第3話 譲れない戦い
人目を忍び、二人はおそらく最後となる逢瀬を名残惜しげに終える。目に見える形で遠ざけられる二人の距離は、立場によって隔てられていた時よりも一層悲惨さを増す。
「朝だわ、朝が来てしまった。愛しいあなた、行ってください、早く!」
物語が動く。夜明けとともに。定められた結末へ向かって。より劇的な方向へ。
「明るさが増せば増すほど、暗くなるのが僕たち二人の苦しみだ」
隣でジュリエットが寝息を立ててる。可愛い。睫毛長い。徹夜してずっと見てられる。でも、今夜はそういうわけにもいかない。
ベッドをなるべく静かに抜け出して、ベランダに出る。縄梯子が確か、ああ、あった。この辺も原作通りなんだな。音を立てないように縄梯子を下ろしてしばらく待っていると、誰かがゆっくりと登ってきた。いや、誰か、じゃないな。背の低い、まだ幼い顔立ちの美少年には、昼間にも出会っている。
「お招きいただき光栄です、ロザライン様…いや、先輩?」
見れば見るほど、こいつの演技に見覚えがあるわけだ。
「何でお前がここにいる。早川」
あ、普通に喋れる。よかった、後輩の前であのまま
「それはこっちの台詞ですよ。全く、他人の夢の中にまで出てこないでほしいですね」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる」
相変わらず口が減らないやつだ。夢の癖に再現度が異様に高いのもムカつく。
「こうして話すまで半信半疑でしたよ。相変わらず役の完成度高いですね」
「そりゃどーも。現実に戻ったらまた言ってくれ」
「やだなぁ、夢だから言えるんですよ」
昼間の真摯な美少年の面影はどこに行ったのか。目の前のヴァレンタインはクソガキにしか見えない。いや顔は良いんだ、顔は。中身が早川っていうのが問題なだけで。ずっと演技してろ。素を出すな、素を。
「で?わざわざあんな手紙を寄越してまで、会いに来た理由は?」
「そりゃあもちろん、作戦会議と言うか、先輩がどういうエンディングを考えてるのかなぁと思って」
「ジュリエットを幸せにする。以上」
「やっぱそうですよね。バレバレでしたもん。よくそれで役者やれてますよね」
「喧嘩がしたいなら買ってやるが?」
「俺の考えてるエンディングなんですけど」
「話を聞け」
「兄さん…マキューシオを幸せにしたいんですよね」
疑問には思わなかった。こいつは元々、少女漫画の当て馬とか、主人公のライバルとか、心に葛藤がある敵幹部とか、「あ、こいつ絶対幸せにならないんだろうな」っていうキャラを推す傾向がある。マキオの弟役をやってるから余計にそう思うんだろう。それは別にいい。どうせ夢だし、自由にやれば。
「で、問題は決闘じゃないですか?今日は丸く収まっちゃいましたけど、今度はティボルトの果たし状のせいで決闘が行われるじゃないですか。そうすると絶対に兄さんはそこにいるし、決闘に割り込むんですよ」
「だろうな」
「そこで、ご相談なんですけどぉ…」
来たか。
普通に考えて、決闘するのはロミオとティボルトだから、マキオの生死が危うくなることはない。が、何てったってここはシェイクスピアの世界。マキオとティボルトが決闘開始前に火花を散らすのは目に見えてる。ただ、それがわかっているのは俺たちがこの物語を外から見ているからだ。ロザラインはもちろん、ヴァレンタインもマキオの命が危ないとは、考えることができない。つまり、行動が取れない。今日も、相当無理を通してあの場に来たんだろう。だとすれば、ヴァレンタインが決闘を見学するのは絶望的だ。まだ可能性があるのは、ロミオに愛の試練を課しているロザライン。
「ジュリエットの幸せに協力するんで、マキューシオの幸せにも協力してくれませんか?」
まあ、断るメリットは、正直、ない。ないが、返事を、渋るのには、理由がある。
「その前に聞きたいんだが、ジュリエットの幸せ、で何を考えた?」
「え?そりゃあ、相手が誰かにもよりますけど、結局二人は死によってしか結ばれることはないと気づくエンドですけど?」
お巡りさん!!!こいつです!!!!メリバをハッピーエンドと騙る異常者です!!!!
「マッッジでふざけんなよお前ジュリエットは生きて幸せになるんだ死なないんだよ死なせないんだよ素敵な旦那さん捕まえて娘と息子を立派に育てて孫にも恵まれて家族に見守られながら笑って死んでいくんだよいいかわかったか二度とそんな妄想口にすんじゃねえぞそれが約束できるなら協力してやるできねえなら今すぐ大声上げてお前を蜂の巣にしてやるからないいかわかったかわかったと言え」
「わ…わぁ…わかりました。ここで性癖の話してもしょうがないですし」
よし、これでいい。ヴァレンタインがどこまで自由に動けるのか未知数だが、パリスの近くで動向を探ってくれるのは普通にありがたい。パリスも一応、ジュリエットを幸せにしてくれるかもしれない一人だから、知らないところで死なれるのは困る。
「マキューシオの幸せについてなんですけど」
あ、そうか。こいつの考えも聞いとかないと。
「ロミオに殺させてください」
?
