[ 45*けつだんのさきにつづくみち ]

 眩い光の中、スルールは恍惚とした満足感に包まれながら、光の中心へと向かってさらに歩き続ける。


「さあ、ここまで来た。僕の願いを聞け。僕の望みを叶えろ、アスタリスク。全部消すんだ。愚かな者。醜い者。僕以外の者をすべて。僕が、僕という檻から解放されるために。僕と僕以外という境界を無くすために」


 望むものを求めて伸ばした手が、ふいに何かに触れる。

 いつの間にか目の前に存在していたそれを、スルールはただ見つめた。


「誰だ、お前は?」


 その言葉に応えるように、その光に包まれた姿がだんだんとスルールと同じ形を取り始めていく。


「僕は、僕だ」


 目の前に現れたもう一人の自分が、そう宣言する。

 スルールはその意味を察し、相手の存在を声を荒げて否定した。


「違う! お前じゃない! お前は僕じゃない!」


 その叫びを、もう一人の自分が皮肉めいた笑いを響かせながら、さらに否定する。


「そうだ。お前は僕じゃない」


「違う! 消えろ! お前なんか消えろ! 消えるのは僕以外のすべてだ! お前だ!」


「そうだ。消えるのは僕以外のすべてだ。お前だ」


 もう一人がそう嘲るように言葉をおうむ返しした瞬間、スルールの指先が光に包まれ、消滅し始めた。

 スルールはそれを愕然として見つめ、パニックを起こしたように叫び声を上げる。


「違う! やめろ! 僕を消すな!」


「僕は、僕という檻から解放される。これは、僕の望んだことだ」


「違う! 僕の望みは解放だ! 自由だ! 死ぬことじゃない!」


「何が、違う?」


 スルールを消し去ろうとする光はもう、喉元まで迫っている。

 それでもスルールは、最期まで足掻き続ける。


「違う! 消えろ! 消えるのはお前だ! 僕は」


 その言葉を言い切るよりも前に、スルールは完全に光へと飲み込まれ、消滅した。

 そのすぐあと、残された方のスルールも満足そうに高笑いを浮かべながら、光の中へと消えていった。





 眩い光の中、ラヴィはただ呆然と立ち尽くす。

 どちらへ視線を向けても、何も無い。何処までも広がる虚空。


「どこだここ? 何がどうなったんだ?」


 そう呟いた瞬間、背後から何やらコツコツという音が響き、ラヴィはとっさにその方へと振り向いた。


 そこには、いつの間にか一人の女の姿があった。

 小さなテーブルと、向かい合う一脚ずつのイス。その片方に座る女が、テーブルの上のチェス盤へと駒を打ち付け、コツコツと音を鳴らしている。


「……レディ?」


「よく間違われるよ」


 ラヴィの言葉を、女は軽く鼻で笑って返した。

 その態度は見知った者のそれとよく似ていたが、よくよく観察してみると、たしかに別人らしいことがすぐに分かる。

 この女は、どうやら生身の人間らしい。ゴーレムではない。


「じゃあ、あんたは?」


「さて、どう言えば分かりやすいかな? ……そうだな、通訳、とでも喩えておこう」


「通訳?」


「アスタリスクはそのままでは人間の思考を読み取るのが難しい。だから、私が呼び出された」


 そう言って女は、ラヴィへと向かいのイスを指して勧める。


「座りたまえ。ゲームをしよう」


 ラヴィはその場に立ち尽くしたまま、テーブルの上の盤を見つめ、困惑した様子でそれに答える。


「いや、ルール知らないし」


 女はその返答に微笑みで返し、手振りで再度イスに座ることを勧める。


「構わないさ。私は君と遊びたいだけだ。勝負をしたいわけではない。勝ち負けはどうでもいいし、ルールなんてものは所詮、物事の可能性を一定の範囲に収めつつ、勝ち負けを楽に決めるためのただの取り決め、縛りに過ぎない。君は、君の動かしたいように自由に駒を動かせばそれでいい」


