第2話 宣誓と牽制
カラーフィルムを貼り合わせて作ったステンドグラスは、ホリゾントから照らされて十二分な効果を発揮する。白紙の聖書を片手に彼は祝福の言葉を紡ぐ。
「願わくは、神もこの聖なる式に微笑みを送りたまえ」
簡易的なヴェールに彼は恭しく手をかける。参列者のいない些末な挙式であっても、今の二人にはそれで十分すぎるほどの幸福であり、その奇跡を噛みしめながら目の前の相手を真っ直ぐに見つめる。
「この嬉しい逢瀬、夢のようなこの幸福を、どうかあなたの声で歌いだしてください」
「…ロザライン?」
隣に座ってる美少女が心配そうに俺を見てる。こんな知り合いいたっけ…あ、いや違うわ。ジュリエットだ。ということは、まだ俺はロザラインなのか。随分長い夢だな。幸せだから全く問題ないけど。
そうそう、昨日の夜、ジュリエットと一夜を共に過ごして、そのままこうして礼拝も一緒に行くことになったんだっけ。原作では、ジュリエットがロミオに使いをやって、自室で返事をずっと待っているはずなのだが、まあ、ちょうどロレンス神父に聞きたいこともあったし、ちょうど良いか。
「…神の祝福があらんことを。アーメン」
ロレンス神父は胸の前で厳かに十字架を切った。キリスト教なんて触れる機会が滅多になかったけど、こうしてみると何だか本当に神様がいるような気がしてくる。あれだ、修学旅行で奈良のお寺に行ったとき、お坊さんからなんだかよくわからないけどありがたいお言葉を聞いたときと同じ感覚。
「相変わらず熱心ね、ロザライン」
ただ余計なことを考えていただけなのだが、ジュリエットには真面目に神父様の話を聞いているように見えたらしい。ちなみに神父様の話は1mmも聞いてなかったので全く覚えてない。最後にアーメンって言ってたことしかわからない。っていうかアーメンってどういう意味?
「神父様!」
教会のドアが勢いよく開かれ、昨日散々聞いた覚えのある声が響いた。
「ああ、これこそ神の思し召しだ!我が女神と再び相まみえることができるなんて!」
うわぁ、ロミオは今日も絶好調だなぁ。すかさず、ジュリエットが腕を組んできた。心なしか昨日よりぴったり密着してる気がする。そしてロレンス神父は…ロレンス神父も顔が良いな。さっきまでは特に気にしてなかったけど、イケオジって感じの、渋めの良い顔だ。白髪なのがさらに良い。そんな整った顔も、今は顰められているんだが。
「おはよう、ロザライン。朝露の煌めきが君に祝福を与えますように」
「ご機嫌よう、羽虫さん。朝日は夜行性の虫には眩しいのではなくって?」
手の甲に飽きることなくキスを試みるロミオを、ジュリエットが華麗に叩き落とす。二人の間には変わらず火花がバチバチと散っている。もはや実体を持って見えてくるんじゃないかってレベルで。
「神の御前で争いは禁物だ。ご両人、これはまた奇異な縁をお持ちのようだが」
ロレンス神父が間に入ってくれた。正直助かる。こういうのは結局、常識のある中立の立場の大人が取り仕切るのが一番いい。それがロレンス神父なのは、うん、個人的にはちょっと不安だけども。とはいえ作中でロレンス神父以外に頼れる大人って、あとはヴェローナ太守くらいしか思いつかないし、仕方がないか。
「神父様、この憐れなロミオ、いや、今はこの名をも捨てる覚悟の、ただ一人の恋に焦がれる憐れな男の願いをどうか聞き届けていただけますか」
「ふむ…」
「あら、神父様のお手をお借りするなんて、あなたのロザラインへの想いはその程度でしたのね」
「まさか。愛しい人にいただいたものは、例え我らが神その人であっても渡すものか。僕は神父様に、ロザラインとの結婚、その見届け人になっていただけるよう頼みに来たのさ」
「まあ、なんて気がお早いこと」
ロレンス神父がこっちを見てきた。やめてください。そんな困った顔で見られても困ります。この状況で一番困ってるのは俺なんですから。
ロレンス神父と無言のやり取りをしている間も、ロミオとジュリエットは白熱した議論を繰り広げている。言葉遣いや口調は丁寧なのに、なぜこうも殺意が見え透いているんだろう。二人が刃物を持ってたらお互いの首に切っ先を突きつけて会話するんじゃないか?
