014 礼儀

 窓の外から、鳥のさえずりが聞こえる。

 こんな雪の中でも元気に飛び回ってる鳥が居るんだな。

 ……で。

 一晩中巻き付いていただろう腕は、体を起こしても全然離れない。

『おはよう、エル』

「おはよう」

『朝から溜め息なんて。どうしたの?』

『昨日もこうだったからねー』

『仲が良いじゃない』

 なんで、そうなるんだよ。

『ナターシャはぁ、エルが何してるか、わからないのぉ?』

『わからないわ』

 だめだ。

 全然取れない。

『抜け出そうとしてるんだ』

『えっ?』

『エルは非力だからねー』

『エルって、女の子より弱いの?』

 あんなに重い大剣を振り回せるなら、たいていの奴に勝てるだろ。

『どうするの?エル』

『大丈夫よぉ。エイダが引っ張ってくれるからぁ』

『そうですね。そろそろ手伝いましょうか』

「冗談じゃない」

 毎朝、ベッドから引きずり降ろされるのはごめんだ。

 ……諦めよう。

「リリー、起きろ」

「ん……」

 リリーの頭を撫でると、素直に俺から腕を離したリリーが目をこする。

 なんだ。

 思った以上に、あっさり解けた。

 こんなことなら、さっさと声をかけるんだった。

 ベッドから出てカーテンを開くと、眩しい朝日が部屋に入って来る。

 良い天気だ。

「ほら。集まれ」

 いつものように魔力を集中する。

 大地、闇、水、炎、光、冷気、大気、真空、天上と地上を繋ぐ、すべての元素。命。

 自然と世界とに同調する。呼吸を合わせて……。

 深く呼吸するたびに、魔力が体の隅々に行渡るのを感じる。

 そして……。

 あれ?

『どうかしました?』

「いや……」

 変だな。

 いつも通りにやってるはずなのに、魔力が膨れ上がる感じがしない。

 もう一度、意識を集中する。

 落ちついて。

 冷気に祝福された精霊の気配を感じる。そして、光の精霊。

 ……そうだ。この感覚。

 魔力が体に満ちて、溢れ出た魔力が精霊たちへと流れていく。精霊との繋がりを感じる、この感じ。

 ゆっくりと目を開く。

「おはよう、エル」

 リリーが微笑む。

 起きたのか。

「おはよう。リリー」

 良かった。

 もう泣いてない。

 

 ※

 

 朝の支度を終えると、リリーはシフを手伝うと言って出て行った。

 テーブルの上に見覚えのない包みがある。なんだっけ?

 ……ビスケットだ。城下街で買ったパンは昨日の内にシフに渡したけど、保存食として買ったビスケットはちゃんと分けておいたらしい。

 こういうところは、きちんとしてるんだよな。言えばちゃんと理解もする。

 ビスケットは水分も少なく組成の簡単な食べ物だから、圧縮収納袋に入れておける。

 ……あれ?これは何の本だっけ?

 タイトルは銀の棺。

 マリーから頼まれた本だ。どんな内容か知らないんだよな。古文書だって聞いてるけど……。

『リリーシアだ』

 もう戻ってきたのか。

 手伝いを断られたのかもしれない。

「おかえり」

「うん」

 返事をしながら、リリーがリュヌリアンを持って、温かい毛皮のマントを着る。

 ちょっと待て。

「どこに行くつもりだ?」

「外」

 答えになってない。

「俺も行く」

 剣なんて持ち出して、何しに行くつもりだ。

 

 ※

 

 防寒着を着て、リリーと一緒に外へ出る。

「冷たい」

 気持ち良さそうに深呼吸をした後、リリーが歩き出す。

 特に目的はなさそうだな。

 じっとして居られないタイプなんだろう。そして、愛剣は肌身離さず待っていないと気が済まないってところか。

 雪を踏みしめながら歩いていたリリーが立ち止まって宙を見上げる。

「うん」

『もう元気になったわ』

 ナターシャ?

 仲間の精霊でも居たのか?

