間話 次へ

 鋼の剣が立てていた懸賞金もなくなり、危険度がDにまで下がった戸貝雪護衛任務は、任務達成となった。


 幹部の俺は、必然的に次の任務へ駆り出される。とはいえ、休みはあるようだが……。今回はどれだけ休めるかな。


 荷物を空中本部に送って、俺はプライベートジェットの時間を確認した。まだ全然大丈夫だ。夜頃に出るらしいが、今は真上に太陽がある。部屋から出ると、声を掛けられた。


「行くのですね」

「夜か。昇進おめでとう。さすがエリート」

「幹部からのお褒めの言葉、痛み入ります。というのは冗談で」

「冗談なのかよ!」

「……行ってしまうのですね。もう少し、ゆっくりしていけばいいのに」

「しゃーないだろ。俺は、幹部なんだから」


 夜は昇進が決まった。日本の支部長候補として、前線――とは言ってもポジションは後ろだが――を今まで以上に経験して、より良きエリートへ。夜の目標でもあったし、素直に喜ばしい。


 夜は俺が死ぬよりも、俺が疲れていないかが心配なようだ。


「大丈夫だ。癒されたよ、日本での暮らしは」

「ワタシのナイスバディーも堪能しましたしね」

「オッサンかお前は……」

「む、今をときめく美少女お姉ちゃんになんて言い草。今なら――軽いキスで許してあげます」


 無言で、俺は彼女と唇を重ねた。


「……じゃあな。また会おう、夜」

「ええ。死んだら祟りますからね」

「追い打ちはやめろ」


 苦笑すると、彼女は微笑みを向けてきた。俺も本物の微笑みを返して、外に出る。


「とりゃー!」


 しばらく道を歩いていると、物陰から飛び出してきた砂羽を回転投げで応対。くるん、と軽い身のこなしで受け身を取ると、不服そうに砂羽が唇を尖らせる。


「ちぇーっ。結局一本も取れなかったや」

「お前は本当にしんどいやつだな……。やめろっつってんだろ」

「やめないもんねー! でも……行っちゃうんだね、やっぱ」

「そりゃそーだ。俺はお前と違って忙しいんだよ。お前は暇なんだから、ちゃんと寝て、ちゃんと食って、ちゃんと生きろ。……またな、砂羽」

「うん! また休暇ができたら日本においでよ! また温泉でもいこっ!」

「おう」


 手をちぎれんばかりにブンブン振る彼女に小さく振り返して、俺は目的地に向けて歩き出す。


 砂羽は戸貝雪の友人として、そして護衛として、この場に留まる。昔も、今も変わらず、チョーカーは白のまま、そのままの評価だ。それでいい。比較的平和な方だろう。


 メイリンは俺と同じく別の場所に行くのだそう。アメリカだっけか、次は。何か、教官として招かれたのだとか。あの強さなら納得だ。


 暇を潰そうとしていたカフェへの道のりで待っていたのは、もう一人。


「ちっす!」

「おう、楓子。これからどーすんだ? 俺の任務についてくるか?」

「いや、無事当たったみたいなんで、これから、当分休養っす」


 お腹をさすりながら、妊娠キットを見せてくる楓子。そうか、まぁあんだけすりゃ当たるか。


「そういや、他の連中は冷凍精子だったのに、何でお前は直接を望んだんだ?」

「経験したかったっすから。そういうことも――認めた男性に抱かれるということも。いやぁ、楽しかったっすよ! ……できれば、行ってほしくないくらい。でも、そういうわけにはいかないんっしょ?」

