第3話:初めての騎士団長の仕事

 数日後の朝。ジニーはついに騎士団長としての初めての日を迎えた。淡い朝の光の中、彼女の心は緊張で張り詰めていたが、その公爵令嬢としての顔を崩すことはない。


 それでも、衣装掛けに用意された騎士団長の制服を見つめながら、彼女はため息を漏らしてしまう。


 真白くパリッと整ったシャツ、そして堅固さと頑強さで称えられる「岩牙」騎士団のシンボルカラー、深い灰色に染められたパンツとジャケット。その名の通り、岩のように堅固で頑強な騎士団を象徴する色だ。

 どれも丈夫な仕立てで、身にまとった瞬間、騎士団が行う任務の激しさと同時に、その背負う権威も肌に感じさせる。その服装に身を包むことで、ますますジニーは自分が「本物の騎士団長」になったのだと実感してしまい、重圧がのしかかった。


 あらためて鏡に映る自分の姿を見ると、用意された服の重厚さに対して自分の顔はあまりにも幼く見え、大きく張り詰めてしまう胸元もまた、騎士団長には似つかわしくないと言われているように感じてしまう。


「お嬢様、いよいよですね。初めてのお務め、私がずっとお供しますから、きっと立派に果たされますよ」


 そんな時でも、隣に控えるルビーの声は優しかったが、ジニーは微笑むことすらできなかった。鏡の向こうの自分の顔は、目の下に薄いクマまででき、顔色も冴えない。ルビーの手がそれをそっと化粧に隠してくれるけれど、隠すことのできない心の中はまだ騎士団長という大任に押しつぶされそうで、不安が心を支配していた。


 そんな中、ふとジニーの頭に浮かんだのは、あの奇妙な『夢』の記憶。でも、騎士団長としての仕事に、この異世界の知識がどこまで役立つのか、あるいは災いになるのか。それすらも全然分からないままだ。


「大丈夫……よね?」


 小さく呟いたジニーの声に、ルビーが優しく笑って答える。


「もちろんです、お嬢様。私がいますから、何かあればすぐにお力になりますよ」


 最後にルビーは、ジニーのピンクゴールドの髪を結い上げて、杏色のリボンで固く結んでくれた。


 ジニーの心に不安は依然として残っていたけれど、その言葉に安堵し力づけられる。騎士団長という立場に置かれた以上、自分の気持ちとは無関係に責任は重くのしかかる。しかし、ルビーの結んでくれたリボンが、それに立ち向かう勇気も一つに束ねてくれたような気がした。



 ……そんなジニーの気持ちとは関係なく、騎士団長としての初日は始まる。準備を終え、ジニーは意を決して騎士団本部へと向かうことになった。


 騎士団本部に向かう馬車の中でも、ジニーは目を閉じて『深呼吸』を繰り返していた。それで、馬車の揺れに合わせるように不安も揺らめきながら、それでも徐々に心が静まっていくような気がしてきた。ずっと感じていたルビーの視線にようやく小さな微笑みを返すと、向かい合わせに座っていたルビーと共に窓の外に広がる景色をぼんやりと眺める。


 やがて見えてきたのは広大な施設だった。それが、これから彼女が率いる騎士団本部だ。到着したジニーは、その場の雰囲気に圧倒された。騎士団本部はジニーにとって初めて足を踏み入れる場所だ。石造りの建物が何棟も並び、周囲には訓練に励む騎士たちの掛け声がこだましている。彼らの姿はまさに強靭な肉体と高潔な精神を象徴しているかのようだった。


 こんな場所に自分が足を踏み入れて良いのだろうかと、ジニーは一瞬、立ちすくむ。しかし、彼女には選択の余地はなかった。父公爵の命令であり、これからは騎士団長としての責務を果たさなければならない。ジニーは内心でさらに緊張を募らせた。だが、表情には出さない。貴族として学んだ作法が、ジニーを守ってくれている。


