十三
暗がりの中、善福寺裏のある屋敷の前に光三郎の姿があった。
そこへ、阿部鷹の羽の家紋の提灯を持った武士が近付いてきた。
「来ておられましたか。さ、中へ」
内藤雅勝が門扉を押し開け光三郎に声を掛けた。
「いえ、まずはその者達を見てまいりましょう」
「左様か」
「二人の相貌など教え願いまいか」
「うむ、一人は五十ぐらいの痩せた袴姿の浪人者で、もう一人の歳の頃は二十半ばぐらいであろうか、着流しの優男風の侍である。どちらか一人で待ち伏せをしている時もある」
「分かり申した。では、後程この屋敷にて」
「うむ、待っておる」
光三郎は雅勝に一礼をして仙台坂方面へ足を向けた。
仙台坂に出ると左へ折れ、緩やかな坂を下ってゆく。坂を下りきり、左へ曲がれば善福寺という所を、光三郎はそのまま真っ直ぐ進み、塀の陰に身を潜め善福寺の門の辺りを窺った。
暗闇に慣れた目が人影を捉えた。
「あ奴か」光三郎が心の内で呟いたところに、いま一人の影が向こう側から近寄って来た。そして、なにやら二人で話し始めた。
「あの二人で間違いあるまい」と思い極めた光三郎は、右手を袂から懐へ仕舞い込み、塀の陰から出て二人に向かいゆっくりとした足取りで歩み始めた。
すると、すぐさま会話は止んだ。
「拙者に気付いたのか?」光三郎は内心身構えた。視線だけを二人に向け、尚も近づくと、二人の眼が自分に注がれているのが分かった。
光三郎は二人に気取られぬように、左手はすぐにでも鞘を握れるように、右手は懐から出せるように力を入れ二人の脇まで来た。
雅勝が言っていたように一人は袴姿でもう一人は着流しであった。
袴姿の浪人から発せられる気がひしひしと伝わってくる。左手も鍔に手を掛けているようであった。
着流しの男からは威圧されるような気配は感じられないが、立居姿に隙がない。
「あ奴ら相当にできる」
これまで幾度となく町のならず者や浪人たちと闘ってきた光三郎には感じ取ることが出来る感覚である。
もし、二人と同時に立ち合えば勝てるかどうかは分からない。いや、打ち負かされるであろうと光三郎は直感した。それは、死する事を意味する。
光三郎は気を緩めることなく二人の横を通り過ぎ、善福寺裏へと抜ける路地へ曲がった。足早に路地を抜け善福寺の裏通りへと出た。
光三郎は懐から右手を出し、左手で鞘を掴み駆けだした。あの二人が後を追って来た気配を感じていたからである。追手が裏通りに出る前に内藤が待つ屋敷に入らねばならぬ。
光三郎は屋敷の前まで来ると、後ろをちらっと見て、追手がいないことを確認し門扉を押し開け敷地内に入り、素早く屋敷の戸を開け中へと入り戸を閉めた。そして、身を屈め息を殺し気配を消した。
「いかがした」
内藤雅勝が奥から現れ声を掛けた。
光三郎は唇に人差し指を当て、静かにするようにと雅勝を見た。
雅勝はその仕草に、おおよその事を把握し、片膝をつき、動きを止めた。
後を追って来た申之丈は静かで素早い足運びで、光三郎が入っていった屋敷の前まで来ると足を止めた。
「この屋敷に漂う僅かな気配は・・」
申之丈は暫し足を止め中の様子を窺った。腰板障子には奥の座敷から漏れ出た仄かな灯りが写し出されているが、気配を押し殺しているかのような静けさである。
それが、不自然に感じられた。申之丈はしばらく中の気配を探っていたが、中の様子に変化の兆しが見受けられないので、花野屋に向かい清衛門と落ち合う事にした。
屋敷の中では光三郎が外に居る申之丈を察知していた。ようやくに申之丈の気配が無くなり、
「もうよかろう」と口を開いた。
「つけられておったのか」
「うむ、あ奴らの様子を窺おうと脇を通り過ぎたら、つけて来おった」
「手強そうか?」
雅勝は知っていて尋ねた。
「相当にな」
「で、いかがいたす?」
「どういうことだ?」
「奴らとやるのか、やらないのか、ということだ」
「心配いたすな。引き受けたからには、やる」
光三郎は既に決心していた。仕官を諦め、何の望みも無く、今のこの生活を続けていくしかない光三郎にとって、奴らと戦って死ぬることになったとしても、「それでよい」と思うのである。
一方で、勝つか負けるかは、実際に立ち合ってみなければ分からぬ事なのも、光三郎は弁えていた。
ただ、死を覚悟した戦いの前にやっておかねばならぬことがある。
「明晩」
そう言って光三郎は屋敷を出た。
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