2-3 こっからいい景色が見えるからついてこい


「あの、こ、これ……!」


 待っていた女子は何かを両手で差し出している。なんだろう、サイズ的に手紙、っぽいけど……。そうか、口じゃ言えないから、ここでラブレターを渡したかったんだ。


「これ、私が貸した小説、だよね?」


 いや小説かい。意味分からん。どういうことか頭をフル回転させて考えてみる。

 恋愛小説の一節が告白に最適だったから、マーカーで塗って渡した、とか? 借りた小説に? 勝手に? それ告白の方法のせいでフラれるわ。


「作家さんのサイン入りって聞いてたから大事に扱おうと思ってたのに、うちのグレートピステス大五郎が、端っこ噛んじゃって……ホントにゴメン!」


 家に何がいるんだよ。怖いんだけど。

 端っこ噛むってことはペットなんだろうけど……え? ペットだよね?

 まさか成人男性が小説の端っこ噛んだとか無いよね?


「あぁ、アヤカん家の猫か。なんだ。そんなことを言う為に、わざわざ呼び出したの?」

「だって……ミサトが大好きな作家さんだって、知ってるから……」


 話がどんどん進んでいく……私はグレートピステス大五郎と名付けられた猫がこの世に存在するという事実をまだ受け入れられていないのに……。

 ま、まぁ、大ファンの作家さんのサイン入りの本なんて、宝物に決まってるよね。私は小説なんて読まないけど、大事にしてるものが壊れたり傷付いてしまったりしたときの気持ちは分かる。取り返しの付かないものであれば尚更。

 というか、そういうものの大半はお金で解決できない、取り返しの付かないものだったりする。


 正面に視線を移すと、そこには戦場にでも居るつもりか? って聞きたくなるくらい、真面目な顔をした三佳島がいた。

 どこか一点を見つめているようだ。なんだ……? ミサトちゃんの手元……? アヤカちゃんに返してもらった小説か……?


「いいって。ところで、本の感想は?」

「たくさんあるよ!」


 アヤカちゃんは、これまで抑えていたらしい声を解放してそう言った。顔は見えないけど、嬉しそうなのは耳から入る情報だけで分かるほどだ。険悪な感じにならなくて良かった、本当に。


「特に宮田の調教シーンが最高だった!」


 ん?


「やっぱり! アヤカなら絶対に気に入ってくれると思ってたの!」


 いますごい単語が聞こえた気がするんだけど。気のせいかな。気のせいだよね。っていうか気のせいであってほしい。


「妹を拉致してきて、妹に見せつけながらってシチュが、最高だったよね!」


 いや外道かよ。なに読んでたらそんな危険な感想出てくるの?

 ミサトちゃんが持ってる本、いわゆる有害図書ってヤツじゃない?

 大丈夫?


「分かるー! じゃあさ、じゃあさ! アカヤが一番好きなシーン当てていい!?」

「私も! ミサトの好きなシーン当てる! せーの!」

「「ムチ!」」

「はは! やっぱり!」

「もー! 一緒じゃーん!」


 アヤカちゃんのネーミングセンスがちょっとヤバいだけで普通の子達だと思ってたのに、二人ともめっちゃヤバいじゃん。「せーの、ムチ! キャハハ!」じゃあないんだよ。そんな特殊な単語で声重なるのアンタらだけだよ。


 次々と明らかになる本の内容に、聞いているだけで疲弊してきてしまった。助けを求めるように三佳島を見ると、彼女はスマホのカメラのズーム機能を使って、ミサトちゃんが持っている本のタイトルを確認しようとしていた。読みたがってんじゃないよ。

 どうやら、おいてけぼりを食らってしまったのは私だけのようだ。まぁ、三佳島は変なヤツだから、今更って感じはするけど。ひとしきりヤバげな感想を言い合うと、アヤカちゃんは改まって声を落とした。


「早くミサトとこの本の話、したかった……でも、私の不注意で、こんなことになっちゃったからさ……ホントにごめん」

「本当に気にしないでったら。本が傷付いちゃったことよりも、アヤカと好きな作家さんの話をできなくなる方が悲しいよ」

「ミサト……」


 なんかいい話風に言ってるけど、あいつらが嬉しそうに感想共有してるの、どギツい官能小説だからな。そうして二人は、キャピキャピとしたテンションでこの空間を離れて行った。なんかよく分からないけど、ま、まぁ趣味は人それぞれだし……。

