ギャンブル

 ようやく長い冬を終えて、暖かな日差しを感じるようになって来た4月のある日曜日。


 ニューヨーク州マンハッタンのセントラル・パーク。

 ニューヨーク特有の赤と白、そして青が交じり合った絵画のような朝焼けを眺めながら、843エーカーと言う広大な敷地にあるベンチで男……ジョナサン・ベストは心地よい緊張感を感じながら座っていた。


 今度のギャンブルはどんな目が出るだろうか……


 彼は世界有数のポーカープレイヤーだった。

 運と心理戦を中核とするギャンブル……ポーカーの世界にあって、彼は強運と緻密な人間心理の分析。

 そして大胆さによって、24歳でのデビュー以来輝かしいキャリアを築き、50歳になった現在ではオンラインカジノを主戦場とし、数百万ドルと言う資産を持つまさしく順風満帆な現状だった。


 だが、それは決して終始そうだったわけではなく、犠牲にしたものもある。

 若くして、すでにポーカーの世界でデビューしたいと言う夢を持っていた彼は、仕事以外の時間はほぼカジノに入り浸っており、ある日仕事を辞めてポーカー一本で生きて行きたいと妻に告げた。


 当時二歳の娘が居た妻は当然反対した。

 だがどうしても夢を諦め切れなかったジョナサンは苦悩していたが、そんな折に妻が浮気していると言う情報を掴み、本当に卑劣だと思ったが……それを利用して離婚を切り出した。


 そして現在に至る。


 妻も大概だが俺も似たようなものだ。

 そう思い、ジョナサンは眉をひそめた。

 結局一番かわいそうだったのは、娘だ。

 アンナ……彼女はどんな女性になっているんだろうな。


 そう思いながら葉巻の煙を吐き出すと、隣にスーツを着た五十代くらいの男性が座り、ジョナサンをチラリと見てからかうように言った。


「今度の賭けはどんな目が出そうなんだ?」


 ジョナサンはニヤリと笑うと、また葉巻を咥えて甘い煙の香りを楽しんだ。

 そしてそれを見せ付けるようにゆっくりと吐き出すと言った。


「勝つだろうな。むしろ、負ける要素が見当たらない」


「そうかね」


「なんだよ、ピート。この前のゲームで負けた腹いせか? あんな見え透いたブラフに引っかかるお前が悪い……」


「いや、そうじゃない。今度のギャンブルは……違うんじゃないか」


「何がだ。明確に言え」


「女の……それもはトランプゲームとは違う」


 ジョナサンはその言葉をあえて聞き流し、葉巻を一本ピートに勧める。


「吸うか? キューバ産のやつだ。この香りはやみつきになる」


 ジョナサンも分かっていた。

 そう。

 今回のギャンブルはジョナサンが昔捨てた娘……アンナ・ターニアが彼を父として受け入れるのか? と言う物だったのだ。

 それを隣に座る友人のポーカープレイヤー、ピート・ベッカーと賭けていた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 事の切っ掛けは、二ヶ月前に自らの身体に肝臓がんがある事を医師に告げられたことだった。

 すでにステージ4であり、余命半年。


 今まで好き勝手生きてきた。

 そして、スリルとその果ての脳が壊れるかと思うような喜びも享受しつくした。

 死が怖くないといえば嘘になるが、悔いはほとんどない。


 だが、悔いが全く無いわけではない。


 昔捨てた当時二歳の娘アンナ。

 彼女に一度でいいから会いたかった。

 そして……「お父さん」と呼んで貰いたかった。


 それがどれだけ自分勝手な望みかは分かっていた。

 自分が逆の立場なら失笑している。

 だが、あれ以来家庭を持つことが出来ず、半年以内の確実な死を控えた彼は、たまらなく娘に会いたかったのだ。

 理屈も道理も越えて。


 そこでジョナサンは大金を使って私立探偵にアンナのことを探らせた。

 すると、ジョナサンと離婚後に妻のアリサは再婚したが、上手く行かずまた離婚。

 それからはシングルマザーとしてアンナを育て上げていたらしい。

 経済的にも常時困窮していた二人は、アンナがハイスクール卒業後にレストランで働き、どうにか生計を維持しているのだとか。


 それを知ったジョナサンはある考えを持った。

 ギャンブルに全てを捧げた自分に相応しい最後の賭け。


 ジョナサンは探偵に調べさせたアンナの行動パターンを元に、彼女の前に現れた。

 名前を名乗らず。

 最後に見たときは無邪気な幼児だったが、今はどこか生活に疲れた中年の女性と言う感じになっている。

 そんなアンナは驚き、警戒心をむき出しにしたがジョナサンは平然と言った。


「アンナ・ターニアさんですね。私はあなたのお父さんを知ってる者です」


 そう言うと、アンナは呆然とした後「なぜ……父の事を知ってるのですか? あなたは……」と途切れ途切れにつぶやいた。


「それはお伝えすることが出来ない。今度の日曜の朝7時半。セントラル・パークのビリー・ジョンソン広場にあるベンチで待ってます。そこで全てお話ししまししょう。あなたは信じられない事実を聞くこととなる」


