第13話 六月(2)
午前中に体育の授業があった。本来ならば、運動場でソフトボールをするカリキュラムになっていた。雨の中でスポーツをするほどスパルタな教育方針ではないので、体育館でバレーボールをすることになった。チームを分けて遊び半分に試合をするのなら楽しいけれど、これはレクリエーションではなく、飽くまで体育の授業である。準備運動をした後、二人組になってトスとレシーブの練習をし、最後の数分で試合をするという。「始めから試合やりたいよ」誰もが面倒臭さを口に出していた。
体育の授業では時折「二人組になって」と言われる。これがくせ者である。私と千尋、寧々の三人をどのようにすれば二人組にできようか。千尋や寧々が他のクラスメイトとペアを組むこともあるが、私がこのグループから抜けて、由衣とペアになることが多かった。
「今日は私が別の子と組むよ」
「また高瀬さんのところにいくの?」
私は良かれと思って一人離れようと思ったが、千尋に呼び止められた。口を尖らせた、その表情は不機嫌な子供そのもので、私が由衣とペアを組むことが不服なのだとすぐに分かった。
「うん。ダメかな?」
「ダメじゃないけどさ。陽菜子って、こういう時に高瀬さんのところへ行くよね」
「ほら、高瀬さんって……いつも一人だからペアを組みやすいっていうか」
「そう、いいけど。行こう、寧々」
いいけど、だってさ。
それなら何故呼び止めたのか。最後まで不服そうだった。「由衣とペアを組みたいから」と言っていれば満足したのだろうか。彼女の不満の根源に何があるのかは私に理解し難かった。千尋よりも足の速かった由衣。そのことを今でも根に持っているのだろうか。それとも他にも気に入らないことがあるのだろうか。考えたところで、私には彼女の気持ちが分からなかった。
「虫の居所が悪いだけだから、気にしないで」
寧々はそう言うと千尋と一緒にボールを取りにいってしまった。寧々は物分かりが良い。察しが良いのだろう。きっと私と由衣の関係について勘づいているのだろう。寧々がどこまで私達の関係を知っているのかは分からないけれど、無闇に踏み込まず、千尋のフォローをしてくれるので助かっている。
「由衣、ペア組もう」
「いいの? 早川さんたちは?」
「大丈夫。私達、三人だから、誰かが別の人と組まなきゃいけないし」
「そう。それならいいけど」
ボールを籠から取り出して、ポン、ポンとトスの練習をする。由衣はバレーボールも上手で、ミスをするのは私だった。二十分ほど練習をして、残りの時間で試合をした。チームは体育教師が適当に決め、生徒はそれに従った。全員が一度にコートに入るわけではなく、適宜交代をしながらゲームを進めた。
コートの外にいると、千尋が寄ってきた。
「陽菜子ってさ、高瀬さんと仲はいいの? さっきも楽しそうに話していたけど」
「そう? そういうつもりはないけど」
惚けるが、千尋は先ほどと同じように膨れっ面だった。私の嘘をお見通しだと言いたげに、目を細める。
「仲、いいんじゃないの?」
「何で?」
同じ質問を繰り返すことは、それは彼女からすれば確信していることがあるのだ。私が逃げようとする先に通せんぼをして、求める答えに誘い込もうとしている粘着さを感じた。答えを持っているのに、それを私から聞き出さないと千尋は満足をしない。
「そう見えた。他の皆は高瀬さんと関わることを嫌がっているのに、陽菜子はそうじゃない。自分からペアを組みに行っているし、楽しそうにしていたよ」
「だから、そんなことないって言っているでしょ。それに、私が誰と仲良くしようが、千尋には関係ないでしょ」
繰り返される問答と、自分の爪の甘さに苛立って、強い口調になってしまった。口に出してから後悔した。
「ごめん」
謝るが、遅かった。一度出てしまった言葉は取り返しが付かず、千尋の表情はみるみる内に軽蔑と侮蔑の入り混ざった醜悪なものへと変わっていった。
「ああ、いいよ。そうだね、私には関係のないことだものね。だけど、これは親切で言ってあげる。あの子に関わっても碌なことはないよ。陽菜子も同じように孤立させられるだけ。今のうちに、仲良くするのはやめた方が良いよ」
「それって、城ヶ崎を怖がっているの?」
「……そうだよ。その通り。私はあいつが怖い。あいつの周りには何故か人が集まっている。どれもまともなやつではないけれど、高校生活において数の暴力に勝るものはない。分かるでしょ」
この、学校という閉鎖的な環境下で教室は私達の世界の全てだと言っても過言ではない。一週間のうち大半は登校をし、一日のほとんどの時間を過ごす場所。学外のコミュニティに属している人は少ない。だからこそ、教室という空間が持つ重大さは計り知れない。たった三十数名の教室。その多くが城ヶ崎の支配下にあるとする。学校生活を円滑に過ごすためには城ヶ崎に目を付けられないことが一番大切なのである。それを皆が感じ取っている。だからこそ、由衣は今でも一人で、私のように彼女に近づく者は異端だった。
