第42話「日記」

 *


 これは日記ではない。


 日記は元来、人に見せるものではない。


 誰かに日記を添削してもらい、どこどこのどういう描写はかくあるべし、などと助言をちょうだいするところなど、まずもって見たことがない。


 いや、少し強い言葉を使ってしまった、反省しよう。


 日記は人に見せるものではない――と、私が勝手にそう思っている、という言葉を付け加えておく。


 人に見せるものでないのなら何のために書くのか、といえば、それは自分のためである。


 自分で見返して、過去を振り返るために書くもの。


 それが日記だ――と思う。


 しかし、文豪や著名人、過去の偉人や貴族の日記の類が、我々現代人に「作品」として読まれたり、研究されたり、果ては文学館などで展示されたりしている現状を鑑みると、私の主義は簡単に揺らぐ。


 私なら、絶対に自分の日記は見られたくない――と思ってしまう。


 個人の領域に土足で踏み入られるようで、恐怖を感じる。


 まあ、もし、私の小説家になるという夢が、何かの間違いで叶うことがあったとしても、私の小説を、ひいては遺した文章を研究したいという好事家は、流石に現れないだろう。


 というか、そんな一時代を築く小説家になることができるとも思っていない。


 ゆうである。


 ならば今書かれているこれは何なのか、と問われるかもしれないけれど、一応は、「私小説的記録」という体裁をとっている文章群である。


 小説であるつもりで書いている。


 故に、虚実皮膜入り混じる。


 まあ、よく考えれば当たり前のことで、例えば登場人物の名なんて、個人情報の塊である。事実をそのまま書いてしまえば、それはプライバシーの侵害である。


 今の時代、本名一つで、何から何まで特定してしまえる世である。


 後は固有名詞、地名などの情報も、注意を払わねばならない。


 架空の名詞を用い、あざむく必要が出てくる。


 とか――そういう風に虚構を織り交ぜている時点で、これを純然たるノンフィクションだとか、エッセイだとは名乗ることはできないのである。


 どうしてここまで危機感を抱いているかというと、実際にそう名乗って、日記的文章をネット上に投稿して、悪意ある者に本当に特定されてしまい、大変なことになった知人がいるのである。詳しくはここには書けないが、最終的には警察沙汰にまで発展した。


 だからこそ、私はあくまで、私小説的記録という前提を崩さずに書いていきたいと思うのである。


 書けるうちに、書けるものを、書き残しておきたい。


 人生は永遠ではない。私だって、いつ書けなくなるか分かったものではない。学生時代の無理と無茶がたたって、大病を患う可能性だって否定できない。


 それまでに、せめて。


 私が存在していた証を、残しておきたいのである。


 再三になるが、これは日記ではない。


 ある作家志望が、己の存在を維持するためにしたためた、私小説的記録である。




(続)

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