「先輩…その目、やばいです。美人なお姉さんに蔑んだ視線向けられるとか、マジ、ありがとうございます」
おかしいのは俺の耳かと思ったが違ったらしい。いやむしろ俺の耳が悪くあれよ。この変態はこの期に及んで何を言っているんだ。頭おかしいんじゃないか。いや元々おかしかったか。何だ、まさかこいつは親友の手にかかって殺されるマキューシオが見たいとか言い出すんじゃないか。
「いやぁ、親友に殺されて一生拭えない罪悪感植え付けるマキューシオ、見たくないですか?」
「全然」
へらへらしやがって。つまり、あれか、マキオが決闘に巻き込まれるのは確定だから、その過程を変えろ、と?難易度がクソ高くないか?ロミオに?マキオを?殺させる?
「原作の死に方も嫌いじゃないんですよ。でも、やっぱり親友に殺された方がロマンがあるっていうか。グッときません?」
「こない」
っていうかそれ、ロザラインにどうこうできなくないか?早川は殺陣が出来るから何か考えがあるんだろうが、俺にいきなり小難しい芸当をやれと言われても出来ないぞ。むしろ巻き込まれて死ぬ。
「あ、先輩は見てるだけで大丈夫です。俺、ものすごく兄想いの弟なので、決闘にももちろん着いて行って、あとは自分で何とかしますんで。ジュリエットのフォローでもしてあげてください」
あっ、そう。なんかもう、そこまで用意周到なら好きにすればいいと思う。ジュリエットに関わらなければ何でもいいや。マキオはどうせ、今日死ぬ予定だったし。退場の過程とタイミングが多少ズレても、大筋には関わらない、はず。うん、君子危うきに近寄らずって言うし。
「ところで、先輩」
何だ、まだ何かあるのか。
「一発、殴ってくれません?」
聞くより先に手が出ていた。思わず力を込めすぎてすごくいい音が鳴った。当然、俺の手も痛い。
…ん?痛い?
「あ…痛い」
「痛い…な」
「先輩も痛いですよね?」
「痛い」
「じゃあ、やっぱりこれ、夢じゃないんだ」
眩暈がする。視界が歪む。景色が、色が混ざり合い、頭が痛くなる。何だ、この、ジェットコースターに乗った後みたいな気持ち悪さは。
「先輩、そんなにショックでした?」
「お前…ここに来る前のこと、何か覚えてないか?」
早川が目をぱちくりさせる。本当、腹立つほど可愛い顔してんな。現実でもこいつ、顔は良いんだよな。ずっと黙ってればいいのに。
「んー…舞台稽古期間中だったのは覚えてるんですけど」
そう、そこまでは俺も覚えている。文化祭の公演、3年生引退後の初舞台。『ロミオとジュリエット』の稽古をしていた。俺がジュリエットで、早川がロミオ。授業中でも稽古のことを考えるほどだった。忘れるはずがない。
「え、てか夢じゃないってことは本物の先輩?」
「そう言うお前も本物の早川だろうな」
「良かったぁ。あまりにも完成度が高くて自分が嫌になるとこでした」
もう一回引っぱたいてやろうか、こいつ。
しかし、これが夢じゃないなら、一体何だ?あと、何で早川と一緒にこんなことになってるんだ?
「あれじゃないですか、ほら、今流行りの転生ってやつ」
「そうなると、俺とお前は死んだことになるが?」
「うわ、嫌ですね。没日が先輩と同じとか」
俺だって嫌だわ。
「まあ、この状況が変わるわけじゃないですし、今は考えなくても良いんじゃないですか?あと、そろそろ帰らないとさすがにバレそうなんで」
それもそうか。
軽く打ち合わせを終えると、早川は縄梯子を降りて闇に消えていった。なんだかとんでもないことが起きているような気がするが、考えても解決するわけじゃなさそうなのは確かだ。
「ロザライン…?」
ジュリエットが起きてきた。眠い目をこすってる。可愛い。癒し。
「ごめんなさい、起こしてしまったかしら?」
「誰かとお話していたの?」
「いえ…」
これが夢じゃないのなら、ジュリエットも俺の妄想なんかじゃなく、ちゃんと意思があるということ。ヴァレンタインが来ていたことがバレるのもマズいし、話題を変えるか。
「ねえ、ジュリエット。私、あなたに幸せになってもらいたいの」
急にこんなことを言ったら怪しまれるか?いや、驚いてはいるけど、大丈夫そうだ。
「パリスさんとの結婚は、あなたにとって幸せ?」
目を伏せるジュリエットの横顔に月明かりが差し込む。ナイスタイミング。いい仕事するな。写真に収めたい。絵画でもいい。でもどっちも俺は持ってない。悔しい。
「…私、何度も言っているの。結婚は嫌ですって。ねえ、お父様とお母様には内緒にしてちょうだいね、ロザライン。パリスさんと結婚するくらいなら、私、ロミオと結婚するわ」
ああ。その台詞が、ここで出てきてしまうのか。ジュリエットの中ではどう足掻いても、パリスよりロミオの方がマシらしい。
