4話 神様採用(4) - 魔物の気配

 「で、どんな仕返しをしたいのかな?」

 「そうだな、適当な天罰でも与えて懲らしめてくれよ」

 「はあ……、そんな都合のいいこと、できるわけないでしょ?」

 「そうなのか?」

 「そうだよ。私じゃなくて、君がやるんだよ」

 「いやいやいや、出来るわけないだろ、そんなこと」

 さっきは勢いで上司に仕返ししたいと言ってしまったが、人間社会で生きていく上で『仕返し』をすることは難しい。人間関係のしがらみや、法律がそれを許してはくれない。上司に仕返しをするとしても、結局、損をするのは城下の方なのは明らかである。

 「大丈夫。手伝ってあげるから、心配しないで」

 そう言ってこの自称神様は、上司をどこかの部屋に呼び出すように城下に指示を出した。

 そのあとは任せておけ、と言ってはいるが、いったい何をするつもりなのかと城下は思う。しかし、少々胡散臭うさんくさく思ったものの、彼女の力については人間を超えていると認めざるを得ないことは分かっていた。

 その上、やる気まんまんの神様を見て城下は、半ばあきらめたように覚悟を決めるのであった。


 オフィスに戻ると、城下はすぐに、上司を会議室に呼び出した。

 今まさに重々しい空気の中、二人で向かい合っている。

 上司は明らかにイライラしているが、城下の隣にいる神様の存在には、全く気が付いていない様子だ。

 城下は改めて、自称神様が本当に神様なのかもしれないと思った。

 「おい、城下。何の用だ?」

 上司が高圧的な態度で言った。

 城下自身は意味がないと思っているが、一応、話し合いで解決する姿勢を見せておく。これも神様の指示だ。

 「私に対する嫌がらせを止めてもらえますか?」

 「はぁ? 俺がいつ嫌がらせ何てしたっていうんだ?」

 こいつ、自覚なしか。

 そう思った城下は、心底あきれてしまった。この人に、情けをかける必要は無いと改めて思いなおす。

 横を見ると神様も同じように呆れた表情をしている。それを見た城下は、自称ではあるが神様が味方になってくれているような気がして、ちょっとだけ嬉しいと思った。なんだかんだ言っても良い神様なのかもしれない。

 しかし城下は、彼女が一筋縄ではいかないことをすぐに思い知る。

 「君、交渉下手すぎじゃないかい?」

 彼女が呆れていたのは、他でもない。城下に対してであった。

 そしてその発言を聞いて、上司にも神様が見えるようになったらしい。 

「だ、誰だお前!」

 上司は動揺して、会議室の机や椅子をガタガタっと押しのけて後ずさりする。

 城下もこれに関しては上司に同情し、心の中で肩を組んだ。

 そうだよな、人が急に現れたらビックリするよな。

 神様は黙ったまま、上司に詰め寄る。上司は、それに合わせて後ずさりした。

 「おい! なんとか言えよ!」

 上司の怒号が響くが、相変わらず神様は沈黙を保っている。そのまま壁際に追い詰めて、そっと上司の顔に手の平をかざした。

 「さあ、お仕置きの時間だよ」

 神様はそう言った。

 そしてそのまま手を上に持ち上げると、それと一緒に上司の体も宙に浮く。

 城下は屋上テラスでの出来事を思い出す。つい先ほど、神様との攻防戦に敗北し、見事に投げ飛ばされてしまった件だ。城下が呆然ぼうぜんと見つめる中、上司もそのまま投げ飛ばされた。机や椅子を巻き込んで、轟音を上げながら飛んでいく。城下は、さすがにやりすぎではないかと思った。

 神様は淡々とした動作で、投げ飛ばした上司の方へ歩いていく。

 「おい、大丈夫なのか?」

 城下も慌てて駆け寄った。

 「なに、問題ないよ」

 問題大ありだ、と城下は思った。上司は原形こそとどめてはいるが、関節は様々な方向に曲がって、全身はピクピクと痙攣している。

 「うん、これぐらい脅かしておけば、大丈夫かな。じゃあ――」

 神様はそう言って両手を広げると、一拍、手を叩いた。


 パーンと拍手の音が響くのと同時に、ドサッと何かが落ちる音がした。

 そちらに目を向けると、なんと上司が床に尻もちをついて、青ざめた顔をしている。城下は慌てて視線を元に戻したが、先ほどまで横たわっていたはずの上司の姿は何処にもなくなっていた。また、このタイミングで机も椅子も元通りになっていることに気が付く。

