[ 39*けもののおり ]

 クレーターをふさぐ巨大な円形の蓋。その中心に立ち、スルールは時を待っていた。

 それまではまだしばらくの時間が掛かりそうで、暇を持て余したスルールは足元に視線を向け、その滑稽な蓋と、その奥に存在するものに意識を向けた。


「……それがどれだけ誠実で利発な存在だとしても、自分の理解が及ばないというだけで感情的に非難する。自分が接し方を間違えただけなのに、相手の方を一方的に排除する。下劣だね。凡庸な人間どもの集合意識のやることってやつはさ。本当に嫌になる」


 それから、スルールは視線を遠くへと向けた。燃えるような朝日に縁どられて輝く、砂に埋もれた廃墟群。それを見つめ、取り留めのない思考をただ空転させていく。


 人間という生き物は、嘘をつく。


 ”人はみな、一人一人かけがえのない個性の持ち主です。互いに尊重し合い、手を取り合い、譲り合い、助け合い、愛し合いましょう。そうすることで世界は一つにまとまり、皆は平和の裡に幸福に生きられることでしょう”


 それは、まったくその通りに実現できれば、たしかに素晴らしいことだろう。

 しかし、多くの人間にとって、実際に”手を取り合う”ことができるのは、文字通りの極々狭い範囲に限られる。それを前提とするならば、話は大きく変わってくる。


 その、さも耳心地の良い言葉は、”結束”を呼びかけるアジテーションの道具と堕し、”内”と”外”の明確な分断への第一歩として利用されることとなる。そしてそれはやがて、”内”を護るというもっともらしい名目のもと、愚かな排外的拡大主義へと流れ、必然的に唾棄すべきある種の先鋭的ファシズムへと至る。


「結局みんな、”嘘”でしかないんだ。嘘をつく者、騙される者。そして、それを無責任に煽り、囃し立てる者。安っぽい理想主義的なキレイゴトなんていくらまくし立てたところで、結局は空虚なエソラゴト以上の何かになどなり得ないのに」


 再びスルールは足元へと視線を戻し、その”檻”を冷たく蔑むように見つめる。


 その結果が、これだ。

 自主自立というものを知らない、他者依存性の動物たちの口にしてきた、あるいは耳にしてきた、”嘘”。それのもたらした惨たらしい結果。


 あくまでも彼らが実際に求めてしまうのは、崇高な理想などではなく、もっと現実的なスケール感覚での身内との連帯感と、それに根差す安心感。その程度のものでしかない。

 そして、その自分たちの安心感のためなら、彼らは自分たちの連帯の枠組みの外側に居る者のことなど平気で踏みにじることさえでき、あまつさえ、それを正義の行いだなどと無責任に信じ込んでさえしまえる。


 ただ誰かの扇動的な言葉に乗っかって、狭くちっぽけな自分の居場所を護ることに固執する。そして、そのために”部外者”の居場所を奪うことになったとしても、そのことを気にも、いや、気付くことすらもしない。