「愛する人のためなら、僕は恋の翼で月へも飛んでいく。そこに求めるものがあるならね」
「遠くばかり見つめて、一番大切なものを見落としていることに気がつかないのは可哀想だわ」
「一つ、勘違いをしているようだけれどね、僕は君のことも君以上に愛しているんだ」
ん、この台詞。確か、ロミオがティボルトとの決闘を諫めるときの。あれ、ってことはロミオ、この口論を決闘だと思ってる?
ジュリエットは…うわぁ、ゴキブリか腐った生ごみでも見るような目でロミオを見てる。うん…その表情もアリだな。そのまま罵倒されたいという欲が、全くないと言ったらまあ、嘘になる。
「ロザラインを愛するのだから当然だろう?それが例え憎きキャピュレットであろうとも、彼女の一部を愛さない理由なんてない」
「…随分広い心をお持ちなのね。昨日仰っていたことが嘘ではないと、よくわかりましてよ」
お、ジュリエットもさすがに折れたか。あんな台詞を恥ずかしげもなくさらっと言ってみせるのだから、ロミオは本物なのだろう。何が本物なのかは置いといて。
それよりロレンス神父が意味ありげな顔をしている方が気になる。全く何の説明もしてないけど、さすがに今どういう状況かはわかってきてるはず。ジュリエットではなくロザラインになってるけど、話の展開はほぼ原作通りだから、ここでロレンス神父が考えることは…。
「よろしい。ロミオ、その願いは神の名のもとに聞き届けられよう。もしかすると、両家の怨恨を心からの親しみに変えられるやもしれぬ」
ですよね!知ってた!ロレンス神父がロミオに協力するのは、二人の婚約をきっかけに、長きに渡る両家の争いを止められるかもしれないと思ったからだ。相手がロザラインであっても、キャピュレットとモンタギューという対立構造は変わってない。いやでも、今回はここで即挙式ってわけじゃないから、時間的余裕はまだあるはず。ロミオとの結婚は、ジュリエットのロミオに対するヘイトをもう少し何とかしてからの方がいい。絶対にいい。それに俺自身、今こいつと結婚するのはなんか、ちょっとやだ。
「ああ、神父様、神に誓って、今の言葉は本当ですね?」
「試練を乗り越えた先にこそ、真実の幸せが巡るもの。その試練について口出しは出来ずとも、叶えられた暁には必ず、神の祝福を授けよう」
「ああ、ああ!今日という日に感謝を!僕も神に誓いましょう、ロザライン、必ず君を迎えに行くと!」
今度はジュリエットの妨害を躱し、ロミオが手の甲にキスをしてきた。よく見ると今日のロミオは、靴や衣服が土埃で少し汚れている。まさかとは思うけど、夜通しで妖精の羽根を探していたのか?根は真面目なタイプなのか?こんな、歩く詩集みたいなやつなのに?
「…神父様、私も一つ、誓いを立ててもよろしいかしら?」
「何かね?」
ジュリエットが、真っ直ぐに見つめてくる。あまりに青くて吸い込まれそうな瞳。そして顔が良い。
「もしも彼が試練を乗り越えられなかったら、私がロミオと結婚するわ」
!?
「いいわよね、ロザライン?」
…こういうのを蠱惑的っていうんだろうな。すごい悪い顔なんだけど目が離せない。いやそんなことを考えてる場合じゃない!ジュリエットは何を考えているんだ?あれか、バチバチに見えて実はやっぱりロミオに一目惚れしてたのか?それとも妖精の羽根を健気に探すロミオに絆された?雨の日に捨て猫を拾うヤンキー現象?それとも…。
「あなたが身をもって、両家の問題を解決しようとしてくれているんだもの。彼の努力が至らないせいで、あなたの清い心がけが無に帰るのなんて、あんまりだわ」
あ、あー、なるほど?つまり、ジュリエットはあくまでもロザラインの心がけを尊重して、ロミオと結婚すると。ここまでのロザラインの言動が全て『両家のため』だと、ロレンス神父の言葉でそう思ったのか。だから、万が一ロミオが妖精の羽根を見つけられなかった場合でも、ロザラインの努力が無駄にならないように、ジュリエットが両家の橋掛かりになると、そういうことか。なんだ、焦った。変なルートに突入したのかと思った。
いやでも、それはちょっと、まずいんじゃないか?
