第5話 公園の君

*


 これはとある事件が起きる前のこと。


 日本の某所ぼうしょ。その日は雪が降っていた。

 僕は肌寒い大気を感じながら、帰路につく。


 すると、公園で一人少年がベンチに座り、本を読みふける姿があった。

 そんな様子を横見にいつもの様に通り過ぎようとしたのだが、その日は何故だが気持ちが違った。身をひるがえし、彼の元へと向かう。


 いつも見かける公園のきみはこちら気付くことなく、真剣な面持おももちで活字に浸っていた。二、三度視線を送るが、彼の集中力が途切れることはなった。


 僕は一度その場から離れると自販機で温かい甘めの缶コーヒーを2つ購入した。振り返りベンチの方へと戻ると、彼はしおりをページに挟み、パタンと本を閉じた。


 すると、自分より年下の少年は何かを察して口火を切った。


「どうしました?」

「あぁ、気付いてたんだ……。そうだ、これ飲む?」

「ありがとうございます」


 少年は僕から缶コーヒーを受け取ると、手を温める様に缶を両手で包んでこちらに視線を送った。間近で見る彼の目は年相応とは言えない、冷たいものであった。


「こんな寒いのに、公園で読書?」

「ルーティーンなので」

「そうなんだ……。いつも居るよね?」

「はい。お兄さんはここが帰り道みたいですね」

「そっちも気付いてたんだ」

「何度か見掛けたので」


 どうやらお互い認知はしていたみたいだ。

 それでも僕らはこの世界ではまだ他人で、関係性はすれ違うだけの有象無象と変わらない。


 彼は会話の途中でコーヒーをすする。

 受け答えは端的で物静かな少年の様子に、僕は興味を抱く。


「中学生?」

「はい。お兄さんは高校生?」

「うん。家がすぐ近くなんだ」


 その後、飲み終えた空き缶をゴミ箱に捨て、お互いベンチに戻る。時折、白い息を出しながら、僕らは会話を進めた。


 少年は部活に入っておらず、下校途中にこの公園で日没まで過ごすのが、彼曰くの習慣というやつらしい。


 ブックカバーがなされた本の内容は異世界もののライトノベルというもので、他の趣味はゲームを少し嗜むという。年相応の回答に僕はどこか安堵していた。


 初見よりも少し砕けた少年の面持ちに、関係値の変化を感じた。きっと彼は考え深く、慎重派なのだろう。会話の際に思考を巡らせる瞬間が伺える。


 僕はよくその姿を目にしていた。ベンチに座り本を黙読する少年。

 その様子にいつも抱いていた感情は『彼は何考えているのだろう?』。

 

