田町のことは、別に好きじゃなかった。作品に目を通したことはあるが、井上とは推しているキャラクターが違うのでイマイチ刺さらず、ただ文章は上手いと感じた。当時のラセツは、単純にフォロワー数が多いから繋がっておきたかったのだ。ただそれだけの存在で、きっと田町から見たラセツも似たようなものだろうと考えていた。そんな女がたった二日浮上しなかった自分へ個別メッセージを送ってきたことに、井上は驚きを隠せなかった。
恐る恐るメッセージを開くと、そこには「会いたい」とだけ書かれていた。
「いや怖い怖い怖い怖い」
メッセージが届いているのは二時間前だが、二日浮上しないことには一切触れていない。まるでそんなことには興味が無いとでも言うように、田町は端的すぎるほどに要件のみを伝えていた。当然だが、井上には意図が分からない。
誰かに相談すべきだろうか。井上は逡巡するが、共通の知り合いは何を考えているのか分からないしゃけと、最近下ネタを発信出来なくなってやや鬱屈としているモリゾーである。他にも共通のフォロワーはいるが、田町があまり社交的ではないため、やりとりをしているところを見たことがない。しゃけに相談した場合のやり取りを想定する。きっと毒にも薬にもならないことしか言わないだろう。急になんだろうねぇ? と井上の頭の中でしゃけの切り身が半身を傾ける。駄目だ。モリゾーに至ってはラセツの相談を押しのけるように、最近溜まっている鬱憤を吐き出すだろう。論外である。
――急にどうしたんですか?
結局、ラセツは相手の出方を探ることしかできなかった。会うと言っても例えば北海道と沖縄の距離であることなどは想像していないのだろうか。井上は都内在住であり、田町も関西のイベントよりも関東のイベントに多く顔を出している印象はあったが、ラセツはSNS上で住んでいる地域を明らかにするような投稿はしていない。大阪と言われたらこいつは大阪まで赴くつもりなのだろうか。少し外れたことを気にしながらも、頭の片隅では会いたがっている理由について推測し続けていた。
「なんなんだよ、こいつ。マジで」
――もし、これまで通り、あなたが嘘を投稿できる方法があると言ったら?
田町の返信に、井上は息を飲む。そんな方法があるはずがない。もしあるのであれば、その方法は虚栄などではなく、政治に使用されるべきである。それくらいのことは井上にも分かる。が、興味が無いといえば嘘になる。
ラセツの投稿を嘘と断じられることについては、さほど気にしていなかった。これまでにも「嘘松乙」という言葉は飽きるほど届いている。いちいち気にしていたらキリがないのだ。田町のように斜に構えた人間がラセツの投稿を鵜呑みにしているとは最初から思っていない。
――そのために会うということ?
――そうとも言える
質問を送ると、当たり前のようにすぐに返事が送られてくる。井上はそれについて違和感を覚えていないが、まともに働いている者であれば平日の真っ昼間にすぐに返事がきたことに驚くだろう。田町はまるでラセツとやり取りするためにパソコンやスマホに張り付いているようだった。
――でも、ほら、会うって難しくない?
――そうかな。都内、もしくは千葉の市川や浦安の方に住んでるんじゃない?
「は……?」
江戸川区在住の井上の指先が震える。大まかな居住地を言い当てられた彼女は、返す言葉を見失った。気味が悪い、それが率直な感想である。気持ち悪く思いながらも、過去の発言を思い返す。おそらくは自分が何か迂闊なことをやらかしたのだろうと考える。しかし、井上が答えを導く前に、田町は追加でメッセージを送ってきた。
――天気の話でもしかしたらと思ってたけど、決定的だったのは地震。地震があったときの投稿で、その辺なんだろうなって。
「なぁこいつキモいってー……」
大変失礼な発言をしながら、井上は崩れ落ちた。確かに言った。なんならそのときに地震に絡めた架空のアクシデントを合わせて投稿している。
地震があったのは半年以上前のことである。つまり、田町は少なくともその頃からラセツのことを気にかけていたのである。ラセツはフォロワーの所在地など気にかけたことが無いので、それがとてつもなく異常なことのように思えた。
――なんで私に会いたいんですか
――嘘を投稿できなくて一番困ってるフォロワーは、ラセツさんだと思った
――モリゾーさんも困ってますよ
――あれは鬱陶しかったからあのままでいい
井上は、不覚にも笑ってしまった。端的に述べられたモリゾーの投稿に対する田町の感想が非情で面白かったのだ。変なところで気が合ってしまったことも相まって、少しだけ田町への警戒心が薄れる。嘘を投稿できるようになるという眉唾についても、前向きに検討し始める。
――田町さんってどこに住んでるの?