となると、ロミオとティボルトの決闘は少し、いやかなりマズい。公式に場が設けられているとはいえ、決闘が起きた時点で両家の溝はさらに深まる。和解どころの話じゃない。下手したら全面戦争になる。何か、どちらにしろ早川の願いだけは成就しそうなのがさらに嫌だ。
「ごめんなさい、こんなこと言って。あなたを困らせるだけなのに」
「そんなことないわ!」
思わず、ジュリエットの両手を握る。指先が冷えている。え、手ちっちゃ。いや、ロザラインの手も小っちゃいけど。可愛い。この手にナイフも毒薬も握らせてたまるか。そもそも、現実の俺たちよりも年下の少女が、家の存続をかけて結婚させられるなんておかしな話だ。時代がどうとかそういう問題があるとしても、許されていいことじゃないはずだ。
「ねえ、ジュリエット。あなたの幸せを教えて。あなたのためなら、私、何でも出来る気がするの」
ジュリエットの瞳は、小さな星空のように輝いている。やばい、ロミオの癖が移ったか?いやでも、本当に綺麗な瞳だ。見ていると吸い込まれそうになる。
「私…恋がしたいわ。キャピュレットも、モンタギューも関係のない、どこか違う、静かな場所で。そこではね、小鳥の歌を聞いて、お日様の光に抱かれて、広い芝生の上を駆け回るの。裸足でよ!そして誰も、怒ったりしないの。お食事の時も、好きなものを、好きなように食べるのよ。おやつの前に野苺をつまみ食いしてもいいの。家には愛しい人が待っていて、優しく、おかえり、って微笑んでくれるわ。笑わないで聞いてくれる?その人とはね、とっても素敵な出会いをして、お互いに一目で好きになって、その日のうちに契りを交わすの」
そうか。
ロミオは、ジュリエットの理想の相手だったのか。
世間知らずで箱入りで、大事に大事に育てられてきたジュリエットにとって、外の世界から突然現れたロミオは、どれほど魅力的に見えたことだろう。そりゃあ、同じ世界の中で生きているパリスや、従兄弟のティボルトと一緒にいた方が、長い目で見れば幸せのはずだ。でもそれは外の世界を知ってる大人だから言えることで、年端も行かない少女が外への憧れを捨てられないのは当然だし、恋がしたい、なんて、素敵な夢じゃないか。そんなんめちゃくちゃ応援する。応援させて。
「それでね…そこに、気の合うお友達がいてくれたら、もっと幸せになれると思うわ」
見られてる。ばっちり見られてる。ジュリエットはどうしても、ロザラインと一緒にいたいらしい。それが何気に一番の難関になってる。いや、もちろん俺はジュリエットと一緒にいられるなら夢から覚めなくても全然問題ないんだが、いや、夢じゃないんだっけ?まあ、何にせよ家族もいるし、稽古も途中だしで、未練がないかと言われたら、嘘になる。遅かれ早かれ、俺はこの世界からいなくなる。その後に関わることは、大袈裟かもしれないけど、あんまり無責任なことはしたくない。ロザライン本人にも悪いし。
「…なんてね。ごめんなさい、困らせてしまって」
そんな目で見ないでほしい。まるで俺が悪いみたいじゃないか。いや多分俺が悪いんだけど。俺が悪いです。優柔不断な俺のせいですね、はい。ここですっぱり未練を断ち切れるなら、俺は演劇なんてやってないんだって。まあ、演劇やってても、脚本がないと気の利いた台詞の一つも言えないような男なんだけど。こればっかりは、ロミオの方が何十倍も上手だ。
「きっと、話せばわかっていただけるはずよ。おじさまも、おばさまも、ジュリエットを愛しているから」
結局、ありきたりなことしか言えない。ジュリエットを笑顔にできない。悔しい。本音を言えば、ロミオでもパリスでもなく、ジュリエットを笑顔にするのは
「…そう、そうね。これがお父様と、お母様の愛」
何が出来るだろう。
「『…何が出来なくとも、まだ死ぬことだけは出来るわ』」
「え?」
ジュリエットは目を丸くしてこっちを見ている。
いや、多分、もっと良い方法はあるんだろう。ジュリエットが両親を頑張って説得するとか、そういう安全なやつ。でも、それよりも確実に、ジュリエットを自由の身にしてあげる方法が、この世界にはある。少なくとも、俺は知ってる。正直、怖い。し、成功する確率も100%じゃない。でも。
「ジュリエット。自由になりたい?」
悪魔の問いかけみたいだ。でも、俺はジュリエットの魂なんて取らないし、代償も必要ない。必要なのは、そう、俺が一歩踏み出す勇気。
「自由に…なりたい。なりたいわ」
さて、役者の本領発揮だ。忙しくなる。まあ、任せろ。演技は、特に悲劇のヒロイン役は、俺の十八番なんだ。一世一代の大芝居、というやつを、こんな可愛い子のためにうつなら、案外悪くないだろ。
転生したらロザラインだった件~ロミオは私がいただきます~ 卯月チヌ @sassa0726
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