土曜の夜

「あ…」



岸田ゆり子ちゃんが、戸惑うように呟いたのは、フリータイムで入ったカラオケが、あたしの所為で2時間で出る事になってしまい、これからどうしようかとカラオケBOXを出た時だった。



「アイだ…」


岸田ゆり子ちゃんの電話が鳴っていた。



店の前で立ち尽くしたまま、画面を見つめる彼女に、「出ないの?」と、思いながらも言葉に出来なかった。



「……」


鳴り続ける電話は、切れる様子がなく、



「もぉ…」


そう呟いた彼女は、電話を耳に当てた。



「……」


なのに、何も話さない。



アイが何か話しているんだろうけど、彼女はウンともスンとも言わない。



ここは人通りの多い通りだから、こんなとこに突っ立っていると、人の視線を感じてしまう…



たまれなくて、お昼ご飯を食べたファミレスへ彼女を引っ張って歩いた。



とりあえず中へ入ろうとドアを開け、彼女へ振り返ると同時に、彼女は電話を切っていた。



「あ…どうする?」



ファミレスにはとりあえず入ろうとしただけだから、電話が終わったなら、ここへ入るべきかどうか…



「何名様ですか?」



岸田ゆり子ちゃんからの返事を聞く前に、店員さんが来てしまい、タイミングが良いのか悪いのか分からない。



「2人」



そう告げたのは、あたしの後ろに居る岸田ゆり子ちゃんだった。



…気まずいのは、あたしだけなのかもしれない。岸田ゆり子ちゃんは、至って普通なのかもしれない。



「……」


だけど、会話に詰まるのは、どこかお互いぎこちないからだと思う。



「……」


アイからの電話が何だったのか、聞きたいけど聞けなかった。



別の話題すら見つからず、無駄にメニュー表を眺めて数分は経つ。



夕食を食べるには、まだ少し早いかなとゆう時間…特に食べたい物も無く、カラカラに乾いた喉を潤そうと思った。



「ドリンクバー、頼む…?」


メニュー表から視線を上げ、岸田ゆり子ちゃんにそう問いかける。



「あのね、アイが今から来るって…」


視線を合わせない彼女は、伏し目がちに、全く噛み合わない返答をくれた。



「え…?あ…そうなんだ…」



あたしの発言が聞こえていなかったのか、スルーされたのかは分からない。



とりあえず頷いてみたものの、喉が乾いてたまらないから、呼び出しのベルを鳴らした。



「さっき…電話で、支度したら合流するって言われた…」


「そうなんだ」


「多分、仕事の格好で来ると思う…」


「そっか」



覇気はきの無い話し方に、何か落ち込むような事を言われたのかと、想像できた。



「お待たせ致しました」



注文を聞きに来た店員に、「ドリンクバー下さい」と伝え、「お1つで宜しいですか?」と聞かれたから、「2つ頼むよ?」と、岸田ゆり子ちゃんに問いかけた。



「うん…」



何だか知らないけど、やっぱり彼女は元気がない。



あからさまに落ち込んでみせるから、地味に対応に困る。



「飲み物入れてくるね。何が良い?」


「あ…ごめんね…何でもいいや」



口では「分かった」と頷いて、席を立った。



だけど内心は、「何でもいい」が一番困る…と、悪態を吐いてしまった。



ドリンクバーに行き、グラスを2つ持って、1つは自分の飲み物を入れた。



もう1つは、アイスコーヒー。



飲み物が入った2つのグラスを持って振り返った時、まだソファーに寄りかかって手元を見つめる彼女が見えて、席に戻りたくなくなった。



一つ溜め息吐いて、アイスコーヒーの入ったグラスを岸田ゆり子ちゃんの前に置いた。



彼女は視線を上げ、「ごめんね…」と呟く。



…―どうして謝るのか分からない。



普段なら、「ありがとね」と、笑ってくれる筈。



ドリンクバーをわざわざ入れてもらってごめんね…なのか、他に謝罪しないといけない理由があるのか…



意図の知れない謝罪は、不信感を煽られる。



——あの日のように…




「どうしたの…?」


思わずそう問いかけていた。



彼女は無理矢理笑みを作ろうとする。



その表情は、あの日の“彼”に似ていた――…



問い掛けているのに。答えてもらえないもどかしさから、もう一度言葉を紡いだ。



「大丈夫?」



詮索するのは好きじゃない。

だけどこの沈黙は耐えられない。


グラスを掴んで、一気にジュースを飲み干した。乾いた体が、思考と共に少しスッキリとする。



「土曜の夜って、嫌いなの…」


岸田ゆり子ちゃんは、握り締めていた電話をテーブルに置き、言葉通り嫌悪感まるだしで呟いた。



「ごめんね…折角、すずと遊んでるのに」


