第9話 五月(4)

 間瀬に見つかってからは、バックヤードでの仕事がメインとなった。店長に担任の教師に見つかったこと、高校はバイト禁止であることを伝えると、

「ああ、そうなんだね」

 穏やかな様子で、納得していた。何も驚いた様子はなかった。バイトが禁止であることは知っていたのだろうか。

 アルバイト二日目で担任の教師に見つかるということは予想外の出来事だった。見つかるにしても、あまりも早くはないか。いずれは学校側にバレるかもというリスクは考慮していた。だが、早すぎる。それに、久万隈書店に偶然間瀬がやってきたと考えるのは都合が良すぎる。間瀬は私が働いていることを知っていたのではないか。店の入口から一目散にレジにいる私の元にやってきた。それは私が働いていることを知っている動きだ。つまり、誰かが密告したのではないか。そう考え、疑心暗鬼に陥る。

 私がアルバイトをしていることを知っているのは、由衣、店長、木崎さん、他の店員。初日の客の中に知人、もしくは学校関係者が混ざっていたとも考えられる。しかし、お世辞にもこの店は客入りが良いとは言えない。初日の客の顔もぼんやりと思い出せるが、知人はいなかった。学校関係者がいたとすれば、いくら間瀬がフォローしたからと言っても学校で問題になっているはずだ。その気配はない。

 初日、二日目で顔を合わせた店員は木崎さんだけだ。他の店員の顔はまだ知らず、逆を言えば店員たちも私のことを知らない。書類上で知った可能性はあるが、それなら初日、もしくはアルバイトが始める前に密告することだってできたはずだ。

 密告者は三人に絞られるが、由衣は論外だ。彼女が私を売るような真似をするはずがない。信用の話ではあるが、私は彼女が密告者であることだけは無いと分かる。

 店長はどうだろう? 密告するならわざわざ雇わない。間瀬に見つかったことを考慮して仕事内容を変更してまで今も私を雇い続ける理由がない。

 つまり、私の中では密告者の可能性がある人は彼女しかいない。

 木崎千香である。しかし、彼女がわざわざ密告をする理由は見当たらなかった。私が働くことに不都合があるのだろうか。気に食わない何かがあったか?

 木崎さんは県内の大学に通う二年生。バイト代を学費の一部にしていると聞いた。何も不思議なところはない。ただ、「あんたって、愛崎高校の生徒でしょ? あそこって、バイト禁止じゃないの?」「担任は間瀬なの?」初めて会ったときの会話を思い出す。彼女は怪しかった。愛崎高校の事情に詳しい。つまり、卒業生ということ。そして、間瀬のことも知っている。知り合い? 私のことを密告する理由は分からないけれど、密告ルートは明らかだった。


 出勤して、スタッフルームでエプロンをつけていると、ガチャリと扉が開いた。

「あっ、陽菜子ちゃん、おはよー」

「おはようございます、木崎さん」

 八重歯が大きく、小悪魔的な笑みが可愛らしい人だった。

 初めこそ、紫の髪やピアスといった、外見から少し萎縮をしてしまったが、バイトを初めて二週間ほどが経つ今では、話しやすい先輩であると感じていた。私が付き合いやすさを感じているのは、彼女の適当さにあって、何でも笑って誤魔化し、笑って受け止める。そんなところが、深い付き合いにならないように予防線を張られていると感じたし、浅い付き合いで良いと分かれば、気持ちも楽だったのだ。

「陽菜子ちゃんは今日も裏方? つまらなくない?」

「いえ、大丈夫です。元々人と会うのは苦手なので、接客よりも裏方のほうが似合ってます」

「そう? それならいいけど」

 きゅっとエプロンの紐を締めると、気も引き締まった。

「木崎さん質問してもいいですか?」

「いいよ。何でも聞きな。私は一年もここで働いているから、答えられると思う」

 仕事についての質問だと思われているようで、気が引ける。

「間瀬先生のこと、知っているんですか?」

 と問いを投げた。

 少し間があった。木崎さんもエプロンの紐をきゅっと縛る。

「ああ、間瀬ね。知ってるよ」

 やっぱり。心の中にストンと腑に落ちるものがあった。

「あいつは良い先生だよ」

 そういう木崎さんの笑顔はいつもとは違って、憂いを帯びた、静かな笑顔だった。

 きっと私が感じている「間瀬は良い先生」とは違うのだ。そんな薄っぺらい理由ではなく、彼女の中には間瀬健次郎という教師への信頼から出てきた言葉だと分かった。

「間瀬が担任で良かったね」

 と付け加えた。

 確信に近いものを持っていたが、彼女にもう一つ尋ねた。

「私がここで働いていることを間瀬先生に連絡したのは、木崎さんですか?」

「そうだよ。ごめんね」

 とだけ言うと、ロッカーを締めて、仕事へ向かった。早足で立ち去る彼女は、これ以上の追求から逃れようとしているように見えた。大きな音を立てて閉まったスタッフルームの扉は「これ以上口を出すな」と私に言っているようだった。

 まだ聞きたいことはあった。

 何故密告をしたのか。

 間瀬は本当に良い先生なのか。

 柄にもなく他人に興味を持ってしまった。

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