 城下がまた視線を戻すと、上司はキョロキョロとあたりを見渡して、ひどく狼狽ろうばいしている様子だった。

 「なっ……、何が――」

 「さて、続きをしようか」

 再び神様が上司に近づく。

 「く、来るな! 誰か、誰か居ないのか!」

 「ふふふ、無駄だよ。」

 神様は、わめき散らす上司を、楽しそうに見下ろしている。上司の声は徐々に小さくなり、次第に絶望の色が見え始めた。

 「よし、良い感じ」

 「次は君の番だよ。好きにやるといい」

 神様は城下の方を振り返って言った。

 「好きにって、どういうことだよ」

 「言葉の通りの意味だよ。どんな大けがしても、私が一瞬で治してあげる。だから、いいよ」

 なるほど、と思い直し、城下は上司の目の前まで移動する。

 「ま、まて城下。まず説明しろ。この女は何言ってるんだ……?」

 「安心して、さっきの一撃で、その人の心はもう折れてるから、君の力でも簡単に――」

 「――黙れ女!」

 神様は、その様子を見てお手上げといった様子で、後ろに下がった。そのまま少し離れた位置にある椅子に腰かける。そこで見物するつもりのようだ。

 「さあ、どうぞ」

 それを聞いて、城下は上司に向き直る。

 確かにこれは、確かに神業だ。

 上司は口ではわめきながらも、もう立ち上がる気力も残っていないようだ。この様子ならほとんど抵抗もされないだろう。その上、何をやっても無かったことになるのであれば、ちょっとぐらい懲らしめてやっても問題はない。

 城下はこぶしを握り締める。

 「ま、まて。おい、俺に逆らって、どうなるか分かってるのか?」

 「どうなるんでしょうか?」

 そう問いながら、一歩近づく。

 「ま、待て。お前、分かってるのか? 何倍にもして返してやるぞ!」

 「大丈夫です。全部治してれるらしいので。それで初めからことになりませんか?」

 それを聞いて、上司は言葉を失った。

 城下は、上司が喋らなくなったのを確認して拳を振り下ろす。


 しかし、城下の拳が最後まで振り下ろされることは無かった。

 城下が動き出そうとした瞬間、ふと、なにかを思い出したように動きを止める。それは忘れ物を思い出した時のように、さりげない感覚。だが、確実に良くないイメージだった。

 「どうしたの?」

 「いや、やっぱり止めとくよ」

 「どうして? せっかくの機会なのに」

 城下は自身の不思議な感覚について、神様に説明した。

 感覚的には忘れていたことを思い出した時の感覚。しかし、それは全く身に覚えのないことだった。知らない男たちに囲まれ、人気のないところに連れていかれ、ボコボコに殴られてしまうイメージ。そして「ああ、あの時、上司を殴らなければよかった」という後悔の念だった。

 不思議だったのは、その時イメージした上司の顔が『黒いモヤ』で塗りつぶされていたことだ。細いペンでガリガリと擦った時のような黒塗りで、まるでモザイクがかかっているようだった。

 その話にじっくりと耳を傾けていた神様は大きくうなずいて、不思議なこと言った。

 「なるほど、予想以上だ」

 「はい?」

 「君が見たのは、未来の可能性だね」

 「は? じゃあ手を出してたら――」

 「現実になってるね」

 「なんで止めてくれないんだよ」

 「自分で止まるのだから、私が止める必要ないでしょ?」

 城下は絶句した。この神様は思ったよりも薄情なのかもしれないと思う。

 「――黒いモヤの方だ」

 神様は立ち上がって、上司の方へ向かう。急に機嫌が良くなった様子で、鼻歌でも聞こえてきそうな様子だ。

 「君が、奴らの痕跡を、知覚できたということは――」

 神様は放心状態の上司を、穴が開くほど見つめている。城下も気になったので同じようにして見ることにした。だが、別段変化はない。

 「何してるんだ?」

 「焦らない。少し待って」

 神様があまりにも真剣なので、結局城下は一歩引いて待つことにした。

 「――見つけた」

 神様がそういった瞬間、城下は急な眠気を感じて、意識を失った。

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