第八話 約束した(下)

 ちゃんと考えるというのはどういうことだろう。

 ラズリルを恋愛対象にして、最終的に抱ける、ということだろうか。


 確かにラズリルは男性か女性かの比べだったら、幼さを残すので女性的に思える。

 あの長いまつ毛に、白い肌、大きめな瞳とアクアマリン、小さな顔は昔のままに見える。


 まさしくレゼンが「結婚」を申し込んでしまった時と変わらないような。

 ぶんぶんと顔を振った。

 ラズリルは男だ。

 ならキスは何故受け入れてしまっているのだろう?


「レゼン? 大丈夫ですか?」

 キャト・リューズが心配そうにレゼンの顔を覗き込む。

「いや、いや、大丈夫です! やっぱり疲れたのかもしれません」

「今日はゆっくりお風呂に入って休みなさい」

 ラズリルのことは気にしなくていいですよ、口にして笑った。


 当の人はロンダルギアに切々にと怒られいる。

「そうします」

 と、言いつつもラズリルは、ちゃんと仕事をしてレゼンのベッドに潜り込んでくるだろう。

 そこまで予想ができて小さく笑う。


 食事も終わり、各々が挨拶をして去っていく頃、ラズリルが世界の終わりを告げられたような顔をしてレゼンの横に並ぶ。

「どうだったんだ?」

「僕の私兵たち全員再教育みたいになった」

 瞳は遠く、ラズリルの私兵たちはロンダルギアの精鋭兵に扱かれることだろう。それは仕えているラズリルに私怨がくるかとおもうと、


「くくっ」

「笑い事じゃないってば!」

 しょうがないだろう。レゼンの為だと言え、私怨で敵国に忍び込ませて情報を手に入れていたのだ。それがどんなに危険なことか。


「レゼンへのやつ、ちゃんと綺麗にして提出しなきゃ」

うう、うう、とラズリルは唸りながら、ふらふらと歩いている。


「……レゼン、ちゅーして」

「仕事がんばれよ、ほら」


 そんなわがままを無くすかのよう、前方からラズリルの私兵がやってきて「どういうことですかー!」と叫んでる「わたしたち死んじゃいますよ!」と言っていう。

「うわーん!」

 レゼンに縋るラズリルをポイっと嘆きの兵士たちに渡し、自室に戻って行った。


 戻ってから胸元に手紙がないのを気づいてラズリルの部屋に置いてきてしまったことに真っ赤になる。

 あの時のレゼンは少し浮かれていた。

 喜んでいたのか?


 疑問は消えないが、今からラズリルの部屋に行くには地獄だろう。なら明日でいいかと思い、上着を脱いだ。

 レゼンの身体はラズリルよりは鍛えた気持ちはあるので、とてもしっかりした肉付きにはなっているはずだ。

 兄のバウンドに比べてしまうと言葉を失うけれども。

 剣も魔術の魔法もそれなりに勉強した。

 足手纏いにも、もしハルタ国の王座についたらあと三歩近づかれても殺されることはあるまい。


 明日には、ラズリルを連れて行けたらリーヴ兄上に会いに行こうと決め、レゼンは風呂に向かうと水の魔核と熱の魔核を入れた玉に力を込めてお湯を出し、一日の疲れを流していく。キャト・リューズの言うとおり目まぐるしい日だった。