 その言葉に納得できないながら、ラヴィは他にどうしようもなく、とりあえず席に着くことにした。

 目の前には、白い駒が並んでいる。


「さあ、君からだ」


「……なんで、こんなことしないといけないの?」


「必要なことだからだ」


 仕方なく、ラヴィは目の前に並ぶ駒を見つめ、どうしたものかと考え始める。


「えーと……」


 とりあえず適当に、手前の真ん中右寄りの駒を掴み、それを盤の中心へと打ち込む。


「そうくるか」


 女はそのラヴィの選択を、興味深げに微笑んで見つめる。

 ラヴィは何か試されているような感じを受け、居心地悪く、微かに身じろぎしながら女へと尋ねた。


「……やっぱ、なんか間違ってる?」


「いや。言っただろう、正しいも正しくないもないさ。ただ、楽しめばいい」


 そう言って、女も一手駒を動かす。


「さあ、次だ」


 それから互いに数手を指し、ゲームはデタラメに続いていく。

 その成り行きに身を委ねつつ、ラヴィはずっと気になっていることを女へとそっと尋ねた。


「なあ、スルールって知ってる? あたし、そいつを追ってたら、ここに来ちゃったんだけど」


 その問いに、女はまるで興味がなく、どうでもいいといった態度で軽く答える。


「ああ、あいつなら、勝手に自滅して消えたよ。因果応報、自業自得という奴だな」


「消えた?」


「そんなことはどうでもいいだろう。ゲームに集中したまえよ」


 そう言って、女はまた一手を指す。

 ラヴィも落ち着かない気持ちを抱えつつ、それに続く。


「それで、君は何を願う?」


「え?」


「ここは、アスタリスクの中だ。どんな願いでも思いのままだ」


 ラヴィの手番。

 ラヴィは長考の末、手にした駒を持ち上げ、そのまま同じ場所に打った。


「あたしが望むのは、父さんの夢見た未来。ヒトとゴーレムが、みんなが仲良く手を取り合って、一緒に前へと進んでいける世界」


 その言葉に女は黙って微笑み、次の一手を指す。

 それを受け、ラヴィは言葉を続ける。


「けど、それをアスタリスクに願おうとは思わない。あたしたちは、自分の意思で変わっていけるはずだから。自分にも他人にも嘘をつく必要のない世界。自分勝手にならずに、他の人のことも尊重しあえる世界。それは、自分たち自身の力で手に入れるべきなんだ。だから、そう思うから、あたしはこの想いをアスタリスクには託さない」





 匂いまで感じられそうな濃密なプシュケーの奔流に包まれながら、ステラはふいに、そのラヴィの声を感じていた。


「ラヴィ?」


 慌てて周囲を見渡すが、そのどこにもラヴィの姿は見えない。


「どこ? どこにいるのラヴィ!」


 そんなステラの様子にいぶかしむ表情を見せていたレディの耳にも、やがて声は届き始める。


「……セラハ様? 繋がっている? いや、違う。一方的に向こうの声が聞こえるだけか……」





 ラヴィの声を聞き、アレキサンドライトは自身の内に力が湧き起こるのを感じていた。

 あらためて落ち着いて、スティグマへと声を掛け続ける。


「あなたにも聞こえるでしょう、スティグマ。答えを焦らないで。マザー・アシェルには、少しだけ待っていてもらいましょう。彼女にはもう時間は関係ない。だから、今は、限りある命を燃やす人々の行く先を見極められるまで、それまでの少しの間だけでも」


 その言葉を遮るように、スティグマの頑なな叫びが響く。


「そんなの、いつまで待てばいいの!」


 それに、アレキサンドライトはしっかりとした声で答える。


「あなた自身の中に、明確な答えが見つかるまで」


「答えなんて、どこにもない!」





 ラヴィの答えに対し、女は決着のタイミングを迷う様子で、白のキングを取り囲むように駒を並べつつ、ラヴィへと問いかける。


「さて、では、その理想をどうやって実現するつもりだい?」


 その女の好奇心に満ちた視線をまっすぐに見つめ返し、ラヴィは言葉を続ける。


「理想は、現実の先にある。遠い理想にばかり目を向けて、足元の小石につまずかないように、現実の中で、しっかりと今を生きていく」


 そう話しながら、ラヴィはもう駒を動かそうとはしない。

 女が催促してもラヴィは首を横に振り、それが選択を迷っているからではなく、むしろそれこそが明確な意思のもとでの決断そのものなのだということを示す。


「……それは、楽な道ではないよ。道から外れぬよう、非常に強固な精神力を絶えず要求する上、誰も彼もが君のように考えられるわけでもない。戦いはいつまでも続く。舞台を変え、演出家を変え、演者を変え、観客を変え。君の見ている場所で、あるいは、君の見ていない場所で」


「それは、仕方ないことなんだと思う。みんな、それぞれに違う目線で世界を見ているから。それぞれに正しいと思うこと、求めているものが違うから。時にぶつかりあうのは仕方ない。あたしは、自分の出した答えを正しいものだと信じているけど、それを他の誰かに押し付けるつもりもない。その結果矛盾が生じるなら、それも仕方のないことだと思うし、それを自分の理屈で一方的に無理やり解消するのも正しいことだとは思わない。そうなった時、その矛盾に対してどうするのが良いのか、それはもう、ケースバイケースで個別に現実と向き合いながら対処していくしかない」


「ふーん」


 女はどうでもよさように、黒い駒で白のキングを包囲し、追い詰めていく。


「君は、傲慢だね。わがまま、と言った方がいいかな?」


「否定はしないよ」


 そう言って、ラヴィは肩の力を抜き、笑った。


「みんな、好きにすればいいんだよ。あたしは、あたしの好きにする。結局、言ってしまえばそういうことなんだ」


「なるほどね」


 女は最後の手を打った。

 チェックは掛かっていないが、ラヴィにはもう逃げ場はない。


「その答えは私にとっては当たり前のこと過ぎて、正直面白みは感じない。けれど、私の背後で観察しているものは、多少の興味を抱いたようだ、というか、ある程度の価値評価は行われたようだ。今のところは、ステイルメイトとでもしておこう」


 その言葉ともに、女の姿は光の中へと消えていった。

 続いてラヴィの体も光に包まれ始め、すべてが光の中へと消えていく。

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