第4話 意図的なのか?

 真っ暗な丸い物体は、こちらを振り向いたようで、そこには、帽子をかぶった真っ黒なサングラスをかけて、マスクをした男が、こちらを振り返り、こちらが、たじろいでいる瞬間に、慌てて逃げていったのだ。

「一瞬のことで、目が追いつかない」

 とは、まさにこのことであろう。

 というのは、気のせいだったのかも知れない。

 男が慌てていると感じたが、そのわりには、音はほとんどしなかった。

 目撃されて、

「まずい」

 と思ったのであれば、慌てて逃げるその間に、幾分かの音がするというのは当たり前のことで、そのことに、その男は分かっているのか、急いで逃げるというよりも、

「音を立てない」

 ということに集中しているかのようだった。

 よく考えれば、

「俺に気づかれてもいいが、他の人には気づかれては困る」

 と感じていたのではないかと思えるほどで、もしそうであれば、向坂には、その男が少なくとも、不可解に感じられた行動の理屈も分かる気がした。

 しかし、だからといって、その男の意図がどこにあったのか分かるはずもなかった。

 そんなことを考え、意識がその男に集中していたが、次の瞬間。またしても、

「ううう」

 といううめき声のようなものが聞こえたので、我に返ったのだ。

「あっ」

 と思い、そこに、うつぶせに倒れている男がいたのだが、

「どうしてそのことにすぐに気づかなかったのだろう?」

 と感じた。

 その人が男であるのは、うめき声で分かった気がした。さっきまでは、恐る恐るであったが、うつぶせで倒れている男が、どのような状態なのか、もうここまでくれば、容易に想像ができるというののだ。

「大丈夫ですか?」

 と声をかけて、急いでその場に駆け込んでいった。

 もう、今の状況がどういうものなのか、想像がついたというもので、その想像が間違いないのであれば、これから自分が行う行動はハッキリと分かっているというものだ。

 そこで苦しんでいる男は、さっき、この場から立ち去って行った男に、首を絞められたのだろう。

「ミシミシ」

 という音は、首を絞められる時の音であり、

「ううう」

 といううめき声は、明らかに首を絞められて、悲鳴を上げようにも、声を出すことができず、苦悩の中でも苦しみにあえいでいるというところであろう。

 急いで男に近寄ってみると、男は、息はあった。今のところ、死んでいるわけではないので、まずは、

「救急車の手配」

 が最初だった。

 すぐにスマホで、救急車の出動を要請し。さらに、警察にも電話を入れた。そこまでやっておけば、あとは救急車の到着を待つばかりであった。

 冷静さを取り戻してくると、自分の置かれている立場というものが、少しずつ分かってくるのだった。

「自分は、殺人未遂事件を目撃したことになるのだ」

 ということであり、当然、警察からの事情聴取が待っているのは当然のことだろう。

 正直、犯人と思しき人間の顔は見ていない。

 見たとしても、帽子をかぶっていて。サングラスをしていた。さらに白いマスクをしていたという、一見して怪しい恰好であったが、今の時代では、この格好は、決して怪しいわけではない。

