第5話 記憶喪失
刑事が聞いてきたことは、本当に形式的なことでしかなかったが、それ以外としては、
「犯人に、何かの意図が感じられないか?」
ということを、もう少し知りたかったようで、
「犯人の動きがゆっくりであり、にやけているように見えた」
というだけでも、刑事には興味をそそられたようだった。
ということは、
「この刑事は、猟奇殺人と思わせて、何かの含みのある犯罪なのではないか?」
と考えがあったのだろう。
特に、この事件で、
「被害者が殺されなかった」
ということに、向坂もそうであるが、刑事も興味を持ったようで、
「ここまでして、とどめを刺していないというのは、何とも、本末転倒なことではないだろうか?」
ということであった。
確かに、とどめを刺さなかったというのは、他にもあることであるが、問題は、向坂に対して、余裕があるような態度を取っておきながら、それだけの余裕があるのであれば、被害者の息の根を止めるくらいのことは、最低の仕事ではないか。
それができないということは、
「これほど、呆れた犯罪もないだろう」
と思うのだ。
だからこそ、
「呆れた」
とう発想よりも、
「何かの意図が隠されている」
と考える方が、
「よほど間違いはない、自然な発想となるだろう」
としか思えないのだった。
ただ、この、
「とどめを刺さなかった」
ということと、
「犯人の意図がどこかにある?」
ということが結びつくのかつかないのか?
それが問題なのではないだろうか?
それを考えると、やはり、被害者の意識が戻るのを待つしかなかった。
被害者の意識が戻ったと、病院から連絡があったのは、事件があってから、
「5日目」
だったのだ。
「少し時間が掛かりすぎていないか?」
と考えた刑事は、
「それだけ、ショックが大きいのかな?」
と感じたのだった。
警察の方では、前述のとおりの、
「通り魔殺人」
であったり、
「猟奇犯罪」
という連続性がないのかどうか。調べてみたが、この管内では、今のところ、そういう連続犯罪は起こっていないということであった。
ただ、
「この事件が、実はプロローグだとすれば、これから、連続事件が起こるかも知れない」
といえるし、下手をすれば、連続犯罪ということではなく、それに便乗した、
「模倣犯」
ということも考えられるではないか?
だが、この管内だけではなく、県警に範囲を伸ばしてみたが、どうも、
「連続通り魔」
であったり、
「猟奇殺人」
めいた犯罪が起こっているというような話はなかった。
ただ、今回の犯罪は、目撃者がいる中で行われたということと、
「被害者が死んでいない」
ということで、
「犯人捜索」
というだけではなく、さらには、
「被害者が、さらに狙われるのではないか?」
という恐れがなきにしもあらず、
ということで、警察の方としても、
「捜査の手を緩めないようにしないといけない」
と、警察内部でも、パトロールその他、強化することになった。
被害者の意識が戻ったということを病院から言ってきていないということも、警察の方とすれば気になるところだった。
刑事としても、
「この事件は、本当に猟奇殺人であったり、愉快犯というような、変質者の犯罪なのだろうか?」
ということは感じていた。
とにかく、被害者の意識回復を待って、事件の話を聞ける日が待ち遠しかった。
そんなことを考えながら刑事の方としても、
「病院から連絡が入りました」
という話を聞いた時、捜査本部の中で思わず、時計の日にちを見たのが、初動で駆けつけて、その時、いろいろ指示を与えていた、
「桜井刑事」
であった。
桜井刑事は、事件発生から、5日が経っていることを確認し、あの時、一緒に初動に出かけ、向坂に事情を聴いたもう一人の刑事である、
「中川刑事」
が、さっそく病院に向かったのだ。
二人は、かなり勇んでいったのだった。
「これで、やっと事件が進展する」
と考えたからで、それまでの捜査で、最初に聞いた目撃者である、向坂以外の話がまったくどこからも出てこないということで、そのほとんどは、
「向坂からの情報」
しかないわけで、
「そんな状態で、捜査をすれば、それこそ思い込み捜査ということになり、一方通行からの情報だけで、却って考えが錯綜するようであれば、本末転倒だ」
といえるのではないだろうか?