「高瀬さんは他人に興味がないんだ。話し掛けてもそっけない返事ばかりで。そんな態度だから城ヶ崎にも目を付けられる。このままでは陽菜子も巻き添いを食うことになるよ」
由衣が他人に興味が無い? そんなことはない。これまでに彼女は私の話を沢山聞いてくれた。もっと話したいと言った駅のホームでも、アルバイトの話をしたバスの中も。彼女はいつだって興味を示してくれた。由衣は不器用で、自分を貫くことしか知らない。それに気が付いていないのは、みんなの方じゃないか。
「もっとちゃんと由衣と話せば分かる。みんな話もしていないのに勝手なことばっかり言って。なんで……」
人の気持ちを分かろうとしないの。
「やっぱり仲がいいんじゃん。由衣だってさ」
しまった。カッとなってボロが出ていることにも気が付かなかった。
「まあ、いいけど。勝手にしなよ。ただ、私達は巻き添いになるのは嫌だよ」
それっきり、千尋は私と口をきかなかった。
何を言っても無視される。「あっそう」と躱されるだけだった。千尋からしてみれば、すでに私は由衣の仲間で、城ヶ崎の標的だった。
そんな私達を見ていても寧々はいつもと変わらず冷静だった。
「千尋ちゃんは私が宥めておくから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを大切にしてあげて」
「うん。ありがとう。寧々は千尋や城ヶ崎みたいに、由衣と仲良くしないほうが良いって思わないの?」
「思わないよ。私も中学の時に高瀬さんとは仲良くしようと試みたんだけど。上手くいかなくて。それっきり。だから、陽菜子ちゃんは高瀬さんを一人にしないであげて。高瀬さんも一人は寂しいって本当は思っているだろうから」
寧々は由衣と同じ中学に通っていた。深い付き合いでなくとも、長い付き合いではあったから、彼女に対して理解があったのだろうか。「大切にしてあげて」か。そうだね。寧々、ありがとう。きっと千尋もいつか分かってくれる。楽観的かもしれない。だけど、そう思うことでしか、私の心を保てなかった。友人に見放された悲しみと由衣を悪く言われた怒り、由衣を守りたい気持ちが溢れそうになり、どの気持ちが主導権を握っているのか分からなくなる。このぐちゃぐちゃになった心を壊さずにいるためには、信じるしかなかった。
お昼ご飯は食堂に行って、一人で食べることにした。普段は教室で千尋と寧々と三人で机を合わせて弁当を食べていたが、今日は空気が悪く、三人で食べようと言えるほどに私の心は強くなかった。巾着袋に入った弁当を片手に食堂に向かう。初めての食堂は思っていた以上に賑わっていて、空席を見つけるだけでも一苦労だった。
「由衣はいつもここで食べているのか」
人がごった返していて、由衣の姿は見えなかったが、今は一人でいたい気分だった。
食堂には様々な学年の生徒が集まっていた。皆、定食を頼んでいて、弁当を食べている人は少なかった。弁当を広げている人は友人と食事を楽しんでおり、私のように一人で箸をつついている生徒は少なかった。みんな、あっという間にたいらげ、次第に空席が目立つようになる。
「都築さん。隣良い?」
「うん、いいよ」
隣に座ったのは同じクラスの大槻。細身長身の彼女は長い髪を後ろで一つに束ねている。細い目は鋭い。もしかして、睨んでいるんじゃないだろうな。よく城ヶ崎と一緒にいるところを見かける。話し掛けてきたということは、私の肩に城ヶ崎の手がかかったということか。死刑宣告のようだ。恐怖を感じているはずなのに、諦めが強く、緊張を感じなかった。
「ご飯食べたら、私と一緒に来て欲しいんだけど、いいかな?」
「断れるやつ?」
「ごめん、ちょっと無理かも」
「だよね。行くよ。どこに?」
「多目的室。授業じゃ使ったことはないけど、すぐそこ。分かるでしょ?」
「うん。あそこね。わかった」
昼休みの特別教室。そこには人気がないことが容易に想像ついた。嫌な予感がする。
「大槻さんはご飯食べたの?」
「食べたよ。弁当」
「そう、早いね」
会話で気を紛らわそうとしたが、内容が淡泊すぎて、狙いが外れた。
弁当を食べ終え、巾着袋にしまう。それを片手に大槻と多目的室へ向かった。私が弁当を平らげている間も、多目的室へ向かう間も、私が話し掛けない限り大槻は一切口を開かなかった。食事をしているところを他人に見つめられているのは気分が悪かった。
大槻は普段から口数が多いほうでは無かった。だけど、城ヶ崎とは仲良さそうに話しているところを見た。気が合うのか、長いものに巻かれているのかは分からない。きっと彼女なりの処世術がそうさせているのだ。
