プロローグ
高校1年の夏の終わり。
その日は、あたしにとって忘れられない日になった。
今までだって何度も何度も失敗や後悔はしたけれど、この日ほど自分で自分に失望したことはなかった。
もうこの場所にはいられない。
それは口に出さなくても、周りも、あたしも、分かりきっている状況だった。誰一人余計なことは言わない。ただただ、何か言いたげな
もう、いいんだ。全て、終わりにしよう。
だから、この話を、この経緯を、誰も知らない場所へ行くことに決めた。
もう一度、やり直そうとは思わなかった。
もう全てなくしてしまったのだから。
守るものも、背負うものも、なくなったのだから。
この場所には、あたしのことを「――」って呼ぶ人はいない。
パリッとした新しい制服を着て鏡の前に立ってみると、どこから見ても普通の高校生だった。
うん、大丈夫。
そう言い聞かせて、与えられたマンションの一室を出る。一人で住むには広すぎるけれど、今までの生活と恐らく大して変わらないだろう。
失って何も持たない代わりに、誰にも言えない大きな秘密を抱えることになっただけ。
新しい学校、桜嵐高校は元男子校で不良も多くて、女子は少ないと聞いていた。
そう、少ないとだけ。全くいないとは聞いてない。
みんなやめちゃって――淡々としながらもぺろりと舌を出して軽く笑って言ってのけたのは理事長だった。理事長といっても、若い。まだ28歳だったはずだ。
この理事長を名乗る男が、数年ぶりに会うあたしの従兄弟。
そしてもう一人、理事長室であたしは懐かしい人と再会した。今日から担任になると紹介されたのは、たっちゃんの舎弟で、昔あたしとよく遊んでくれた人――
正直信じられなかった。この二人が先生とか。たぶん引っ越してきて一番驚いたことだと思う。
まっちゃんに連れられながら、新しい学校を改めて見た。よほど珍しいのか、あたしのことをじろじろと見てくるカラフルな髪の色をした生徒達。
まっちゃんが教職者とは思えない恐ろしいオーラを放つから、その度にみんな青ざめた顔して散っていって、とりあえず被害はないけど。女子はあたしだけ、なんて言うから当然だろう。
別に怖いとか嫌悪とかはなかった。見られてるなぁ、くらいで。
たっちゃんとまっちゃん、当時現役だった彼らと幼少期を過ごしたあたしは、それだけで随分と不良やヤンキーに対して耐性を持っていたっていうのも理由の一つだろう。
まあ、理由はもちろんそれだけじゃないんだけど。
1年A組。あたしのクラス。
そこで初めて、友達ができた。
金髪で八重歯を見せて笑う人懐っこい印象の
二人とも友達としてあたしのことを受け入れてくれた。ただ純粋に嬉しかった。
今度こそあの世界とは無縁の、普通の女の子になれる、と思った。
なのに、出会ってしまった。巻き込まれてしまった。この県でトップを争っている二つの族の話を、たっちゃんから聞いたばかりだったのに。
桜嵐高校には二つの族のうちの一つ、“
関わるつもりなんてもちろんなかった。
きっかけは本当に偶然で、些細なこと。
――「お前、これから狙われるぞ」
表情一つ変えず、他人事のように言った白虎の総長は、赤い髪の整った顔をした男だった。
仁は気づいてない。その時のあたしは今の面影なんて全くない、「――」の姿だったから。
ひょんなことから秘密を抱えたまま、あたしは白虎と敵対する暴走族との抗争に巻き込まれて、守ってもらう存在として、彼らの側にいることになった。
白虎との時間を過ごして、いろいろ――本当にいろいろなことがあって、一緒にいる時間が長くなればなるほど、もっともうちょっとこの場所に、って欲が出てくるようになった。
感情を表に出すことが下手くそで無愛想だけど、優しい仁。
俺様で馬鹿だけど、正直で真っ直ぐな
何を考えているのか分からないことが多いけど、紳士で大人な
女嫌いだけど、あたしのことは認めてくれた
そして、数年ぶりに顔を合わせた、
家の事情で小学生の頃離れ離れになった、あたしの弟。家のことを知られたくなくて、あたしと総の関係はみんなには秘密ねと二人で約束を交わした。総は不服みたいだったけど。
幸い名字も違うし、あたしが4月生まれ、総が3月生まれの年子で珍しい同学年の姉弟だから、誰も気づきはしなかった。
総との関係だけじゃない。
あたしには、秘密がある。
彼らには、絶対に知られてはいけない秘密。
何も知らない彼らは、無邪気な顔で語った。
ある不良グループの話。50人前後の小さな集団、
その桜龍が、突然紅龍から姿を消した。理由は語られていない。
「桜龍に逢いたい」
彼らの憧憬を含めた表情を、あたしはただ口を噤んで笑って見ていることしかできなかった。
彼らは知らない。
あたしがどこにいたかも、何者だったのかも。
そんなあたしを、嘘つきなあたしを、仲間だと言ってくれた。守ってくれるって言ってくれた。
そんな彼らが大好きになってしまった。
秘密に、前よりもずっと重みを感じるようになった。
本当のあたしを知っている、かつての仲間たちは笑うだろうか。
それでもいい。
滑稽でも構わない。
だから、もう少し、ここに、彼らの傍にいたい。
――大丈夫か?
大丈夫。
――本当に?
本当に。
――忘れられるのか?
忘れないよ。だって全部あたしの一部だから。
この学校に来ても、男だらけの中に放り込まれても、動じなかった本当の理由。
だって、もう今さらすぎる。こんなのは、慣れている。稀有なものを見るような目を向けられようとも、どんな敵意を持たれようとも。
多くのものを傷つけてきた。
多くの赤を見てきた。
多くのものを切り棄ててきた。
決して綺麗なんかじゃない。
どんなに汚れていたか全部、知っている。
汚くて、哀しくて、冷たくて、でもそれでも一番大切で愛おしい場所。
暴走族の頂点、紅龍。
その12代目総長、ヒロ。
“桜龍”と呼ばれたヒロは、もういない。
ここにいるのは“
ただそれだけのこと。
白虎の側に、この場所にいることを選んだのは、あたし自身。彼らに笑っていて欲しいから。口には出さないけれど、密かに思っている。
あなた達を、守りたい。
ここはあたしの、新しい居場所だから。
新しくできた、守りたいものだから。
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