 そう言うとジョナサンは何かを言いかけたアンナに背を向けて歩き去った。


 そして、約束の日。


 ジョナサンは広場のベンチに座っていた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


「さて、そろそろアンナが来る頃だ。ピート、悪いが離れててくれ。約束は覚えてるか? 俺が勝ったら百ドルだぞ」


「分かってるよ。俺が勝っても同じだからな」


「当然だ。それは無駄に終わるがな」


「言ってろ」


 そう言ってピートの姿が消えると、ジョナサンは葉巻を吸い込む。

 

 今度の賭けには特に自信がある。

 

 探偵の調査に寄ると、アンナの最初に父……ジョナサンへの愛情は、その後の家庭環境に恵まれなかったこともあり、極端に膨らんでおり彼女の中で美化と言っても良いレベルになっているのとのことだった。

 それは、彼女の趣味の小説執筆において、二歳の頃に生き別れた父を主人公にした作品を書いてるほどだった。

 

 彼女は思い込みも強い反面、非常に想像力豊かとの報告が上がっていた。

 その性格は小説に生きているのだろう。

 そして、これも自分の行う賭けには有利に働く。


 想像力と思いこみの強い女性……こんな小説の一場面のようなドラマティックな再会にそんなアンナの心が震えないはずが無い。

 現れた彼女の前で父と名乗る。

 アリサの特徴や住んでいた家の外観と共に。

 そして、当時の思い出の数々を話す。


 そうして、親子は再会する。


 そうしたら父親として充分な資金援助もしてやろう。

 アリサには迷うところだが、仕方ない。

 だが何よりアンナだ。

 苦しんできた分を返してやらないと……残りの命の続くだけ。


 そう思っていると、朝もやの中にコートを着たアンナの姿が浮かび上がった。


 ジョナサンは立ち上がり、アンナに向かって歩みながら笑いかけた。


「ようこそ。アンナ・ターニア」


「あの……父は……」


 ジョナサンは微笑みながら言った。


「アリサ・ターニアは綺麗な女性だった。ブルーの瞳にブロンドの髪。小柄だがエネルギッシュ。そんな彼女と愛くるしい愛嬌のある……まるで小動物のような見た目の赤ちゃんと三人で、暮らしていた家……赤い屋根と白い壁が印象的な小さなアパート。そこの二階に住んでいた。近所のウォルマートには良く休みの日に買い物へ行っていた」


 話しているうちにアンナの表情が驚きにこわばっているのが分かる。

 目は大きく見開かれて、ジョナサンの顔をまるで射る様に見ている。

 そして、搾り出すように言った。


「あなた……もしかして……私の……父……」


 やはり……俺の読みは完璧だ。


 ジョナサンは内心勝利を確信した。

 そうだ。

 俺がお前の父親……


「あなた……あなたが……」


「そうだよ、アンナ。僕が……」


「あなたが私の父を……


 次の瞬間、ジョナサンは自分の胸に焼けるような痛みが走るのを感じた。

 驚いてみると、胸から多量の血が流れている。


「アン……ナ……」


 アンナの方を見ると、彼女は泣きながら短銃を構えていた。


 ジョナサンは全身の力が抜けていくのを感じ、そのまま倒れこんだ。

 目の前にはマンハッタンの朝焼けが美しく輝いている。


 俺は……負けたの……か。


(女の……それもはトランプゲームとは違う)


 ピートの言葉が薄れ行く意識の中で浮かぶ。


 ああ……そういう……意味か。


 ジョナサンはアンナに何かを言おうと口を開こうとしたが、聞こえるのはアンナが泣きながら警察に電話している声だった。


 その震える声を聞きながら、ジョナサンの意識はテレビの電源を落とすように……消えた。


【終わり】


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 今日は日曜なのに、わざわざ当カフェに来ていただき本当に有難うございます。


 暖かくはなりましたが、まだ肌寒さも残ってますね……

 はい、サービスのあったかいジャスミンティーです。


 今回の「日常の光景」いかがでした?

 今回は外国のとあるギャンブラーの光景でした。


 自らの人生をギャンブルに捧げた男。

 そのために最愛の家族を犠牲にし、その代償……といえるのかは微妙ですが、富と名声を手に入れた。


 ですが、そんな彼も人生最後のギャンブルに負けてしまった。

 掛け金は自らの命。

 最愛の娘の愛をテーブルに乗せてのギャンブル。


 彼は人間心理を分析しきって勝ち続け、そのメソッドに絶対の自信を持っていましたが、親子の感情や愛情が希薄だった彼にはこの勝負はいささか分が悪かったのかもですね……


 ま、それも彼自身が招いた事。

 ギャンブルは確かに知識と技術が多くのウェイトを締める。

 でも、確実に「運」に支配されている。

 ギャンブルに絶対的な方程式はない。

 そして、胴元が最後の勝者になるよう出来ている。


 ギャンブルって怖いですよね……私は絶対にやりたくありません……大嫌いです。


 え? この三つの小さなお饅頭は何?

 ふふっ、これはですね……中にそれぞれ粒あんとカスタード、そして最後の一個には私とライムが作った特性のお抹茶餡が入ってるんです。

 最初にお抹茶餡を食べたら当店からプレゼントがあるんです。


 さて! そのお抹茶餡が入ってるお饅頭はどれでしょう?


 え? これもギャンブル?

 う~ん……違います!


 ……これはあくまでも余興ですから。

 ささ! どれになさいますか?

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カフェ京野の小さな言の葉 京野 薫 @kkyono

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