第37話 化け物
ダンジョンから釣り上げたヴェルダは、よほど腹立たしかったのか手当たり次第にそこら中に炎を放ち始めた。
視認できるほどの超高温の熱線が巨大な矢のように、頭上から地面へと降り注いだ。ダンジョンでの生活が長いヴェルダの翼は飛翔するためのものではない。他者を焼き尽くすための武器としての意味合いが強いのだ。
それゆえ、口から炎を吐き出しつつ両翼を動かすだけで無数の火球となり反応できなかった盗賊達はその火球を前に右往左往するしかなかった。
気づくと騒ぎを聞きつけたのか、盗賊の数は混乱の中でも確実に増えていることが分かった。どうやらギルドの馬車の方にも見張りが付いていたのだろう。
馬鹿な連中だと思う、ダンジョンから離れていたのならその場から逃げればいいものを、群れる習性というのは死の淵とも変わらないのか、それとも仲間想いだと賞賛するべきか。
もうロッドは使えない、運良く修理できてもここから俺が逃げるのには邪魔になる。
「くっそ……」
こんな所で別れるつもりはなかった愛用のロッドをその場に放置して、身を低くしながらその場から離れる。このままアミラの捕らわれている茂みまで向かう。
モンスターの対処なんてやったことのない連中ばかりでダンジョンの前では阿鼻叫喚の騒ぎだ。下手に攻撃せずに身を隠して、ヴェルダがダンジョンに帰還するのを待てばいいものを、連中は躍起になって攻撃をしている。
教えてやる義理も手助けする必要もないので、俺は一直線にアミラの元へと足を進めた。
魔力がカツカツで全身が悲鳴を上げているが、自分のことよりもアミラへの心配が上回っていた。
ダンジョンのある場所はやや窪んだ土地になっているので、ここから離れるには少し斜面を登る必要がある。斜面といっても大した傾斜ではないが、今は一刻を争うことに加えて俺自身も長距離を駆け抜けたように体が重たい。人生で経験した斜面の中で、最も辛い上り坂だった。
一歩ずつ足を進め、崩れ落ちそうな体を両手で支えてそのまま腹ばいになり匍匐前進で進む。そうでもしないと、ヴェルダの肉体から発生する強烈な熱気を前に呼吸すら困難になるからだ。
もう少しでここを抜けて、アミラの場所へと辿り着けるというところで――。
「——よくもやってくれたな、釣人!」
混乱して逃げ惑う盗賊達と燃え盛る炎の中から、鬼のような形相で盗賊のボスが前方から突進してきた。
「しつこいんだよ……!」
両肩を掴まれ、せっかく乗り越えようとしていた数メートルの斜面を転がり落ちた。
顔面を二発ほどボスに殴られて、遠くに行きそうになる意識を首の圧迫で意識が戻る。いや、戻された。
「お前の言う通りだ、釣人を舐めていたよ! 今度から盗みをする時は、釣人も魔断士も皆殺しだ! 絶対に生かしちゃおかねえ!」
「ぐうぅ……この、クズ野郎……」
火事場の馬鹿力というやつだろうか、首を絞めるボスの両手首を強く掴むと僅かに力が緩んで言葉が出せるようになった。何より、この男をこのまま生かしてはおけないという使命感が胸の奥から湧き上がる。
「ひっ……はは! まだそんな力があんのか! モンスターの肉を食ってきただけはあるな! そもそも、お前らは気に食わなかったんだ! モンスターはバンバン殺すくせに、人間達のルールの中で生きようとするお前らがよ!」
「俺達は……人間だ、お前は人じゃ……ない!」
今まで生きて感じたことのない沸騰するような怒りと共に、地面に転がっていた石を右手で掴むと男の顔面へと叩きつけた。
鈍い音に手応えを感じたが、ボスは自分の左の手首で受け止めていた。全力で殴ったので左手首は大きく歪み骨がはみ出していた。それでもボスは口元を歪ませ、凶器ともとれる笑顔をみせた。
「俺を殺そうとしただろ? ほらな、お前らもあっさりと人間のルールを抜け出した。俺とお前に何の違いがある! 人間もモンスターも釣人も魔断士も俺ら盗賊も、全員殺すことで生きてんだよ! ダンジョン釣りなんかで正当化してんじゃねえ! お前らも命を奪って殺すことで、気持ち良くなっている化け物じゃねえかよ!」
手にした石を離して、両手の力で右手だけで首を押さえていた手を押し返す。俺の両手の力でようやく右手を離すと、そのまま転がるようにしてボスから距離を空けた。
こいつの言う通り、欲望を満たすためにモンスターを殺す釣人や魔断士を知らないわけではない。もちろんそんな連中は忌むべき存在だが、それは一つの側面であり全てではない。少なくとも、俺の身近な釣人は誰一人として命を粗末に扱う奴はいなかった。この男の発言は、その人たち全てを蔑むものだ。
咳き込みながら何とか息を整えて、ボスを睨んだ。
「一緒にすんなよ……。お前らは命に対しての敬意がない、釣りも人間もモンスターも侮辱している。お前らの身勝手な理屈で傷つける方が、よっぽど化け物だ!」
「化け物だと……これ以上、笑わせないでくれよ……金儲けでモンスター殺すお前らと何が違うんだ!? 俺らも生きるためにモンスターや人間を殺す、お前らも腹を満たすために殺す!」
