49 勝利

 黄瀬川。

 夜。

 ここに陣をいた頼朝は、郎党から、夜間にもかかわらず、面会を申し出ている者がいる、と伝えて来た。


「何者だ」


「それが……頼朝さまの弟、と名乗っておられます」


 となると範頼か。

 いくさに動きがあったとなれば、会いに来てもおかしくない。

 ところが郎党は首を振った。

 郎党は、六郎と呼ばれていた頃の範頼を知っている。

 彼ではないと言う。


「ではたれだ」


「それが」


 兄上に令旨を持っていると告げてくれ。

 そう言われたという。


「令旨」


 それは、以仁王の令旨を意味するのだろう。

 頼朝の叔父、源行家が、潜んでいた熊野の伝手を使って探った、源氏の者たちに渡したという、令旨。

 頼朝が聞いた限りでは、その令旨を渡された者たちの中に、弟がいた。


「奥州の……義経」



 佐藤継信が奥州武者を代表して挨拶し、秀衡からの書状を手渡して来た。

 その書状により、秀衡もまた、頼朝の目の前の若武者が、頼朝の弟の義経であると証していた。

 頼朝が見ると、若武者のまとう鎧のこしらえは相当良いもので、兜の鍬形も立派だ。

 これを用意するには、奥州藤原の財力がないと無理だ。


「これを」


 義経は懐中から絹布――令旨を取り出して、頼朝に渡した。

 筆跡を見ると、頼朝の持つ令旨と同じだった。


「……わかった」


 目の前に座す若武者は、どうやら弟で間違いないようだった。

 しかし奥州の息がかかっていると厄介だな、と頼朝が考えていると、義経が口を開いた。


「兄上、平家は退きました」


「まことか」


 義経は、水鳥の羽音で動揺した兵がいて、それを鎮めたあと、撤退したと語った。


「水鳥」


「そう。そのあと、さっと消えるように退いていって……陣も燃やしたし、相当の……」


「それだ」


 頼朝は立ち上がり、義経によく知らせてくれたとその手を握った。


「こうしてはおられぬ。義経、行くぞ」


「い、行くって、どこへ」


 義経は、彼にしては珍しく、余裕を失ってしまった。

 それだけ頼朝の反応は、義経の振り幅を越えていた。


「決まっている」


 頼朝は笑った。

 猛禽の笑いだった。


「甲斐源氏だ」



 富士川にいた甲斐源氏・武田信義も、当然、燃え落ちていく平家の陣を見ていた。


「罠かもしれない」


 信義は麾下の将兵の軽挙妄動を避け、動くことはなかった。

 客将の源範頼も、夜間の戦闘は危険だとして、やはり動くことはなかった。


「もし、退いているのならなおのこと。退かせればよい」


「そういうものか」


 北条時政は、寝ぼけまなこをこすりながら、そう言った。

 こういう時は追い首と言って、追い討ちして手柄を得るものだが、それをしないとは珍しい。

 そう思ったが――時政の勘が、その方が良いと告げていた。


「……いくさのしかたが、変わりつつあるやもしれんな」


「ただ、怠けたいだけかもしれませんよ」


 亀が、あきれたような表情をしていた。


「そうともいう……が、そろそろ、兄上より動きがあろう。時政どの、盤双六でもして待ちますか」


「おう、それは良いな」


 甲斐源氏という群れの中のよそ者の時政と範頼、そして亀は、いつの間にやら盤双六をする仲になっていた。

 そして盤双六に興じていると、武田信義から、頼朝が来たと告げられた。



「武田どの、これは大勝利ですぞ、大勝利」


 うわあ。

 頼朝の貼りついた笑顔に、範頼、時政、亀、そして初対面の義経すら、そう思った。

 それをしり目に、頼朝はわざとらしく武田信義の手を取り、こう言った。


「なんと平家の奴ら、水鳥の羽音に恐れをなして、泡を喰って逃げたようですぞ」


「おお」


 武田も武田で間者や物見をばら撒いて、様子を探っていた。

 彼らもまた、水鳥の羽音や、火のことを報告していた。

 なぜ、逃げたのか。

 そのあたりを確かめようとした矢先に、頼朝のおとないである。

 信義は何か微妙な違和感を感じていたが、頼朝の次なる台詞に、それも吹っ飛ぶ。


「見事。まさに見事。これぞ、われら源氏の勝利。武田どのには、これから駿河にありて……駿河を守護して欲しい」


「……うむ」


 信義は勝ったと思った。

 頼朝に勝ったと思った。

 われら武田は、甲斐、信濃を押さえ、そして今、駿河を手中にし、それを頼朝に認めさせたと思った。

 なにせ武田は……。


「武田どの」


 そこまで考えたところで、武田信義の思考は中断した。

 頼朝が辞を低くして、鎌倉に戻るにあたって、時政と範頼、亀を同道したいと申し出たからだ。


「むろん、これから武田どのが遠江を手に入れるのに、助けは惜しまん。そうそう……遠江をものにしたら、遠江を守護してもらいたい」


 実際、武田信義の弟である安田義定が遠江を攻めるにあたり、範頼が協力したという。そして遠江を征服したのちは、義定は遠江守護に

 いずれにしろ、信義はあの平家を退けたという歓喜と、頼朝に駿河、遠江支配を認めさせたという実利に、舞い上がってしまった。

 そしてその隙に「ではこれにて」と頼朝と義経は退出した。

 範頼らはどうしようかと顔を見合わせていたが、信義が「よいよい」と言ったので、やはり退出した。


「……兄上、なんて男だ。武田どのの勝利を、平家のに――の勝利に、してしまった」


「しかも、わしらまで返させるとは」


「今に始まったことじゃないでしょう」


 こうして富士川の戦いは、平家が水鳥の羽音に驚いて潰走、と伝えられる。

 頼朝は最後の局面に、黄瀬川に陣をかまえただけだが、戦いの勝者は頼朝とされる。


「そりゃあ兄上が、いろいろと手ぇ回した結果だから、しかたないよねぇ」


 義経がそう言って範頼の肩に手を回した。

 誰だこいつはという顔をする範頼に、「かわいい弟ですよ」と笑う。

 範頼は天を仰いだ。

 頼朝といい、義経といい、何で自分の兄弟はこう、が強いのだろう、と。

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