乙女たちの話
めぐのまま
高校の時、正直いうと真面目な生徒ではなかった。
カバンの中にはいつも、コードレスのヘアアイロンやぱんぱんになったメイクポーチ、チューブ型のネイルオイル、ロールタイプの香水、コンビニで見つけた可愛いパケのグミが溢れてたし、スマホケースだって裏にプリクラ入れて、マスコットとか、かわいいキーホルダーでじゃらじゃら。スカートは折って履くのが当たり前。再燃したルーズソックスブームに乗っかって足元をだぼだぼにして着崩したり、グレージュっぽい茶髪に染めたり、駅前の居酒屋でバイトしたりしていた。
校則なんて守ったことない。生徒指導室に呼ばれて形だけ注意されたことはあるけど、先生たちに本気でやめろなんて言われたことなかった。なぜって、私は成績も悪くないし、愛嬌だってある。たまにそれが軽くみられて、下半身に脳みそついてるような男たちから告白されたりもしたけど、高校時代は結局誰一人と付き合ったことはない。
しかし、好きになった人はいた。
その人は、地味で、ダサくて、いかにもオタク君って感じで、正直三年になるまで存在すら把握していなかった。彼の周りにはいつもオタク仲間っぽい子たちが群がっていて、その中では人気者らしく、笑いが絶えなかった記憶がある。でも私とは完全に住む世界が違くて興味がなかったし、あちらだって私たちの世界に興味なんてなかった。
それなのになぜ、あの子を気になり始めたのかと記憶を辿れば、全然大したきっかけじゃなかった気がする。
優等生ではなくても、ノリのいい生徒として教師たちに認識されていた私は、その日、教室に持って行く教材を馴染みの教師に頼まれて一人で運んでいた。
持てないことはないけど、女一人の力じゃ少しきついくらいの重さのそれは、階段を登るたびに崩れ落ちそうになる。あの教師、体良く私を使いやがってとか、いっそのこと全部廊下にぶちまけてやろうかなとか考えながら、また一段、また一段と上がって行くと、上から誰かが降りてきたのがわかった。私が教材からひょっこり顔を出して見やると、それが彼だった。
相変わらずヒョロくて、なんかよくわかんないけど挙動不審で、長い前髪で表情は見えないけど、なんとなく彼が気まずそうな顔でこっちを見ているのが私にはわかった。
邪魔だから早く退いてくれないかな、と思った私が、彼に「ねえ、」と言いかけた時、今度は彼が口を開いて少しだけ震えた声で「あの、持とうか?」と言った。
「え?」
私はまさかそんなこと言われるなんて思わなくて、そしてあのオタク君の声が思っていたよりもずっと低くて、彼の挙動には似合わない昔の洋画とかに出てくる俳優のような感じだと思わなくて、とても驚いたのを覚えている。
「……これ、もってくれんの」
私がちょっとぶっきらぼうに言うと、彼はさらに目を泳がせて「う、うん」といまだに震えた声でそう言った。
「ふーん。じゃ、教室までお願い」
彼が広げた腕の中に教材をどさっと落とせば、思ったより重かったのか「う、わ!」と軽い悲鳴みたいなものをあげる。
私はそのまま彼に荷物を任せてひと足先に帰ろうかと思ったが、体を前のめりにして階段を登り始める彼の姿を見たら、なんだか気まぐれが起こって、その重々しい隣を歩くことにしたのだった。
「重いでしょ」
「まあ、うん……」
「普通こんな重いの女子に運ばせなくない? あの教師、たまにそう言うことしてくるからまじムカつく」
「……でも、断んないんだね」
断ればいいのに、と彼は教材の上に顎を乗せてこれから上がって行く階段を見た。さっきよりも緊張が抜けてきたのか、その横顔は少しだけリラックスしていて、案外まつ毛が長かった。
「そう言うの断れないタイプなの」
「へえ」
「……今日、あんたと初めて話した」
「え? ああ、そうだね……」
「地味なやつだとは思ってたけど、やっぱ地味だね。前髪長すぎ」
「あ、これは……」
彼はおそらく片手で前髪を撫でようとして、腕に抱える荷物に気づき、手を止めた。毛先の隙間からチラチラ見える瞳は下を向いていて、彼をちょっと傷つけたことに私は気づいた。
