第26話「待機」

 *


  「待つ」という行動には、ある程度の人間性というか社会性が要求されるように思う。


 例えば作家志望が、小説の原稿を書き終えたとする。


 これが書き始めて間もない者なのなら、いち早く応募したい、公募小説新人賞に出したいと思うことだろう。


 その気持ちは分かる。


 せっかく原稿を書き終えることができたのだ。それを早くに出版社や他の人間に見せたい、見て欲しいと思うのは、自然な感情である。


 ただ。


 現実的に賞を獲りにいこうとするのなら、推敲は必須であろう。何回するのかは人による。私は最低でも十回はするようにしている。何度も何度もそれを読み直し、誤字脱字や前後関係をチェックして、より良い形を掘り出す。彫刻の作業のように。

 

 それと――私も作家志望となって短いので大仰なことは言えないけれど――一旦小説に何も触れない時間、「寝かせる」時間というのを作ろう、と心掛けている。寝かせることで発酵する訳でもないけれど、一度小説を書き終えた高揚感と熱気を落ち着かせて、極力客観的な視点を持って、作品を見つめ直す時間。それが、私の小説には必要だと思うのである。


 私は、創作友達がいないので比較対象がなく、自分の筆の速さがあまり分からない。今は仕事もあるので、休日だけの換算になる。学生時代の、比較的自由に時間を使えた頃の基準で言うのなら、大抵の長編は、筆の乗りが良ければ3、4日あれば書くことができただろう。


 まあ、いくら速く書けたとて、内容がともなっていなければ意味がない。そう思い、「寝かせる」「待つ」の時間を作るようにしたのである。


 この小説では何度か触れていることだが、小説は読者が手に取って初めて、小説たり得る、と、私は思っている。


 読者の方々が読む、編集の方々が読む、誰かが読む――その前提を忘れた作品が、読み手からどう見られるか、なんて、想像に難くないだろう。


 無論、あくまで「私個人」の話であり、全世界の作家志望の方々がそうするべきだとか、「これぞ正しい推敲・添削の仕方だ」とは、絶対に言えない。そんな責任を負うような発言はそもそもしたくないし、「正しい」って何だよ、という話である。残念ながら私は創作に悩む人々の解答者ではないし、創作の先生でもない。延々と陰鬱な私小説を書いている、作家志望の端くれである。


 そして、この「待つ」という行動について。


 そこには「焦り」という気持ちが邪魔をしてくる。


 早く投稿したい、早く公募したい、早く送信したい、早く自分の小説を評価してもらいたい。


 まあ、その気持ちも分かる。


 かつての私が、そうだったからだ。


 ただ、ここは、はやる気持ちを抑えて、気長に待とうではないか。


 基本的に小説の新人賞は、募集要項に記載がある通り、半年後以降に発表となることが大半である。


 その間に、新たな小説の案が思い浮かぶやもしれない。


 勿論もちろん、新人賞の応募期限は待ってはくれないし、日々それに追い立てられて小説を書くことに変わりはない、けれど。


 この一旦「寝かせる」――「待つ」姿勢だけは、忘れないようにしたいと、私は思った。




(続)

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