 そんな単純な疑問が、僕と彼を引き合わせたのだと思う。


 日が暮れ、少年の習慣が完遂される頃。


「そろそろ、帰ろうか」

「そうですね」


 僕等は公園から公道に出ると、帰り道を確認する。


「そっち?」

「はい」


 僕は小さく手を挙げると、彼はぺこりと一礼し、街灯が灯る雪道を進んでいった。


「そうだ、最後にいいかな?」


 彼が少し距離が離れたところで、僕は一つ忘れ物を思い出す。


「なんですか」

「名前、聞いてもいいかな? 僕は能代一颯のしろいっさ

矢矧一哉やはぎかずやです」

「一哉か……。またね!」


 一哉は小さく頷くと、身を翻し、街灯から離れ、暗闇へと身を消した。その様子を確認した後、僕も深々しんしんとする公道を進み、再び帰路につく。


 その帰り道、今日はいつもと違う心情を抱えていた。


 『気の迷い』そんな言葉も当てはまるかもしれない。

 奇行とも言える僕の行動がその日、僕等の運命を変えた。


 いつも横目で見ていた公園の君は、今日、他人ではなくなったのだ。


*


 春先、学年が一つ上がるといよいよ進路という人生の分岐点に直面することとなる。僕は憂鬱な気分で、いつもの場所へと向かった。


「一颯、随分と沈んでいるな」


 僕が近付くと、本を片手にこちらを見向きもせずに一声掛ける一哉の姿があった。


「進路だよ」


 僕はこれと言って目標にしていることはなく、自分の夢すら見当たらない放浪者だ。そういう人間にとって進路という現実問題を投げつけられると、非常に胸が痛む。


「一哉もいつか味わうことになるさ」

「ふーん……」


 彼の興味はどうやら、現実に苦しむ僕よりも、手元の異世界ファンタジーに向いているらしい。


「それ、何巻?」

「4」


 一哉と初見で話した時は確か2巻だったはずだ。

 僕等の親密度同様に本の進みに少しだけ時間の流れを感じた。


「それ、面白い?」

「……まぁ」

「ライトノベルってあれだよね、アニメっぽいやつ……?」

「映像化するものもあるね」

「それはしてないんだ」

「ああ」

「それはどんな作品なの?」

「1巻のあらすじは“冒険者達がダンジョンに眠る魔導書を求めて戦うハイファンタジー作品”だったね」

「あー、なるほどねぇ……。一哉は魔法作品が好きなの?」

「いや、別に」

「なんでだよ!」

「本棚を見た時、何故か興味を引かれたんだ」

「ふーん。今度、読んでみようかな」

「一颯は本を読むのか?」


 一哉の疑問は御尤ごもっともで、確かにこの公園では彼との会話以外ではスマホゲームをいじること以外の姿を見せていない。思い返せば、高校での読書の時間はない為、日常で小説を読む機会とは離れていた。


「中学以来?」

「活字離れってやつか」

「教科書は嫌々読んでるから……。後、ネットニュースとか」

「現代人だな」

「仰る通りで」


*


 そして、後日。


 僕は買い出しのついでに秋葉原に来ていた。

 電車を下りた目的は勿論、一哉の愛読書であるライトノベルだ。


 土曜日の秋葉原と言えば、外国人観光客でごった返す都心の混雑スポットの代表格の一つだ。


「げ……」


 僕は眼前の光景に思わず心情を吐露する。

 昼前の駅周辺は予想を上回る混雑っぷりを披露していた。

 群衆を目に立ち止まり、『時間をずらせばよかった』と素直に思った。


 行き交う人々の波を抜け、ものの数分でアニメショップへと辿り着く。狭いビルの入口から人の流れに沿いながら上層の階段を上がっていく。目的の階へと到着すると、少しのスペースが開けていた。


 そこには本棚を前に真剣な眼差しで本を吟味ぎんみし、自分の趣向と合うものを探す人達の姿がある。

 

 僕は無数にも見える本棚の中から目的のものを探し始めた。本棚の陳列場所からある程度の推測は立つ。


 以前の一哉の反応から作品はまだ注目度の低いものなのだろう。

 スマホを片手にレーベルを調べ、背表紙を一つ一つ目で追った。


「お」


 本棚から目的の一冊を取り出すと、裏表紙のあらすじに軽く目を通し、間違えがないことの確認する。

 

 1、2巻を手に取り、レジへと向かい無事購入。

 目的を達成すると、再び人の流れに乗りながら、ビルの入口へと階段を下っていく。


 すると、下の階からスタッフらしき人物が誘導の為に声掛けを行っているのが聞こえた。


「すみません、エレベーター前、道を開けてください。黒野先生通ります。新刊4巻のサイン会は12時より行います」


 黒野。

 聞き覚えのある名称に思わず一考する。


「……!」


 それは正に、このビニール袋に包まれた本の著者の名前であった。

 階段から見下げるとスタッフの後ろで帽子を深々と被る小柄な女性の姿が見える。

 

 僕は偶然にもタイミングよく、その女性と狭い通路をすれ違う形となる。

 すれ違いざまに一度だけ視線を送ると、黒髪、茶目の彼女は自分と同い年くらいに窺える。

 

 少し緊張した面持ちで、スタッフの先導を受けながら奥のエレベーターへと姿を消した。


 あれが黒野綴くろのつづりか……。


 僕は僥倖にも『一つ、一哉への手土産が出来た』と心を弾ませ、足早に帰路につくことにした。


 家に帰ると早速、自室にこもり、椅子に腰を下ろす。

 

 ビニールから本を取り出すと、先程の情景が頭を過る。

 強張った表情の彼女の姿が。


 僕は1ページ目をめくると、彼女の世界に踏み入った。


 その本のタイトルは。

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