とある大雨の時のこと
「あいつは仕事を手伝おうともせぬ」
またか。
父がでかい声で母に文句をぶちまけています。
部屋を隔てても、私には丸聞こえのでかい声です。
父が言うのは、トラクターの事。
振動が大きく、腰が痛くなる、とぶつぶつと文句を言うのです。
ぶつぶつ、と言っても、小さな声でなく、外を歩く人には丸聞こえの大音声です。
「少しは儂の代わりにとも言わぬ。儂がこれだけ苦労しているというのに」
呆れて物も言えません。
私は自室で溜息をついていました。
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ほんの数日前の事です。
「父上。私が代わりましょう」
父が腰が痛い、背中が痛い、とあからさまに文句を言うので、煩くなり、進言したのですが・・・
「動かし方は分かるのか? お前に出来るわけがなかろう。儂が手取り足取り教えてやらねばならぬのか? 40を過ぎたバカ息子に? そんな時間はない。阿呆な事を言うな。今日中には全てやらねばならぬ。全くとんでもない事を言うな」
父は私の進言を突っぱねました。
「ア、左様で。されば父上に任せます」
「トラクターは儂がやる。お前は大人しくきゅうりを植えておれば良いのだ」
「はい」
「お前はトラクターの整備など分からぬであろう」
父の横に置いてある冊子を見ると『整備マニュアル』と書いてあります。
「はい」
「もう一度言うぞ。儂がやる。お前は大人しくきゅうりを植えておれば良いのだ。一切、農機に触るな。これだけではなく、耕運機にもだ。全部に触るな。全ての。農機に。触るな。適当に動かして壊しでもしたら大変な事になる。興味本位で言うな」
農機に興味などありません。
私にとっては、当家の農業に携わるもの全てが憎悪の対象です。
重ねますが、別に農業そのものが憎悪の対象という訳ではなく『当家の』です。
「承知致しました。私は、全ての農機に一切触りませぬ」
「それで良い。バカな事を申すでない」
「申し訳もございませぬ」
「もう少し頭を使え」
「申し訳もございませぬ」
「行け。さっさときゅうりを植えよ。こんな馬鹿話をしている時間はない」
「は」
振り向いて立ち去ろうとしたのですが、
「おい、ちょっと来い」
「は?」
時間がない、と言っていたばかりです。何の話やら。
「良いか。このトラクターに使うオイルはこれで・・・」
「はあ・・・左様で」
この整備講座のお陰で、1時間を無駄にし、昼飯の時間も遅れました。
そして、昼飯の時間には、私に箸の先を突き付け、母に文句を言いました。
「息子のせいでこんな時間になったぞ。全く」
「そうですね」
「なんで儂がいちいちトラクターの整備の仕方教えねばならぬのだ。仕事中であるというのに・・・云々」
「そうですね」
勝手に整備講座を始めたのはあなたです、という言葉を、私も母も飯と一緒に飲み込み、生返事をしながら昼飯の時間を終えました。
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それからしばらくして、大雨が降りました。
水は氾濫し、多くのビニールハウスにも被害が出ました。
勿論、天気予報で大きく警告が出たので、倉庫の農機や肥料などの運び出しもしようとしたのですが・・・
「お前は来ぬで良い」
「は?」
「お前が運び出すと、元に置いてあった場所が分からなくなるで、儂と母ちゃんだけでやる。パソコンで遊んでおれ」
「宜しいので」
「良い」
降り出した雨の中、父と母は出て行きました。
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水は腰よりも高く出ました。
幸いなことに、当家のビニールハウスは倒れる事もなく、被害は少ないものでした。
雨も小降りになり、私と母は外に出て、空を見上げていました。
「母上、治まってきましたね」
「そうですね。水が引くにはもう少しかかるでしょうけれど・・・」
「運び出しは大変だったでしょう」
「ええ・・・せっかく、息子が自分から手伝うと言うのに、あの人は」
がらりと乱暴に戸が開きました。
真っ赤な顔をした父が出て来て、私を怒鳴りつけました。
「息子!」
「は?」
「お前は何をしとるんだ!」
「は?」