「…いや」


「ほんとは、この後夕飯でも食べて帰ろうと思ってたんだけど…」


「うん…」


「アイが来るってゆうから…」


「うん」


「ごめんね…」



彼女がここまで落ち込む理由が、分かった。



「アイが来るのは良いんだけど、土曜の夜ってゆうのが…」


「うん」


「会いたくないし、見たくない…」


「うん」



岸田ゆり子ちゃんの話を、ただ頷いて聞いていた。


今となっては、あたしにも少しだけ分かるから。



土曜の夜になると、ここら一体は、街の雰囲気がガラッと変わる。



昼の顔から夜の顔へと…



飲みに出る人が増えるのと同時に、飲み屋で働く人達も多く見かけるようになる。



それが意味するものは…



「アイが働いてるお店、この近くなの…」



兄ミヤチが出没する“エリア”とゆうこと。



時間が経つにつれ、岸田ゆり子ちゃんの不安が益々募るのだろう…



「ごめんね…」



そう謝る彼女に、「ううん…」と顔を横に振るあたしは……



兄ミヤチに会いたいんだろうか。




「すずには関係ないのに…あたしの勝手でごめん…」


「気にしないで」



平然と話す反面、内心はドキドキしていた―…



それから、あたしと岸田ゆり子ちゃんの間に会話は無かった。


お互いに違う所へ視線を向け、どちらも口を開く気は無い。



険悪けんあくな雰囲気とかじゃないけど、気持ちの良い空間って訳でもなかった。



…暫くして、岸田ゆり子ちゃんの電話が鳴って、アイがもうすぐ着くって聞かされて…


考えるのは、やっぱり―――…



「いらっしゃいませー」と、店員さんの声が聞こえて、咄嗟に入り口へ視線を向けた。



きっと、岸田ゆり子ちゃんも見ていたと思う。



「お一人様ですか?」って声を掛ける店員に、「いや、ツレが…」って言いながら辺りを見渡して…重なった視線。



「あ、居ました」って店員に声を掛け、「ごゆっくりどうぞー」と逆に声を掛けられ、グレーのスーツに身を包んだアイが、目の前に現れた。



「わりぃ…待たせた…」



そう言って、あたし達を交互に見ながら、迷わず岸田ゆり子ちゃんの隣に腰掛けたアイは、良い香りのするちょっとチャラそうな若者になっていた。



「一気に雰囲気変わったね…」


思わず感想を述べると、



「そうか?」


照れ臭いのか、アイは視線も合わさずメニュー表を取り出した。



髪型は学校の時とあまり変わり映えはしないけど、それプラス、ちょっと気合い入れてる感じに伺えた。



スーツも、父が着ているようなサラリーマン仕様じゃなくて、チャラチャラしたバッチみたいなのを襟元か胸元かに付けていて、兎に角チャラチャラした感じのスーツだった。



「で、もう遊んで来たのか?」



隣に座っている岸田ゆり子ちゃんに視線を向けているから、アイは間違い無く岸田ゆり子ちゃんに問いかけている。



「……」


なのに、彼女は何も答えない。



「そうだよ」


だから、渋々あたしが口を開いた。



「そっか、マジ悪かったな…爆睡してて、ギリギリの時間になっちまった」


「いや、あたしは気にしてないけど」


「あーうん…」



アイが隣を伺う様に見たから、あたしもつられて視線を向けた。



普通の話題を普通に話しているのに、どこかぎこちない雰囲気になってしまう。


それはきっと、岸田ゆり子ちゃんが作り出している。



「アンタは何時までここに居るの?」



…だから妙に気を遣ってしまう。



「俺?」



ヤケクソな質問をするあたしに、当然アイは惚けた声を出す。



「特にする事も無いなら、あたし達帰るけど…」


アイにそう話ながら、俯く岸田ゆり子ちゃんに視線を向けた。



あたしの言いたいことが分かったらしいアイは、「あー…でも、折角来たし、ここで夕飯済ますわ」と、何とも自己中心的な発言を返して来た。



岸田ゆり子ちゃんは何も話さないし、自己中野郎は早速食事を注文していた。



この2人にはいつも振り回されてばかり。いつもなら、やり過ごす事が出来るのかもしれない。ただ…今のこの感じは、物凄く疲れる。


振り回されてるな…って、気持ちが重くなる。



こんな感情が湧き出るのは、いつも決まって兄ミヤチが関わった時。



…―あたしもきっと、過剰に反応しているんだ。



テーブルの上には、ドリンクバーから注いできた飲み物と、アイが注文した大量の食べ物。



「おまえも食えよ、俺の奢りだから」


その偉そうな言い回しに、言葉も無く頷いた。



スーツなんか着ちゃって、背筋伸ばしちゃって。