それを考えると、
「被害者から、どんな情報が得られるのか?」
ということと、中川刑事などは、自分なりの、犯人像であったり、事件の輪郭を、勝手に思い浮かべていた。
本当なら、
「よくないことだ」
と思われるのだろうが、いくら刑事とはいえ、
「人が考えていることを邪魔できない」
ということになる。
しようと思っても、考えることの自由は、まわりからはどうすることもできないのだ。
それを思うと、
「警察といっても、捜査を厳重に監視することは、難しい」
といえる。
特に、冤罪であったり、昔のような、
「取り調べには、拷問が必要だ」
と呼ばれていた時代があったのだから、
「時代に逆行することは、許されない」
といっても過言ではないだろう。
それが、
「事件の真相を暴く」
ということへのジレンマであったとすれば、
「捜査しにくい世の中になったものだ」
といえるだろう。
そんな状態において、二人の刑事は、
「一縷の望み」
という気持ちで、病院に向かった。
すると、そこで、思いもよらぬことを言われて、二人はショックを受けたが、そのショックを最初に強く受けたのは、桜井刑事の方だったが、実際に、長くその尾を引いたのは、中川刑事の方だった。
「ショックなことが大きければ大きいほど、ショックに対しての覚悟ができて、想像以上に、立ち直りが早いのかも知れない」
と、中川刑事は、桜井刑事に感じていた。
そして、桜井刑事は桜井刑事で、
「ショックが小さい方がいいように思うけど、実際にはそうでもないんだな」
と、お互いに相手が、自分のことを気づいているとは思ってもいないのに、相手のことが分かっている。
これは逆にいえば、
「人のことなら、意外となんでも分かる」
という言葉があるのを、思い出す結果になるのだった。
それとも、
「この二人の刑事の性格は似通っているということなのだろうか?」
と思ったが、逆に、お互いのことを分かっているのは、
「似ているからなどではない」
ということなのかも知れないと感じるが、
「間違ってはいないが、思い込みは禁物である」
という気持ちにもなるのだった。
中川刑事は、桜井刑事を尊敬している。
それは、普通に部下が上司に対して寄せる、
「尊敬」
と同じで、仕事上の付き合いというような、普通の感覚でいるのが、中川刑事だった。だからこそ、その気持ちは、冷静であり、人がみると、かなり寄り添っているように見えるだけに、
「冷静というよりも、冷淡に見える時がある」
といってもいいのではないだろうか?
逆に、桜井刑事は、中川刑事のことを、
「リスペクト」
していた。
上司なのだから、部下を尊敬しないというのはおかしいわけで、ただそれを尊敬といってしまうと、部下が上司を尊敬する感覚と同じイメージになるので、使う言葉としては、
「リスペクト」
であったり、
「オマージュ」
という言葉を使うことだろう。
といっても、これは、
「桜井刑事の特徴」
といってもいいだろう。
というのは、
「桜井刑事は、何も、中川刑事だけをリスペクトしているわけではない。他の部下でも尊敬できる人にはリスペクトしているのだ。長年勤務しているので、その間に何人もの、新しい人が入ってきている。それを思うと、数人の人間をリスペクトしてきたわけで、
「これからも、どんどん増えていくんだろうな」
と感じるのだった。
最初はチームで、そのうちに、部になり、さらに、署全体の中に、目が広がっていくので、
「それだけ、リスペクトする人も、同時に何人も増える」
といってもいいだろう。
「桜井刑事がリスペクトしてくれるから、俺も、尊敬できるんだよな」
と感じる部下も多いようで、それも一つの、
「人心掌握術だ」
といってもいいだろう。
そんな二人が、病院に行くと、それを出迎えた主治医が、自分の部屋に、二人の刑事を呼んだ。この主治医も、今までに仕事柄、何かの被害者であったり、事件がらみというのに携わったことがあるので、初めてではないだけに、刑事の訪問には慣れていた。
「刑事さんが、お二人で来られるというのも、この事件に何か感じるものがあったんですか?」
と医者が聞くので、二人の刑事は顔を見合わせて、
「ああ、いや、鋭いですな。まぁ、今のところ、連続性のありそうな事件ではないので、、一つの殺人未遂事件として調べているんですが、目撃者の話によると、犯人は、そんなに慌てていたわけではないというのに、殺しそこなっているというのが気になるところでしてね、そう思うと、また狙われる可能性もあるかと思うんですけど、ただ、犯人が被害者の知り合いなのかも知れないという話もあるので、それであれば、被害者の意識が戻ってから、しっかり聞けばいいということで、意識が戻るのを、じっと待っていたという次第なんですよ」
と、桜井刑事が話した。
実は桜井刑事は覚えているのだが、相手の医者が、以前にあった事件で、面識があったということを覚えているのかが気になって仕方がなかったのだ。