「ジュリエット…あなたがそこまでする必要はないわ」
動機は違うが、ロミオと結婚すること自体が目的になってしまうのは、上手く言えないが、良くない気がする。このジュリエット、目的のためなら手段を選ばない傾向がちょっとあるからなぁ。毒とか喜んで飲んじゃいそうだしナイフも躊躇いなく刺しちゃいそう。それはいけない。ジュリエット死亡なんて耐えられない。俺が。
「神の御前で嘘は吐けないわ。ロザライン、あなたの手助けがしたいの。お願い」
その『お願い』は反則だろ!!あざとい可愛い許す。もしそうなったら俺が何とか頑張って、ジュリエットを死なせなければいいだけだ!
「その誓いは叶うことがないだろうね。なぜならこの恋の翼がある限り、どんな塀が立ちはだかろうとも僕は軽々と超えることができる」
「その翼が蝋で出来ていないことを祈っているわ」
なんだか原作よりもハードモードになってるような気がしないでもないが、まあ、いいか。
この後は確か、何が起きるんだっけ。原作とは主にジュリエットの行動が異なっているから、時間軸がどこにあるのか少しわかりづらいが、要は二日目の午後だ。本来なら、ロミオとジュリエットが結婚を誓っている頃。その前後のイベントがそのまま起きているとするなら…まずい。
「お待ちになって、ロミオ様」
思わず、ロミオを呼び止めてしまった。ロミオの満面の笑みが非常に腹立たしいが、このままロミオが教会を出てしまうのは困る。
「僕を呼んだかい?女神?」
外には恐らくマキオとベン、それとティボルトがいるはずだ。その三人とロミオがエンカウントすれば、決闘になり、マキオとティボルトが死ぬ。そしてロミオは追放され、心身を病んだジュリエットとパリスの縁談が進む。つまり良いことが一つもない!パリスとジュリエットのルートも避けたいところだし!
とはいえ、どうしよう、いつまでもロミオを留めておくことはできないし、ロミオを一人で外に出すわけにもいかないし。と、いうことは、一人で外に出なければいいのか?
「その…あなたが本当にお一人で試練に挑むのか、見極めさせていただいても構わない?」
「なんだ、そんなこと!もちろん、君に誓って!君の疑いを晴らせるまで、存分に僕の隣で見張っていておくれ」
いやそれはそれで問題がありそうなものだが、まあ、いい。とりあえず、あの三人と出会うまでだ。
ジュリエットの不服そうな顔は、一旦、一旦ね、見ないふりをさせてもらって。
「おい、こんな往来で言い合いをするな。話があるならどこか物陰で」
「目が何のためについてるか知ってるか?見たいものを存分に見るためさ!見たい奴らは勝手に見てりゃいい。俺は人の目を気にして引っ込むなんて御免だね。そこのティボルトがどう思うかは知らないが」
わあ、もう始まってる。そして早速、ロミオがティボルトにロックオンされたっぽい。
「マキューシオ、貴様とは仲直りしてやる。俺の相手が来た」
ティボルトはロミオと、その後ろの俺たちにも気がついたらしい。マキオとベンも少し驚いたように目を見開いてる。彼らも紳士の端くれなら、女性が見ている中で血生臭いことはしない、はず。え、しないよな?信じてるぞ。俺はグロに耐性がないんだ。
「ロミオ、俺は貴様が大嫌いだ。貴様ほどの大悪党は、金輪際、一切お目にかかることは出来ないだろうな!」
「それが、ティボルト、僕の方には君を愛さなければならない理由があるんだ」
ロミオがわざとらしくこちらに視線を送る。乙女ゲームのイベントスチルでありそうな構図だな。ロミオの顔が良いから余計にそう見える。
「今日のところは失礼させてもらうよ。それにほら、女性の前であんまり物騒なことをするもんじゃない」
「やれやれ、ロミオは女神に魂まで捧げたのか?お前がやらないってんなら、俺が代わりに相手になってやる」
「よせ、マキューシオ」
ロミオ陣営の方は、ベンがマキオを押さえてくれているから何とかなりそうだが、問題はティボルトの方か。
「ハッ、モンダギューの子息がとんだ腑抜けだとは思わなかった!女性を盾に、尻尾を巻いて逃げるとはな!」
「ティボルト!」
ジュリエットの美声が響く。結構デカい声出せるんだな。ギャップって良いよな。
「お父様にも言われたはずよ、飛び回る羽虫なんて放っておきなさい」
「うるさくて敵わないから、成敗してやろうと言うんじゃないか!それとも何か、君がそこの羽虫を大人しくしてくれるとでも?」
「羽虫の命なんてたかが知れてるでしょう。わざわざ手を下すまでもないわ」
悪意の籠った言い回しはキャピュレットの家系だからなのか?ティボルトの怒りは収まらなそうだが、剣を抜く気はなくなったようだった。これでひとまず安心、か?
