第19話 火口小雪の調査

 遅番昼食会の後。私の話がきっかけで共有された「従業員に、幽霊が見えているかもしれない」という事件について。解決のためには、店長に話を聞く必要があるだろう。他に目撃情報がないかとか、店長はこの騒ぎについて知っているのか、とか。


 ひとまず、店長の元に向かうことを誰かに伝えなくてはと精肉の作業場に戻ると例の人がいた。ゴミ置き場で幽霊を見たらしい、幽霊話が大好きな堀口さん。彼は私が戻って来たことを一瞥して確認すると「おつかれ~」となんとも気の抜けた挨拶をした。この店でパートさんとして働き始めて長いらしいが、それをあまり感じさせない緩さを持っている人だ。


「早いね火口さん。まだ休憩時間じゃない? 今そんな忙しくないしまったりしとけば?」


「……お疲れ様です、堀口さん。すみません、一つお聞きしたいことがあるんですけど……以前、ゴミ置き場で幽霊を見たって話していらしゃったじゃないですか。それ以外にも似たようなことがあったりしました?」


 普段積極的に話さない私が変な質問をしてきたことに驚いたのか、レスポンスが遅かった。急かすように「どうですか」と聞くと、我に返ったように話し始める。


「あ、ああ。火口さんがそういう話に興味あったとは知らなかったから、驚いた。えーっとなんだっけ、似たようなこと? 俺はあれ以来幽霊を見てはいないけど……あ。鮮魚の仲いいやつが、更衣室で幽霊見たとか言ってたかな」


 鮮魚、更衣室。デジャヴを感じるワードである。名前を尋ねると「小倉っていうんだけど」とのこと。恐らく先ほど聞いた話と同じだろう。


「それはもう聞いたので大丈夫です。他には?」


「他? 他は特に……その小倉ってやつが、後輩ちゃんの様子が最近おかしいって言ってたくらいかな。いやこれは関係ないか」


 鮮魚の後輩。思い当たる人物が二人いるが、一人はつい先ほど会ったばかりだし様子がおかしかった記憶もない。だとするともう一人のほうだろう。そういえば最近会っていなかったな。


「漆畑まりさんですね」


「あーそうそうウルハタさん。そっか入った時期一緒くらいなんだっけ? 気になるなら小倉に聞いてみて。あでも小倉って言われてもわかんないか。あのー、でっかくて腹回りパンパンの熊みたいなやつだから。見ればわかると思うよ」


「……わかりました。ありがとうございます。お時間をいただいてしまってすみません」


「あ、もういいの? 怪談話が聞きたいなら話せるよ」


 まだ話足りなさそうな彼に付き合っている時間は残念ながらない。「……少し店長に用事があるので席を外します」と言って作業場を出ようとすると「はいよ~」と緩い返事が返ってきた。引き際はあっさりしている。ありがたい。


 作業場を後にして店長の元、事務所へと向かう前に一つ思い出した。そもそも高草木さんの調査結果次第では今後の動きが大きく変わる。自分の引き出しからスマホを取り出して見ると、すでに二件通知が来ていた。


 一件目、高草木さんより。内容は、例の日に残業していた従業員は小倉さん以外いないというもの。だとするとやっぱり更衣室の不審人物は幽霊で確定。


 二件目は、それに返事をした雨水さんのスタンプ。犬だ。「了解しました」と言っている柴犬のスタンプ。雨水さんは犬が好きなのだろうか。


 返事をする必要はないだろうと判断し既読だけをつけてスマホをしまい廊下に出ると、すぐそばにある加工食品の在庫が積まれたスペースの奥に見知った人物を見つけた。数分前にも話題に上がった彼女ではあるが、会うのは久しぶりである。思わずかけた声が弾んでいて、露骨すぎる自分の態度に若干の気恥ずかしさを覚える。


「まりさん!」


 びくり。大げさに体が跳ねていた。振り返った彼女の顔は、先ほど変な話を聞いたばかりだからだろうか、顔色が悪いような気がした。ポニーテールがさらりと揺れている。


「驚いた……小雪ちゃんか。お疲れ様」


「お疲れ様です、まりさん。お久しぶりですね」


「そうだね。最近忙しくてあんまり会う機会なかったかも」


 彼女——漆畑まりさんは、あはは、と変わらない笑顔で笑っていた。ここに入社した時、ほとんど同時期に入社した人だと紹介されて以来、仲良くさせてもらっている。休憩時間が被った時や廊下ですれ違った時などに話すことが多かったが、最近はお互いに余裕がないからなのか、話しかけるタイミングがなかった。


 とても真面目で働き者で有能で、後輩である雨水さんが入ることになった時も張り切っていた。あの時の彼女のキラキラした表情に比べると、やはり今の彼女は少し疲れているように見えた。そんな彼女の足を止めてしまうのを申し訳なく思いつつ、少しだけ話をさせてもらうことにする。彼女の体調不良の原因に幽霊が関わっているのなら、無視はできない。


「……まりさんは、最近どうですか。お忙しそうですが、その……何か変なことに巻き込まれたりはしませんでしたか。体調を崩したりだとか」


「え。……あはは、大丈夫だよ。いつも通り。体調は崩してないし、変な事とかも、なにも」


 そう笑う彼女の様子は確かにいつも通りに見えるが、やはり顔色が悪いような気がする。気のせいならそれでいいが、もし幽霊に悩まされているのなら話を聞きたい。少し遠回しに探りを入れてみようか。


「そうですか。それは、何よりです。……すみません、お時間を取らせてしまうことになるんですけど……少し困っていることがあって。お話、聞いていただけますか」


「え、うん。どうしたの?」


「その……私、最近変なものを見るというか……いきなりこんなことを言って気味が悪いと思うんですけど……なんと言えばいいのか、黒い化け物ですとか、あと……なんというか、生気のない人、その、幽霊みたいなものを見ることが、多くて」


 嘘は言っていない。正確には、私はその黒い化け物を見る前に気絶してしまうから見てはいないのだが。ちなみに幽霊に関しては、霊感のない人と同じように無意識に幽霊だと認識していないようで、日常でいきなり気絶をしたことはない。悪霊くらい異次元な見た目をしているとさすがに認識を逸らすことはできないらしくコロッと気絶してしまう。不便だ。


 それはさておき。漆畑さんも悪霊や幽霊に覚えがあるのならば何か話してくれるかもしれないし、幽霊の目撃証言を得られるかもしれない。怖がらずに話してほしいのだが。頭ではそんなことを考えつつ努めて暗い表情をつくりぽつりぽつりと話すと、ガッ、と勢いよく肩を掴まれた。


「え、っ」


「そ、それって、黒い影とか、あとなんか、変な声だけ聞こえたりとか、そういうやつ!?」


 まりさんが私の肩を勢いよく掴んでまくし立てるようにそう言った。かなり強い力で掴まれたため、思わず顔を歪めてしまう。「いっ……」私のその様子にまりさんは顔色をさらに悪くして慌てて手を離した。「ご、ごめん」


「い、いえ。大丈夫です。でもその様子、もしかしてまりさんも?」


 黒い影、というのは悪霊のことだろうか。声の正体は不明だが、悪霊が関わっている可能性が高いと言えるだろう。


 返事がない。顔をそっと覗き込んで、思わず息を呑んだ。先ほどまでは顔色が悪いような、と疑問に思う程度だったが、今の彼女の顔は一目見てわかるほど蒼白だった。店長に話を聞きに行こうと思っていたが今は彼女を優先するべきだろう。体調が悪そうなのも心配だ。


 何を言うべきか迷っていると、彼女は恐る恐る目線を合わせておもむろに口を開き、しかしそのまま口を閉じてしまった。へらりと笑って私から一歩距離を取るように後ろに下がる。


「ご、ごめんね。いきなり変なことして……その、ちょっとびっくりしちゃったから。怖いね、化け物とか……やっぱり幽霊なのかな? 変なことはされなかった? 一体なんなんだろうね」