 5年以上前くらいであれば、

「なんとも怪しい人物」

 ということであるが、

「今のような、世界的なパンデミック」

 というような状況下であれば、その問題は、

「しょうがない」

 といっても過言ではないだろう。

「世界的なパンデミック」

 というのも、最近では、世界的にも収まりかけていて、政府も、

「金を掛けたくない」

 という理由から、そのパンデミックも、規制が緩和されたのだ。

 そのかわり、

「治療費も、ワクチン代も、すべてが、今までは患者はただであったが、これからは、実費となることになった」

 という分かりやすい理屈だった。

 政治家が、自分たちの金を圧迫されるということで、緩和したのである。

 そして、ここでは、政治家というものが、

「自分たちの金」

 と思っているところが、肝であり、間違いなく、その金は、

「政治家たちも金」

 なのである。

 そう、あってはならないはずのことだが、それが存在しているというのが、真相なのだろう。

 ただ、それが、

「許されることなのか?」

 というのは、あくまでも、勝手な思い込みであり、

「本当に、政治家というのは、それで正しいのか?」

 といえるのだろうが、問題は、

「そんな政治家を選んだのは、国民だ」

 ということである。

 中には、有権者の中には、

「俺はそんなやつに投票はしていない」

 ということになるのだろうが、それだけのことなのだろうか。

 確かに、投票はしていないかも知れないが、この世が、

「民主主義」

 というものである以上。

「数の多いものが勝ち」

 という理屈になり、実際に、投票した人間でなければ、確かに責任はないかも知れないが、何を言っても、

「後からでは何とでもいえる」

 ということになる。

 何しろ選挙においては、名前を書いて投票するわけではないので、

「これが、俺の票だ」

 といっても、その証拠はどこにもない。

 投票しなかったという証拠であれば、

「選挙にいかなければいい」

 ということであるが、そうなると、

「そもそも、選挙に行かないということは、政治に参加していないということで、そんな人間に最初から、口を出す権利はない」

 という、

「投票したしない」

 という以前の問題である。

 それが、民主主義というもので、何といっても、数の勝利というのは、結局は、不正を読んだり、

「票を金で買う」

 ということで、

「金を持っている人間が強い」

 ということになり、それが、果たして公平な政治ができるという政府をキチンと作り上げる世界なのであろうか?

 それを思うと、世の中というものが、

「どれほど汚い世界なのか?」

 ということが分かるというものである。

 民主主義には、さらに、大きな問題があった。

 そもそもの民主主義というのは、

「自由、平等、博愛」

 という精神から生まれたといってもいいだろう。

 しかし、

「自由」

 というものと、

「平等」

 というものを比較した時、

「絶対にそれらが、並び立つものではない」

 といえるのではないだろうか?

