扉を開け

「もしもし」



いつから日本人は、電話に出る時にこの言葉を使う様になったんだろう。



「もしもし?」



電話をかけてきた相手は、何度あたしにこの言葉を使えと言うのだろう。



「もしも…」



3度目の言葉を言いかけた時、



「あ、悪い」



電話をかけてきた兄ミヤチは、やっと答えてくれた。



「どうしたの?」


「電波がなかった」


「電波ないとこに居るの?」


「ここ電波ないのか?」


「知らないよ…」



今日の朝、電話で話して以来。


今はもうお昼。



「腹減ったな」


「食べてないの?」



岸田家へ行くと言ったきり…不安じゃなかったと言えば嘘になる。



「今帰ってきた」


「そうなんだ」



どんな話をしたのかなとか、何か言われたのかなとか…気にならないと言えば嘘になる。



「スズは、飯食ったか?」


「適当に」


「適当に?」


「食べた」


「食べたのか」



兄ミヤチの声はどこか笑いを含んでいて、その様子からは何も感じ取れない。



「スズ」


「何?」


「話てきた」


「何を」



言いたい事は分かっているのに、あたしはどうも素直じゃない。



「岸田家に行って、ゆりと話してきた」



“ゆり”


誰の事?なんて…さすがにとぼけたりはしない。



「初めて聞いた」


「ん?」


「兄ちゃんが、“ゆり”って、名前で呼んでるの。初めて聞いた」



それだけで、期待してしまう。



「良かったね」


「何が?」


「話ができて」


「あぁ、スズのお陰」


「いやあたし何もしてない」


「気付いてないだけだろ」


「いやいや、100人中100人が、あたしは何もしてないって言うでしょ」


「100人に聞いたのかよ」


「聞かなくても分かる」


「何も分かってねぇな」


「え?」


「スズが居なかったら、俺は岸田家に行こうなんて思わなかった」



“だから、スズのお陰なんだ”