「お嬢様、お気をつけて」


 ルビーがそっと囁いた。ジニーは頷くだけで応えたが、心の中では彼女に感謝の気持ちが溢れる。これから始まる騎士団長としての仕事を果たして自分がやり遂げられるのだろうか、その不安は尽きないが、ルビーの声援が何よりの支えとなっている。


 不安を抱えつつも建物に足を踏み入れたジニーに、一人の年配の男性が近づいてきた。鋭い眼差しと、年月をかけて鍛え上げられた筋肉質な体躯が、その豊富な経験と確かな権威を雄弁に物語っている。彼こそが、騎士団の副長となり、騎士団においてジニーを支えるべき片腕となるはずのカイオスであった。そんな彼の表情は厳しいもので、まるでジニーの心を見透かしているかのようにも感じた。


「公爵家の若きご令嬢が、いよいよ私たちの新しい騎士団長ですか」


 カイオスは深く礼を取りながらそう言った。彼の目は鋭く、ジニーを試すように見つめている。


「私が副長を勤めさせていただきますカイオスです。どうぞ、お気軽にお声がけください」

「よろしくお願いします、カイオス副長」


 ジニーは内心で冷や汗を感じつつも、貴族としての礼儀を厳守しながら挨拶をする。だが、その瞬間、自分が本当にこの場所にふさわしいのかという疑問が再び胸を突きあげた。


 まだ子供と言っても過言ではない自分が騎士団長という重職に就くこと自体、異常なことだ。それは彼女自身が一番痛感している。そして、目の前のカイオスは、これからジニーを支える副長ではあるが、それまでは前任者だったのだ。いわば、ジニーが彼の地位を奪ったも同然。果たして、受け入れてもらえるだろうか?


 不安は今や恐怖に近いものとなり、ジニーの心を蝕んでいく。しかし、貴族の務めとしてそれを表には出すまいと、崩れそうな膝に力を入れて、なんとか答えた。


「今日の予定ですが、まずは騎士団の現状についての報告をいたします。その後、団員たちへのお顔見せを予定しております」


 カイオスの低く落ち着いた声には露骨な威圧感こそないものの、その静かな口調がかえってジニーの胸に緊張を走らせる。さっきのように『深呼吸』をしようと試みるが、その努力もむなしく、新しい『酸素』はなかなか中に入ってこない。


「わかりました。お願いします」


 ジニーは震えそうになる膝と声を抑えつつ、かろうじて返事をした。


 カイオスはしっかりと彼女の返答を確認し、再び頷いた。そして、困惑とも嘲笑ともつかぬ表情をわずかに浮かべたあと。


「しかし、その前に。騎士団長として、まずは騎士の礼儀作法を存知置きいただいた方が良いかと思います。団長室で説明しますので、ご準備ください」


 カイオスの声には淡々としたものがあったが、その言葉はジニーの心臓に冷水を浴びせかけた。礼儀作法――公爵家の令嬢としてはそれなりに身につけているつもりだが、騎士の礼法はまた別だ。カイオスの鋭い視線が彼女を見つめ、無言の注意を感じさせる。ジニーはまるで、カイオスから自分が騎士団長にふさわしくないと言われているかのような感覚に襲われた。


「は、はい。もちろん……」


 なんとか貴族としての威厳を保ちながら声を絞り出したけれど、自分の耳にもそれが不安定で弱々しく響いてしまう。あるいは、経験豊富なカイオスなら、きっとその動揺を見抜いているに違いない。ジニーの背筋を冷や汗が伝い、手のひらにも汗が滲むのが分かってしまう。


 カイオスの目を見て真意を探りたいと思っても、思うようにならなかった。ジニー自らが無意識に視線を反らしてしまうのだ。カイオスの瞳には豊かな経験と冷静な観察力が宿っており、その深さに対抗できない。このままでいいのだろうか。騎士団長という重責を、私は本当に担えるのだろうか。考えれば考えるほど不安がいや増していく。足元が揺らぐような感覚に囚われながら、ジニーはカイオスの後ろをついて歩いていった。


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