そ・そ・ソクラテスかプラトンか…
アオヤ
これは絶対夢だ
今、僕の目の前で起こってる事……
これは絶対に夢だ。
だって、だって目の前に居る桜内はもう居ないのだから……
僕は…
ついさっきまで年末の年越しそばを家族で食べてくつろいでいた。
そして僕は父に勧められるまま二十歳に成って初めて、サントリーの山崎というウィスキーを水みたいいに薄めて飲んでいた。
そしてリビングのテレビからは父が好きな昭和のドラマが流れていた。
このドラマは今まで何回観ただろうか?
たしか僕が小学5年生の頃からだから…
父の趣味を子供の僕に押し付けるのはいい加減ヤメて欲しい。
そして父はそのドラマに出演している大原麗子という女優さんにハマっている。
僕は正直最初は彼女の事なんか気にもとめていなかった。
確かに『綺麗な人だな』とは思っていたけど…
大人の女性の魅力なんておこちゃますぎて小5の僕には分からなかった。
でも、そのドラマの途中に流されるサントリーのCMは一目観て好きになった。
わずか3分位の話しなのに…
昭和の大女優、大原麗子さんの演技は喜怒哀楽を全身で表現していた。
それを観ていつの間にか『大人の女性っていいな』いや、『大原麗子さんっていいな』なんて思う様になった。
『ウィスキーはお好きでしょ…? もう少ししゃべりましょ。 ありふれた話しでしょ。』
この曲と大原麗子さんの演技を観て『大人になったらサントリーのウィスキーを味わってみたい』そう思っていた。
そして初めてその大人の味をさっきまで味わっていた筈だったのだ。
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「恥ずかしいから着いてこないでよ」
僕のすぐ隣にはさっきまでテレビで観ていた大原麗子が居た。
「あれ? 大原麗子さん?」
思わず僕の口から言葉が漏れてしまった。
だが周りを見渡すと懐かしい風景。
ここは僕が5年くらい前に見ていた中学校の風景だ。
そして僕は中学の制服を着ている。
そして目の前の大原麗子と勘違いした女性はクラスメイトの桜内亜紀だった。
「なにバカな事言ってるの?」
ヤバイ今の一言はひかれたかもしれない。
僕は桜内亜紀と岩鳶中学校の校門を出たところを並んで歩いていた。
並んでと言ったが僕は自転車を押して桜内は徒歩だ。
夏休み明け新学期が始まったばかりの9月だから日射しが眩しい。
中学校を囲む金網の柵の内側には桜の木が植えてあり、枯れ始めた桜の葉の隙間からアブラゼミが最後の抵抗と声を張り上げていた。
中三なんて夏休みまでが青春で、その先9月からは高校進学に向けて勉強漬けの毎日だ。
勉強漬けか終わるまであと半年。
そうだ、桜内と校内で顔を合わせる事が出来るのはあと半年しかないんだ。
僕はどうしても桜内と二人で話しがしたくて…
そんな理由で僕は今、桜内亜紀と並んで歩いていたんだ。
「ねぇ? なんでアナタが私と並んで歩いているのよ? アナタの家は私と反対方向じゃない! しかもこんな陽射しが強いのに自転車を押してまで…」
くるりとコチラを向いて話す桜内亜紀は昭和のアイドルみたいな吸い込まれそうな眼で僕をジッと見つめてきた。
その瞳に吸い込まれそうになって一瞬身動きできなかった。
桜内亜紀は大原麗子に似ているなんてもんじゃない。
そのプロポーションや顔立ちや立ち振舞。
しっかりと芯が通っている考え方。
でも声は良くいえばハスキーな声、悪くいえば潰れたガラガラ声だ。
その潰れたガラガラ声には理由があった。
彼女は先月まで剣道部で活動していたからだ。
剣道は決め技『面、胴、小手』を大きな声で宣言しなければならない。
そんな訳で剣道場を覗くといつも床を蹴る音や決め技を宣言する声で耳がツーンとなる。
そんな事を毎日繰り返しているうちに彼女の声は潰れてしまったのだ。
いまだにそれが治らないのだろうか?
