All The Young Dueds ⑤
「送って行くよ」
通り道なんだ、という言葉を疑ってしまう。やっぱり優しい嘘は世界中に溢れていると思うから。それでも乗せてもらうことにしたのは、ここへ来る前に話していて「運転するのは好きなんだ」と言ったのが真実に聞こえたからだ。都合の良い解釈だろうか。夕方になるというのに屋外はまだ少し蒸し暑い。
「後ろの席でも良い?」
「はい。これから何処かへお出かけなんですか?」
座る位置なんか何処でもいい。今日なら箱乗りだっていい、そんな気分。後部座席に乗り込むと“星の夢”の匂いがする。今度ははっきりわかった。
「ガールフレンドを迎えに行くんだ」
シートベルトを締めながら答えた廣瀬さんは、よく聞いてくれたね。ふふふ。と言わんばかりの口調だった。
「―――――― ガッ」
「―――おじさんが恋をしたらおかしいか?」
ルームミラーで目が合うムスッとした顔が子供っぽい。どうやら本気のようだ。なるほど、これはギャップ萌えとかいうものが芽生えるかもしれない。車が発進して車内が一気に涼しくなった。
「彼女を愛してるんだ。君が考えているようないかがわしい気持ちではないよ」
噛み締めるみたいな言葉に浮ついた様子はなくて、「ヒューッ!」と冷やかす気分にはならなかった。
僕は車内に赤い薔薇の花束なんて隠していないかこっそり確認する。そこに見当たらないだけでトランクにはあるかもしれない。彼は見せ場作りに余念がなさそうだ、バブルを生きた人だもの。
でもちょっと待って。
僕が考えているいかがわしい気持ちって何だ、言ってみろ!と抗議した方がいいだろうか。僕のそんな胸中を知るべくもなく彼はカーステレオに合わせて鼻ずさむ。鼻歌ですらも耳触りの好い低音が車内に甘く響く。
Mott the Hoopleの歌が流れていた。All The Young Dueds、邦題は「すべての若き野郎ども」だったか。
パーマ頭が曲に合わせてふわふわ揺れる。若かりし彼に会うのが楽しみでたまらなくなっていた。彼だけではないぜ、すべての若き「おまえら」に。
昔の自分に押し付けるなんて卑怯だという意見も見る。それも間違えてはいないと思う。でも結局背負うのは自分だという人もいた。僕は後者を尊重したい。
「これ読んだら俺、腹抱えて笑うんだろうな」
あの惑星で自分の書いた付箋を見て、廣瀬さんが嬉しそうに言った。
今は、その通りになれば良いなって僕は願うだけだ。
********************
「彼女だ」
「すごい美人ですね」
「だろ」
窓の外で手を振っている女性に廣瀬氏が「サヤカちゃん」と声をかけた。丸みをおびた輪郭が柔らかい印象を放つ可愛らしい人だった。ていうか真っ白!華奢!猫目!僕より少し年上くらいか。それでも彼とは二十以上も年の差がある。
「サヤカちゃんは若く見えるけど三十代の後半なんだ」
「えっ!?」
「犯罪にはならないから安心してくれ」
そんなことは心配していないけれども。サヤカさんは助手席に乗り込んで振り返り、僕の方を見た。こぼれそうな目がキラキラしている。
「サヤカちゃん、彼が夏海くんだ」
「サヤカです」
「夏海です」
お世話になっております、とファーストネームで自己紹介というのも斬新だと思いながら僕はヘラヘラと頭を下げる。サヤカさんは、はっきりとした話し方をする名前に似合った爽やかな女性だった。きっと六月か七月生まれのような気がする。早い夏。
おっとりした見た目にそぐわずハキハキと、平等で的確な表現を用い論理的に話す。聡明で頭の回転が速く人が不快になるような発言をしないし、廣瀬氏を立てるのを忘れない。廣瀬氏は彼女を溺愛しているのを隠そうともしていなかった。要するにデレデレしていて、サヤカさんが時々それを控えめに諫める。大変にお似合いだと言えた。
そこでやっぱり懸念してしまう。春名さんを救ったことで、廣瀬氏とサヤカさんが出会わないルートを作ってしまわないかと。吊り橋効果が起こってしまうなんてことが無いとは言えない。廣瀬弁護士には妙な色気がある。春名さんは彼を頼りにしている。その二人が上手くいった後でサヤカさんが出現するルートもマズいのではないだろうか。
「行ってきます」
「気を付けてね」
「はい。夏海さん申し訳ありませんが、今しばらくお付き合いくださいね」
「承知しました。お気を付けて」
彼女を職場近くで拾い、BMWが向かったのは今日待ち合わせたカフェのある駅だった。サヤカさんは以前この辺りに職場があったらしく、その頃から吹奏楽団に所属している。今は週に一度の練習日に彼が送り迎えをしているそうだ。
「ああ、だからトランペットが飾ってあったんですね」
「あれはオブジェだよ。サヤカちゃんはフルートを吹いているんだ」
「レプリk」
「本物だよ」
セレブめ!
公民館の前でサヤカさんが車から降りると、また二人であのカフェに来た。仙田さんに会ってしまったらどうしようかと少し怖い。
[そのクソ野郎ここ見てたらヤバいんじゃないの?]
仙田さんに会った日、そんな書き込みを見かけた時には背筋が冷たくなった。
[酔っ払った勢いで何でもしそう]
[1の生活圏内だって言ってなかったっけ?]
