2-17.四野原イノンの影
ギオンの動揺する姿を見て、シュウダイは声を上げた。
「お、おいギオンの旦那! 誰なんだよ、その『四野原イノン』ってのはよ?」
ギオンは罰が悪そうに視線を逸らしながら、ぼそっと呟いた。
「……四野原イノンは、オレの祖父だ」
身内が悪事に加担していた。その事実は、親族としては間違いなく辛いものだろう、とシュウダイは顔を歪ませた。
「なるほど、な。よりによって身内が人身売買に加担していたってわけか。そりゃあ、ショックだろうな」
「ギオンさん、大丈夫ですか?」
シュウダイもユアも、彼のことが心配でそう声をかけた。だが、ギオンの瞳にあったのは、身内に対する落胆の色ではなかった。
怒りだった。
「オレのことは気にするな。別に、イノンとは親しくなかった。それに問題は、やつが動き出したってことだ」
強がりでないのは彼の声色でわかった。彼は事実を言っている。
「え? その祖父がってことか?」
「話さなければならない。シュウダイ、『選別者の儀式』というものを聞いたことはあるか?」
シュウダイは首を振った。
「選別者の儀式? あるっちゃあるが、名前だけだ。内容も、何をするのかも、何のための儀式なのかも知らねぇ」
そうだろうな、とギオンは説明を始めた。
「綱渡東町の一部の者の間で行われる呪われた儀式だ。そしてその儀式の中心にあるのが、四野原家だ」
「なっ」
「儀式はもう何十年も行われてないという話だったというのに……あいつ、何を考えている」
「あの、儀式の内容を教えてはいただけませんか?」
「知ってどうする?」
「聞いてから考えます」
ギオンの顔色が変わった。進んで話したくなるような話題ではないのだろう。しかし、詳細を知らないことには相談に乗ることはできない。ユアに引き下がる気はなかった。
「わかった」
ギオンは深呼吸すると、話を始めた。
「数百年前の金持ちが娯楽のためだけに生み出した、存在しない神を祀るための儀式。つまりは、実際には何の意味も持たない金持ちのお飯事ってわけだ」
「そこに人身売買が関わるってことは、良い予感はしねぇぜ?」
「当然だ。死者が出る」
「なっ」
シュウダイは思わず顔をしかめた。想像以上に闇が深そうだ。ユアは顎に手を当て、少し考えるとギオンに質問した。
「……人の命を奪う儀式?」
「そうだ。数年前、イノンがその儀式を再開しようという動きを見せていた。それにオレの父は激しく反対した。その甲斐あってかは知らんが、四野原イノンは儀式を今後行わないと約束した。はずだった」
ギオンの表情はみるみる険しくなる。普段とは違う、深い怒りに満ちた表情だ。
「なぁ、イノンが動き出したのってよ、ギオンの旦那が街を出たからって考えられねぇか?」
「考えられる」
「……あの、ちょっといいですか」
ユアが控えめに手を挙げた。
「どうした、ユア」
「ギオンさんと初めて会った日のことです。相手は、確かにギオンさんを狙っていましたよね?」
「それがどうかしたか」
「あれって、そのイノンとやらが仕向けたのでは?」
ギオンはハッとした表情を浮かべた。なぜその可能性を考慮していなかったのだ、と。
「……あり得る話だ」
「さてさて、上原くん。そのことについて、何か知ってることは?」
シュウダイは話に置いてけぼりになっていた上原に唐突に話題を振った。
「な、なんで」
「お得意様なんだろ? ひょっとして、お前よぉ〜? 鴉にいた時からそいつと付き合いがあったんじゃあねぇだろうなぁ〜!?」
シュウダイが怒鳴りつけると、上原は露骨に慌て出した。よっぽど痛い目に遭いたくないのだろう。
「は、話すって! そうだよ! 彼に誘われたんだ! いい話があるって!」
「おう、そりゃよかった。お前一人でここまで場を荒らすことなんて出来るわけねぇもんなぁ」
「あぁ、そうだよ。鴉にいた頃、あの人に出会った。なんでおれだったかはわからない。そで聞かれたんだよ。大金が欲しいかって」
ギオンは心当たりがあるかの、喉を鳴らすように唸っていた。
「……」
「最初は断ったさ。怪しかったし。でも、その額があまりにも大きかった。それに対して仕事は簡単だった。報酬も、正直言って、割に合わないくらいの巨額だった。だから、引き受けた。そして鴉を裏切った」
上原ははっきり、裏切ったと言った。正直これで裏切ってないと言ったらどうしようかと思っていたシュウダイは、深いため息をついた。
「わかりやすい理由だな。んで、仕事内容は?」
「一つ目は、あんたらの言う通りだよ。四野原ギオンの暗殺だ」
「はぁっ!?」
「やはりか」
今度はユアが質問をした。
「だとすると、偽の鴉も?」