「ま、幹部だからな」

「っすよね。日本に来る時、絶対顔出して欲しいっすよー! 約束っす!」

「はいはい、わーったよ。……またな、元気でいろよ、楓子」

「もちっすよ! アタシの強さはアンタが一番知ってるっしょ、絢っち!」


 バシバシと背中を叩かれ、彼女はけらけらと笑いながら去っていった。


 俺は、喫茶店に一人、友人を誘っていた。いつか一緒に訪ねてみたいと言っていたその喫茶店に、俺は特に迷いもせずたどり着く。


 中に入り、奥の方へ。そこで、アイスのカフェラテを飲んでいた――戸貝雪に片手を挙げた。


「よっ、雪」

「絢さん!」


 俺はメロンクリームソーダを選んで席に落ち着く。おずおず、といった様子で、雪が口を開いた。


「転校するって、聞きました」

「おう。ま、お前の安全が確保できたんで、俺は異動って感じかな。本当に……お前に危害が及ばなくて、良かった」


 しみじみそう噛みしめつつ、運ばれてきたクリームソーダに口を付ける。


 わざとらしい香料と、アホみたいな透き通る緑色。その上に乗っているアイスを沈めつつ、俺はスプーンを雪に向けた。


「いざとなったら夜に連絡付けろ。俺は駆けつけられないから。でも、ま、たまになら話し相手になってやるぞ」

「上からですねぇ」

「生憎と忙しいんだ。でも、こんなにのんびりした任務は、久々だった。こんなに、組織以外の女の子と仲良くなったのも、久々だ。貴重な経験だったよ、雪」

「ふふっ……! でも、嬉しかったです。初めての男の人の友達ができて、まるで物語の世界にいるような人で……!」

「惚れたか?」

「はい!」


 冗談めかして投げた言葉が、フルスイングで打ち返された。少し照れくさくて、スプーンでアイスを混ぜ混ぜとやる。


「素直に言えばいいってもんじゃない。ただ、俺は最悪な経験をお前にさせた。一瞬……お前を命の危機にさらした。醜態だ。どうあっても挽回したい。最後に一個だけ、願いを聞いてやる」

「……じゃあ、最後のお願いです。キスをしてください。今、ここで」


 そういう雪の唇に、自分の唇を合わせる。少し、コーヒーの味がした。向こうは、真っ赤になりながらコーヒーを飲んでいる。


「……コーヒーが、甘く感じます」

「そうかい。俺はちとほろ苦いぞ」

「コーヒーのせいです。女の子のキスはきっと甘いんです!」

「それは唾液のせいで甘く感じてるだけだぞ」

「ロマンがないですよ。もう少しロマンチックを下さい!」

「無茶言うな……」


 とりとめもない雑談。そして、別れ際――


「また、お会いできますか?」


 という言葉に、俺はこう返した。


「また会えるさ。多分な」


 会える保証もない。それどころか、命の保証すらないというのに。


 約束をしてしまったからには、日本に来たら会いに行こう。新しく増えた個人的なナンバーを見ながら、俺は空港へと向かった。





 透明な檻の中に、少女達がいる。


 アリス・メイソンの私軍。活殺自在の首輪で死の恐怖によって命令を順守させられている少女達。けれども、構成員のほとんどが自分は不幸ではないと思っている。


 逆らわない限り、衣食住は保証され、金を頑張って稼げばその枷を外してもらえる。そして、どんな無能にもそれなりの待遇が約束されている。


 人間には見えない透明な基地で、今日も少女達は動く。


 その中に一人、青年がいた。


 首輪を最初から付けられていない、イレギュラー。彼一人を除いて、構成員は全員女性だった。


 そんな異物で異端な青年は、幹部で、ある年代には憧れで、アリス・メイソンの恋人で、お気に入りである。


 彼は、今日もまた、恋人のお願いを聞くことになる。


 それがどんなに絶望的でも。どんなに不可能なことだとしても。


 恋人のお願い一つ叶えてやれない男など、死んだ方がマシだという、彼の隠れた信念も利用されているのを知りつつも、やはり嫌いになれない。


 さあ、愛しい人。次は、俺に何を望む――?


「次の任務を与えます、絢――私の、愛しい人」

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