やけに大人な振る舞いをするアイが、クラスメイトのアイとゆう事を、忘れそうになる。



「何だよ?」


ガツガツとご飯を頬張るアイに、怪訝な瞳を向けられた。



「何が?」


「何がって…用がねぇならジロジロ見てくんな」



話すとやっぱりガキだ。



「アンタ、そんなんで良くホストなんてやってんね」


「うるせぇな…! あ、おまえもう食うな」


「うっわぁ…そうゆう事言う?」


「そうゆう事言います」


「クソガキ…」


「ゲっ…!おまえそんな事言う!?」


「そんな事言います」



アイが頼んだ唐揚げを、お皿ごと手前に寄せた。ずっと手に持っていたフォークを突き刺して、口へ放り込んでやった。



「あーっ!おまえそれ!俺の唐揚げ!」


「アイうるさい」



唐揚げを頬張ったあたしに叫ぶアイを一喝したのは、岸田ゆり子ちゃん。



「……」


まさかの低音に、思わず静まり返ったあたし達。



「…2人共、ありがと」



怒っているのかと思った岸田ゆり子ちゃんからの、思わぬ感謝の言葉。



ここまで来ると、岸田ゆり子ちゃんの気分屋も、洒落しゃれにならないな…と思った。



「お、おう!別に気にすんな!」



だから、アイの単純単細胞なところを、凄く羨ましく思う。



「2人と居ると、元気が貰える。ありがと」



それは彼女の本心なんだと思う。



「気にすんなよ!俺らそんなつもりじゃねぇし」



おまえはそうだろよ…


散々気を遣っていたのはあたしだ。



「すず、ありがとね」


「うん」



だけどアイが居なかったら、こんな風に彼女が口を開く事は無かったかもしれない。



岸田ゆり子ちゃんの機嫌一つで、こんなにも場の雰囲気が変わるんだと、改めて思い知った。



彼女が楽しくしてくれていると、あたしも安心して楽しめる。


彼女が話さなくなると、楽しんで良いのか分からなくなる。


さっきみたいな雰囲気は未だに慣れないし、落ち着かない。



だからこうゆう時、アイの存在が、話し相手が居るってゆうのが、凄く有難い。



「もうお腹一杯」


岸田ゆり子ちゃんは満足そうに箸を置いた。



「何だよ、ゆりもう食わねぇの?」


「アイが注文し過ぎだから…これ普通に食べれないでしょ…」


そんな風に言うけど、それ程たくさん食べていた訳じゃない。岸田ゆり子ちゃんは小食だ。



だから、アイとあたしで残りを完食しなければならない。


何皿か食べ終えてお皿を下げてもらい、残された料理を前に、もう無理だと息衝いきづくあたしの前で、アイがガツガツと気持ち良く全部食べてくれた。



こうゆうところを見ると、男の子だなと改めて思う。



少しゆっくりと休みたいあたしのお腹事情に、マイペースな2人が気づいてくれる筈もなく…



「あ、俺そろそろ行くわ」


「そ?じゃあ、あたし達も帰ろうか」



さっさと切り上げようとする。



「今何時?」


帰る支度をし出す岸田ゆり子ちゃんが、アイへ視線を向けた。



「もうすぐ19時00分になる」


そう答えたアイの左手には、高そうな腕時計。



「あー…電車混んでる時間帯だ…」


「そうだな」



岸田ゆり子ちゃんは溜め息をくと、優雅ゆうがに水を飲み出したアイへ、「ちょっと、早く出てよ」とかすように立ち上がらせた。



「すずも、早く!帰るよ!」


あたしにも急かすような事を言うから、重たいお腹に力を込めて帰る支度をした。



「よし、アイの奢りだよね?お会計よろしくー」



ニコニコ話す彼女を見て、ここへ来た時の暗いテンションは何だったのかと、聞いてみたかった。



会計の時、「先に出てろよ」ってアイが言うから、あたしと岸田ゆり子ちゃんは外でアイを待つ事にした。


立ち去る合間に見えたアイの後ろ姿が、別人のように思えた。



「凄いね…」


「ん?」


「生まれて初めて、奢って貰っちゃった…」



アイの後ろ姿を見つめたままのあたしに、


「そっか」


岸田ゆり子ちゃんは、嬉しそうな声で相槌してくれた。



「アイには、すずみたいな優しい子と付き合って欲しいな」



あたしを見る眼差しが、やけに優しくて。


それはまるで、保護者目線でものを言っているようだった。



見下されてるのでも、上から目線でもなく、見守ってるような感じ。



「アイには勿体無いか!」



そう言って笑みを見せた岸田ゆり子ちゃんは、アイのお母さんみたいだ。



勿論あたしは、アイのお母さんを知らない。

ただ、彼女のアイに対する物言いがそんな風に思わせた。

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