 二人がいなくなって間もなく、三佳島が深いため息をついた。そういえば三佳島がこんな風になってるの、初めて見たかもしれない。


「どうしたの?」

「本のタイトルが知りたくてこっそり写真を撮ったのに、ブックカバーが付いててタイトルが分からない」

「ちょっとでも心配した私が馬鹿だったんだなって」


 そんなことでガチで凹むな。っていうかそこまで気になるなら、いっそのこと偶然を装って二人に話し掛けてこい。

 私の呆れ帰った視線を頬に浴びながら、三佳島は「切り替えなきゃ」と呟くと、また周囲への警戒モードに入った。だけど、夕陽はもうじき沈んでしまう。三佳島の流した噂は、夕陽が沈む前に、という条件付きだったはずだ。


「そろそろ帰る?」

「せっかくなので、ここで陽が沈みきるのを見ていく」

「……私もそうしよっかな」


 校舎の奥、吸い込まれていくように消える太陽を見つめて目を細める。なんだかんだで楽しかったけど、お礼を言うのはなんだか癪で、私は今日の出来事について短くコメントした。


「まさかこんなに上手くいくとはね」

「やってみるものだと思った。もっと変な噂を流すのもありかもしれない」

「例えば?」

「夜、学校に忍び込んで、二三時五九分に職員室のドアを開けると……とか」

「意味なく時間を細かく設定してるところが最高にいやらしい」


 どうやら、三佳島はネットをそれっぽい噂を流す才覚に恵まれているようだ。真に受けて実行しようとする生徒がいたら、恐らくは職員室の前に立つ前に、警備会社の人に連行されるだろうけど。

 私達は沈みゆく太陽のてっぺんを見届けつつ、立ちあがろうとした。帰ったらママと仲直りしようなんて考えながら。だけど、膝を伸ばす直前、異変を察知した三佳島に肩を抱かれた。ぐっと地面に押し付けられるように力を入れられ、私はなす術なく、彼女の腕の中にすっぽりと収まった。


「へっ!?」

「佐久、しっ……! 誰か来る……!」

「……!?」


 そんな馬鹿なと思いつつも、私は反射的に人の気配を探していた。そして、三佳島の言うことは嘘なんかじゃないって、すぐに分かってしまう。身を寄せ合ったまま、私達は背後を振り返る。


 葉の隙間から見えたのは、そこに現れたのは、これまた顔の見えない同級生と、佐々木だった。ちょっと前に、三佳島がうんちペーパーを貼り付けようとして断念した先生。生徒の方は、明らかに三佳島の流した噂を意識しているようで、パタパタとこちらに早足で向かってきていた。生徒の動きに合わせて、スカートの裾がせわしなく踊る。

 生徒と教師。しかも女性同士。こんな珍しい告白を目撃するなんて……。まだ愛の告白と決まったわけではないが、生徒の方は佐々木に急ぐよう手招きをしている。怪訝な表情を浮かべた佐々木が緑で覆われた藤棚の下へと足を踏み入れると、女子は宣言するように告げた。


「先生聞いて! あたし! ちゃんと告白できたんだよ!」

「……?」

「それでね! 付き合えることになったんだ!」


 こちらから女子の表情は窺えない。辛うじて、話に付いていけてなさそうな佐々木が見えたり見えなかったりするくらいだ。私は改めて息を潜めて、彼女の発言の意図を考えた。

 これは、佐々木に告白しようとしていた、ということではなく、あの女子は佐々木に恋愛相談をしていて、その報告のためにここに訪れた、ということだろうか。答え合わせをしたくて、スマホで文章を打って三佳島に読ませてようかと思ったけど、やっぱりやめた。

 校舎の奥ではまだ夕陽が揺らめいているようだが、ここからはもう確認できない。さらに植物の影になっているので、この辺は特に暗いのだ。せっかく静かにしているのに、明るさで隠れていたことがバレるなんてアホ過ぎる。