ということであった。
桜井刑事の横にいる、中川刑事は、じっと黙って聞いていた。中川刑事も、二人が顔見知りだということは、桜井刑事を見ていれば分かったというもので、相手の医者が覚えているかどうかと感じたが、今見ている限りでは、
「覚えていないのではないか?」
と感じるのであった。
桜井刑事は、前にこの医者の患者が、事件に巻き込まれたという時、自分が担当したことがあった。
今回と同じように、殺人未遂事件の被害者だったのだが、その時は、単純に、色恋沙汰の縺れが絡んだのであり、ただ、そこに、
「不倫の結末」
ということが絡んできたのだ。
不倫といっても、実は、女の方、つまり、被害者の方は、
「先に旦那が不倫して、その面当てに、奥さんが不倫したという、W不倫だった」
ということである。
どうして、不倫女性が、殺人未遂の被害者になったのかというと、
「旦那の不倫の面当てに自分も不倫をするということで、その相手が自分だなどというのは、許されないことだ」
ということであった。
確かに、男のプライドとしては、そんな面当ての出しに使われたのでは、男のプライドが許さない。
確かに、
「旦那が不倫をしている」
ということは分かっていた。
そして、男の方としても、
「旦那が不倫をしているんだから、俺にもワンチャン」
という、浅はかな考えがあったのも事実であった。
しかし、
「旦那が不倫をしているからといって、俺が、その面当てにされるというのは、男としてもプライドが許さない」
という、理不尽な怒りだったのだ。
男というのは、結構、
「自分のことを棚に上げたりするものだ」
というのは、
「最初はこの女、旦那に浮気されたということを聞いてほしいということで、俺に頼ってきたのではないか」
ということで、その話を聞いてやることが、
「男冥利に尽きる」
と思っていたのだ。
しかし、そのうちに、
「ただの面当てだ」
と思うと、
「まさか、まだ旦那に未練があるから、面当てするんじゃないか?」
と思うと、自分が体よくあしらわれていると感じると、許せなくなってくるのだった。
男の気持ちも確かに分からないでもない。男とすれば、女から、頼られると
「好かれている」
と思い込むもので、思い込んだら、自分でも、どうすることもできないと思うほどに米がってしまうことがあったりする。
特にそれが、
「旦那の不倫」
ということであれば、本当に、男は、
「俺にもチャンスがあるのでは?」
と思い込み、それを自分が悪いことをしているという意識にならないのだ。
普通に、順序だてて考えれば、
「俺だって、火事場泥棒のようなものじゃないか?」
と思えるのだろう。
そして、そう感じれば、
「俺が一番くらいなタイプの行為ではないか」
と思えるはずなのに、なまじ、相手に頼られてしまったことで、
「この女には、俺が頼りなんだ」
というだけではなく、その思いが高じて、
「この女には、俺しかいないんだ」
というところまで思ってしまえば、
「俺がこの女を好きになるのは、一種の人助けではないか?」
と感じてしまうと、それは、すでに恋愛ではなくなってしまっているのだ。
そんなことを考え始めると、
「自分が悪いことをしている」
という意識も、
「普段は強いはずの、プライドも消えてしまっていることだろう」
何しろ、相手は、
「旦那に浮気された」
という弱みと、こっちには、
「俺を頼ってくれている」
という、
「大義名分があるではないか」
と思うことで、女との関係は、
「誰もが認めるものであり、お互いに相思相愛なんだ」
ということになるだろう。
しかも、それは、この男が、そこまで本気で、その女のことを愛しているわけではなく、男とすれば、
「愛されたので、好きになった」
という感情であろう。
そうなると、相手の女が、旦那に対しての面当てが、自分に来たのだと思ってしまうと、男の方とすれば、
「せっかく、好きになってやったのに」
という風に思うことだろう。
しかも、
「相手が梯子を掛けて、自分をそこに昇らせたのに、昇った瞬間に、その梯子を取り外し、置き去りにしてしまった」
と考えると、
はたからみれば、これほど情けないことはないだろう。
「どうして、俺がこんな惨めな思いをしなければならないんだ?」
と思うと、男とすれば、その心境はm、
「可愛さ余って憎さ百倍」
ということになるのだ。
完全に、
「勝手な理屈」
なのだろうが、女のすべての行動に男は振り回されたのである。
正直、
「同情の余地はない」
といってもいいのかも知れないが、まったく情状酌量がないわけでもない。
しかも、最後の最後で、
「殺すまでに至らなかった」
というのが、この男が小心者だということか、それとも、男が、まだ未練を持っていたということなのか、そこは、自分にしか分からないことであろう。
桜井刑事は、その時のことを覚えていたのだが、この医者は覚えていいるだろうか?