 自由というものを、優先するのが、

「民主主義」

 というものの、やり方であった。

 平等というものは、考え方ということであり、実際の経済などは、自由競争というものが、率先される。

 平等という静的なものであれば、何かを動かすことはできない。

「経済を回す」

 ということは、

「自由競争」

 によって、

「よりよいものを社会に発信していく」

 というのが、企業の目的であり、それだけに、利益を出さない企業は、

「罪悪だ」

 とまで言われるようになっているではないか。

 つまりは、

「自由競争」

 によって生まれる、

「より良い製品」

 は、社会を便利にしてくれて、それらを購入する人がたくさんいるから、その企業は儲かり、新たな開発を行う基礎になる金ができるというわけだ。

 自由競争では、いくら一度勝ったからといって、安心していては、すぐに追い越されてしまう。

 一度負けた企業は、次は死に物狂いで開発をしてくる。そして、勝者は、それにおごることなく、新たな開発に、こちらも必死になる。

 しかし、経済力の違いから、どうしても、有利なのは、

「金を持っている」

 つまりは、

「力が強い」

 という企業が、勝ち残るかのようになるであろう。

 それを考えると、

「民主主義の行きつく先は、貧富の差を生む」

 ということでの、それが進んでしまうことで生まれる

「格差社会」

 というものである。

「格差社会」

 というものは、次第に、貧富の差を拡大させるという意味で、

「汚職まみれ」

 の世界を作ったり、

「贈収賄」

 というものが、世の中にあふれ、政治家が率先して、そんな社会を作りあげるということで、言い方は悪いが、

「腐った社会」

 というものが、末路には待っている。

 といってもいいだろう。

 そんな民主主義というものを、

「社会の限界だ」

 ということで、別の経済社会の考え方が生まれてきたのが、

「社会主義」

 という考え方だった。

 こちらは、基本としては、

「平等」

 である。

 民主主義の、

「平等という考え方と排除しないと、結局は、格差を生むことになり、そこには、汚い社会が蔓延ることになる」

 ということではないだろうか。

 それを考えると、生まれてくる考えは、

「徹底した、競争のない世界」

 ということで、平等を大切にするということは、

「皆同じ給料で、競争を生まない」

 ということになる。

 そうなると、格差社会が生まれることもなく、汚職もなくなれば、政府の癒着もなくなるというものだ、

「実に理想的な社会への考え方」

 であったが、実際に蓋を開けてみると、いろいろな弊害が生まれてくる。

 まず一つは、

「自由競争ではなく、皆が同じ給料であれば、すべての仕事内容に格差があってはいけない」

 ということになるのだろうが、そんなことが現実的にあるわけではない。

 そして、自由競争ではないということであれば、誰も先を見ようとはしないだろう。

「頑張っても頑張らなくても結果は同じだ」

 ということであれば、

「誰が好き好んで、一生懸命に頑張るか」

 ということになる。

 そして、企業は、すべて。国営ということになり、個人企業にしてしまうと、国家の知らないところで、勝手に自分たちだけで決めてしまうことになり、それこそ、

「民主主義の弊害」

 を生み出すことになってしまうだろう。

 それは許されるわけもなく、どうすればいいのかというと、一番先にしなければいけないのは、

「取り締まることのできる、

「強い政府」

 というものを作ることだ。

 しかし、それは、一筋縄ではいかないだろう。

 そこで、社会主義国のほとんどは、

「専制君主」

 というものに近い形の、

「独裁国家」

 というものであった。

 基本的には、

「一党独裁」

 という、

「強い政府を作るのは、民主主義のように、政府にも競争があってはいけない」

 ということで、一つの強力な党の出現から、

「強い指導者」

 が世の中を掌握するという必要がある。

 かつての社会主義がそれであり、そのせいもあってか、どうしても。人間というと、自分が、

「絶えず誰かに狙われている」

 というような、疑心暗鬼になってしまい、猜疑心の塊ということになると、

「粛清」

 ということを行うようになる。

 国内外に、諜報機関のネットワークを設け、とにかく、

「自分を、どんなことをしてでも守る」

 ということを考えるようになるのだ。

 そうなると、

「独裁者のための国家」

 ということになり、最初の基本であった、

「平等」

 というものが、音を立てて崩れていくのが、社会主義であり、それを、

「ソ連の崩壊」

 というのが、証明したではないか?

 マスクをつけたり、帽子をかぶるなどというのは、

「今の時代は当たり前」

 ということであり、逆に、

「政府がいいと言ったから」

 ということで、ノーマスクをしている人の気が知れないというところかも知れない。

 実際に、パンデミックが収まったわけではなく、

「重症化しない」

 とは言われているが、実際に、罹った人は、その影響が、後遺症として残っていて、苦しんでいる人もいる。

「数か月は、味覚障害があって、味もしない」

 という人もいるだろう。

 それよりももっと大きな問題として、

「仕事での自分の立場」

 という人もいる。

 一度も罹ったことがない人からみると、

「一週間が経ち、熱が下がったのだから」

 という目でしか見ない。

 しかし、後遺症に悩まされている人は、

「会社に出勤するだけで辛い」

 という状況になっているのに、それを会社の上司であったり、まわりは分からないのだ。

 だから、

「伝染病のせいにして、楽しようとしている」

 と思われるのだ。

 しかし、考えてもみれば、そんな風に思われてまで、楽をしようと普通は思うだろうか?

 そこまで考えるのであれば、そもそも、

「体調が悪い」

 といって、会社を休んだ方が、自分も楽だ。

 もちろん、有給があればということであるが、それをしないということは、

「本当にきついんだ」

 と、どうして上司は思わないのだろうか?

 それだけ、

「自分の身になって考えるということができない上司が増えたということなのか?」

 それとも、

「誰もが、自分のことだけしか考えられないような社会になった」

 ということなのだろうか?

 どちらにしても、

「嘆かわしいことだ」

 といってもいいだろう。

 要するに、

「そんなことも分からない」

 いや、

「分かろうとしない上司が増えた」

 ということで、

「自分のことだけで精一杯」

 と言えばいいのか、よくわからない世の中だ。

 マスクをつけた男が立ち去って行った方向に目をやると、、

「まだ、その男がそのあたりに潜伏しているように思える」

 というほどであった。

 それだけ、その男は、堂々としていた。

「向坂に見られたのは分かっているはずなのに、慌てることもなく、何事もなかったかのように逃げているくらい」

 の感覚だった。

 それは、まるで、

「向坂に見られていることは、最初から計算ずく」

 とでもいうのか、下手をすれば、

「にやけていた」

 と言ってもいいくらいなのかも知れない。

 そのにやけていたということを思い出すと、気持ち悪くなってきた。

 それこそ、ちょっとした風でもゾッとするような感覚になるようで、

「熱もないはずなのに、熱が出てきた」

 というような感覚になってしまっているように思えるのだった。

 男が立ち去った方向を見ていると、そこに何かの臭いが残っているかのような気がした。

 それが、

「臭い」

 なのか、

「匂い」

 なのかが分からない。ひょっとすると、

「無臭」

 なのかも知れないが、もし、それでも臭いが残っているとすれば、それは、

「その男のたたずまいから感じさせる雰囲気からの臭い」

 ではないだろうか?