「女性に守られてるのはお前の方じゃないか、ティボルト!さっきまでの威勢はどうした?井の中の蛙だと知られるのが怖くなったのか?仲良しの従姉妹が見てるんだもんな、無様は見せられないだろうさ!」
「マキューシオ!よせったら!」
マキオ!!ほんと、余計なことを!!
「どうやら本当に痛い目を見ないとわからないらしいな、その小さい頭では!」
「ティボルト!」
誰か大人の人呼んできて!!ティボルトは剣に手をかけて臨戦態勢になっちゃったし、マキオに至ってはもう剣を抜いてる!こいつら倫理観とか世間体とかはないのか!?ないんだろうな!女性の前なら野蛮なことはしないだろうって、甘く見てた俺が悪かった!どうする、走ってロレンス神父でも呼んでくるか?それとも大声で助けを叫んだ方がいいか?何か、何か役に立ちそうなものはないか!?目の前にはロミオ、隣にはジュリエット。ロミオは剣を携えているけど…ああ、やばい、ついにティボルトも剣を抜いた!
「ベンヴォーリオ!剣を抜け!二人を止めるんだ!」
ロミオが叫ぶ。ダメだ、ベンでは二人を止められない。ロミオがこちらを背に立ってくれているのが唯一の救いだ。今のうちに、ロミオが飛び出す前に何とかして二人から剣を手放させないとマキオが死ぬ。でも、どうやって?殴り合いの喧嘩すらしたことがないのに、武器を持った相手を何とかできるものなのか?こんなことなら剣道とか柔道とか殺陣の経験もしておくべきだった。
激しくぶつかり合う金属音。耳障りな音に頭が痛くなってくる。思考が鈍る。ダメだ、考えろ。アドリブは十八番のはずだろ。
「兄上!」
…兄上?ロミオたちよりも少し幼い声が、ティボルトとマキオの動きを止めた。
「…ついてくるなとあれほど言ったのに、俺はお前の親鳥じゃないぞ、ヴァレンタイン」
そう、呆れたような、いつもより少し優しい口調で言ったのは、マキオだ。え、こいつ弟いたんだ。
「この騒ぎが太守の耳に入らなくて良かったですね、ご両人。見たところ怪我人もいないようですし」
ヴァレンタイン、と呼ばれた方の隣に、明らかに身分の高そうな男がいる。
「ちぇっ、お前の入れ知恵か、パリス」
マキオが、そう苦々しく呟き剣を収めた。
パリス。ジュリエットの婚約者で、ヴェローナ太守の親戚。マキオも太守の縁者のはずだから、二人は面識があるのか。いや、そんなことよりも、だ。なぜ、この二人がここにいる?本来なら絶対にいるはずのない二人。パリスとジュリエットが正式に出会うのはこの後のはずで、ヴァレンタインに至っては、どこで名前が出ていたのかもわからない、ロザライン以上に影の薄いキャラクターのはず。
「何、私はただ、婚約者に一目会おうと足を運んだまでです。ついでに心配性な君の弟の世話を焼いたに過ぎません」
ティボルトも渋々だが剣を収めてくれた。人も集まってきてしまったし、さすがに分が悪いと思ったのだろう。
っていうか、ヴェローナには顔の良い男と女しかいないのか?パリスは原作だとジュリエットに『蛙の方がマシ』という酷い言われようをされていたが、普通に儚げな美青年だし、マキオとベンとティボルトもそれなりに整った顔立ちだし、ヴァレンタインも、そういう趣味の人が見たら発狂するんじゃないかと思うくらい可愛らしい美少年だ。それともこれは俺も知らない俺の深層心理がそういう世界を作ってるのか?