「……島崎さんは、キラキラしてるね。俺とは大違い……」
「そりゃそうでしょ。キラキラ見えるようにしてんだもん」
「そっか……」
「うん」
それ以上会話が続くことはなくて、私はやっぱり先に帰るべきだったと後悔した。
気まぐれを起こして後悔することはよくあるけど、何を考えてるかわからない彼との気まずさは格別で、今すぐ逃げ出してしまいたくなる。
それが行動に現れてきたのか、なんとなく足早になる私の後ろで、荷物を抱えた彼はコツコツと硬い踵を鳴らしながら慎重に階段を登ってくる。
「努力してるんだね」
ぽつんと彼がそう言った。私は思わず
「え?」と聞き返した。
「俺、キラキラしてる人は元々キラキラしてるんだと思ってた。努力してるから、島崎さんはキラキラしてんだね」
口の中で喋っているようなもごもごした言葉は、しかし、最初の時よりかしっかりした声で日差しみたいに真っ直ぐだった。
あの後、私が彼になんて返したかよく覚えていないが、このことが彼を意識するきっかけだったように思う。
とはいえ、私たちは住む世界が違ったし、別にそれからよく話すようになっただとか、仲良くしたりだとかはなかった。でも、自然と彼を目で追うようになって、その度に彼の良いところに気づくようにはなった。
なんとなく猫背のイメージがあったのに本当は姿勢が良いとか、合唱の練習の時には誰より真剣に歌っている(しかも上手い)とか、友達と喋ってる時に見せる笑顔がちょっと可愛いとか、一口は大きいのに綺麗な箸使いでお弁当を食べるとか。
そんな些細な部分を知っていくうち、気づけば私は彼を好きになっていて、自分でも訳がわからなくて困った。朝、たまたま下駄箱で顔を合わせて「おはよう」と挨拶されるだけで胸が泡立った。下校が被った日は決定的だった。部活が長引いて急いで学校からバイトに向かおうとすると、その道中に彼がいた。声をかけてみるとどうやら電車通学をしているようで、私と同じ駅に向かおうとしているらしかった。
彼は前よりも短くなった前髪をサラサラと揺らして私を見た。彼と目が合うのは初めてだった。
「バイト?」
「そう」
「俺と喋ってていいの?」
「だめだよ。でも、いたから」
「だから声かけてくれたんだ」
図星をさされて、私は思わず、耳を熱くした。急いで巻きの緩くなった長い髪を顔の周りにかき集めるけれども、もしかしたら彼には気づかれているかもしれないと思うと、その足掻きは無駄なことのようにも感じた。
「もう、行かなきゃ。遅れる」
「あ、引き止めてごめん」
「んや、別に」
何が別にだ、と照れ隠しする自分に内心叫びながら私は歩幅を大きくした。少し駆け足になると、背負ったカバンが重力で浮き上がって背中に何度も打ちつける。でもそれは、不思議なことに軽やかだ。
「あの、今度は俺からも話しかけていいッ?」
彼が急に背後からそう声を上げて、驚きに立ち止まりそうになる。しかし私はそれをグッと堪えて、振り返らず、同じように声を張り上げてこう言った。
「いいよっ!」
◆
彼はその日から私に声をかけてくれるようになった。とは言っても、それは私が一人でいる時に限る。当然のことだ。そもそも私は彼から見たらいわゆる『ギャル』であろうし、その友達ももれなく『ギャル』なのだから、人見知りな彼にとってギャルの巣窟とも呼べる場所に出向き、声を掛けるなんて芸当はできるはずがないのである。
しかし、私はそれがよかった。だって独り占めできる。取り合うような人はいないけれど、彼の良さをわかってるのは自分だけと思っている私がいるように、もしかしたら他に同じような考えの子がいたっておかしくない。そう思うほどに、私は彼が好きだった。
ある日、部活終わりに忘れ物を取りに教室へ戻ると、誰もいないはずのそこには彼がいた。聞くと、日誌を書いて提出するのを忘れていたと言う。その日、彼は日直だった。
「真面目だね〜。そんなの適当に書けばいいのに」
「俺は島崎さんみたいに要領良くないから、ちゃんと書かないとこば先に突き返されんの」