そう言った兄ミヤチは、あたしを神様か仏様か何かに仕立て上げたいのだろうか。



「飯食ってくる」


「あ、はい」



話はそれだけなのかと、少し落胆した。


もっと詳しい説明を求めても良いのだろうかと、考える。



「スズも行くか?」


「え?」


「飯食いに」


「あたしは食べたって…」


「飯食いに行く俺に付いて行くか?」



何言ってんの…って思った。何言ってんの…って言おうかとも思った。



「付いて行く」


なのに、口から出た言葉は思いとは逆の言葉で…



「今向かってる」


…兄ミヤチは、あたしの返事を分かっていたかのような口調だった。



岸田家からうちまでは車だとすぐの距離だと知っている。だから通話を終えたと同時に、急いで支度に取り掛かった。



季節が夏で無ければ、家の外で待っていたかもしれない。それぐらい、兄ミヤチに会えるのを待ち侘びている自分が居た。



程なくして、到着したと連絡が入り、いつでもスタートダッシュが出来る状態でスタンバイしていたから、玄関の扉を開けるまでに時間は掛からなかった。



「よう」


運転席の窓を開けて声を掛けて来た兄ミヤチは、あたしのあまりにも早い登場に、シートベルトを外そうとしていた手を止めた。



「乗ってもいい?」


「どうぞ」



助手席のドアを開け、よいっしょ…と声を出しながら、車高の高さに溜め息を着く。



「涼しい…」



車内の冷えた空気に、車に乗り込んだだけで心身共に癒された。



「どこに行くの?」


「飯」


「だから、どこに食べに行くの?」


「適当に走ってみる」



どうやら目的地を決めていなかったらしい。車が発車し、目的地を決めるドライブが始まった。



「スズ」


兄ミヤチの言葉に、運転席へ視線を向ける。



「今日可愛いな」


…この人は、急にそうゆう事を言う。



「いつもは可愛くないみたいな…」


「いつもより可愛いなって意味で言った」


「本当にやめてほしい…」


「何が?」


「そうゆう事言われても、どうしたら良いかわからない…」



本当に、どうしたら良いかわからなかった。言われ慣れてないし、言われ慣れてたとしても、あたしならきっと照れ臭くて結局どうしたら良いかわからなかったと思う。



「どうしたら良いかわからなくなってるスズがどうしようもないくらい可愛い」


「それ日本語?」


「俺、英語喋ってたか?」


「何言ってんのかわからない…」


「好きだって話しをしてる」


「いやしてないから!」


飛躍ひやくし過ぎた回答に、思わず大きなツッコミを入れてしまった。



何がそんなに面白いのか、兄ミヤチはケタケタと笑っている。



「やめてよ本当に…」


「何が」



何がと聞かれると、返す言葉が見つからない。安心感だけで心地良かった時とは違う…そこに恋愛感情が入ってしまった所為で、妙に居心地が悪い。



兄ミヤチの好意を、どう受け止めれば良いのか戸惑ってしまう。



「スズ」



本当にどうして良いか分からない…



「スズ」


「え?」


「着いた」


「え?」



いつの間にか駐車していた車の中から、辺りを見渡してみる。



「こっち側来たの初めて…」



繁華街へと続く駅前通りでは無く…駅の裏口側。



「こっちの方がゆっくり出来る」


兄ミヤチの言葉通り、駅前とは比にならないぐらい人の通りが少なく感じる。



「表と裏でこんなに雰囲気変わるんだね」



運転席に向かって声をかけると、助手席側のドアが開き…



「降りれるか?」


既に車から降りていた兄ミヤチがドアを開けて待機している。



「あ、降ります」


慌てて足を下ろすと、手を支えられたから、緊張してお礼を言うのを忘れてしまった。



「ここからどこに行くの?」



駐車場を出て歩き出した。



「すぐそこのレストラン」


「レストラン?」


「レストラン」


「レストラン?」


「レストラン」


「レストラン初めて…」


「え?」


「レストラン初めて行く」



急にワクワクして来た。



「レストラン連れて行ってもらうの初めて」


「……」


「レストランって高いんじゃないの?」


「え?」


「レストランって昼間にやってるの?」


「それ、」


「そもそも高校生って行っていいの?」


「いや、」


「兄ちゃんって本当にお金持ってるんだ?」



嫌味じゃなくて、尊敬から出た言葉だった。ファミリーレストランにも行った事がなかったぐらいだから、レストランは敷居が高いイメージがある。



「えー…緊張する」


ワクワクが止まらない。



「スズ…」


「何?」


「スズが想像してるレストランじゃないかも…」


「え?」


「すげぇ高いビルの上で景色眺めながら食事ができるような場所じゃねぇよ?」


「え?」



…人はそれを、レストランと呼ぶんじゃないの?



「行ったらわかるわ」


「え?」



説明を端折はしょられて連れて来られた場所は、洋風の一軒家みたいな建物だった。



「ここ?」


「ここ」


「レストラン?」


「レストラン」


「……」


「イメージと違った?」


「うん」



御伽話おとぎばなしに出て来そうな場所…入り口の扉を開けると、温かい雰囲気に包まれていた。


4人掛けのテーブルに案内され、兄ミヤチはハンバーグを注文していた。以前行ったお店では、和食を注文していたから少し意外だった。



お昼を済ませていたあたしは、飲み物だけ注文して、兄ミヤチがハンバーグを食べているのを眺めていた。



見られると食べにくいかなと思ったりもしたけど、案外気にしていない様だったから、遠慮せずにずっと見ていた。



「食べる?」って聞かれたから、「食べない」って返したら、「うまいよ?」って言われて、「美味しそう」って返したら、また「食べる?」って聞かれて、もう一度「食べない」って答えた。