――まぁ気にしなくていいよ。私が指定された場所まで行くから
――それは助かるけど、どこ?
地名などすぐに打てるようなものだが、そこで田町の返信が止まる。ラセツは自分だけ住んでいる場所を知られているのが嫌でしつこく所在地を訊いたのだが、このまま返事が来なくなったらと想像してみると、驚くことにほんの少しだけ残念だった。
嘘かどうかは置いておいて、田町が言う方法が気にならないと言えば嘘になるし、ラセツという存在をしっかりと日頃から意識していくれていたということも、考えようによっては実は好いていてくれたと解釈することもできる。
――群馬
「群馬ぁ!?」
久方ぶりに出した大声に、井上は自分でうるさ、と吐き捨てる。しかし驚く気持ちは収まらない。わざわざラセツに会うために群馬から来る女がいようとは。先ほど僅かに感じていた嬉しいという感情はいとも容易く霧散する。
「重……」
そう、重いのである。そこまでして来る理由が、やはり井上には分からない。ラセツには田町に会うメリットがあるが、田町にはあるのだろうか。何故、田町はラセツにそこまでしようとしているのだろうか。善行を重ねたいと思うきっかけが彼女にあったのだろうか。いや、それはない。田町の人格などほとんど知らないが、ラセツには彼女がそれほど親切な人間には見えなかったのだ。
――それをする田町さんのメリットは?
――私は、自分の作品を取り戻す
「おいコイツまだ言ってるって……」
田町がサイト上のSSを削除されたことに対して激怒していたことは記憶に新しい。しかし、署名活動を行わなくなったことから、諦めたのだとばかり考えていた。やっと静かになって良かったとすら思っていたのに。
井上は迷った。自分の前にぶら下がっている嘘を投稿できるという甘言と、田町の熱意に押されつつある。しかし、やはりSNSの知り合いに会うことへの抵抗もある。ラセツは美人でユーモアのセンスが抜群で、仕事もできる女なのだ。
しかし、それを嘘と断じている相手に乖離している現実を知られることが怖いだろうか。井上は顎に手を当て、運に委ねてみることに決めた。
――明日の午後、秋葉原で。どう?
群馬に住んでいる人間に対し、そして恐らく田町には田町として以外の生活があることもわかった上で、ラセツは無茶を言った。これで顔を出すというのなら、それは運命だったと諦めて会ってみることにしたのだ。
――分かった。一刻も早く会いたかったから、良かった
「いや来るんかーい」
井上の声が虚しく部屋に響く。田町は井上が考えているよりもずっと積極的な暇人であった。適当に明日と言った井上だが、たまたまバイトが入っていないことに気付く。本当に何も考えずに日時を指定したな、と流石に反省し、部屋のクローゼットを見やる。
「何着てこう」
言いながら、既に頭の中では決まっていた。夏はシャツとジーンズしか履かないのが井上流である。理由は、動きやすく、コーディネートに悩まなくていいから、ただそれだけである。そもそもスーパーのバイト以外で外出する機会などないので、その辺りが重視されるのは自然の摂理であった。人と会うのだからお洒落をしようなどと気の利いたことは考えない。彼女は着ていく予定の服がハンガーに掛かっていることに安堵するのみで、それ以上レベルの高いことは気にできなかった。
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