確かこの医者は、前述の内容を、分析して語っていたような気がした。
だから、覚えていないというのもおかしな気がするが、そもそも、専門は外科医だったはずで、
「精神科的な発想は、管轄外」
といって、確か他の医者から、一蹴されて、それ以上不必要な言動は控えていたようだった。
あの時のことがもし、トラウマとして残っていれば、余計な事を口にしないという意味でも、忘れていたというに違いない。
そこで、桜井刑事が
「久しぶり」
と声をかけると、キョトンとしていたが、それが、本当に忘れていたのか、忘れていたというポーズなのか分からなかった。
ただ、
「あの時は、どうもお世話になりました」
というと、相手は、
「ああ、あの時の刑事さんですね?」
と、今思い出したような言い方をしたが、そこに、別に違和感がなかったので、
「本当に忘れていただけなのかも知れないな」
と感じた。
まあ、別に今回の事件とは関係がないことなので、それ以上言及するつもりは、桜井刑事にはなかった。
医者は、桜井刑事が、今度の患者の担当だということを知ると、医者の方から、いろいろ話しかけてきた。
「今回の被害者ですけどね。だいぶ、首を押さえつけられていたので、もう少し時間があれば、絶命されていたかも知れないですね」
ということだったので、それを聞いた時、桜井刑事の頭の中は、
「目撃者が言っていた。余裕をもって殺そうとしていた」
というのも、間違いではないと思ったが、
「それなら、なぜ、思い切って、とどめを刺そうとしなかったのか?」
と感じると、今度は、前の事件で、医者が言っていた言葉を思い出した。
「殺そうと思えば殺せたのに、未練があったからなのか、それとも小心者だったからなのだろうか?」
ということである。
それに触れてはいけないと思ったのか、何も言わないでいたが、
「前の事件で、私も同じことを感じたんだけど、桜井刑事も同じことを思っているようですね?」
といって、医者はまた、前と同じことを口にした。
それはまるでデジャブを見ているようで、以前に感じた思いを、またしても感じたという感覚であったが、
「その犯人がどういう人なのか分からないけど、彼女を殺そうと思えば殺せていたのであれば、以前の犯人のような、ためらいがあったのではないでしょうかね?」
と医者は言った。
「どうして、そう思うんですか?」
というので、
「かなりの恨みを持っていたのではないかと思うんですよ。だから、彼女の方は、男が現れた時に、相当の大きなショックを受けたのではないかと思うんですよ」
と医者が言った。
それを聞いて、桜井刑事は、
「ん? どうして、そこまで断定的な話ができるんですか?」
と、医者に言った。
桜井刑事をはじめとして、今回の事件で、細かい事情は、誰にも明かしていない。
ということであれば、
「被害者が、自分の口からそのことを話したのではないか?」
と思ったが、何しろ、本人は殺されかけたのだ。相手が医者であるとしても、そう軽々しく、自分のことを話すだろうか?
今は疑心暗鬼になっていることだろう。
医者は、何か不可思議な空気が漂っているのを感じると、すかさず、そして静かに、口を開いた。
「被害者の彼女、記憶喪失になっています」
というのだった。
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