 意識を集中して、自然の声に耳を傾ける。

『あれ?もう帰って来たの?』

『人間と契約したのに』

『これから出発なのよ』

『ふぅん』

 たぶん、昨日と同じ精霊だよな。

「リリー。ここに居るのは、昨日、雪山でリリーを助けてくれた精霊たちだ。ナターシャも、その一人だったんだよ」

 リリーが宙を見上げる。

「皆、助けてくれてありがとう」

『可愛い娘』

『命を大切にね』

「うん」

 人間に優しい精霊が居て良かった。

 精霊の助けがなければリリーの救出は難しかった。

「ナターシャも、ありがとう」

『良いのよ。おかげで、エルと契約できたんだもの』

「え?」

「ナターシャとは契約したばかりなんだよ」

「そうだったんだ」

 普通、契約に関する話なんて他人にはしないものなんだけど。

『リリー。どこに行くのさ』

 本当に、少し目を離すと、すぐに消えそうになる。

 リリーを追って家の裏手へ行くと、トールが薪割りをしていた。

 気付いたトールが振り返る。

「君たちか。おはよう」

「おはようございます」

「おはよう」

 形がばらばらの大量の木材が並んでいる。売りに出さない木材を暖炉用の薪に加工してるらしい。

「トールさんって、雪の精霊と仲が良いんですか?」

「山の精霊のことかい。姿は見えなくても、精霊の存在は感じているよ。君たちが助かったのも精霊のお導きだからね」

 不思議だよな。

 魔法使いの素質が無くても、自然と関わりの深い生活や仕事をしていれば、妖精や精霊の存在を感じられるようになるんだから。

「私、手伝います」

「君が?」

「はい。斧、借りても良いですか?」

「この斧は、かなり重いが……」

「大丈夫です」

 片手で軽々と斧を持ったリリーを見て、トールが驚いている。

「君は力持ちなんだね」

 あんなに小さいのに、どこにそんな力があるんだろうな。あんなに重い大剣を背負ってるのに。

「これを斬るんですよね」

 落ちていた木材を宙に放り投げたかと思うと、リリーが斧を振り回す。

「おぉ」

 切り刻まれた木材が薪となって地面に落ちた。

『リリー。散らかし過ぎ』

「あっ。……薪は、どこに置いたら良いですか?」

「あの壁に並べておいてくれると助かるよ」

 家の壁には、薪を積む為の棚がある。

「片付けは俺がやっておく。ほら、リリー」

 次の木材を投げると、リリーが斧を振り回す。良いサイズだ。

「薪割りは俺たちでやっておくから、トールは休んでてくれ」

「では、頼もうかな」

 木材を投げると、また、リリーが斧で斬る。

 面白いな。

 少し遠くに向かって投げた木材も、リリーが追いかけて行って刻んだ。少しずつ移動しながらやれば、落ちた薪を順番に片付けられそうだ。

「疲れたら言えよ」

「大丈夫」

 聞く相手を間違えた。

「イリス」

『心配しなくても大丈夫だよ。いつものことだから』

「いつものこと?」

『剣の鍛錬の一種だと思ってるんだよ』

 鍛錬か?これ。

 落下する木材を同じ大きさに斬り分け続けるのは、かなり難しそうだけど。

 木材を投げると、リリーがそれに向かって斧を振る。

 あ。

「リリー」

「何?」

「今のは小さ過ぎだ。これぐらいのサイズに合わせてくれ」

 あまり細か過ぎても薪に向かないだろう。

「剣でやっても良い?」

「良いよ」

 結果が同じなら何でやっても一緒だ。

 リリーが背中の大剣を抜いて構える。

 気迫が変わった。集中してるな。

 木材を投げると、リリーが大剣を振った。さっきより正確だ。

「すごいな」

「ありがとう」

 こんなに軽々と大剣を扱えるなんて。

 剣士としての腕がかなり高いのは間違いない。

『早く片付けないとぉ、終わらないんじゃなぁい?』

『そうだねー』

 確かに。

 これなら、斬るペースの方が早い。

「片付け、手伝った方が良い?」

「もう少し斬ってからで良いよ。ほら」

 木材を投げると、リリーが大剣を振り回す。

 ……見ていて飽きないな。

 

「お二人さん。朝ご飯が出来たよ」

 シフだ。

「おやまぁ。すごい量を斬ったね」

「すみません……」

 結局、木材のカットはあっという間に終わったものの、片付けは全然終わらなかった。

 謝るリリーに、シフが笑う。

「良いんだよ。薪はいくらあっても困らないから。むしろ、これだけやってくれて助かったよ。さぁ、お腹空いただろう。片付けは良いから、早くおいで」

 片付けは後でやるか。

「リリー、行くぞ」

「うん」

 

 ※

 

 昨日の残りを加工したとろみのあるスープに、パン。質素だけど、しっかり体を温めてくれるスープだ。

 リリーが昨日飲んでいたハーブ水ももらった。変わった味だな。この地域でしか取れないハーブを使っているのかもしれない。ほのかに感じる甘味も優しい味だ。

「世話になったな。他に手伝うことはないか?」

「私もお手伝いします」

「薪割りも手伝ってもらったし、充分だよ」

「そうだよ。これから出かけるんだから、少し休んでお行き」

「でも……」

「気にしなくて良いんだよ。また、気が向いたら村に遊びにおいで」

 これは、礼をしたくても何も受け取って貰えなさそうだな。

 閉鎖的な生活をしている集落が旅人を歓迎するのは珍しいことだ。けど、今朝の村の様子を見た限り、この村に若者が居る様子はない。外部との繋がりを保っているものの、限界集落なのは明らかだ。たまに来る旅人は貴重なんだろう。

