作戦開始

 鬱蒼とした森林の奥地にある砦では、禍々しい雰囲気を纏う銀髪の男がいた。その額には猛々しい角の存在が確認できる。男は魔族であり、この砦の主となった魔族だった。元々無骨で、人族領域と獣人連合の関所の役割も兼ねていたこの砦は、彼の趣向で改造され、悪趣味にも程がある内装へと変貌している。最早砦としての機能ないに等しく、外観はそのままに濃密な死の気配を漂わせる似て非なる存在のような圧迫感を周囲に放っていた。

 さて、砦の城壁の上を巡回している兵士はヒト型の魔物などではなく獣人連合の兵士である。彼らの目は虚ろでただ決められたルートを巡回しているに留まる。だがその目には恐怖がしっかりと滲んでおり、意識があることははっきりしていた。


 そんな外の様子を微笑みを浮かべながら見る魔族は自らが座っているに対して口を開く。


「───は良い。我ら魔族に無上のを齎してくれる。貴様ら薄汚い獣共が浮かべる恐怖などは天にも昇るほどの快感を齎してくれる。これだから貴様らを甚振るのはやめられないのだ」


椅子に改造され、身体構造をぐちゃぐちゃにされても尚、その獣人は生かされ、洗脳によって正気を保たされていた。苦痛によって激しく歪み、瞳に滲む恐怖の感情を見て魔族の口が弧を描いた。


「にしても…貴様らも不憫だなぁ。獣に生まれていなければこのように我が椅子となることもなく、外の獣のようにどれだけ屈辱を感じようと傀儡となるしかない駄獣となることもなかったというのに」


やれやれ、というばかりに魔族は肩を竦めた。一頻り自分の内にある欲を満たし、ニィと歪な笑みを浮かべ窓を開き高笑いする。


「貴様らのお陰でまた奴隷おもちゃが手に入りそうだ!」


窓辺にいる魔族の影が伸びる。その部屋には椅子以外にもが存在しており、不気味な蠢きを見せるのだった。




 洗脳魔法とはそう単純なものでもなく、複雑な条件の下に発動されるものだ。例えば戦術の通り相手の魔力が多い、或いは強固に練り上げられているほど洗脳魔法は効かなくなり、逆流して自らの精神が崩壊する可能性も存在する。だが行使者の魔力が強力であればこれらの問題は無視することができ、魔族のやっているような大量の獣人の支配も可能になるのだ。

 そしてもう一つ、洗脳魔法の劣化版として隷属化の魔法が存在するが、系統はどちらも同じため同じ術者でない限り上書きはできない。それはどれだけ術者同士の力量差が離れていようと関係ない。この事実は一般的ではなく、或いはこの世で知っているのは一人かもしれない事実だった。


「───今回の作戦はそれを利用する、と…それにしても、どうしてそんなことを知っているんだい?」


戦闘指揮所の設営を終えて獣人連合の軍とも合流した後、作戦開始地点まで移動する際中、勇者は呑気に鼻歌を歌っている盗賊に対してそう言った。盗賊はん?と首を傾げたが、あぁそんなことか、とばかりにあっけらかんとしている。


「そりゃ俺が獣人連合で戦闘奴隷として闘技場で戦ってた時の話だ。俺はそこそこ名が売れててね、それをよく思わないヤツが雇い主を殺して俺を手に入れようとしたのさ」


「待った、戦闘奴隷?君の過去はそんなことになっているのかい?」


まあまあ、と盗賊は一度勇者を諫め、続きを話す。


「まぁ相手方も手段を選ばないもんだから雇い主はあっさり殺されかけてな。死んだと思って油断した相手が俺に隷属化の魔法を使用してきたんだが…」


盗賊は馬の上でバッと身振り手振りをした。


「ところがどっこい!その隷属化の魔法はまーったく効かず、所有権は俺の雇い主のまんまだったんだなこれが。ってのもある程度中位以上の隷属化の魔法とか洗脳魔法ってのは術者が解除するか死ぬかしないといけない。つまりうちの雇い主が死ぬ前に隷属化の魔法をかけようとしたせいで、こーんな隠れた性能があるってのが露見しちまったわけさ」


その後雇い主は死んで隷属化の魔法もなくなった俺はその場にいたヤツ全員気絶させて逃げ出したがね、と続け話は終わりのようだった。勇者の表情が少しだけ曇った。

 ちなみに隷属化の魔法は既に魔法使いから盗賊にかけられており、魔法使いが解除しない限り盗賊は隷属化したままである。心なしか魔法使いの血色が良いように見える。その魔法使いが馬の上でわなわなと震えていた。


「…話が終わったなら、いい加減その身振り手振りをやめなさいよ…馬に同乗させるのやめて叩き落すわよ」


盗賊は慌てて所定の位置───正確には馬に騎乗している魔法使いの前に大人しく座った。ちなみに僧侶は勇者の後ろである。と、いうのも先程までは魔法使いも僧侶も自分の馬に乗っていたのだが馬の温存のため、と二人が自ら申し出たのである。実際伝令や撤退用に馬は幾らあっても困らないので司令官からすれば願ってもない申し出だったことだろう。絶対に男女はわけたほうがよかっただろうが。