「ああ。あの人もさーちょっとくらい多めに見てくれたっていいじゃんね。毎日書くこと大して変わんないんだからさ」
私は教室に入ると、彼の座っていた前の席へ、彼と向き合うように腰掛けた。彼の顔がよく見える。
「島崎さん、帰らないの?」
「里中見送ってから帰る」
「暗くなっちゃうよ」
「なら頑張って書いてよ」
初めて会話した時よりもこ気味よく喋れるようになったことが心地いい。きっと里中が私と言う人間に慣れたからだろう。彼と会話するたびに、他の女子とは一生スムーズに喋れないでいて欲しいとさえ思う。
「なんで俺、こんな感じなんだろうな」
「なにが」
「挙動不審なキモオタって話。一緒に駄弁ってる仲間は全然違うのに、俺は一人でそんな感じなんだ。ギークなら頭は良いんじゃないかって思われがちだけど、別にそんなこともないし」
相変わらず自分に対しての評価が異様に低い里中だが、私にとっては正直そんなことわからなかった。彼がいつもつるんでいる友達は、キモいとは思わずとも私には彼と違わぬ挙動不審なオタクに見えたし、そもそもそういう人たちだからと気にしたことがない。けれども彼には重大な事柄らしく、珍しく思い詰めたような顔をしているのが気になった。
「頭は悪くないでしょ別に。不器用だけど」
「そう、かな……」
「急になに? 誰かに言われた?」
椅子の背もたれに肘をついて頬杖しながら里中を見下ろせば、「いや、そういうんじゃない」と彼は言う。
「……なんていうか、俺、幼馴染がいるんだけど」
「……、うん」
「そいつのこと、ずっと憧れてて。ヒーローみたいな人だからさ。俺、そいつといる時気後れしちゃって、隣にいてもいいのかなって、俺じゃだめだよなって、思っちゃって」
私は彼から飛び出た『幼馴染』と言う言葉にわずかに放心した。男かも女かもわからないその人は、しかし、彼にとってとても大切な人なのだろうとその口ぶりからわかった。
私が何も返事しないことに気まずさを感じたのか、里中は「ごめん、今の忘れて」と無理して笑う。その笑い方もやっぱり不器用で、私はこんな顔させたい訳じゃなかったのになと思う。
「里中はオタクで、その幼馴染はヒーロー。それはどうやったって変わんないよ」
その言葉に彼は「……うん」と表情を変えずに浅く頷いた。合わない視線が、彼の自信のなさを示していた。
「……でも、そのままでいいんだよ。里中はそのままでも十分、素敵なひと」
言った瞬間顔が熱くなるかと思ったのに、存外私は冷静だった。反対に、言われた方の里中が顔を赤くしながら上目遣いでこっちを見てくるのがなんだか可愛かった。
「人は変わらないよ。でも、もっと自分の良さ引き出したいなら、あたしがメイクしたげよっか」
ろくに勉強道具の入っていないカバンから、私はパンパンに膨れたメイクポーチを取り出した。
夏は日の入りが遅くて、窓からはまだあおい透明な光が差している。
「い、いいの?」
「いいよ。あたしがあんたをもっと素敵にしてあげる」
私は里中の正面の席から、隣の席へ移動して彼をこっちに向かせた。里中はヒョロイけど、手足が長くて、肩幅がしっかりしてて、やっぱり男の子なんだと思った。
彼の前髪をクリップで止め、私はポーチの中からクレンジングシートを取り出すと、まず最初に顔についた埃などを拭き取る。それから、スキンケア効果のある緩いテクスチャーの下地を薄く里中の顔に塗り広げていくけど、手がわずかに震えているのが自分でもわかって、彼にバレてないと良いなと思いながら頬に丁寧に指を滑らせる。
骨格がしっかりしているのにどことなく里中の顔が女性的な雰囲気も感じられるのは、肌が白くて、まつ毛が長いからだろうか。きつと日焼け止めなんて塗らないほど無頓着なはずなのに、私より綺麗な肌が少しムカついた。
「幼馴染と仲良いんだね」
私は使い倒してパケの汚れたコンシーラーの筆を取り、里中の印象的な青クマに色を置いて行く。
「うん。家が近所なんだ」
嬉しそうに口を漏らす彼に胸が切なくなる。
里中は私だけが知ってたはずなのになあ、と思いながら「そっか」と返す声が揺れた。