「今日は天気が良いから、山道もそれほど危険はないだろう。でも、キルナ村を目指すなら午前中に出発した方が良い。出かける時は声をかけておくれ」

「はい」

「わかった」

 

 ※

 

 朝食を終えて、残りの薪の片付けも終えて、寝室に戻る。

 さて……。

 何を置いていくかな。

 シナモン、コリアンダー、カルダモン、カイエンヌ、セージ、ローズマリー、タイム……。

「エル、それは?」

「香辛料だよ。使ったら料理に深みや香りを与えるし、売っても高値で取引される」

 それぞれを個別の袋に入れていく。

「エルは、料理するの?」

「家に居る時はするよ」

 料理は嫌いじゃない。

「エルの家って、どこにあるの?」

「ラングリオンの王都だ」

「ラングリオン?」

 そういえば、言ってなかったっけ。

「確か、砂漠の国だよね?」

「砂漠はラングリオンの領地じゃない」

「そうなの?」

 オービュミル大陸の東。

 大陸一の面積を誇るラングリオン王国の東には、広大なオリエンス砂漠が広がっている。

「砂漠は、遊牧民の土地として独立してるんだ。……砂漠に入るには、ラングリオンの市民証や許可証が必要だけど」

 だから、実質、支配地域と言われても仕方がない関係ではある。砂漠に点在するオアシス都市や遊牧民の権利は保証されてるんだけど。

『リリー。それよりも、ラングリオンは有名なことがない?』

「有名なこと?」

 砂漠よりも、そっちの方が有名だろう。

「あ、騎士の国」

「そうだよ」

 グラシアルが魔法の国なら、ラングリオンは騎士の国だ。

「私、ラングリオンに行ってみたい」

 海路なら半月程度。目的地として丁度良いな。

「じゃあ、ポルトぺスタからペルラ港に向かって、船でラングリオンまで行くか」

「船で?」

「乗りたいって言ってただろ?北方大陸航路って言って、グラシアルのペルラ港、ディラッシュのニヨルド港、ティルフィグンのジャヌス港、ラングリオンの北の港は定期航路になってるんだ」

 大陸の北側に位置する四国の港を繋ぐ一般人でも利用できる航路だ。

「あれ?ラングリオンの港って、北の港って名前だったっけ?」

「正式な名前はオーブ港。でも、王都の北にあるから、皆、北の港って呼んでるんだ」

「そうなんだ」

 正式名よりも通称で呼ばれることが多いのはどこも同じだろう。

 グラシアルの王都だって、ライラと呼ばれることは少ない印象だ。ラングリオンの王都だってそう。

「でも、まずはポルトぺスタだ。キルナ村近辺には賊が占拠してる古い城があるから気を付けて進むぞ」

「賊をやっつけに行くの?」

 なんで、そうなるんだ。

「行くわけないだろ。なんで、頼まれてもいない仕事をしなくちゃいけないんだよ」

「だって、悪い人とか亜精霊をやっつけるのも、冒険者の仕事なんだよね?」

 俺が冒険者だって言ったっけ?

「冒険者は、ギルドで依頼を受けてから仕事をするんだよ。ギルドを通さない頼み事なんて引き受けない。だいたい、賊の討伐なんて騎士団の仕事だろ。なんで俺が……」

『エル。それってぇ……』

「言うな」

 なんか、巻き込まれそうな予感がするんだよな……。

『じゃあ、賭けをしましょうか』

「やめろ」

 余計に巻き込まれそうな気がしてきた。

 リリーを追ってる連中の件もあるのに、これ以上、抱えてられない。

「賭けって?」

『エルはぁ。賭けに弱いのよぅ』

 弱いわけじゃない。

「リリー。準備は整ったか?」

「うん」

「なら、出発するぞ」

 荷物を持って、マントを羽織る。

「その香辛料は?」

「宿代の代わりに置いていくんだよ」

 香辛料なら、そのまま使っても良いし、売っても良い。

 保存がきくものだから、邪魔にはならないだろう。

「そっか。そういうお礼の仕方もあるんだね」

「礼儀だよ。世話になったからな」

 リリーを助けてもらった上に、泊めてもらって食事や風呂の世話までしてもらったんだ。普通の宿以上のもてなしを受けたなら、相応の礼が必要だ。

 

 

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