ルーカス ①
サラお嬢様との衝撃の再会から数日の時が流れた。
エミリオとは、相変わらずぎこちない日々を過ごしている。
ただ、カオリに対しては愛情を注いでくれている。そのことが堪らなく嬉しい。
私はどんなことを言われても、耐えられる。だって、カオリの出自にやましいことなんて何もないもの。エミリオとの間に授かった大切な宝物だから。
だからこそ、カオリへの接し方が変わるのではないかと怖かった。そのことが何よりも心配だった。もし、エミリオが噂に惑わされて、カオリを突き放すようなことがあったら……?
実の父親から冷たくされたとしたら、カオリの幼い心は深く傷つく。どんなに時が経っても、心の傷は一生消えない。
エミリオ自身働きたくても働けないもどかしい気持ちを抱えている。
そのどうしようもない鬱々とした気持ちを、カオリと過ごすことで紛らわせようとしているだけなのかもしれない。
仮にそうだったとしても、カオリの心には父親と過ごした楽しい思い出として残っていく。
カオリもエミリオと一緒にいられるのが嬉しくて、ずっとまとわりついている。
そんな二人の姿を見て、自然と笑みがこぼれる。
私は二人の邪魔をしないように、そっと家を出た。
スカーフを頭からすっぽりとかぶると、口元も隠れるように覆う。誰にも気づかれないように、俯きがちに歩を進めた。
カオリが好奇の眼にさらされるのを危惧して、普段はなるべく引きこもっている。久々に外での一人の時間。
エミリオが耳にした噂よりも、さらにエスカレートしていると思う。
あの日、私がデボラさんと街中で言い合ったことによって……。
そのことについても、説明したいのだけれど、今の私達はとても話せる雰囲気ではない。
「はぁ……」
気分転換も兼ねて、食材の買い出しに行くつもりだったのに気が重い。
一人で考えたくて、自然と川辺へと足が向いていた。
昔から、落ち込んだ時などは無意識に川辺に来てしまう。
腰をおろすと水の流れる音を聞きながら、水面を眺めていた。
あぁ、そういえば以前もこんな風に眺めていたことがあったわ。あの時は、エミリオが来てくれたのよね。そして……。
もう、私達、無理なのかな……。
ふと、サラお嬢様のことが頭をよぎる。
この街を離れた方がいいのかもしれない。
エミリオは、カオリには変わらず優しく接してくれている。
あんな噂を聞かされて、父親の自信がないだなんて言っていたのにも関わらず。
エミリオは優しい。
でも、その優しさに甘えたままでいいのかな。
エミリオにとって、私はいない方がいいのかもしれない。
サラお嬢様が、簡単に引き下がるとは思えない。自分の願望の為には、手段を選ばない人。
私が側にいると、エミリオにも迷惑がかかる。これ以上巻き込みたくはない。
カオリを連れてどこか遠くへ行こうか。
死ぬ気で働いたら、親子二人でなんとか食べる物には困らない暮らしはできると思う。
ただ、働きに出ている間、カオリは一人で留守番することになる。
父を頼ってみようか?
いいえ、だめね、きっと父の元へ行くとすぐに見つかるわ。
どうしたらいいのか分からない。
八方塞がりだわ。
もう消えてしまいたい……
ふと物音が聞こえて、辺りを見回す。
すると、男性の蹲っている姿が目に入った。
どうしたのかしら?
しばらく見ていたけれど、一向に立ち上がるそぶりがない。
気分でも悪いのかもしれない。
様子を確認するために、うずくまった男性に駆け寄った。
「大丈夫ですか?どこか具合でも━━」
「いや、なんでもない」
この声は‼︎ まさか⁉︎
具合でも悪いのですかと尋ねようとしたけれど、最後まで言い切ることができなかった。その男性の声に、深く聞き覚えがあったから。
きっと、似た声なだけ。
彼なはずがない。
驚きのあまり、思わず動揺して後ずさる。
ダダダッと、逃げるように不自然に後退していた。
蹲る男性が怪訝な顔で見上げる。
パチリと男性と目が合った。
ルーカス!
危うく声に出そうになったところを、必死に堪える。
思わず口元のスカーフを握る
大丈夫、気づかれないはず。
顔はほとんどスカーフで隠しているから。
「リナ?ふっ、それで変装してるつもり?」
「なんでっ」
しまった……うっかり声に出してしまった。あわてて口を噤んでも、もう手遅れね。
「ちょっと、ルーカスひどい顔色!大丈夫?診療所へ行かなきゃ」
「なんでもない。ちょっと休めば治るから、気にしないで」
「そんなこと言われて、ほっとけるわけないじゃない」
とは言え、ルーカスを背負って運ぶことも出来ない。とりあえず、休ませないと。
様子を見るために、ルーカスの横に腰を下ろした。
しばらく見守っていると、少し顔色も良くなってきた。
「ルーカス……どこか悪いの?」
「別に」
「そっか」
ルーカスは、昔から弱音を吐いたりしないものね。
我慢強いから。
余計に心配になる。
そういえば、再会したあの時もやつれた様子だった。
気にかけてくれる人が、誰か傍にいてくれたらいいのだけれど。
私は無意識にルーカスの背中をさすっていた。
「リナ……なんでもないから」
そう言ってルーカスは、さする手を止めさせる。
「あっ、ごめん」
私は慌てて手を離し、立ちあがった。
自然とルーカスを見下ろす体勢になる。
座っているルーカスを、思わず抱きしめたい衝動に駆られる。
ごめん、ルーカス……。
側にいられなくて。
サラお嬢様から、聞いたわ。あなた達のこと、商会のこと。
ずっと、辛かったよね……。
いけない、この状況は良くない。
一緒にいるところを誰かに見られる前に、ここから立ち去ろう。
「ルーカス、ちゃんと医師に診てもらって。お願いだから。じゃあ、私、行くね、お大事に」
歩き出そうとした時に、スカートの裾に違和感を感じた。
ん?
なんだろうと視線を向けると、
ルーカスが遠慮がちにスカートを掴んでいた。
「ルーカス?」
「……」
私が呼びかけても、俯いたまま無言だった。
きっと無意識につかんだのだろう。
もしかしたら、自分の行動に驚いて、どうしたらいいのか分からず固まっているのかもしれない。
しばらくすると、「━━ごめん、なんでもない」とそっと手を離していた。
その言葉が信じられなかった。
ううん、きっと心のどこかで、ルーカスに引き留めて欲しかったから。
私がルーカスの一番の理解者だ、と妙な自信があるから。
なんでもないはずがない。
もう一度隣に腰をおろすことにした。
ルーカスが、とても辛そうだったから
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます