お姉ちゃんの憂鬱は
宇治抹茶ひかげ
お姉ちゃんは
昔からお姉ちゃんは僕に対して口酸っぱくこんな事を言っていた。
「Just do it」
と。お姉ちゃんは純日本人である。続けてこう言った。
「継続は力なり」
さっきと言ってることが違う。英語と日本語に分けた理由は語感の良さからなのか。聞いた事はないが、気になるようなことでもない。この言葉はしかし、僕にとってある種人生の道標になっていた。サブリミナル的に……というか刷り込みが如く心の基盤に入り込んでいたんだと思う。どんな時にもこの言葉が頭をよぎってしょうがなかった。もちろんお姉ちゃんのドヤっという顔もセットである。何をするにもまず始めてみる。そして続ける。勉強を続けられたのも、吹奏楽を続けられたのも、この言葉のお陰かもしれない。
「いい? 葵(あおい)。やる気が出ない、とかじゃないの。とりあえずやってみるの。鉛筆を持つだけでもいいよ。難しかったら少し深呼吸をするだけでもいいの。それだけで終わっても、次の日にまた始めてみるの。そしたらあっという間、葵は自慢の妹になってるからね」
お姉ちゃんは昨今の発言に責任を持たない政治家が見習って然るべきだと言える程に、この言葉を体現する人物であった。真面目、品行方正、おまけに美人。周りからの期待に応え続け、幼少期からの過剰にも思える英才教育を何なく成し遂げ、うやむやな様々で常にナンバーワン。武芸も鮮やかに。そんな姿は見ていてとても誇らしいものであったし、お父さんもお母さんもよく褒めていた。何か賞でも取ると外食やら何やら棚ぼた的おこぼれが貰えたものである。その環境に甘えてたのかもしれない。真にお姉ちゃんを理解していた人物は一人もいなかったのである。僕とお姉ちゃんとでは歳が三つほど離れている。僕は公立の小中高で、お姉ちゃんは私立の学生であった。習い事やらなんやらですれ違う事も多く、僕がその“真実”にたどり着いたのはお姉ちゃんが高校三年生の時であった。学園の方針でお姉ちゃんは自宅学習の時間が増え、中学三年生で同じく受験を控え部活も引退した僕は必然的に自宅で顔を合わせる機会が多くなった。端的に言おう。お姉ちゃんは狂気の一歩手前まで進みきっていた。周期的に奇声が僕の部屋まで届き、廊下ですれ違ってもぶつぶつと英語なのかフランス語なのか若しくは独自に生み出した言語なのかとにかくふらふらして僕の事など気にも留めていなかった。心配になってお姉ちゃんの部屋を訪問してみると、そこには悍ましい光景が広がっていた。本棚もカーペットも炬燵も驚くほど綺麗だった一方で、壁の至る所に習字で『just do it』、『継続力也』と書かれた半紙が貼られていたのである。その上お姉ちゃんはバルコニーに半身を投げ出して参考書を逆さに読んでいた。
「やらなきゃ‥‥‥やらなくちゃいけないんだ‥‥‥」
「呪詛?」
察するに自分の言葉に縛られて大変な思いをしていたらしい。受験が佳境になるにつれてお姉ちゃんの部屋から打撃音が聞こえるようになった。お姉ちゃんが珍しく登校した日に部屋を覗くと、そこには何百体もの藁人形が壁に打ち付けられており、僕は精神科の受診を勧めた。
「大丈夫よ。大丈夫。葵は心配性ね。ところでふふっ、大丈夫って漢字。大きく丈夫だって。葵。面白いね」
どう見ても大丈夫じゃなかった。お母さんとお父さんは共働きで、お姉ちゃんのこの現状についてほとんど知識を持ち得なかった。クリスマスが過ぎ、ようやく仕事の繁忙期が終わった頃。僕はお姉ちゃんについてお母さんとお父さんに、それは仔細に現状を伝えた。
「お姉ちゃんやばいよ」
お母さんとお父さんは事の重大さを認知し、方策を講じる事となった。
「美桜(みお)〜、ご飯よ〜。久しぶりにみんなで食べましょう! 葵も心配してるわよ〜」
「美桜、出てきたらどうだ? 散歩も気持ちがいいぞ!」
「……おーねーちゃん! はーなしましょ!」
お姉ちゃんは数センチだけ扉を開いてこう言った。
「get out here. クロノスとゼウスは置いていけ」