 感情が一気に溢れ出てる。

 レゼンの中にあんな熱があったのも自分で驚いた。ラズリルに対しても、まだ親愛でいたい気持ちが強い。いや、それ以上になるのはおかしいと、まだ思える。


 黒髪が茶に光り、瞳の黒がシャワーを受け止め、一日を終わらせる為にルーティンの本をじっくりと読み、半分くらい読んでからだった。

 身体の時計が朝を迎えたといった時に、ふんわりと石鹸の匂いがして「ああ」と思う。


 しかし、暗幕は垂れていなかった。

 普通の日差しが入り、ラズリルの髪を光らせる。

「うう」

 と、唸るラズリルには、ちょっとした隈があって、朝までがんばったのか、とレゼン自ら枕元の暗幕を垂らす。


 そうすると、もぞもぞと動きラズリルの身体はレゼンを探す。

 あと五分だけこうしておこうと、レゼンはベッドに入り直してラズリルに腕枕をすると、少しの微睡に身をまかした。


 と、本当に五分だけで起きてラズリルを無慈悲に起こす。

「もうこれだけだぞ、ラズリル」

「さっきは寝てくれたのにぃ」


 ラズリルは少し起きてたらしい。そう文句を言いつつも起きるのは、自分の勝手でハルタ国での事を進めたからだ。

 ロンダルギアに頼めば、いくらでも調べられただろうに、自分で調べるとはレゼンはため息をつきながらも嬉しいという気持ちはある。


「ねむいぃ」

 いつものように起こして着替えさせ、そして「はいってもよろしいでしょうか」という言葉が聞こえて「どうぞ」と返す。

 いつものようにロプレトが居て安心する。

 顔を洗い、ラズリルの顔も拭き「ほら、いくぞ」と引っ張った。


「きのぉ、がんばったんだよぉ」

 行きの道すがら、己の功績を訴えるラズリルだが「知っている」とレゼンは返すだけだ。本当は、もうちょっと褒めてやろうかと思ったが止めた。

 また「キスして」とか言われたら、使用人の目もあるのにラズリルは「関係ない」と言うだろう。もう我慢はしなくなったのだから。


「ほら、ついたぞ」

 昨日と同じ、ロンダルギアがいてキャト・リューズの隣にレゼンが、ロンダルギアの隣にラズリルが。

 各々座って、

「こんにちも穂が揺れ、生きるものたちが尊ばれ、心は民と共に、手と足に感謝致します。我らはシャリュトリュースのために」

「シャリュトリュースのために」と唱える。


 他の民が行っているかは分からないが、レゼンがここに来てからは、ずっと続いている習慣だ。

 穏やかで土と労働があり、血と肉と家畜たち、民に寄り添い、手と足があるからこそ軍靴の音が聞こえない静かな時を感謝する。それは自分たちのためではなく、あまねく全てを、この国を為に我らが支えます。


 レゼンはそう教えてもらった。

 どれ一つとっても世に必要なものなのだ、と。

 最初の頃は分からなかったが、年月が重なると、その思いも分かってくる。

 下街の人たちに笑っていてほしい、自分にできることならなんだってしたい。

 それができる立場であるなら、笑顔の為になんだってしよう。


 ふいとラズリルを見たら、食事の時は、すぐに起きるはずなのに今日は流石に無理らしい。

 ロンダルギアもキャト・リューズも分かっているので何も言わないが、レゼンが、

「ちゃんと起きないと服が汚れるぞ」

 ぱっとラズリルが起きた。

 汚し常習犯はロプレトが怖いのである。


「今日はどこかに行くのですか?」

 キャト・リューズが、横にいるレゼンに聞くと「できればリーヴ兄上のところに」と答えた。

「何かあったのか?」

 今度は逆にロンダルギアが聞く。

「下街の、マリーさん、えっとご年配の方に」

「マリーなら知ってるわ。傭兵の頃の彼女も、今も目に浮かぶもの」

 と、キャト・リューズは笑った。


「はい、マリーさんに、あの洞穴について話したら、昔、誰か住んでたんじゃないか、と助言を貰いまして。それをリーヴ兄上に話せたら、と」


「はい! 僕も行きたい!」

 いつの間にか完食していたラズリルが目を輝かせて手を上げる。


「お前は、わしに書類を提出してからだ」

 ロンダルギアの言葉に、しょぼしょぼしていくのを笑い、

「一応、午前は、いつも通りの仕事をしてから午後の空いた時間に行こうかと。リーヴ兄上も起きているでしょうし」


 朝と夜が入れ替わっているリーヴには、ちょうどいい時間だ。

 好きなマドレーヌでも持っていけば、少しは話が出来るはず。


「そうですか。では、ラズリル、できることは」

「できます」


 よろしい、とキャト・リューズは頷いて、

「そろそろ各自、仕事をするか」

 ロンダルギアの言葉で席を立つ。

「レゼン、どんなにラズリルに縋られても手伝ってはならんぞ」

「承知しております」

 部屋を出ようとしたロンダルギアに釘を刺されてラズリルは魂が抜けたような顔をした。


 そんな姿にレゼンは、ふっと笑い、魂のない……

 魂のないなんだろう。いや、兄弟だ。思い出した。兄弟だ。

「……難しいな」

「そうだよ、難しいよ。僕が調べたの全部だよ。レゼンの愛のせいで、どんだけあると思っているのかなあ」


 そっちか、と笑って、隣を歩く。

 こういうこともなくなるのだろうか。

 今がとても安定しているから、変えたくないのはレゼン自身だ。


「レゼーン? どうかした」

「いや、大丈夫だ」

 変わってしまうのか?

 思ってしまったら、ぐるぐると頭の中で今と未来が交錯する。


「じゃ。あとでね。あっリーヴ兄さんのところいくなら言ってよ!」

「ああ」

 こんな遣り取りもなくなるのか?

 寂しがり屋だからベッドに入り込むのではなくて、情欲の為に入り込むのか?


 恋とはなんだろう。

 しっかり考えると言ったのに、レゼンの中は疑問でいっぱいだった。

 むしろ、不安になっていく。そういえばラズリルがレゼンの結婚式やらの妄想をしてしまうと言っていただろう。

 反対は、ラズリルが国王になり、王妃を迎えて、民から祝いが……。


「考えたこと、なかったな」

 そうだ、考えたことがなかった。

「ラズリル」


 名前を呼んだが、答える人は、もういない。

 俺は、今までがいいからラズリルを愛情以上で好きになろうとしてないのか?

 今の好きが失われるのが嫌で、強く「ダメだ」と言えないのか?

 レゼンは廊下の真ん中で、今までが今まで過ぎて、何か変わるとか「考えた」ことがなかった。


「俺は変わっていくのが嫌なのか?」

 ぽつりと言っても、それに答えてくれる人はいない。


 一番大切なものは「ここ」のはずなのに。

 レゼンは、心がどこかにいってしまったようになる。

 国に戻るとか大口を叩いておきながら、本当は……。

 誰もいないことをいいことに口から漏れ出す不安にレゼンは肩を震わせた。

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