「え、ええと……特に危害を加えられたわけではないので……正体は、私にもさっぱり。それよりもまりさんが見たのは——」


「そ、そっか。そうだよね。……あ、わ、私、急いでるから! ごめんね力になれなくて」


「え、まりさん!?」


 言い捨てるように言葉を残し、手を振りながら走り去っていってしまった。精肉作業場の横の廊下を抜け、売り場へと続く扉を開き足早に駆けていく。廊下は走らないでください、と言う暇もなかった。顔面蒼白な状態で売り場に向かって一体どうするのか。スイングドアのガラス越しに数秒だけ見えた姿から推測すると、どうやら奥の方へ向かって行ったようだ。


 向こうにあるのは出入口と、バックルームに繋がる扉くらいだが。向こう側のバックルームには階段と乱雑に備品が置かれた物置くらいしかないはず。一体どこへ?


 追いかけることもできず立ち尽くす。あの反応は確実にまりさんも幽霊を見たのだと思ったのだが、話してくれなかった。黒い影と、自分にしか聞こえない変な声。一人で抱えるにはあまりに心細いだろう。


「私は話すに値しなかったんでしょうか」


 幽霊を見たのだとしたら、尚更私に話してほしかった。いや、私たちが幽霊に関わる仕事をしていることなど彼女は知らないから仕方がない。話せなかったのだろう。少し落ち着く時間が欲しかったため、廊下の端に寄る。壁にもたれて目を伏せた。


 信頼し、理解し合える関係になるのは難しい。


 普段は全く思い出しもしない家族の顔が頭に浮かんで、思わず目を瞑る。あの人たちは私を憐れみ、私の努力を認めようともせずに迫害するだけだった。端から信頼関係を築けるような人たちではなかったんだ。まりさんは、不愛想な私とも親しくしてくれたし、対等に接してくれた。あの人たちとまりさんは違う。でも先ほどは明確な一線を引かれた。踏み込むなという拒絶の一線。


 ああ、大雪に会いたい。「タイミングが悪かっただけじゃねえのか」ってカラリとこの不安を流してほしい。今すぐ気絶できればいいのに。そんなことを思っていると本当に体がふらついた。


 高草木さんや雨水さんは、どうだろう。他の人たちよりも私の事情を知ってはいるがそれだけだ。やっぱり私は大雪がいないと駄目らしい。こんな些細なことでも心がぐらついて仕方がない。天使は、どうだろうな。いつもみたいにウザったく私を褒めるのだろう。私は褒められるような存在じゃない。彼女のほうがよほど立派で——


 そこまで考えて無理やり目を開いた。大雪に会いたいが、それでも、それよりも。まりさんが悪霊を見たのだとしたら、事態はかなり悪い。心臓を抑えて深呼吸をする。放置するわけにはいかない。彼女が悪霊に苦しめられているならば早く解決しなければ。こんなところでいじけているような人間が、天使の隣に立てるわけがない。


「……店長のところに、行かないと」


 店長がどこまで把握しているのかは知らないが、早急に対応しないといけない案件だ。胸の痛みは一旦忘れて、限りある時間でできることをしなければ。気合を入れ直し、事務所へと向かう。歩き始めると同時、加工食品の在庫置き場の奥、備品置き場から見慣れた長身を視界に捉えた。間違いない。高草木さんだ。受付での調査を終えて戻って来たのだろうか。


「あ、高草木さ……」


 声をかけようとしたが、彼は私に気が付かなかったのか足早に通りすぎ、二階に続く階段の方へと向かって行った。階段を登ったのではなく奥に消えたように見えたから、遅番倉庫にでも入ったのだろうか。この時間に、倉庫で何の用があるのだろう。疑問が頭によぎったが、寄り道をしている暇はない。早く店長に会わなければ。高草木さんと少し話をしたかったが仕方ない。後ろ髪引かれつつ、事務所に向かうために階段を登った。

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