一階リビングで食卓を囲む僕たちは責任の所在を次第にあやふやにするようになった。受験勉強をけしかけたお母さんですら娘の狂気から次第に目を背けるようになりお父さんはそんなお姉ちゃんの姿を見て
「仕事あるから……」
と書斎へ引きこもるようになった。そんな訳でゼウス(しば犬)とクロノス(三毛猫)のみが唯一の意思疎通者となり、お姉ちゃんと対話を行っていた。問題なのは犬と猫の言葉を他の家族が理解できない事であった。そして、正月を迎えた。何らかの旧家の子孫である僕の家には毎年たくさんの親戚が集まる。盛大に宴会が行われ、子供にお年玉が渡される。そんなオメデタイ時でも、お姉ちゃんは部屋の中にいた。いよいよ限界が来たのであろう。縁もたけなわ。酩酊者が半数以上になった時、籠った酒気を流そうと親戚の一人が窓を開けた。
「ふぅ……ん? 何の臭いだ?」
何か焦げ臭い、焚き火をしているような臭いが寒風と共に宴会部屋に流れ込んできた。どうやら庭の奥の方が発生源らしく、大人がわらわらとそちらへ向かい、そして一様に絶句した。
「ふふふ。あっ! 葵! 焼き芋食べる?」
そこにいたのはお姉ちゃんだった。何となく分かってはいたが、本当にそうであると心にくるものがあった。お姉ちゃんは受験に係る教材一式を庭に投げ捨て焚き火をしていた。芋も焼いていた。芋はよく焼けて美味しかった。この渋谷の中央寄りで行われた限界キャンプファイヤーは近所を媒介として瞬く間にインターネットの世界を駆け巡った。そうして僕ら家族は何十代か続いていたらしい渋谷の一等地にある一軒家を親戚に譲り、京都の岡崎辺りに引っ越した。唯一救われるところがあるとするならば、お姉ちゃんはそんな限界を超えた努力もあって第一志望の大学に合格したところである。お姉ちゃんは解放されたのである。受験という呪いとあの部屋、自分で自分を縛る言葉から。同時にお母さんとお父さん、僕の三人も解放された。ゼウスとクロノスは素知らぬ顔であり、少し太った気がするのはおそらくお姉ちゃんがイイものを与えていたのだろう。動物の言葉が解っても懐柔されていた事が察せられる。ここからお姉ちゃんの新しい人生が始まる。誰もがそう思い、入学式の日は祇園に宴会会場を取り、親戚総出で合格祝賀会が行われた。結果としてジジイ連中が騒いだだけの入学祝いパーティで、お姉ちゃんは居心地が悪そうにオレンジジュースを啜っているのみであったが……。それが直接の原因かは因果関係を精査する必要はあるが、お姉ちゃんの大学四年間は金箔になる寸前の引き伸ばされた金のように薄っぺらなものとなってしまった。ふらふらと風の吹くままに京の町を練り歩く。そういう妖怪になった。河原町に行くと一言言い残したと思うと貴船神社で発見されたり、お酒が飲める歳になると夜中まで帰らないことが多く木屋町の芝生で発見されることが度々あった。必要な学問を疎かにし、しかしその場しのぎのハッタリやでまかせに関しては天賦の才があるらしく、単位を落とすことはなく、サークル内でもただ酒を飲むための策を百は持っていたというのはお姉ちゃん本人の話である。本当かは疑わしい。
「私はもう十分やったんだ」
この言葉が大学三年生辺りからの口癖になった。おそらく就職活動に対する一切の情熱がない事を表明する言葉であり、かつて『Just do it』と僕に強く語っていたお姉ちゃんはもうそこにいなかった。どこか遠くを眺めながら鬼ころしをストローで吸い、クロノスを撫でる。お姉ちゃんは、親戚に一人はいる『何をしているかわからない人』になっていた。責任は誰にあるのか。目を向けすぎ、しかしだからこそ目を逸らしてしまったお母さん。仕事を理由に姉と向き合わなかったお父さん。そしてどうすることもできなかった僕。ゼウスとクロノス。放任主義は優しさなのだろうか。お姉ちゃんは大学を卒業し、ニートとなった。部屋に篭ってから、もうすぐで二年になる。
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