[ 40*こわくすることば ]
スルールは素早く態勢を立て直すと、戦闘へと戻っていった。
頭数だけがあったところで、敵は皆、満身創痍のありさまだ。
その連携攻撃を砕き、互いに支え合う防御を断つ。
「弱い、弱いなあ。そんな程度で僕を止められるつもりでいたのかい? 笑わせるね」
爪で岩男の脇腹を引っ搔いてやる。
西方の騎士、岩の大男はその激しい痛みに悶え、悲鳴を上げた。そこにすぐに東方の異端審問官が援護に入り、スルールはもったいぶるように一旦距離を取った。
その、手負いの獣たちの殺気を秘めた瞳を、スルールは愉快な気分で見つめる。
「そう。そうだよ、その目だ。そうでなくちゃ面白くない。それこそが、君たちの本性なのだから」
そして、その性質は自分自身の内にも存在する。
そのことを嫌悪しつつも、現実は否定しえない。
結局、僕も僕である限り、動物であることからは逃れられない。
なら、今しばらくは受け入れるしかない。何より、楽しいのだから仕方がない。
悪い癖だ。本来の目的よりも、目の前の楽しみを優先してしまう。
まあ、大した問題じゃない。アスタリスクは、逃げやしないのだから。
戦いが続く中、疲弊した敵は一人、また一人と脱落していき、気が付けば戦況は実質、スルールとスティグマの一騎打ちとなっていた。
相変わらず重みの無い攻撃を続けるスティグマに対し、スルールはそれが迷いを抱いているせいだと察知し、好奇心から揺さぶりを掛け始めた。
「君は、なんのためにこの場にいるんだい?」
答えはなく、その代わりに蹴りが飛び込んでくる。
スルールはそれを軽くいなし、続ける。
「君は、君だけは、本当にこの世界を護ろうなんて思っちゃいないんじゃないかい?」
スティグマは固い表情のまま、攻撃を続ける。
けれど、その奥には微かに動揺の色が滲み出している。
こんなんで隠せているつもりなんだろうか?
スルールは調子付き、さらに激しく揺さぶりを掛けていく。
「本心では、君も世界の滅びを望んでいるとか?」
明らかに動揺が大きくなる。
ふーん。
「じゃあ、僕と戦う必要なんてないだろう? 僕はアスタリスクを使って、こんなつまらない世界は完全に消し去るつもりだ。君が僕の邪魔をする理由なんてないんだよ」
「……あなたの言葉になんか、耳を貸すつもりはないわ!」
動揺が多少収まり、スティグマは攻撃の鋭さを少しだけ増した。
だからといって大した脅威でもなく、スルールは遊びを続ける。
違う。間違えたか。
単純に世界の滅びを望んでいるわけじゃない?
けれど、先ほどあれだけ動揺したのは確かだ。どこだ? どこまで合っていて、どこで間違えた?
そもそも、なぜこいつはこの場所にいるのか。まずはそこだ。
こいつはあのいばら姫だ。それを手に入れ、目覚めさせた人物が送り込んだのだろう。
レムナントのスポンサー。アルガダブにラボラトリイを与えた人物。
もともとあの施設は誰のものだ? エメラルド社。それにゆかりのある人間……?
あるいはその上か? オーラーム財団?
いずれにせよ、そんな人間に心当たりはない。
けれどまあ、確実な手札が無いなら無いで、戦いようはいくらでもある。
まずは大まかにブラフで牽制をかけ、反応を窺うことにする。
「君がここにいるのは、オーラームのため?」
それとも、エメラルド?
そう言葉を続けるよりも早く、相手に最大の動揺が走る。それが手に取るように分かり、慌てて口をつぐむ。
なるほどね。
どうやら運良く、一発で当たりを引けたらしい。
それどころか、何を勘違いしたのか、相手はさらにとんでもない言葉を叫んだ。
「なぜ、あなたがマザーの名前を知っているの⁉」
バカだこいつ! 強盗相手に自分から扉を開けやがった。
「君は、マザーから世界の滅びを託された。そういうことか」
「なぜ、それを知ってるの?」
動揺がさらに大きくなる。
スルールは、笑いをこらえるのに必死だった。
遠くからレディの制止する声が響くが、そんなものはスティグマの耳には届いてはいない。
「そして、君はそんなマザーの命令、いや、願い、かな? それを遂行することに迷いを抱いている。君は優しいんだね。けれど、迷う必要なんかないだろ。実際に、こんな世界、護るに値しない。せっかく終端を生き延びたヒトとゴーレムは何をしている? 殺し合いだ。そして、その殺し合いを自身のエゴを満たすために背後から操る有象無象。君自身もいやというほどその目で見てきたはずだ。優しい心を持つ者こそ、この世界の在りように限界を見出してしまう。いっそ、滅びこそが救いなのだと、そう考えてしまえばいい。そうすれば、世界も、君自身も、救われる。永遠に」
そんなスルールの趣味の悪い遊びを、グリズリーが横から割り込み、殴りかかることで強引に止めた。
それと同時に、その背中のラヴィが叫びを上げる。
「うるせえよ! だから変えていかなきゃいけないんだ!」
その攻撃を回避しつつ、スルールはとりあえずスティグマのことは置いておき、遊びの相手をラヴィへと切り替えた。