「ハアではないわ! 儂らが散々苦労して、農機やら肥料やらを運び出していたというのに、パソコンでお遊びか! のんびり座ってネットのお仕事か! パソコンでファミコンでもしておったか!」
「・・・」「・・・」
パソコンでファミコンとは・・・
「口を開けて空など見ておるでないわ! そんな事をする時間があれば手伝え!」
手伝うな、と言ったのはあなたです。
堪らず、母が口を挟みました。
「息子は自分から手伝うと言っていたではありませんか。それを断り、家に居なさいと言ったのはあなたですよ」
「む」
珍しく、父が口ごもりましたが、それも一瞬の事。
「それを押して手伝おうと言うが、まともな息子であるとは思わぬか! お前さんはなっとらんのだ!」
「は。申し訳もございませぬ。されば、こちらへ避難させた肥料、農機も私めが1人でお運び致します。明日はお休み下さい」
「そうせよ! 今日はまだ水が引かぬ! 明日の朝一番でやれ!」
「委細、承知致しました」
「母ちゃん! このドラ息子を手伝ってやれ! どこに置いてあったと場所の指示をするだけで良い!」
「あなた」
言いかけた母を置き、父は乱暴に戸を閉め、家の中に戻って行きました。
私も母も溜息をつき、首を振りました。
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そして翌朝。
私は朝一番に置き、外を見に行きました。
まだ水は引ききっておらず、道路は浅く冠水していました。
畑はこの住宅地よりも少し低いので、足首くらいの高さまで、まだ水は残っているだろうか・・・
と、考えていると、びしゃびしゃと水を鳴らし、父が歩いて来ました。
「何をしとるんだ」
「水の様子を見ております。まだ引ききっておりませぬ。畑の方はも少し深かろうかと存じます」
「そうだな。儂も気になって見に来た。寝ておれ。水が引いたら儂と母ちゃんで運び出す」
「・・・左様で。手伝わずとも宜しいですか」
「良い。お前が手伝うと、とんでもない所に置いて、場所が分からなくなる」
「宜しいので」
「くどい。二度寝でもしておれ」
「はい」
この後の展開が目に浮かぶようです。
案の定。
遅くなった昼飯の時間、父は私に箸の先を突き付け、
「お前は何をしていた。儂らが運び出しをしておった間、ぐうすか寝ておったか」
「父上」
「言い訳をするでないわ! トラクターくらいは運べたであろうが! 畑まで運転してくるだけであるぞ!」
「父上・・・この家の農機に触るなと固く言い含めたのは、父上ではありませぬか」
「そのくらい柔軟に考えよ!」
柔軟な対応をしたらしたで、余計な事をするなと怒鳴られるのは分かっています。
ならば何もせずに怒鳴られた方がマシ。
「言われねば何もせぬのか!」
「父上は私に何もするなと仰られましたが」
「そんな事を言った覚えはない!」
「朝。一緒に水の引き具合を見ていた事は覚えておりませぬか。父上と母上で運ぶゆえ、私は二度寝でもしておれと言ったのは、覚えておりませぬか」
「言った!」
「言われたのでその通りに致しておりましたが」
「何故手伝わなんだと聞いておるのだ!」
「・・・」「・・・」
私と母は言葉が出ませんでした。
父にはその理由を、今、話したのですが、聞こえていないようです。
「あなた。運んでおります間も、息子には手伝わせないと、あなたご自身が言っておりましたよ。どこへ置くか分からぬゆえ、と」
「そうだ!」
「農機も、あなた以外は触らぬようにせよ、と、仰っていたではございませんか」
「当たり前だ!」
「なれば、息子が手伝わぬは当然でございましょう」
「柔軟に対応せよと言っておるのだ!」
「では、息子は何をしておったら良かったのですか」
「知らぬ! そんな事は自分で考えるのだ! 此奴は考える事をやめておるのだ! 言われた事しかせぬロボットなぞいらぬわ!」
仕事ではなく、ご機嫌取りを考えろ、です。
「以後、気を付けます」
「以後ではない!」
「あなた」
「全く! 母ちゃんに言うで、もう言わん。考えるのだ!」
「は」
私と母はちらりと目を合わせ、箸を進めます。
このような食事が、2、3日おきに行われるのが、当家です。
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