スポンジでコンシーラーを馴染ませる間にも、里中が言うんだから素敵な人なんだろうな、とか、でもその人より私の方が里中のこと好きな自信あるよ、だとか、いろいろな考えが頭の中を巡って行く。
「島崎さんは幼馴染とかいるの」
コスデコの粒子の細かい柔らかなパウダーをはたいていると里中がそう聞いてくる。
「いないよ。だから、里中の話聞いてちょっと羨ましい」
粉を乗せると彼の肌はさらに目の細かい、透明感のある肌になって、それだけで十分な美人に見える。余分な粉をブラシではらいながら、「ねえ、その幼馴染の話、もっと聞かせて」と言うと、いつになく楽しそうな顔をして話し始める彼は、私の知らない里中に見えた。
「たくみって言ってさ。三個上の大学生なんだけど、なんでもできる奴なんだよ。だから俺、いつも後ろついて歩いて、遊んでもらってたなあ」
私は座っていた椅子を近づけて、「目瞑って」と彼に言った。メイクに必要な動作だとはいえ、好きだと言う感情を隠しもしない里中の瞳を見ていられない気持ちも確かにあった言葉だった。それなのに彼はそんなことにも気づかないで、素直に目を閉じるから、このままキスでもかましてやりたくなる。
香水臭くないかな、とか、指が震えてないかな、とか考えてる自分が馬鹿みたいだ。
「好きなんだね。その人のこと」
「べ、別にそう言うんじゃないけど……!」
「嘘つけ。顔に書いてある」
「ぅえ……」
「わかりやすいねー。里中ってほんと」
里中の顎に手を添えて、アイパレットからベースの色と少し濃い色を筆に取り、アイホールと下瞼へ順番に優しく広げていく。彼の耳が赤くなっているのが見えて、ああ、本当に好きなんだなぁ、と泣きたくなった。
「好きって言っちゃえば」
なぜかそんな言葉が口をついて出てきて、何言ってんだあたし、とすぐ我に帰る。
余計なお世話だし、そもそもなんで敵に塩を送るようなことを勧めているのだ。でも冷静に考えたら、何処かで、彼が幼馴染に振られるのを期待しているのかもしれない。
里中は薄目を開いて言った。
「無駄だよ。男同士だ」
そのやけに諦観した口ぶりに、私は妙に腹が立って、「バカだね。里中はバカだよ」と思わず言い返した。
「あんたが好きになった人が、あんたを酷い振り方すると思ってるわけ?」
こっちを好きになってくれる可能性なんて一ミリもないのに、二の足を踏んでいる里中に怒りが滲む。
幼馴染はきっと良い人なんだろう。私の好きになった里中が好きだと思う人なら、その人はきっと彼の話を遮ったりしないし、不器用なところも可愛いと思ってくれるような人なんだろう。そうでなきゃ、彼が好きになるはずなんかないのだ。
里中の顔から手を離して、私は背もたれに体を預けた。
「当たって砕けろだよ、里中」
「結局は振られろってこと!?」
「はは、そうかもね」
セザンヌの青みがかったピンクチークをブラシで頬にふわりと乗せ、唇にも使える色付きバームを滑らせれば、里中の顔は彼の良さを残してよりキラキラと輝いた。
私は里中に手鏡を渡して、見てごらん、と言うと彼はおずおず鏡の中を覗き込む。
「うおっ、すごい! 俺じゃないみたい!」
「これでもメイクアップアーティスト目指してるからね。どう、気に入った?」
「気に入ったなんてもんじゃないよ! すごい、島崎さんすごいな!」
子供みたく無邪気に笑う里中は可愛くて、その真っ直ぐなところが好きになったんだよな、と改めて思う。
かっこいい。かわいい。あーあ、なんで私じゃないんだろ。彼はそんな私の心情を知りもしないで喜びに鏡を見つめている。
憎らしくて、素敵な人である。
「結局、日誌書けなかったね」
「あっ! やば、忘れてた……」
「しょうがないから私が書いてあげる。帰りアイス奢ってよ」
なんて、本当は私が里中にメイクを始めたから出来なかったことなのに、彼は律儀に「ほんと!? ありがとう!」と言ってにこにこ笑うから、私はやっぱり泣きたくなるくらいますます彼を好きになる。
◆