 服装も見えず、顔もはっきりとは分からない。目つきも、そんなに睨みつけるような感じではなく、どこも、特徴的なところは分からなかった。

 ただ、

「そこにいるだけで、怪しい」

 というだけで、男の様子の不気味さに、

「どう表現すればいいのだろうか?」

 ということであった。

 服装だけではなく、顔の雰囲気は分からなかったが、目つきの悪さは感じなかった。

 むしろ、その落ち着きが気持ち悪いくらいで、こちらを見て、マスクで隠されたその奥の口元は、口角が上がって、完全に、ニヤッとした表情になっているように思えてならなかったのだ。

 警察か、救急車のどっちが先にくるか分からない中で、自分と、隣で苦しんでいる人だけの二人というのは、実にやりきれない気分であった。

 最初に来るのがどちらであっても、

「こんな経験は初めてだ」

 と感じる向坂としては、

「早く来てくれるに越したことはない」

 と思うのに、こんな時に限って、なかなか時間が過ぎてくれないということを、いまさらのように感じたのだった。

 どれくらいの時間が経ったのだろう?

 救急車か警察が来る前に、向坂はその場の雰囲気に慣れてしまった。救急車がやってくるシーンは、以前に、

「自分とは関係のないところで見た」

 ということがあったので、それは、自分が、

「野次馬だった」

 ということで、要するに、

「事故現場に居合わせた」

 という野次馬の中の一人だったということで、完全に、立場としては、

「蚊帳の外だった」

 と言っていいだろう。

 やはり最初に来たのは救急車で、3人の救護班が被害者のバイタルなどを確認しながら、本部と連絡を取っているようだ。

 そのうちに警察もやってきて、その様子を見ながら、救急車で被害者が運ばれていくところを見送りながら、一人の刑事が、救急車の中に乗り込んで、病院に付き添うようだった。

 それを見た向坂は、少し安心した気分になり、自分の中で、少し一段落した気分になると、これから待ち受けている警察の事情聴取も、そんなに気にすることもないような気がしてきた。

 何といっても、自分は目撃者であって、容疑者でもなんでもないんだ。ただ通りかかって巻き込まれただけの人間だということも警察だって分かっているだろう。

「俺が通報者なんだからな」

 という気持ちである。

 警察は、鑑識数名と、刑事が二人やってきていた。

 最初は、こちらを一瞥するかのように、一瞬見るには見たが、かまうことなく、自分たちのことをしていた。

 一人の刑事が、鑑識や部下にテキパキとした指示を与えている、

 それは、普段からの、事件に対しての行動マニュアルのようなものからだったのだろう。それだけに、実に手際が良く見えたものだった。

 真っ暗な中で、照明が照らされ、そこから伸びる影が、いつもの

「暗い中でのさらに暗い影」

 という雰囲気ではなく、普段の昼間と錯覚するくらいの明かりではあったが、しょせん、太陽の光ではない、人工的な光だということで、錯覚を覚えそうであったが、それ以上に、平面である影が、次第に立体化していくように見えるのが、不思議だったのだ。

 静寂な中で、形式的に行われる捜査は、厳かに見えるが、不規則な音と、騒然とした雰囲気を醸しだすことで、普段の喧騒とした雰囲気とは、一味違う状況に、普段とは違う気持ちが、どこかからか、みなぎっていた。

