第41話「寒威」

 *


 急に寒くなってきた。


 土日の休日に小説を書き溜めよう、電気代節約のために暖房を付けずに陽の光で暖を取ろう。


 そんな稚拙な私の計画を、季節が完膚なきまでに粉砕してくれた。


 寒さで、手と脳がまともに働かないのである。


 計画の見直しが必要である。


 実際この文章も、暖房を付けた状態で執筆している。


 しかしこればかりは、一人の人間にはどうしようもないことである。


 環境を変えること――それはまずは、今の環境に違和感を抱くという点から始まる。


 ずっと在る状態を「普通」だと信じたいという気持ちはとても良く分かるし、自然である。

 

 それに違和感を抱くということは、己の日常、「当たり前」に疑問を抱く、ということでもあるのだ。


 どこぞの名言に「信じるな、疑え」みたいなものがあるけれど、毎日毎日周囲の全てに疑念を払って猜疑の眼を尽くして生きていたら、それこそ精神疾患になってしまうだろう。それに、発言の何もかもを、理由なくいちいち疑ってくる奴と、積極的に会話したいと思うだろうか。私はそうは思わない。


 この名言には、「適度に」という言葉を付随させて飲み込むことをお勧めする。


 別段、疑うということを放棄しろと言っているわけではない。そういう視点は必要である。ただ、衆目を気にせず何でもかんでも疑ってかかる人間になると、面倒臭がられるよ、と言っているのである。まあ、僕はそんな周囲からの視線も気にせず疑い続けるんだ、と主張するのなら、それでも良い。何を思うかは、自由で良いのである。


 自分にとっての当たり前が、当たり前でなくなる瞬間。


 私も何度か、それを経験したことがある。


 友達との何気ない会話で、自分の日常生活の行動が、通常ではないと知った時、とか。


 具体的にどういう時かは言わない。特定されるのが怖いからである。


 私にとってそれらは総じて、衝撃的な事柄であった。


 あ、そうか。


 おかしいのは世界じゃなくて私なんだ、と気付く、そんな瞬間。


 そんな瞬間に、私はどうしようもなく不安に襲われる。


 だからこそ、私は「おかしい」私を、私の中に抑圧して、私は「おかし」くないんだ、と、看板をぶら下げながら、生きている。


 そんなことを思い出した、寒さも本格的になってきた月曜日の朝。


 そろそろ出勤の時間なので、今日はここまでとしよう。


 最後に一つだけ。


 いくら私がおかしくとも、いくら世界がおかしくとも。


 物語じんせいは続く。




(続)

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