「お嬢様、私の妻になるべきお方、どうかこのような場所で最初のご挨拶をすることを許していただきたい」
「ええ、本当に。でも、この場を収めていただいたことには感謝しています」
手の甲にキスするのは紳士の嗜みなのか?ジュリエットはちょっと嫌そうにしながらも、ロミオの時のようにあからさまに避けることはしなかった。パリスのことは好きじゃないけど、家のために仕方なく、ってところだろうか。
「私としては、あなたの心の準備が整うまで、いつまでも待ち続ける決心がついています。遅かれ早かれ、来るべき運命は変わりませんから。その日を楽しみに今日を生きることが喜びなのです」
「そういうのは人目を忍んで申し上げる方が、価値のある言葉になりませんこと?」
「これは失礼、乙女の恥じらいを慮るべきでした」
ジュリエットのこの微笑みは、あれだ、もうお前と話すことはないからさっさとこの場からいなくなれって顔だ。ここの関係値は今のところ原作と同じか。
「さあ、騒ぎはお終いだ。これ以上の言いがかりは、この私に対してのものだと受け取ろう」
パリスの一声で、人々は蜘蛛の子を散らすように去って行った。ティボルトもいない。残ったのは、パリスにロミオとマキオとベン、それからヴァレンタイン。当然、ジュリエットとロザラインも残っている。
「冷めた冷めた、興醒めだ。この暑い季節じゃちょうどいいが、今度はお前に対しての怒りで頭が沸騰するとこだ。よりによってヴァレンタインを連れてくるとは、どうやら相当俺を縛りたいと見た。鎖か?縄か?それとも心を縛るのがお望みか?え?どうなんだ?」
「兄上、市街での私闘は」
「わかってる!ただあのティボルト、あの野郎が喧嘩を大安売りするもんだからわざわざ買ってやっただけのこと。売られてもないようなものは、俺だって手に入れようがない、そうだろ?」
「さあね。俺には、お互いに喧嘩を売りつけてるように見えたが」
マキオは不機嫌さを隠さずにずっと文句を言っている。よくもまあ、あれだけの語彙がすらすら出てくるものだ。ほんのちょっとだけ羨ましい。ベンはよくマキオと一緒にいられるな。壊れたラジオがずっと隣で鳴り続けてるようなものだ。俺だったらきっと半日も持たずに捨ててる。ベンはうるさくても寝れるタイプなのかもしれない。
「僕はてっきり、君は婚約者の味方をすると思っていたが」
「無論、ただ、まだ私は彼女の王子様ではないですからね」
「そう、まだ、彼女は誰のものでもない。何にも縛られず、花から花へと目移りする蝶は、自由だからこそ美しく価値がある。しかし誰か他の人の手に渡る可能性もある」
「誰よりも早く捕まえればいいだけの話ですよ」
何だか物騒な話をしている気がするがまあ、聞かなかったことにして。ロミオの追放という大きなイベントはなくなったが、この先は一体どうなるのだろう?当然、ジュリエットが仮死状態になる必要はなくなったわけだし、墓場でロミオとパリスが決闘する必要もなくなった。いや、その前に、ティボルトがロミオに送り付けた果たし状のイベントがあるか。
ティボルトは何も、ただの嫌がらせで言いがかりをつけたわけじゃなく、正式に、モンタギュー家のロミオに対して決闘を申し込む手紙を出していたはず。ここで出会ってしまったから、あんな悲惨な結果になってしまっただけで、然るべき場所で、然るべき立会いの下で決闘が果たされるのなら、違う結末を迎えられるのかもしれない。確証はないからなるべく起きてほしくないけど。
「兄上が失礼いたしました、麗しいお嬢様方。怖い思いをされていないといいのですが」
やだ、何この子可愛い。この年でもう紳士の片鱗が見えてる。いや何才か知らないんだけど。頭一つ分小さい目線から、純真無垢な瞳でこっちを見られると、何だろう、新しい扉を開けてしまいそうな気がする。
「お初にお目にかかります、ヴァレンタインと申します。兄上に代わって、お詫び申し上げます」
この子本当にマキオの弟?めちゃくちゃ良い子じゃん。会って数分だけど好感度がもう爆上がりしてる。そういうゲームだったら真っ先に攻略対象にしたい。ただ今回に限っては、ヴァレンタインと結婚するともれなくマキオもついてくるので、このルートは選択肢にはないのだが。いやでも案外ありなのか?マキオがああ見えて意外と一途なタイプだったら、望みがあるような、ないような。いやない。解釈違いです。
「小さき紳士に先を越されてしまうとは。私からもお詫びします。愛しい姫君」
パリスを目の前にした途端、ジュリエットが全自動微笑みマシーンになってしまった。あんな対応をされてなお積極的に話しかけに行けるなんて心臓が超合金で出来てるんだ、きっと。
「お喋りはマキューシオから学んだらしいね?僕を差し置いて女神と話そうだなんて」
パリスに絡まれてるジュリエットを憐れんでる場合じゃなかった。すっかり忘れてたけど厄介なのはロミオも同じだ。年下相手に揃いも揃って恥とか外聞とかは、あったらこうなってないか、うん。
「女神…ロミオ様の、ですか?」
「まだ、誰のものでもない女神さ。だからといって、誰かに渡すつもりはないけどね。ロザラインの隣の特等席は、僕の予約で埋まってる」
「ロザライン、様」
ヴァレンタインと目が合う。なんだろう、初対面のはずなのに懐かしいような、見慣れてるような、むしろ腹立たしいような、奇妙な既視感がある。なぜだろう。どこかで彼を見た?キャピュレット家の晩餐会にいたのか?それともマキオと顔立ちが似ているからそう感じるだけか?
