第18話

 彼女は静かに呟いた。


 バイトがまだ持つ「アノマリー」は、明らかに彼の「なか」に取り込まれている。


「いずれにせよ、上層部に引き渡せばそれなりの金になる……けど、どうしても面倒ですわね。」


 エリシアは口元に微笑みを浮かべながら、バイトの無力な体を見下ろす。手に入れた力をどう扱うか、そしてこれがどれほどの価値を生むのかを考えつつ、次の行動を選択する必要があった。




 エリシアは意識を失ったバイトを無造作に担ぎ上げた。




 その軽さに少し驚きながらも、彼女の表情は変わらない。脱出を目指し、足を踏み出す。


「……こんな大きい船なら、シップの一つや二つ、どこかにあるはずですわね」


 エリシアは独り言を漏らしながら、船内の出口を探す。彼女の足取りは軽く、バイトを抱えながらも疲労を感じさせない。


 道中、彼女は船の配置やレイアウトを確認しつつ、エスケープルートを冷静に考えていた。


 エリシアはシップが保管されているエリアに近づいていく。船の中は相変わらず静寂に包まれていたが、その静けさがむしろ緊張感を高めていた。




「やはり……ヴァイを出し抜いて先に進んだのは正解でしたわね」


 エリシアは冷笑を浮かべながら呟く。


 今頃、ヴァイはもぬけの殻となったEGSで憤慨しているだろう。彼の苛立った顔が目に浮かぶ。


 だが、油断はできない。時間がないのは明白だ。


「ヤツが追いかけてくるのも時間の問題ですわね……」


 彼女は足を早めた。ヴァイの執念深さをよく理解しているだけに、急がねばならない。


 


 エリシアは無造作にそこらじゅうに転がる死体を踏みつけながら、船内を進んでいった。




 彼女の足音が冷たい金属の床に響くたびに、無機質な船内の空気が一層重く感じられる。


「やれやれ、片付けくらいしておきなさいな」


 エリシアは皮肉っぽく呟きながらも、足を止めることなく歩き続ける。




 そしてついに、彼女は第二格納庫に辿り着いた。




 そこには、逃走に使えるシップがずらりと並んでいた。エリシアは軽く息を整え、周囲の状況を確認する。


「ふぅ、ここまで来れば……後は一息ですわね」


 彼女はシップのロックを解除しようと考えながら、時間との勝負を意識していた。


 いくつかのシップが、淡い緑色のランプを点灯させて待機状態「グリーン」を示していた。


 エリシアはその光を見て、わずかに唇を緩めた。テロリストたちが使っていたそれは、非合法な手段で手に入れたものだろう。



 セキュリティシステムや追跡機能など、必要な制御はすでに消去されているに違いない。




「やっぱり、用意がいいですわね……非合法な輩というのは。」


 エリシアは呟きながら、慎重にシップの一つに近づいた。シップに手をかけてその状態を確認する。テロリストたちが逃走に使おうとしていたものなら、必要最低限の整備はされているはずだ。


「これで……追手を振り切るのも簡単ですわね」




 エリシアが手を伸ばし、コクピットを開けようとした瞬間、突然、全てのシップが一斉にシャットダウンされた。




 淡く光っていた「グリーン」のランプは瞬く間に消え、格納庫内は一気に静まり返った。




「なんですって!?」




 エリシアは驚愕し、瞬時に状況を把握しようとする。彼女の指がコクピットの扉に触れたまま、内部からの応答がまるでなくなっていた。格納庫内のすべてのシステムが凍りついたかのようだ。


「これは……誰かが外部からコントロールしている?」


 彼女の眉がピクリと動き、背後に何か不穏な気配を感じ取った。




 パン……パンパン……パチパチパチパチ!