昔はこの盗賊のボスと同じようなことを考えていた。
命を奪い解体することを生業にしている仕事なんて、殺人鬼にも等しいケダモノとまで思っていた時がある。だが、同じように考えてはいても、この男と俺は明確に違うのだとここではっきりした。
この男は生きることに感謝はしないし、命に敬意は払わないし、奪った命の意味も考えやしない。この男は本当の意味で盗賊であり、外道なのだと知った。
それゆえに、命に感謝し敬意を払い続ける釣人は邪悪ではないということを断言できる。こいつと俺達の間には明確な線引きがあるのだ。そして、本当の邪悪とは、人間もモンスターの命も見下す目の前の畜生のような存在だ。
「いいや、違うね。……分かんだよ、お前は命を平等に考えてはいない。自分以外の命を見下してるだけなんだ!」
「てめぇ一人じゃ何でもきねえくせに、随分と大口を叩くんだな……。まあいい、どうせてめぇはここで死ぬんだからな!」
飛び掛かるボスに身構えた刹那、支えを失った操り人形のようにボスの体がぐらりと傾くと僅かに残った斜面も後押しをして地面を転がり落ちた。
呆然としていると目の前にやってきた人間に視界を戻す。
「——随分と無茶をしたのですね」
今までボスの立っていた場所に入れ替わり現れたのは、捕らわれていたはずの――アミラだった。
「ア……ミラ……。本当にアミラなのか……いや、間違えるわけないよな……! 大丈夫か! 怪我はしてないのか!?」
歩み寄る俺にアミラは鬱陶しそうに手で制した。
「嬉しいのは分かりましたがそれはこちらの台詞です。そんな汗だらけ血まみれで傷だらけのクルスさんの方が誰が見ても心配される対象ですよ」
よく見るとそう言うアミラの服に泥は付いていても傷一つない。極端に言えば、こんな混乱の中でもいつも通り散歩してやってきたような雰囲気だ。
「も、もしかして……少し騒動を起こしたら、自分の力で逃げ出したりできたのか……」
「まあ……魔断士ですし、これぐらいの危機から脱出する対策ぐらいはしていますから。今はそれよりも、早くここから離れましょう。素材は残念ですが、ギルドの御者も近くまで待機しています」
アミラの言う通りだ。
頷いて歩いていこうとする俺にアミラは体を寄せると、その華奢な体を俺の脇の下に入れて支えてくれた。
「自分で歩ける……無理して手を貸さなくていいんだぞ……」
ついさっき血と汗で汚れていると言ったばかりなのに、どういうことだ。
少し頬を朱色に染めてアミラは唇を尖らせた。
「どこまで私を侮るつもりですか……。血で濡れた体も、汚れた頬も、今にも気絶しそうな激しい呼吸も……全部、私を助けるために辿り着いた姿なんですよね。それなら、ありのままのクルスさんを受け止めるのは当然のことです」
「アミラ……恩に着る、ありがとう」
「それはこちらの台詞です。見張りの目から抜け出すには、相応の騒ぎを起こす必要がありました。クルスさんが居なければ、私は逃げ出せていません。……それに、私を命懸けで助けようとしてくれたように、私がクルスさんを助けるのは当然のことです」
極度の緊張感を感じていたせいで、アミラの温もりと優しい言葉に気が抜けそうになるが、こんなところで気を失ってしまえば今までの苦労が水の泡だ。
思考を働かせつつ、慎重に前へと進んだ。
心身ともにいつ足を止めて眠ってしまってもおかしくないが、絶対にそれだけは避けなければならない。
一歩踏み出すことにもどうすれば前により多く進めるかを考えつつ、二歩目も効率的な歩き方を考える。
こんなボロボロの肉体ではどう歩いても同じことだが考えなければ、意識を放棄してしまう危険性があった。何も考えずに歩くことが楽なのだが、それは同時に緩やかない気絶を意味した。
盗賊達の悲鳴を耳に思考と行動を織り交ぜつつ結果を考えながら、どこまでも遠い馬車までの道を進んだ。
「お疲れ様です、お手伝いしますよ」
その声がした先で、数時間前に会ったばかりの御者の男が立っていた。
僅かばかりアミラの体が強張った気がしたのは、あれだけ無表情だった男は薄笑いを浮かべていたからだろうか。
颯爽と御者の男はアミラと反対に回り込み肩を貸してくれた。瘦せていたと思っていた御者の男は考えていたよも格闘技の経験者なのかと思うほど、しっかりとしていた。
「すまない……。あの騒ぎでは、今回の依頼は失敗だ」
御者に謝罪をすると、不思議な仮面のような貼り付けた笑みをみせた。
「さあ、それはどうでしょうか。……とにかく今はここから避難することが先決です」
「クルスさん、今は余計なことを喋らずに歩くことだけに専念してください」
遮るようにアミラは御者の男の会話に被せるように話した。
誰かとの会話を遮るような行動は珍しいが、アミラの言う通りだ。素直に俺はそれに従い、背後に広がる灼熱の森から離れるために歩を進めた。
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