「人が食ってるの見てるだけじゃ、つまんねぇよな?」


ハンバーグとライス、サラダにスープ、全部綺麗に完食した兄ミヤチは、今更な事を言う。



「そんな事ないよ」


「そんな事あるだろ」


「綺麗に食べるから幸せな気持ちになる」


「……」


「見てて楽しいよ」


「…スズ」


「何?」


「……」


「え?」



ご飯も食べたし、もう帰るのかなと思ったら、急に手を握られた。



「え?」


戸惑ってしまい、他の言葉が出て来ない…



「改めて言うのもなんだけど」


「え?」



握られた手が、動かせない。



「聞いて欲しい事がある」



もはや、息をしているのかも分からなくなって来た。



「初めて見た時、まじわらない視線が気になって、妹と同い年って知った時には驚いたくらい大人びて見えた。初めて会話した日、気の強そうな子かと思ったけど、家庭的で、話し易くて、案外人懐っこいし、子供みたいな反応をするところも、一々新鮮だった。俺が友達の兄貴とか、学校の先輩とか、そうゆうコミュニティの中で生きてなくて、単純に向き合ってくれてる事が、純粋に嬉しかった」


「……」


「前も言ったけど、キッカケなんてそんなもんで、他に言葉を知らないってのもある。ただ、スズには、好きだって気持ちをこれからも伝えて行きたい」


「……」


「初めて会った時からずっと気になってた。スズの事が好きなんだ。俺と付き合ってほしい」



ヒュッと喉の奥から音が聞こえた。息を止めていたにしては、呼吸の乱れは感じない。あたしは正常で、あたしは生きている。



「あの…」



握られた手を動かしてみたら、兄ミヤチの手が握り返してくる。



「あの…まずは、ありがとうございます」


「うん」


「あの…あたしは、この場合、どうしたら良いの?」


「スズはどう思ってる?」


「え、兄ちゃんの事?」


「うん」



そんな事は決まっている。



「あたしは…」


「うん」


「好きなんだけど…」


「うん」


「付き合うとかは…よく分からない」


「そうか」


「うん…」


「何が分からない?」


「何……今のままと、付き合うってのと…何が違うのかな…って」



このままで良いじゃないかと思う。好きな人と想い合えている…これで良いじゃないかと思ってしまう。



「その考えは容認ようにん出来ない」


「…え?」


「好きな人のままでいる事と、彼氏と彼女になる事は違う」



難しい話が始まるのかと思い、眉間に皺が寄ってしまう。



「スズは動物が好きか?」


「え?」


「飼い犬が逃げ出して、どこかで保護されたら迎えに行くよな。引き取る時に、飼い主と名乗るのと、犬が好きな人って名乗るのとじゃ、意味が違ってくるだろ?飼い主の方が信憑性しんぴょうせいがある。飼い主には責任があるから。犬が好きな人なんてどこにでも居る。好きだけじゃ責任はとれない」


「……」


「例え話になってねぇか?」



相当難しそうな顔をしていたのか、兄ミヤチが笑いながら聞いて来た。



「つまり、あたしは犬が好きな人ってだけで、飼い主では無いって事…?」


「付き合うってゆう事は、彼氏と彼女になるって事だろ?」



犬のくだりは何だったのか…飼い主についての質問には答えてくれなかった。



「好きな人は不特定多数の人が行き交う世界で、付き合うってゆう事は、2人だけの世界を作る事ができる。他にもスズの事を好きな奴が居たら、そいつと俺は不特定多数の世界の中でしかスズと過ごせない。でも俺とスズが付き合うってゆう事は、そいつもそいつ以外も2人の世界に入る権利はない」


「そいつって誰…?」


「例え話しだから気にしなくていい」


「……」


「スズも逆の立場だったら、今こうして過ごしてる時間は不特定多数の世界だから、他の子が現れても、スズに断る権利はない」



それを言われた時、想像してしまった。自分が今こうして兄ミヤチと過ごしている時間は、兄ミヤチを好きな子が同じように過ごせる時間かもしれないと…



「…嫌かもしれない」


「そうだよな。好きな人ってゆう名称と、彼氏と彼女とじゃ、与えられる権限が異なる」


「うん…」


「だから俺は付き合いたい。好きな人で終わりたくない」


「うん…」


「スズはどうしたい?」


「付き合いたい」



まんまと兄ミヤチにしてやられた感はあるけど。頑なに拒む理由はもう無い。




だって、好きだから…

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