【春・8『指先ほどで十分だった』】

 果たして彼女は墓前に跪いていた。

 出会ったあの日と何も変わらない、

 場所も雰囲気も佇まいも、その全てがやり直しになってしまったかのように、あの日と全く変わりない。

 しかし唯一異なったのは空の色だった。

 今にも泣きだしそうな、色の無い曇り空を背に初芽さんは立ち上がる。

「サボりですか」

 ゆっくりと振り向いた彼女の表情は

 何の感情も込めずに描かれた絵画のようで、魂を刳り貫いた花のようで

 逡巡の必要もなく理解した。嗚呼。俺はまた間違えたのだ。

 しかし問題があるとするならば身をもって学んでしまったこと。

 そして、この線が今際の際で在るかもしれないというのに、石の棒になったこの脚が退いてはくれないということ。

 退くことを恐れるくせに、前に進むこともしたくない。

 そして言い訳し続けたこと。向き合おうとしなかったこと。

 それでどれだけ後悔したかなんて、数えきれないということ。

「励一さん」

 粉雪の幻覚が降りしきる。

 震えで返事もできやしない。

「励一さん」

 立派な名前だ。俺には勿体ない程に。

「凍っちゃいました?」

「生きてますよ」

 しかし名など、自分の意など何の価値も持ちはしない。

 ただ問題は、見せかけで作り物のロウの翼で人は飛べるか否かという点に、ただ只管に集光してゆくのだから。

「よかったぁ」

 目を細め無邪気に、或いは無感情に笑う。

「ねえ、えらいえらい、お医者の先生」

 違う。

 俺は医者なんかじゃない。ただの見習いだ。

「えらくて頭のいい、大人の先生」

 ちがう。

 俺はただの大人になり切れないこどもで、

 何かを踏みつけないと道を見つけられなくて、人の背中を追いかけないと歩けなくて、ただ願望だけは跳んだって届かないくらい高いのに、行動で叶えることができない。無力で無気力で無為で、無駄で。

 今ここでごめんなさいと謝ったら、どうなるのだろう?

 俺は、きっとあなたが思っていてくれているほど、十分な人間ではないのです、と。

 土を噛み額を汚し、唾と言葉を、こんこんと地に吸わせれば。

 ──何処まで行っても逃げ道ばかり探していて、何時まで経っても足が生えない。

「私の懺悔を聴いてくださいませんか?」

 嗚呼しかし、そんな無益な妄想を幾度枯れ葉のように重ねようとも

「俺で良ければ」

 踏みしめるべき盤石なる現実はそこにある。

 両手を組み合わせ、まるで神に祈るように

 涙を流すこともできなくなった孤独な人を、そんな人を少しでも減らしたくて

 俺はここに立っている


 はずなんだよ




【春・9『憂目に遭う』】

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