第184話 調教的速やかに

 背後から誰かに抱きつかれる。


「ザガン!」


 その直後に響いた大きな声に、俺はハッと我に返った。

 目の前に槍使いの男がいて——

 俺は何をしようとしていたのだろう。


 背後から抱きついてきたのは、ダンジョンから連れ帰ったあの男性だった。

 一命を取り留めたとは聞いていたけれど、まだ快調からは程遠いようで、顔色は悪く玉のような汗をかいていた。

 でもあのツンとする饐えた体臭は、かなりマシになっているように感じる。


 槍使いの男が俺から距離を取る。

 追撃に備えて身構えたけれど、怪我をした男性が仲裁するように間に入った。

 槍使いが男性の首根っこを掴み、引きずるようにして仲間たちの元まで後退する。


 雑に扱っているのではなくて、俺からいち早く引き離したかったのだろう。

 母猫が子猫を乱暴に口に咥えて逃げるのを見た時の、ああそんなに慌てなくても……という気持ちになる。

 フルメイルだけは表情がわからなかったけれど、槍使いも大楯も小柄な女性も困惑している様子だった。


 距離が空き、攻撃してくる気配がないことを確認してから、俺は後ろを振り返った。


「博士」


 不安になるくらい青白い顔をしている。

 目の焦点もあっていない。

 博士は俺の服をギュッと掴んだ。

 その手は凍えるように震えていた。


「……もしかして、私は今、死にかけたのか?」


 博士の動体視力では、俺や槍使いの動きを完璧には捉えられなかったのだろう。

 じわじわと時間差で状況を把握したようだ。


「いや、そんなことないですよ」


 俺はすぐに否定する。

 博士は死にかけてなんていない。

 何があっても俺が守ったからだ。


 ポーションを取り出して博士の頬の傷にかける。

 傷口はとても綺麗だった。

 これなら跡が残ったりはしないだろう。

 槍使いの技量の高さに感謝しなければ。


「でもどうして博士がここに……」

「どうしたもこうしたもあるか」


 博士はずっと俺の配信を観ていたそうだ。

 そして俺がやらかすのを目にし、何かできることはないかと考えた。

 でもアマンダたちはアメリカにいるし、呼び寄せている時間なんてない。

 オランダの管理局は当てにならないし、そもそもあの戦いに介入できる人材がいるとも思えない。


 そこで博士が目につけたのが、俺が別世界のダンジョンから連れ帰ったあの男性だ。

 博士は病院に乗り込んで、自分の立場やアマンダの名前をフルに使って強引に面会した。

 そして配信を観せながら身振り手振りで協力を仰ぐ。

 言葉は通じなかったものの、男性の反応から博士の意図を汲み取ったこと、そして同意の意思があると判断して、周りが止めるのを全部突っぱねてここまで連れてきた。


 だが一命は取り留めたとはいえ、彼が重傷を負っているのは事実だ。

 歩くのがやっとのようで、博士の腕力では彼を担いで走ることもできない。

 焦れた博士は先行し、そのままボス部屋に飛び込んだ。

 それが事の顛末らしい。


「よくもまあ、そんな無茶を……」

「お前にだけは言われたくない」

「あ、いや、それはその……すみません……」


 それを言われると何も言い返せなかった。

 瓶を博士の口に持って行き、ポーションを飲ませる。

 最初はコクコクと飲み込んでいたけれど、すぐに煩わしそうに顔を背けた。


「お前のがよっぽど重傷だろうが。私より自分の手当てをしろよ」

「でもこれが最後の一本だから」


 博士があんぐりと口を開け、信じられないアホを見る目を向けてくる。


「あ、ごめんなさい」


 俺は調教的速(すみ)やかに謝罪した。

 博士の暴言は心にくるのだ。


「…………」


 その姿勢が功を奏したのか、博士は瓶を持つ俺の手を、無言でぐっと押しのけるようにする。

 残りを飲めという意味だろう。

 お猪口一杯分も残っていなかったけれど、何もないよりはマシだ。

 俺は瓶に口をつけて残りのポーションを飲んだ。


 博士は俺の脇腹を——

 博士を庇って抉られた傷口をじっと見つめる。


「嘘じゃなかったんだな」

「え?」

「簡易拠点で言ってたこと」

「ん? なんの話ですか?」

「……覚えてないならいい」

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