 そんな中で、一段落がついたのか、それが、ライトの明るさで、昼間の明るさになって、どれくらいの時間が経ったのか、自分でもよく分からない。

 目は確かに慣れてはきていたが、普段見たことのない光景に、戸惑いは隠せない状況だったのだ。

「15分くらいじゃないかな?」

 と思ったが、実際にどれくらいなのか、正直分からない。

 一人の刑事が、こちらにやってきた。この刑事は、最初に、テキパキと指示を与えていた人ではなく、逆に、

「指示を受けていた方の人」

 だったのだ。

「あなたが、通報していただいた方ですね?」

 と言われたので、

「ええ、そうです」

 と答えると、その返事に刑事は別にリアクションは何もなく、手帳を取り出して、そこに聞いたことを書こうと、準備をしているようだ。

「お名前と職業を、よろしければ、教えてください」

 ということで、警察の事情聴取なのだから、隠す必要もないので、説明をした。

 その内容を、スラスラと書いているのは、

「慣れた手つき」

 といってもいいだろう。

「あなたが、この場所に通りかかったのは、帰宅途中ということでいいんでしょうか?」

 と刑事が聞くので、

「ええ、そうです。今日は有人と映画を見る予定があって。街まで出ていたので、その帰りだったんですよ」

 というと、

「ほう、映画ですね?」

 と一瞬、刑事が顔を挙げた時、その表情が明るくなったように感じたのは、この刑事が、映画に興味がある人ではないかと感じたからだった。

 しかし、すぐに我に返ったのは、

「これが、事情聴取だ」

 ということを思い出したからに違いない。

 向坂は、学生時代からの親友と映画を見たということを話して。そこからの帰り、バスから降りて、このような光景にぶつかったのだということを説明すると、刑事は、いちいち頷くようにして、手を動かしてメモを取りながら、自分でも、

「うんうん」

 と頷いていた。

 向坂が、一応の説明をすると、今度は刑事が、いろいろと聞いてくるのだ。

 やはり、実際に目の前で見たことを説明するとなると、聞いている方は、自分の思い込みで判断することになるので、質問もたくさんあってしかるべきだろう。

 それを、もししないとすれば、話を聞いても、興味がない人か、そのことに直接関係のない人のことであろうことは、ハッキリとしているのであった。

「ところで、向坂さんは、こちらの道は毎日通勤に使っておられる道ですか?」

 と言われたので。

「ええ、そうですね」

 というと、

「じゃあ、通りなれた道ということで理解してよろしいのかな?」

 とさらに、刑事は追い打ちでも掛けるかのように聞いてくるのだった。

 そこにどのような意味が隠されているのか分からないが。話を聞いていると、

「刑事の知りたいことが何なのか?」

 ということが分からなくなってきて、却って、その話に興味が湧いてくる気がしてきたのだ。

「ええ、通りなれた道ではありますが、この時間は珍しいかも知れないです。今日は休みだったので、普段なら出かけないので、あまりバスに乗ることもないのですが、乗ったとしても、いつもは日が明るいうちに帰ってくることが多いので、休日のこの時間というと、自分では、大げさにいえば、深夜くらいんお感覚ですね」

 というと、刑事は、一瞬、その大げさな口調に失笑したかのように笑うと、

「そうですか、じゃあ、普段のお仕事の時は、却って、まだ遅い時間の方が多いということでしょうか?」

 と、向坂は、そのようなことは一言も言っていないのに、刑事が勝手に気をまわして、そういったのだろう。

 それを考えると、

「ええ、そうですね。いつもは、残業というのが日常茶飯事だったので、今日よりも、一時間近く遅い時間というのが、普通かも知れませんね」

 ということであった。

 だから、この時期であれば、どっちにしても、日が暮れている時間であることに間違いはないので、

「暗さに目が慣れている」

 ということなのだろうと、刑事は察したのではないだろうか?

 そして、刑事もその気持ちは分かるのか、

「休日と平日とでは、同じ暗さであっても、感じる感覚がまったく違うでしょうからね。特に今日のようなアクシデントに見舞われればですね」

 と刑事は言った。

 刑事としては、この事件を、

「アクシデントだ」

 と考えているのだろうか、幸か不幸か、

「被害者は死んでいないのだ」

 それを考えれば、

「被害者の意識が戻れば、ある程度のことは分かるかも知れない」

 と感じたのだった。

 となると、

「この事情聴取は、それこそ、ちょっとした予備知識に過ぎない」

 と思うと、急に気が楽になり、身構えていた気分が少し落ち着いてきた。

 すると、それまでの疑問を、刑事にぶつけてみようとも感じたのだ。

 その疑問というのは、いうまでもない。

「犯人が、慌てることなく、その場から、悠然と立ち去った」

 ということであった。

 それを目の前の刑事にぶつけてみることにしたのだ。

 刑事も、向坂が、

「何かを言おうとしているが、ハッキリと言い切れない気持ちにある」

 ということを察していた。

 それが、どういうことなのか分かっていない以上、必要以上に相手に尋問してしまうと、せっかく言おうとしている気持ちを踏みにじる感じになってしまい、

「下手なことはいえない」

 と感じたのだが、それを刑事としても、

「この人が分かってくれていれば」

 という他力本願的な発想だったのではないだろうか?

