第8話「整頓」

 *


 積読という言葉は、あまり得意ではない。


 本は積むと倒れてしまうからである。


 たとえ比喩表現だと分かっていても、せめて整えて置きたいと思ってしまう。


 倒れ、床に衝突すると、自然、状態が悪くなる。


 別段本を売りに出す際の算用をしているわけではない。


 できるだけ本には、傷付いて欲しくないのである。


 いや、分かっている。


 本は、読めば読むほどに摩耗してゆくものである。


 例えば、私の小さな自宅には(一人暮らしをしている)、本で溢れている。そのほとんどが小説である。その中には、私が中学時代に購入した書籍も含まれている。実家から持ってきたのである。その小説は、一見状態こそ悪くはないものの、中を開いてみると、うっすらと汗の跡や、カバーと中の本体がこすれてできた摩擦跡など、色々なところが、古びてしまっている。


 そういう劣化は例外である。


 それは読むことによってできた瑕疵きずで、傷付けようとしてできた傷ではないからである。

 

 本を大切にしたい。


 お前が一体何が言いたいのだと言われれば、それだけなのである。


 昨年新しい本棚を購入して、一日、いやさ休日の二日間を利用して、本の整理整頓に充てたことがある。


 何かが理路整然と並んでいるだけで、頭の中も整えられた心地になるのは、私だけだろうか。


 無論、物理的に積まれているわけではない意味での積読――「書物を買っておいて読んでいないだけ」の本があることは、別に構わないと思う。


 本は、そこにそうしてあるだけで良いのだ。


 ただ――その舞台は整えておきたい、と思うだけである。


 単行本と文庫本の差異があるため、何も考えずに五十音順に陳列すると、凸凹になってしまう。まずそこを分けるところから始める。ノベルスという類のサイズもあるから、これが単純にはいかない。極力シリーズものは、文庫は文庫、ノベルスはノベルスで統一するようにしている。これはポリシーに近いものである。ただ、加筆修正がある場合や、巻末解説を私の好きな作家が担当しているなどという場合は、話が別である。それは別で購入し、差異を堪能する。


 そう、堪能。


 結局私は、楽しむために本を整頓しているだけなのだ。


 いずれは、巨大な書庫のある家に住むことが、私の小さな夢である。




(続)

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