帰り道、里中にアイスを奢ってもらって駅のホームでお別れをする時、「また明日」と彼は言い残し反対方向の電車に乗って行った。
私はそれを電車の中で何度も反芻し、また明日があと何回あるだろうと数えた。次の日も、その次の日も、里中は「また明日」と言ってくれて、やがて春になり、私たちは卒業式を迎えた。
「島崎さんは専門行くんだよね」
「そう。里中はあの人と同じ大学でしょ。頑張ったね」
「へへ、まあ俺にとっちゃ朝飯前ですよ!」
同級生たちはどこか湿っぽい雰囲気でいるのに、褒めるとすぐ調子に乗る里中はあの幼馴染と同じ道を進めることが嬉しいらしく、その顔は晴れやかだ。
「島崎さんも頑張ってね。俺、応援してる」
「そっちこそ。周りに負けんなよ」
お互いに発破をかけ合って、私が「それじゃ、また」と言いながら友達のところへ向かっていくと、背後から「また!」と里中が大声で言う。明日はないんだと思うと少し悲しかったけれども、「また」があるんだと思えば足取りが軽くなるような気がするのだった。
それから里中が幼馴染とどうなったかはわからない。連絡先を交換していなかったし、私は地元の専門学校で、里中は都内の大学だったから接点などなかった。しかし、彼のことだから、きっと幼馴染の人とよろしくやっているんだろう。会ったことはないのに、素敵な人だと言う確信があって、私はいつまでもその人に勝てないのだった。
専門に在学中はもちろん、メイクアップアーティストとして活動し、それなりに活躍し始めてからも私は、彼と初めて喋った時のことを何度も思い出しては歯を食いしばった。キラキラしてる、という里中の言葉に何度救われたことだろう。どんなに辛く、自信をなくすようなことがあっても、彼が私の施したメイクを喜んでくれた日のことを思えば、頑張れる気がした。
私がメイクの魔法使いなら、彼は言葉の魔法使いだった。
「めぐさんって、なんでこの仕事選んだんですか」
控え室で売り出し中の若手モデルにスポンジでファンデを叩き込んでいると、鏡越しに彼女が私にそう聞いた。
「メイク好きだからねー。高校の時も人にやってたし」
「へー! その頃から片鱗あったんですね! 誰にメイクしたかとか覚えてます?」
「あー……、一人だけなら」
空に目を泳がせて私が真っ先に思い浮かべたのは、家族でも、友達でもなく、あの里中だった。他の人にしたものとは比べ物にならないくらい簡単でナチュラルなメイクだったが、彼のあの喜びようと共に私はいつも里中を思い出す。
「高校の同級生。今はもう連絡取ってないけどね」
「えーもったいなーい! じゃ、今何してるとかもわかんないんですか?」
「なんにも。あいつ、どうしてんだろうな」
地味で、ダサくて、いかにもオタク君って感じで、不器用で、だけど真っ直ぐで、愛嬌があって、褒めるとすぐ調子に乗るあいつ。私が好きだったあいつ。振り向いてくれないあいつ。
今になって、連絡先交換しとけばよかったなとか思ったりすることもあるけれど、むしろ里中にはラインとか電話じゃなくて、思いがけず今の私を知って欲しい気持ちもあったから、最終的にはしなくてよかったという気持ちに着地するのがお決まりだ。
その方法では私が里中の近況を知ることできないけど、それでもよかった。とにかく里中に自信を持って欲しかった。これだけメイクアップアーティストとして大成した私があんたを「素敵」と言ったんだからと、「そのままでいい」と言ったんだからと、テレビや雑誌の取材を受けるたびにそういう祈りを込めた。
とはいえ、彼はメイクに興味ないだろうし、見ているかはわからない。ただの自己満足だけど、私はそうせずにいられない。
大切な人が、今もどこかで何かに迷いながら進んでいるなら、私はそれを照らす光でありたい。そう思いながら、今日も鏡台の前に座る人の良さを引き出す仕事をしていく。
キラキラしてる、と里中に言ってもらった言葉は、まだ私の胸に、キラキラと光っているから。
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