 それを思えば、

「昔、テレビドラマで見た刑事の事情聴取を思い出してみたが、実際に刑事から事情聴取をされてみると、まったく違っている」

 という感覚になってくるのが分かったのだ。

 実際に、経験してみることと、昔に見た刑事ドラマとでは、明らかに、

「視点が、自分目線なのか、他人の目線なのかということだけで、正反対の発想になるのかと思いきや、同じであって、同じでないような不可思議な感覚になりつつある」

 ということを感じるようになってきたのだった。

 しかし、向坂が、

「犯人の様子が、スローモーションのようにゆっくり見えた」

 といった時、刑事は、何かを感じたような気がしたのだが、それは、刑事にも、犯人のわざとらしさというものが分かったのではないだろうか?

 もちろん、その意図まで分かるわけではあるまいが、今までに刑事生活をしてきた中で感じていた。

「刑事の勘」

 というものだったのではないだろうか?

 犯人に何かの意図があったとすれば、それは、

「犯人にしか分からないことなのかも知れないし。たくさんの経験をした刑事だから分かる」

 ということなのかも知れない。

 と感じているのであった。

 そこに、何かの意図があるとすれば、そのことを分かっているのは、

「被害者でしかない」

 ということで、そういう意味でも、被害者に息があったというのは、幸いだっただろう。

 ということは、

「犯人は、計画を失敗した」

 ということになり、その分、

「俺ににやけた態度をとったというのは、被害者は死んだと思っているであろう犯人にとって本当に失敗だった」

 ということになるのだろうか?

 それを考えると、

「男も意図は一体どこにあるのか?」

 あるいは、

「男の目的は何なのか?」

 ということがこれから、徐々に捜査で分かっていくことになるということを、この刑事は分かっているということなのか。

 それを思うと、向坂としては、

「この事件は、普通に当たり前の事件だ

 という解釈でいいのだろうか?

 そんなことを考えていると、

「犯人は、人殺しをしておいて、目撃者ににやけた顔を見せる」

 これだけを聞けば、猟奇犯罪の要素が満載で、

「変質者か?」

 あるいは。

「病気による、精神疾患を持った人物の犯行なのか?」

 ということになり、

「無差別殺人」

 であったり、

「猟奇犯罪」

 という側面を持った犯行も考えられると、

「被害者とすれば、何も分からない」

 ということではないだろうか。

 となると、被害者が、分からないという犯行であれば、そういった、

「無差別殺人の様相を呈してくる」

 というもので、被害者から、犯人を割り出すというのは、難しいことになってしまうのではないだろうか?

 となると、今度は、

「この付近で、似たような犯罪がないか?」

 ということになってくる。

 もしあったら、

「連続無差別殺人」

 という問題となってくる。

 今回のように、未遂で終わった事件も含めると、かなりの無差別犯罪というものが、全国的には毎日のように、起こっているのではないだろうか?

 社会問題になり、下手に不安をあおるのも、まずいということで、報道規制を掛けている場合もある、そうなると、警察内部でも、機密になっている可能性だってあるだろう。

 それを考えると。

「犯人には、何等かの動機や、意図というものがあってしかるべき」

 ということで、

「却ってないようであれば、そっちの方が恐ろしい」

 といっても過言ではないだろう。

 それを考えると、この犯罪が、

「意図的なものなのか、あるいは、猟奇的なものなのか」

 ということと、

「動機がハッキリとしていて、犯行計画に基づいて行われた整然とした犯罪である」

 ということのどちらなのかを考えると、

「後者の方が、圧倒的に捜査がしやすい」

 ということになるであろう。


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