 仲間じゃないから敵。理解・受容できないから悪。

 なんて短絡的なんだろう。

 およそ、ホモ・サピエンスを自称する生き物のして良いことじゃない。

 ”汝、隣人を愛せ”。

 ヒトは、けっしてそんなことができる生き物ではない。


「……ま、どうでもいいか、そんなこと」


 スルールは溜め息とともに意味の無い思考を打ち切ると、視線を前へと向けた。

 遠くの方から、一隻のホバー艇が近づいてくるのが見える。

 ガタのきたホバー艇。それに乗るボロボロのメンバー。

 その姿を見つめ、スルールは皮肉めいた笑いを発する。


「そんなになってまで、よくやるよ。そんなにこんな世界が大事かよ?」


 そう呟き、足裏で檻の蓋を叩く。その中に封じ込められた存在へと呼びかけるように。


 あるいは、こちら側が檻の中なのかもしれない。アスタリスクはその外側から、檻の中の動物たちの暮らしを覗いているのか。

 まあ、いずれにせよ、やることは変わらない。どちらが内でどちらが外だろうが、関係はない。檻は檻だ。そんなものは、壊す。


「なあ、お前はどう思う、アスタリスク? 見てるんだろ? 間違ってるのは、僕か? それともあいつらか?」


 その、あまりにも意味の無い問いに、自分自身で笑ってしまう。


「ま、お前にそれを判定する権限があるなんて思わないし、認めないけどね」


 視線の奥で、ラヴィたちの姿はどんどんと大きくなっていく。


「さあ来いよ。ロマンチックに正義と悪の決戦といこうじゃないか」





 スルールの姿を見つけた瞬間、レディは声を上げた。


「あいつを排除しろ! あいつさえどうにかすれば、東方の軍は西方軍が抑える。相手は一人だ。こちらが数で勝る。押し切れ!」


 その叫びに呼応し、皆が飛び出し、スルールへと総攻撃を開始する。

 それを余裕の態度で待ち構えつつ、スルールは冷笑した。


「数で勝る? 立ってるのもやっとの疲弊しきった搾りかすの寄せ集めじゃないか。本当によくやるよ」


 先手を切って仕掛けてきたグリズリーの拳を軽く避けつつ、スルールはその背中のラヴィへと嘲笑を浮かべながら声を掛けた。


「いきなり攻撃を仕掛けるなんて酷いじゃないか。平和的に話し合いで解決しようとは思わないのかい?」


 それにラヴィが何かを答えるよりも早く、レディの鋭い言葉が飛び込んでくる。


「耳を貸すな! そいつにとっての言葉とは、遊びとしての駆け引きの手段か、相手を操るための道具でしかない。そいつがどういう奴かは、みんなよく分かってるはずだ。甘い考えは必要ない。潰せ!」


 それに対し、ラヴィも厳しい表情を浮かべつつ、頷く。


「分かってるよ!」


 ラヴィはそのまま迷うことなく銃を連射してきた。

 スルールはそれを鉤爪で軽く弾き返しつつ、状況を鼻で笑う。


 あのラヴィですら躊躇なく撃ってくる。さすがに悪ふざけが過ぎたか。


「いいだろう、小細工抜きで相手してやるよ。肉体労働は専門じゃないけど、だからと言って苦手というわけでもない。お前らみんな、死ぬよ?」





 なし崩し的に、スティグマは戦いの中に居た。

 迷いを抱えたまま、皆と協力してスルールと戦う。


 私は、何をしているのだろう。


 結局、マザーから託された想いに応える方法は分からないまま、マザーから託された想いそのものに対する扱いを迷い始めている。

 私は何がしたいのか。あのレディとかいうゴーレムはそう尋ねた。

 私の中には、その答えは存在しない。


 私は、からっぽ、なんだ。


 そんな考えに気を取られている間にも戦闘は続き、こちらの最善の攻撃を、スルールは軽くかわしていく。


「判断は良いけど、重みが無い。本気で僕を仕留める気が無いんだろう? 甘いね」


 スルールはそう呟くと、素早く反撃を繰り出した。スティグマはそれを回避する余裕はなく、とっさに防御を選択する。

 スルールは抜け目なく追撃を重ねようと動くが、その前へとアルが立ちはだかった。

 スルールは一旦動きを止め、その姿を見つめると、皮肉めいた笑いとともに挑発を始めた。


「やあ、アレキサンドライト。再びここに舞い戻った気分はどうだい? 圧倒的な力を得て、世界をどうしようもないほどに変え、壊したあの時の気分はどうだった? 教えてくれよ」


 アルはその挑発を相手にはせず、スルールへとまっすぐに決意を込めた一撃を放った。


「だから、もう二度とあんな悲劇は起こさせはしない!」


 その鋭い一撃は見事にスルールを直撃し、その姿を激しく吹き飛ばした。

 スティグマは、そんな迷いを断ち切ったアルへと無自覚の憧れを抱き始めていた。


「……私は。私は、どうすればいいの?」


 たった一つの答えなんて、私には選べない。

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