 格納庫に静かに響く拍手の音。


 エリシアがその音に反応して振り返ると、そこにはヴァイが悠々とした足取りでこちらに向かって歩いてきていた。


 彼のサングラス越しの視線が、冷ややかにエリシアを捉えている。




「よくやった、ベイベー……」




 ヴァイはにやりと笑いながら、拍手を止め、彼女を称賛するかのように言った。


 エリシアは驚きと焦りを押し隠し、あえて虚勢を張ってみせる。


「遅かったですわね」


 彼女は冷たく言い放ちながら、余裕を装った。しかし、ヴァイの不敵な笑みが消えることはなく、彼の存在がさらにプレッシャーを与えていた。




 ヴァイは悠然と歩きながら、ポケットから端末を取り出し、どこかに連絡を取る。




 彼の声は冷静で、相手とのやり取りにはまるで緊迫感がなかった。




「あぁ、俺だ……依頼の件だが、不測の事態が生じた。あぁ……やつはアノマリーを取り込んだ。正直、手に負えねえ。どうする?」




 ヴァイはチラリとエリシアを見やる。彼女は眉を顰めながら、ヴァイの会話を聞き逃すまいと警戒を強めた。




「あぁ、すまねえな。——ほう?ヤツごと消してもいいってか?……ふっふっふ。」




 ヴァイの笑みは不気味なほど愉快そうに広がる。彼はまるでこの状況を楽しんでいるかのように続けた。




「いずれにせよ、こっちのミスだ。半額でかまわん。だがもし生け捕りなら、通常通りで頼むぞ?」




 彼の言葉には余裕があり、エリシアにとって不吉な響きを感じさせた。


 エリシアは、ヴァイの動きを見極めながら、すぐに動けるように脚の位置を微妙に調整した。しかし——。




 ——ガチャリ。




 ヴァイが構えたのは、ただのマシンガンではなかった。その異様な存在感に、エリシアは一瞬目を見張る。


「知ってるか、これ?」


 ヴァイの口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。


 エリシアは身を低くし、警戒を強めた。彼が抱えている武器から放たれる異常なエネルギーを感じ取ったのだ。




「メガ砲っていうんだぜぇえぇ〜!?」




 ヴァイは狂気じみた笑声を上げながら、誇らしげにその巨大な武装を持ち上げた。


 それは本来スペースシップに取り付けられるはずの兵器だったが、無理やり引っこ抜かれ、背中に背負った小型予備バッテリーに接続されていた。


 端子は剥き出しで、まるで爆発寸前のような不安定さを漂わせている。


 エリシアは、この状況の危険さを一瞬で理解し、即座に次の動きの準備を始めた。


 ヴァイはメガ砲を構えたまま、にやりと笑みを浮かべて続けた。




「今の話、聞いてただろ!?『それ』が生きてようが、死んでいようが関係ねぇんだよ!」




 彼の声には狂気と余裕が混ざり合っている。バイトの無力な体を指しながら、彼はさらに言葉を続けた。


「だが、お嬢さんには感謝してるぜぇ!?手間を省いてくれたんだからなぁ……」


 ヴァイは一歩前に出て、エリシアをじっと見つめた。メガ砲の圧倒的な存在感が、彼の優位を示している。


「だからさ、そいつを置いていきな。報酬代わりに、逃してやるよ……」


 ヴァイの言葉には嘲笑が込められていた。だがその裏には、明らかに何かを企んでいる不気味な気配が漂っている。


 エリシアはその提案に耳を傾ける素振りを見せつつも、全く油断していなかった。




 エリシアはふと、さっきの通路で死んでいたソルジャーたちの光景を思い出した。




 彼らの死体が転がっていた場所は、EGSに向かう通路とは無関係な位置だった。あのときは脱出口を探すのに気を取られて深く考えなかったが、今ならわかる。




 ——結局、ヴァイは遅れをとったわけじゃない。




 エリシアは心の中でつぶやいた。彼女の警戒心がさらに鋭くなる。ヴァイは、ずっと後れを取っていたように見せかけていただけだった。


 むしろ、彼はエリシアの動きを最初から読んでいたのだ。


 ソルジャーたちを片付けておき、彼女が進むルートを見越して待ち伏せていた。すべてはヴァイの計算の中にあった。


「さすが、狡猾なヤツ……」


 エリシアは内心で認めざるを得なかったが、それでも勝負を諦めるわけにはいかない。




 エリシアは追い詰められた状況を冷静に分析し、頭の中で次の一手を考え始めた。




 今のヴァイの話から察するに、バイトの生死に関わらず、ヴァイにはすでに報酬が約束されている。


 だがエリシアにとって、彼女はただ横入りした立場にすぎない。アノマリーがなければ、話は何も進まない。


 ——そう……最初からイーブンなんかじゃなかった。


 エリシアは心の中で呟いた。


 二人が手を組んだ時点で、すでにヴァイは一歩も二歩も先を読んでいたのだ。自分がここまで来られたのも、ヴァイが利用するために泳がせていただけだということに気づいた。


「私が持っているモノ、つまりアノマリーだけが交渉のカード……でも、使い方次第ですわね」

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