「今からでも男女わけようぜ!俺は馬になる!!勇者、俺の上に乗れ!!!」


「えっ、ちょっと僕そういうのは…なんていうか、その…」


「えっ…なんでそこで勇者さん赤面するの?え?え?アタシ勇者さんのことわかんなくなってきたんだけど」


「じゅるっ…」


「僧侶さん?今ヨダレ垂らしてらっしゃいました??いや、勇×盗とか盗×勇とか突然道の言語を喋りだすのやめて???え、待ってまともなのアタシしかいないの!?」


魔法使いが過労死寸前になったところで盗賊が突如真顔に変わった。魔法使いはビクッと肩を震わせたが盗賊の顔色がどんどん悪くなっていった。


「冗談に決まってんだろ俺は…他はちょっと…不安かも」


「じゃあここで私達全滅ね…」


顔色の悪い人が一人増えた。


 程なくして、砦までかなり近づいてきたため馬を置いて徒歩で移動している。一行が歩く度、前方からの異様な気配は一層濃くなり、砦にがいることは自明の理だった。

 軍全体に緊張が走っていく中、勇者一行は少しリラックスした様子だった。若干一名危ない挙動をしている僧侶がいるが、彼女は色々と捗らせているだけなので問題はない。冗談だったはずが冗談ではなくなってしまった僧侶である。勇者は小声で南無…と呟いた。


 さて、眼前には禍々しい城が見え、軍の準備は万全である。指揮官内での最終確認が終わり、勇者一行と騎士が別行動に移る中、砦の城門が開いた。城門の前で軍が警戒しながらじりじりと進んでいくと、突然周囲に奇声が響き渡った。いや、悲鳴のようでもあっただろう。「上だ!!」と誰かが叫んだ。その声で人族の兵は盾を上へ向け、獣人連合の兵は上に視線を向けつつ身構える。

 だが上には、何もない。ただどこまでも広い曇天が広がっているのみである。直後、どこから響いているかもわからない声で「はずれ」と聞こえた。次の瞬間、最前線にいた兵士が魔物の攻撃魔法でハジけた。そして中央辺りにいた兵が哄笑しながら手に持っている剣を闇雲に振り回して混乱を齎した。

 人族・獣人連合軍はなんとか態勢を整え、洗脳されたものを昏倒させていく。そして最前線でも攻めてきた魔物は対処し終わっていた。


 そんな戦場の様子を聞いた司令官は「…予想通り」と呟く。そしてタイミングの読めない洗脳魔法は脅威だと再認識していた。直前で齎された情報で洗脳魔法に対する対策の不十分さにイライラし、柔軟性のある金属の板を頭に巻きつけたりくわばらくわばらと唱えたりなどよくわからない対策ばかり思いつくほど頭がパンクしかけていたが、軍の魔法使い達の付与魔法である程度の抗力を持つことができる、ということで彼らは馬車馬のように働き対策に心血を注ぐことになった。

 ちなみに盗賊のとった方法はそもそも隷属化の魔法を覚えている魔法使いが少なく、かつ魔法使いが直接狙われることになりかねないため伝えていない。本当にどうしようもなかったら伝えるつもりではあったが。


 なんにせよ付与魔法が功を奏し、洗脳にかかったのは全体のほんの一部。戦闘続行が可能なため本隊はこのまま陽動に専念することになるだろう。




 一方この戦局を冷静に見ている者がもう一人いた。というのは魔族その人であるが、不思議なほど彼は冷静だった。


「…我の洗脳が見破られている…となると優秀な斥候がいるな。魔力の少ない幾人かには効いたようだが…鎧に付与魔法が施してあるようだな。となれば…」


魔族は獣人や人間のモノと思われる体の部位が綯い交ぜになったような見た目の杖を持ち、カァンッと床に打ち付けた。そして何かをぶつぶつと呟いた後、杖を一振りする。

 直後、戦闘が止まった。否、戦闘続行が不可能になったと言った方が正しいだろう。人族の兵士も獣人連合の兵士もどちらも声にならない叫びを上げたり、鎧を脱ぎ去って無邪気に人々の間を走り回っている者もいる。或いは手に持った武器で幼子が小さい虫などを弄ぶように人体を解体している者もいる。

 そんな様子を見て魔族はうっとりした。


「…嗚呼、素晴らしい。やはり我が魔法は野蛮人によく効くらしい。小癪な対策など高位の洗脳魔法ならば突破できる。流石に魔力の消耗が激しいことは認めざるを得ないが…」


最後で少し気を落としたものの、眼下に広がる光景を見て再び頬を紅潮させる。


「無差別にかけた洗脳でランダムに狂う様を見るもまた一興!この時の為に我が生、我が忠義は存在している!!」


だが、と魔族は先程とは打って変わってムスッとする。


「…これでは砦を手中に収めた時と変わらんではないか。流石に飽いてきたことだし…待機命令を出していた魔物共…いや、洗脳済みの獣共に皆殺しにしてもらえばいいだろう」


同族の手で死ねるのだから本望だろう、と魔族はぶつぶつ呟きながら眼下の光景を眺め続けていたが、部屋のドアが勢いよく開かれたことで苛立ちを見せた。入って来たのは急いでいる様子の配下の魔物だった。


「なんだ、今は───何ッ!?」


だがその魔物が入ってきた瞬間、光り輝く剣の軌跡によって真っ二つにされた。そうして現れたのは光り輝く聖剣を持つ勇者とその仲間、勇者一行だった。魔族はその姿を視認すると忌々し気に目を伏せる。


「…城門にいないと思っていたが…まさか向こうが陽動とはな」


魔族はくつくつと喉を鳴らす。勇者はその雰囲気を見て息を吞んだが、すぐに気合を入れ聖剣を構え、そして告げる。


「僕は勇者、この世界を護るため、貴方を祓わせていただくよ」


その宣誓に対し魔族はニィッと嗤うと、


「やれるものならやって見せろ!!野蛮人!!!」


そう返して杖を構えるのだった。

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元々盗賊だったけど最後は勇者を庇って死にます(宣言) さけずき @Sakezuk1

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