いや…違うな。俺はこの演技を知っているんだ。
「どうかなさいましたか?」
「…いいえ。あなたによく似た人のことを、思い出していましたの」
夢にまでこんな演技をする人物を登場させなくてもいいのに。いや、これを演技だとわかってしまった俺が疲れすぎてるだけか。最近はバイトも休ませてもらってたから、起きてる間はずっと稽古してるような状態だった。しかも普段の生活の中でも台詞を覚えたり食べ物に気を付けたりもしていたから、軽くノイローゼ気味になってたのかもしれない。おかしいな、まだまだ余裕だと思ってたんだけど、自分でも気がつかないうちに無理してたのかもしれない。夢でも気づけて良かった。起きた時に忘れてなきゃいいけど。
「あなたの記憶の片隅に置いていただけること、嬉しく思います」
とはいえ、だ。ヴァレンタインは一体何を隠しているんだ?日常生活でも人は少なからず演技をして過ごすものだと思ってはいるが、ヴァレンタインは何と言うか、度が過ぎてる気がする。それこそ、何かの役に徹してるかのように。
気になる。めちゃくちゃ気になる。その化けの皮を剥いでやりたい。演技でコッテコテに固めた殻をぶち破ってやりたい。完全無欠な演技をする役者にはそれが一番効くんだから。とはいえ、俺も「ロザライン」から外れた言動をするわけにはいかないから、この思いは胸の奥に押し込んでおくんだけど。それに、ヴァレンタインがもともと芝居がかった言動をするやつなのかもしれないし。至近距離で少女漫画のイケメン枠に言われるような台詞を聞いているせいで、俺の感覚がおかしくなってるだけかもしれないし。原作にほとんど書かれてないせいで、何が正しいのかわからないな。
ヴァレンタインも例に漏れず、その年にして洗練された仕草でキスをしてきた。
…ん?手に何か、紙みたいな、そういうものが触れた?
「以後、お見知りおきを。ロザライン様」
これは、何だ、まさかまた新たなフラグが立ったのか!?脇役同士のラブストーリーが始まるのか!?誰得!?
マキオとベンとロミオとヴァレンタイン、あとパリスは一通り挨拶やら痴話喧嘩やらを終えて、それぞれ帰って行った。微笑みが張り付いていたジュリエットは、大きく息を吐き出した。
「私たちも行きましょう、ロザライン。何だか疲れてしまったわ」
「ええ、そうね」
ジュリエットの視線を避けながら、手に握らされたものを盗み見る。
『今夜、あなたに会いに行きます』
…え。
いや、待ってくれ。
内容はいい、どうせそんなことだろうと思っていた。問題は、
「ロザライン?どうかしたの?」
「い…いえ?何でも」
ジュリエットから咄嗟に紙を隠す。気づかれては、いない、か。
もう一度、紙を見る。…まあ、とにかく、夜になればわかるだろ。蛇が出るか、鬼が出るか。夢だとわかっていても、予想外の展開は少し、いやかなりわくわくする。果たしてジュリエットにバレず外に出ることができるのかは、一旦置いといて。
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