「君は、相変わらずやかましいな」
「あたしたち自身が変わっていくことで、世界だって変えて見せる。誰も、何も傷つけなくても、傷つかずに生きていける世界に!」
その言葉に対し、スルールは嘲笑で返す。
「それは、崇高な理想、だと思うよ?」
そうしたラヴィとの言葉の応酬の間にも、一方でグリズリーとの激しい暴力の応酬は続く。
「けれど、そのためにやってることは、これだ!」
「分かってる! でも、お前みたいな奴は放ってはおけない。だから……!」
「傲慢な嘘つきめ!」
「分かってる! それでも!」
ラヴィの瞳に、涙が滲み始める。それでも、その瞳に秘められた決意が揺らぐ様子はない。
「理想があまりにも遠くても、今は醜い現実の中で生きるしかないとしても、それでもあたしは、この道を行く! この先に続くものを信じて!」
「間違った道をか!」
「別に、正義の味方なんて目指してるわけじゃない!」
そう叫び、ラヴィは素早く銃を変形させ、最大出力で放った。
スルールはそれを弾くも、思いのほかその攻撃は重く、体のバランスを崩してしまう。
その隙にすかさずグリズリーが渾身の拳を打ち込んでくる。
それはスルールを直撃し、金属同士が激しくぶつかり合う、けたたましい大音響を上げた。
グリズリーの右腕はそれで限界を迎え、肘の関節が砕け、体から離れた前腕がどこへともなく吹き飛んでいった。
一方のスルールはどうにか上手く体を動かし、その衝撃を殺しながら、勢いに任せて再びスティグマの方へと向かって飛んだ。
「ラヴィか、相変わらず暑っ苦しいヤツ。ああいうのはおちょくっても揺らがないから、やっぱ楽しくないんだよなあ。遊び相手として選ぶなら、やっぱりこっちの方だな」
ラヴィとゴチャゴチャやってる間にいくぶん落ち着きを取り戻した様子のスティグマの間合いへと素早く潜り込み、スルールはあらためて言葉を掛ける。
「どうだい? 答えは決まったかい? マザーの願いに応え、世界の破滅を僕に委ねるか、それともマザーを裏切り、ラヴィの理想についていくか」
「あなたのことは、排除する」
スティグマは澄んだ声を響かせてそう答え、スルールはそれに心底から落胆した。
なんだ。やっぱりこいつも根っからの甘ちゃんか。
しかし、続くスティグマの言葉がその思考を否定する。
「マザーから託された想いは、私が叶えて見せる!」
違う!
そうか、僕はまた履き違えていたのか。
スルールの心の内を、興奮と愉悦が満たしていく。
視線の先のスティグマの瞳。その奥に宿る精神は先ほどよりは落ち着きを見せているものの、相変わらずの迷いを見せてもいる。
こいつは、自分自身で滅びを実行することを使命として与えられた。
それを僕に任せたりはできはしない。
けれど、実際に自分でそれを実行するには、こいつはあまりにも中途半端でからっぽなんだ。
こいつは、物事に対する評価軸がまだ固まっていない。何が正しくて、何が間違っているかを自力で判断できはしない。
それはそうだろう。
こいつは目覚めたばかりのいばら姫なのだから。
スポンサーが、”いばら姫”に続いて”オルガノン”を求めた理由。こいつは、文字通り生まれたばかりなんだ。
こいつは、四角四面な常識は予め植え付けられていても、そこから著しく逸脱するような極端な思想には、まだ対処できるほどの複雑な自我は確立できていない。
そして何よりこいつは、”マザーの願い”を叶えるための、肝心の手段を理解できずに迷っている。
ならば、その手助けをしてやろう。
そう考え、スルールは即座にマントの中に忍ばせたままのデータ・タブレットと自分を接続し、必要なデータをかき集めて拾い上げた。
「君に、贈り物をあげよう」
戦いの中でスルールがそう呟き、スティグマの体へと素早くその鉤爪を突き立てた。
そして、スティグマのセキュリティは軽々と突破され、得体の知れない情報が一気に流し込まれてくる。
スティグマの視界が揺らぎ、そこに巨大な宝石の映像がオーバーラップする。
煌く宝石の輝きを覗き込む自分。そして、そんな自分を向こう側から覗き込むもう一人の自分。その瞳の中の瞳の中の瞳。合わせ鏡のように、それが無限に続いていく。
「君に、エメラルド・タブレットの叡智を授けよう」
「や、やめて、私の中に……変な、ものを……」
光が溢れ、意識が拡張されていく。自我の際限ない拡大。
「抗うなよ。受け入れろ、運命を。しょせん君は、アレキサンドライトのコピーでしかないんだから」
プシュケーの暴流。精神がどこまでも発散していくとともに、限りない極小点へと収束していく。それはやがて、無限の彼方を突き抜け、絶対の境界を突破した。
爆発的な光の輝きとともに、スティグマの体は膨れ上がり、変容を始めた。
その転化はすぐさま完了し、あとには、一体の銀色に輝く巨人の姿が残された。
その姿を呆然と見据え、レディが小さく呟く。
「……トランスミューテーション」
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