「そう、四野原イノンの望みを実現させるためだけに作った。それと、彼の存在が明るみに出ないようにするためにな」
「まどろっこしいことしてくれんなぁ」
シュウダイは右手を腰に置き、額に左手を当てながら呆れたように首を横に振った。
「んで、蛇連組は?」
「組織を大きくして、人身売買に力を入れろと命令されて、協力した。案の定、文月アカナはあっさりと乗っかってくれた。全部、うまくいっていた」
「だが、そうならなかったようだな」
「あぁそうだよ! 偽の鴉の奴らはクソの役にも立ちやしなかった。ギオンの暗殺は失敗に終わり、ヘタに目立ったせいで本物の鴉に所在がバレ、挙句蛇連組まで解体されたときた! くそッ! 全部あいつらのせいだチクショウ!!」
実際、偽の鴉のせいでここに到達したのは紛れもない事実ではある。
「まぁ、それに関しちゃあお前の言う通りかもしれんが」
そんなシュウダイの言葉を、ユアはキッパリと否定した。
「いいえ、それは違いますよ」
「へっ?」
「谷川さんの借金まで横取りしようとした、あなたのミスです。それが無ければ、私がこの件に首を突っ込むこともなかったので」
「あー、そういやそうだったな」
突然出てきた谷川の名前に上原は驚きを隠せなかった。
「何でここで谷川の名前が」
「谷川さんが私にお悩み相談をしに、店に訪れていたのですよ。そこから色々ありまして、結果ここに辿り着いたわけです」
「なっ」
この事態は、上原の想像力、危機管理能力の低さが露呈した結果だった。一つ引き抜けば、芋づる式に次の問題が姿を現すような状況を作り上げたのは、他ならぬ上原自身だった。
あまりにもマヌケな相手だ、とギオンはジロッと上原を見下ろした。
「迂闊だったな。愚か者が」
「そ、そうかよ──最初から、ミスっていたってのか」
上原は仰向けに寝そべりながら、右手で両目を覆い隠した。
「悪いことをするのは難しいことではありませんが、バレずにやるのは難しいんですよ?」
「そうかよ。んで、シュウダイさんよ? おれをどうする気だ」
「そーだなぁ、鴉でたっぷりしばいてやるから覚悟することだな」
「……はぁ、うまくいかないもんだな」
観念した上原を、シュウダイは手際良く拘束し、身動きを取れなくした。手足に縄を結ぶ、これだけで十分だ。
「ギオンの旦那、これからどうするんだ?」
「選別者の儀式を止めに行く。ユア、シュウダイ、オマエらを巻き込むわけには」
この期に及んでそんなことを、と言いたそげに頬を膨らませたユアは前屈みになってギオンを指差した。
「ギオンさん、お悩み相談のプロの前で、悩みを残していかないでください。当然、私はついていきますよ」
そのユアの横にシュウダイも並んだ。
「四野原イノンの行いは、間接的とはいえ親分の顔に泥を塗ったも同然だ。その報いは受けてもらった方が、親分も納得すると思うんだよなぁ〜?」
シュウダイはユアの肩に手を乗せ、彼女の顔を覗き込んだ。ユアもそれに応えるように首を振り、シュウダイに視線を合わせた。
「ねぇー♪」
「オマエら正気か? 今度の相手は街規模になるんだぞ」
「なおのこと、人手は必要ですよ? ね、シュウダイさん」
「おうっ、ここまで来たんだ。せっかくなら、大将の首根っこもしっかり掴み取ってやろうぜ。ギオンの旦那」
二人ともその気だ。二人の意気を無碍にするわけにはいかない。それに、断ったところで二人は必ずついてくるだろう。そんな気がした。
二人にも重荷を背負わせることになる、ギオンは頭を下げた。
「すまない」
「そういう時はギオンさん、ありがとうって言うんですよ」
どこまでも呑気なやつだ。きっと相手がどれだけの巨悪だったとしても、彼女のこの態度は変わることはないのだろう。そう思うと、なんだか勇気が湧いてくる。彼女と一緒なら、もしかしたら……
「……あぁ、助かる」
「どういたしまして♪」
ニコッと微笑むユアを見ていると、ギオンは不思議と安心感を覚えた。しかし、彼女の足を掴んだ時に感じた違和感が脳裏をよぎる。なんとか振り払おうとしたが、ギオンの頭からその疑念が消えることはなかった。
それでも、ユアが味方してくれるのはとても頼もしかった。
シュウダイは二人をよそに上原を雑に持ち上げ、駐車場に向かって歩みを進めていた。
「そうと決まりゃあ、一回、関河原に戻って準備と行こうぜ。親分にも事情を話すべきだろうし。んでだ、上原くんよぉ〜? お前は、うちで面倒見っから、覚悟しとけよなぁ〜!?」
「わ、わかったよ……」
「また犯罪に加担されると困るし、まだまだ聞きたいこともあるんだ。殺されないだけマシだと思えよなぁ〜?」
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