「告白……どういうこと?」

「先生が言ってくれたんじゃん! どんなに困難な道だろうと、一緒に歩く人がいなくたって、そこに道があると思うなら、その先にあるものが見たいなら、進むべきだって!」


 佐々木めっちゃいい事言っててウケる。しかし、過去に起こった出来事を説明されても尚、彼女の表情が和らぐことは無かった。むしろ、焦りの色が濃くなって、より深刻そうな顔になったくらいだ。


「なっ……! 私は、あなたが進路のことで悩んでいるのだと思って……!」

「え?」

「言ったでしょう。将来のことで悩んでいる、と」

「あー……言ったかも……でも例えば、結婚して子供が出来たら、それって人生の転機だよね? ってことは、恋愛だって将来のことだよね?」


 そこまで見据えて高校時代に恋愛するヤツいねーーーよ。

 飛び出して行って、佐々木の代わりにそう言ってやりたくなったが、女子から事の真相を告げられた本人は、平然と眼鏡を掛け直していた。


「確かに、あなたの言う通りね。勝手に進学のことだと勘違いしていたのは私の落ち度。まぁ、勇気を出すきっかけとなったのであれば、良かったのかしらね」

「いっぱい勉強して、志望校入らないとなー」

「その時の恋人で進路を決めるのは危険よ。受験シーズンに別れたらどうするの」


 さっきから、佐々木は至極まともなことしか言っていない。恋人で進路を決めるって、ちょっと悪いけど浮かれてるとしか思えないし。

 三佳島も、佐々木の言葉にうんうんと頷きながら耳を傾けていた。しかし、女子はヘラヘラとした調子のまま答えた。


「志望校は変えてないよ? 一層頑張らないとなーって話」

「なるほど。互いに励みになる関係であればいいわ」

「佐々木、いい先生だと思うんだけどなー」

「何よ、急に」

「誤解されやすいんだよ、ホントに」

「……別にいいわ。生徒の顔色を窺って生活するのも馬鹿馬鹿しいし」


 なんかすごい秘密を知ってしまった。草木の向こうにいるのは、私の知る佐々木先生ではなかった。あっちが彼女の素なのだろう。

 この話が長引くと都合が悪いと感じたのか、早々に切り上げて話題を変えたのは佐々木の方だった。


「ところで、急いでついてきてだなんて。なんだったの?」

「えー? 知らないの? おっくれてるー。17日の金曜日に、夕陽が沈む前にここで告白すると幸せになれるんだよ?」

「……今日ね。ならその日に告白すればよかったのに」

「知ってたらしたって! あたしが告白した翌日くらいから流れ始めたんだもん、その噂。でも、どうせならあやかりたいじゃん?」

「つまり?」

「佐々木にこのことを教えたら、あたしら上手く行くかもって思って。だから、部活終わってから、急いで佐々木を探したの」

「なるほど。ワケの分からない噂に振り回された生徒に振り回された、と」

「嫌味な言い方だなぁ」


 女子は相変わらず笑っている。佐々木も、多分、微笑んでる。そして、「そろそろ帰りましょうか」という佐々木の声を合図に、二人は去って行った。

 なんか、青春の一ページを見た気がするっていうか。最後の二人については、ここで隠れて盗み聞きしてるって知られたらマジでヤバそうという緊張感しか無いくらいだった。それくらい、邪魔しちゃいけない、キラキラした時間だったっていうか。


 伸びをしてから横を見ると、少し難しい顔をした三佳島が居た。

 なんだ。また意味不明なことを言い出すのだろうか。


「適当な噂にここまで乗っかられると、さすがにちょっと罪悪感が湧く」

「それはそう」


 お前にもそんな人間らしい感情があったんだね。まぁ最後の子についてはアレだけど、その前の二組についてはなんでもいいからきっかけが欲しかっただけだろうし。そんなに気にしなくていいと思うと伝えると、三佳島はきりっとした顔で「分かった」とだけ返事をして立ち上がった。少しは気にしろ。



 それから、私達はかなり遅めに帰路についた。家に着くと既にママが帰ってきてて、昨日はごめんねって言われそうな予感がした。だから、ただいまも言わずに、私のゴメンで遮った。



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