彼女のブラウスからスラリと延びた右肘は青痣になっている。
普通の人が見たら目を背けそうな痛々しさだが、その青痣もきっと彼女の部活の頑張りの証なのだと思う。
中学卒業まであと半年間、僕はこのまま何もしないで彼女と会えなくなるのだけは嫌だった。
僕は桜内亜紀を知りたかった。
そして彼女の近くに少しだけでも居たかった。
「一人で黙々と帰るのなんてつまらなくない?」
そんな僕の言葉に桜内は『放っといてくれ』いう顔で僕をチラッ見た。
「ベツに良いじゃない! みんなで集まってどうでもイイ話するのが嫌なだけよ」
ムスッとした桜内もなんだか可愛く思えた。
でも一緒に居る時は彼女の笑顔が見たい。
「中学生でいられるのもあと半年なんだからさ、もっと楽しもうよ。みんなとバカな話しで盛りあがるのも楽しいだろ?」
気のせいか僕の思惑とは逆に彼女のいつもの笑顔が曇ったように見える。
「痛っ!」
突然僕の左腕に何かが刺さった様な痛みがはしった。
「アオヤ君どうしたの?」
「何かが僕の左腕に刺さったみたいなんだけど…」
よく見ると僕の左腕の近くには薔薇の蔦らしモノが伸びていた。
「こんなところに薔薇の蔦があるから気をつけて!」
「うん分かった。ありがとう」
ちょとだけ桜内の笑顔が戻った事に気を良くした僕は微妙なウンチクを語り始めてしまう。
「ねぇ知ってる? 『薔薇の花園で男女の待合せはするな!』 ということわざがあるんだけど何故だと思う?」
「えっ、なんで? 理由があるんでしょ? 教えてよ」
桜内が興味を持ってくれた様で僕は少しホッとした。
「それはね、薔薇の花のオイルは香水とかにも使われているんだ。だから永くソコに居ると薔薇の香りが服に着く。『男女で同じ香りがしたら二人は怪しまれる』という理由らしいんだ」
「へぇ、そうなんだ。今は薔薇の花が付いて無いから良かったね」
桜内の屈託の無い笑顔が戻って本当は嬉しい気分に成るのだろうが…
彼女の一言は告白もしていないのに僕を振られた様な気分にさせてしまった。
そんな気分からか桜内にずっと不思議に思っていた事を聞いてしまった。
「桜内ってなんで亜紀って名前なの? いやなに… 桜とアキの組み合わせって変わってると思ってさ」
「突然なに?」
「ベツに言いたく無かったら言わなくてもいいけどさ…」
「桜とアキの組合せわね… それはね、秋桜って書いてなんて読むか知ってる?」
「えっと… コスモスかな?」
「そうコスモスよ。コスモスってわが町の花に指定されてるのは知ってるよね?」
「うん、そうだね。それとどういう関係があるの?」
「ママがね、私が大人になったらこの街の華になる様に願いを込めて名前をつけてくれたの」
桜内は自分の名前を誇りに思っている様子が彼女の笑顔からうかがえた。
「それで、桜内さんは将来どんな華を目指しているの?」
彼女の夢が知りたくてつい聞いてしまった。
その瞬間、何故か彼女の眼からは大粒の涙がポロポロとこぼれてきた。
そして彼女は俯いて嗚咽をもらしだした。
「ねぇ青い薔薇を手に入れられたら願いが叶えられるの。でもこの世には青い薔薇なんてないんだって。私、ステージ4の癌が見つかったの。来週、手術なんだ。私… 私、もうたぶんココには帰って来れないと思う。願いが叶う青い薔薇が欲しかったな」
とつぜんの彼女の言葉に僕は頭を殴られたかの様な衝撃をうけた。
「えっ… 桜内が癌? もうココには戻ってこれない…」
こんな時は彼女にどんな言葉をかけてやればいいのだろうか?
桜内と仲良く成りたかっただけの自分がなんだか情けなく思えてきた。
そして僕はその場から動けなくなってしまった。
隣りに居た桜内は俯きながらトボトボと僕の前方を歩き続けた。
桜内との距離はほんの数メートルなのに僕のはるか彼方を歩いているみたいに感じられた。
「だからもう私の事は忘れて! 別れが辛くなるから…」
桜内のハスキーな声が微かに聞こえた。
彼女の後ろ姿は少しずつ遠くなり、やがて消えて無くなっていった。
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