[背中に気を付けろ]
[家特定されないようにな]
言われてみればその通りだ。とはいえ、
「僕は結構ここで時間を潰すことが多いけれど、彼を見たのは君とのあの一度きりだよ」
廣瀬弁護士の言葉は安心できる。言われてみれば「水でいい」なんて発言をする人がカフェに頻繁に入るとは考えにくい。それは同時に、このカフェに滞在する時間の安全が保障されたに過ぎないのだが。
「君に何かあったら僕が全力で守るよ、法的に」
「何かある前に守ってもらえると嬉しいです、物質的にも」
頼もしくはある。廣瀬さんは体も大きいし声も低い。にこやかにしていなければチンピラ一人くらい一言で黙らせる気迫を発揮するだろう。
それなのに「サヤカちゃんはフルートが上手でね、曲によってはピッコロも吹くんだけど。演奏会が近くなるとあまり一緒にいられないんだ」と寂しそうな顔をしたり、「彼女の作る味噌汁が無ければ生きていけない」とソウルフードを紹介してきたり、廣瀬弁護士の頭の中はサヤカさんのことでいっぱいだった。
「一緒に住んだりしないんですか?」
彼の住まいは横浜市内の一軒家で、一年ほど前に犬が飼いたくてそこへ引っ越したそうだ。まだ犬は迎えておらず、その前にサヤカさんに出会った。
「住みたいさ。ずっと考えてるんだ。でもサヤカちゃんに吹奏楽を辞めて欲しいなんて言えないし、そんなこと思ってもいないから」
「横浜にも探せば吹奏楽部ってありそうじゃないですか?」
「今いる団体が楽しそうなんだよ。友達がたくさんいるからね」
吹奏楽部には男性の部員もいるだろうに廣瀬さんからは嫉妬の気持ちを全く見受けられなかった。サヤカさんを心底信用しているのか、サヤカさんが楽しければ良いのか、多分どっちもだ。この出会いを邪魔してはならない。
「・・・
サヤカさんと出会うまで他の女性とは深い関係を持つなと。具体的には役所が絡む書類のことだ。もしも魅力的な女性が現れたとして、それならばそれが運命だと自由な彼は受け入れそうな気もする。今よりも若いんだし。
うーん。と一瞬だけ頬に手を当てて廣瀬弁護士が悩む。
「一応押しといてくれるか」
「承知しました」
「サヤカちゃんと出会うタイミングには身綺麗でいたいからさ」
ははあ。平伏したい気持ちで僕はノートを開いて追記した。
「あとさ、引っ越すならかっぱ橋辺りに!と書いておいてくれ」
「なんですか、それ」
「僕の事務所からもサヤカちゃんの家とも近いじゃないか」
じゃないか、と言われてもサヤカさんが住んでいる場所なんて聞いてないぞ。反論するのも面倒なので僕は言われた通りに記入して、“かっぱ橋”と書いた文字の下に二重線を引いた。サヤカさんの家の近く。
「君とはもっと早く会いたかったな」
「僕も本当にそう思います」
もっとここで彼の時間を潰すのに付き合って、たくさん話をしたかった。今回のことについても相談できることがあったはずだ。
「あっちの俺にさ、よく相談に乗るように付箋書いておくよ」
「わ、お願いします!」
僕は彼に正四角形の大きな付箋と、それに合う大きさの封筒を手渡す。今日書いてもらった付箋が全部まとめて入っていた。これは三十年前の彼の手によって開封されることになる。
「ところでつかぬことをお聞きしますが、ガールフレンドって女友達って意味になってしまいませんか?」
「だって、それは君」
素朴な疑問だった。暗くなった窓に映る、頬杖をついた自分は平凡だ。とても素朴。
「じゃあスイートハートとでも呼べば良いのかい?」
「・・・しっくりきますけどね」
なんだか込み上げてくる笑いが堪えきれなくなって二人で声を殺して震えた。
ああ、僕は
********************
灯りの消えた公民館の前で数人の大人たちが立ち話をしている。ほとんどの人が楽器の入った箱を手にぶら下げていた。サヤカさんがこっちに気付いて、皆に挨拶した。残された人たちが車に向かって頭を下げる。向こうに見えているかは不明だが僕も同じようにした。
「お待たせしました」
助手席に乗り込んだサヤカさんは、きっといつも通りに彼にそう声をかけた。僕がいるかいないかは関係なく、それは初めて見るのに見慣れた光景のように目の前を流れた。彼も「お疲れ様」と答える。
「ケーキあるよ」
「やったー!」
この幸せ空間の邪魔をしていると思うと所在ない。歩いて帰れば良かったと悔やまれた。何か察したのか本能なのかサヤカさんは僕に次々と話を振ってくれて、僕は答える。それを聞いている廣瀬さんの横顔は幸せに満ち溢れて見えた。おかげでその後は気まずさを感じる
僕が車を降りると廣瀬弁護士がウインドウを下ろす。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「いいえ、こちらこそ!ありがとうございました」
「頼んだぜ、鳥海社長にもよろしく伝えてくれ」
「え!?」
助手席からサヤカさんが穏やかなる、慈しみの微笑みを僕に向けて首を傾ける。全てを包み込むような笑顔だ。たぶん怒らせてはいけないタイプ。手を振ってくれていたから僕も降り返す。手を振るという行為は、相手に心を開いたという意味だと何かで読んだことがある。
車は都内へ向かって走り去った。今来た道を戻ってゆく。
All The Young Dueds 了
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