「ねえ、これから袋だたきにあうのかな?」
「それはない。城ヶ崎は手をあげるような真似はしない」
「本当? 私、痛いのは嫌なんだよね」
「誰だってそうでしょ」
「城ヶ崎以外が手をあげるっていうのも無しだよ?」
「……」
答えてくれなかった。嫌だなぁ、痛いのは。
実のところを言うと、殴られる心配は一切していなかった。なんせ、まだ昼休みだ。ここで痣でも作れば、授業を抜け出してでも職員室に駆け込めば良い。そんな選択肢を私に与えるほどに間抜けな相手だとは思っていない。
いよいよ、多目的室に到着する。
「職員室に入るより緊張するんだけど」
大槻は何も言わなかった。代わりに扉を開け、その向こうにいる人物に話し掛けた。
「連れてきたよ」
多目的室の中には城ヶ崎と、その取り巻き三人がいた。クラスでは見かけない顔もいた。教卓に腰を下ろしている城ヶ崎は相も変わらず偉そうにふんぞり返っていた。中に入ると大槻が後ろ手に扉を閉めた。カーテンは閉め切っており、光は入ってこない。カーテンの隙間から見える校舎の外も暗い。当然か。今日は雨だ。思えば、この暗さはバスの中に似ていた。それなのに、隣には由衣がいない。目の前に城ヶ崎がいる。なんて最悪な状況なんだ。
「大人しく来てくれて嬉しいよ。都築陽菜子さん」
甲高く、ねっとりした声が耳にまとわりつく。
「こうして話をするのは初めてだよね?」
卑しい笑顔がこちらに向けられていた。由衣の冷たげに見えるけれど、優しい笑顔とは正反対で、私には目の前の笑顔は不気味に感じた。由衣のものは偽りのないものだったが、城ヶ崎のものは違う。相手を油断させるための偽りのものだ。
「私、興味の無い人とは話さないのよ。言っている意味は分かる? これまで全くあなたに興味は無かったけれど、今は違う。あなたに興味があるの」
「城ヶ崎さんが興味を持つような人間じゃないと思うけど」
「そうね。あなたにはあまり興味が無い。ただ、高瀬とは仲が良いの? それだけが気になって。素直に答えてもらえると嬉しいのだけれど」
背筋が凍るとはこのことを言うのだろう。足が棒のように硬く、背中に冷や汗が流れる。困惑する私を見れば答えは明白だった。城ヶ崎が鼻で笑う。
「ああ、イエスでもノーでも、あなたの答えはどっちでもいいの。ごめんね、無駄な質問だった。だって、もう知っているから。あなた、高瀬と一緒に登校しているんでしょ? 雨の日の登下校、バスで一緒にいるところを見たやつがいるのよ。今日もバスから二人仲良く降りてきたって知っているんだから」
嫌な気配を感じたが、やはり見られていたのか。きっと五月、私達と一緒にバスに乗っていた誰かが城ヶ崎に報告し、それがきっかけで見張られていたのだろう。
「何で由衣のことを嫌うの?」
「あはは、由衣だって。本当に仲が良いのね。……あいつはね、すかしているじゃない? そこが嫌いなんだよね。入学式の日に私を無視もした。嫌うには十分。だからさ、あいつと関わるのはやめなよ」
「……全然理由になってない」
「はぁ、仕方ないな。丁寧に教えてやるよ。ここは学校だよ? そして、私達は子供だ。学校で子供が社会性を学ぼうとしている。それなのに、高瀬は協調性の欠片も見せない。それってどうなの? 協調性のないやつは痛い目をみるって教えてやろうっていうの。親切だろ?」
社会性? 協調性? どの口が言うのか。
「私が高瀬を嫌っている。そいつと仲良くするってことは、私に嫌われるってこと。私に嫌われていいのなら仲良くすればいいけれど。それって、どういう意味か分かってる? もちろん、あんたにも危害を加え得る。それから高瀬にも。んー、あとはそうだね。早川と榊原とか言ったっけ? あいつらも巻き添いでもいいよ。それでどうかな?」
千尋と寧々も?
「あの二人は関係ないでしょ」
「あんたと高瀬だけじゃ、自業自得。あんたと仲の良い二人も一緒なら、罪の意識が芽生えるでしょ? 二人に危害が加わるのは嫌だろ? だったら高瀬と関わるのをやめろ。高瀬を見捨てるのか、二人を犠牲にするのか。それだけだ、簡単だろ」
私は頷くしかなかった。
教室の前は大槻、後ろは他のクラスの男子。目の前に城ヶ崎と取り巻きが二人。逃げることは叶わない。逃げたところで問題を先延ばし、大事にするだけだ。選択肢が無かった。
「素直でいいじゃん。そうでないとね。約束、だよ」
私はもう一度頷いた。
何が約束なものか。一方的な命令でしかない。
「それじゃあ、そういうことだから、仲良くやりましょうね、都築さん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます