コドク箱 4
「ったく、俺もこう見えて暇じゃねえんだけどな」
無精ひげを生やした男は、そう言ってぼさぼさの髪を気だるげに触る。
男のよれよれのワイシャツには、ネクタイがツタのように巻き付いており、彼の服装に対する無頓着さが見てとれた。
男は机の上にあった煙草に火を点け、口に運ぶ。
ギシギシと鳴る廃棄物寸前の椅子にもたれかかりながら、彼は天井に向かって煙を吐き出した。
「それで? 今回は何もってきたんだよ」
義時と廻の二人に、男はどんよりとした視線を送る。義時に視線で促された廻は机の上に例の箱を静かに置く。
それを手に取ってぐるぐると造りを確認するその男を、廻はまだ信用しきれてはいない。
なぜ二人がこの男を訪ねる事になったのか、それは数時間前に遡る。
「参ったね、見当もつかないや」
業者から写真を受け取って、二日が経った。
義時と廻の二人は、箱の出所や曰くについて調べていたが全く目星がつかずただ時間だけを無為に過ごしていた。
二人のいる居間には箱についての資料が、海のように広がっている。
箱について調べる為に、民族工芸や様々な地域の伝承の資料に加え、過去の類似する品の取引目録などを引っ張り出したがやはりどれも核心迫れるようなものは無い。
ネットでの検索も似たようなもので、有益な情報は得られなかった。
調査に当たって改めて山城武に、マツについて電話でいくつか話を聞いたが、山城マツという老婆はかなり偏屈……もとい人付き合いが少ない人間だったらしく、武自身も彼女の家に行った事は子供自体から現代に至るまで数える程度しかないという話だ。
結局得られた使えそうな情報は、彼女が九州の生まれだという事ぐらいだった。
「兎にも角にも情報が少なすぎる、俺は知識が無いしお前も……」
「今回の『箱』についてはさっぱりだ、不勉強の極みだね」
「どうすんだ? 山城さんは急がなくてもいいとは言ってくれたけどよ。いつまでも待たせるわけにゃいかねえし」
重い沈黙が、二人のいる居間を包む。
お互いに言葉にはしないが、諦めに似た感情もほんの僅かだが湧き上がって来た。
だがそれと同時に、ここで調査を投げ出すわけにはいかない、という思いも二人の中にはある。
「……仕方ない、あの人に聞いてみよう」
義時はため息と共に立ち上がると、店にある電話に向かう。
「あの人? あの人って誰だ?」
「ああ、そういえば君はまだ会った事が無いんだったね。先代からの知り合いで、何度か今回みたいなケースの時に手を貸してもらってる」
渋々と義時は受話器を取って、番号を打ち始めた。
廻は電話の先の相手が誰なのか見当もつかない、そんな彼の様子を見て、安心させるように義時は笑う。
「餅は餅屋、専門家に頼むのが良いだろうと思ってね」
「なんだよ、そんな人がいるなら早く言ってくれよ」
廻の言葉は、もっともだ。
そんな都合の良い人間がいるなら、もっと早く言って欲しい。そうすれば埃を払いながら資料を書庫の奥から引っ張り出す手間も、散らかった居間を掃除する手間もいらないのだから。
「そういう訳にもいかないのさ、まあ……色々とあったからね」
それをお前が言うのかという廻の心中を知らないまま、義時は受話器を耳に当てた。
彼には件の人物が電話に出て欲しい、という気持ちと出ないならそれはそれでという相反する二つの気持ちが存在する。
だが彼は知っている、大概こういう時の結末を。
『……何の用だ』
不機嫌そうな男の声が、受話器から鼓膜に流れ込む。
あまりにも予想できた結末に、義時は小さく苦笑いをした。
そして彼らは
正門横にある守衛所にはすでに話が通っており、二人が名乗ると年老いた守衛は待ってましたと言わんばかりに、手早く来館証を手渡して来た。
二人は学生時代を思い出しながら、例の電話相手である
「なあ、いい加減に教えてくれよ。その三枝って教授に、なんでさっさと連絡しなかったんだ?」
あの電話を終えてから、何度か廻は義時にその質問を投げかけたが、今までずっとはぐらかされていた。
「どういう人か軽くでも教えてくれねえと、こっちもどうすりゃいいか分かんねえんだよ。知らずに失礼な事とかしたくねえし」
義時は歩きながら、少し考えたような顔をした後にふうと一つため息を吐いた。
「……悪い人じゃない、少し口が悪い時もあるけどね。礼儀とかに関しても、どちらかといえば緩い方だと思う」
「なんだ、じゃあ身構える必要ねえじゃん」
「そうなんだけどね、実は君がうちに来る前にも協力をお願いした事があってさ。その時に……まあ色々あって連絡を控えてたんだよ」
廻はその『色々』という部分が気になったが、義時のあまり見ないような表情に気を使い、尋ねることはしなかった。
そうこうするうちに、二人は徹の研究室の扉の前に立った。
「それじゃあ開けるよ」
数回のノックの後、不機嫌そうな男の声が扉の向こうから聞こえた。
扉を開けて中に入った二人をまず歓迎したのは、鼻をくすぐる煙草の臭いだった。八畳ほどの部屋は想像以上に整理されており、部屋の両側にある棚も様々な地方の民俗学に関する資料が丁寧に並べられ、来客用のソファーやテーブルも埃一つ無い。
唯一汚れているのは、教授である徹が使っている机ぐらいなものだった。
「お久しぶりです。三枝さん、以前はお世話になりました。時間をつくって頂きありがとうございます」
ブラインドから差し込む光を浴びながら、窓の外に視線をやっていた男が振り返る。
ぼさぼさ髪に無精ひげを生やしたこの男こそが、電話の主である三枝徹だった。
そして、話は冒頭へと戻る。
「ふん……箱ね、なるほどこれはまた面倒そうなものを持ってきたもんだ」
徹は一通り箱を見た後、机の上に箱を置いた。
そして義時から、鳥居の写真を受け取りそれにも目を通す。
「どうですか? これが何か分かりますか?」
「まあそんなに急ぐな、せっかく来たんだ。茶でも飲んでけよ」
不機嫌そうな低い声とは裏腹に、徹の機嫌はそこまで悪くないらしい。
人数分のコーヒーを用意すると、二人にソファーに座るように促し、自分もその前に座った。
「見慣れない顔がいるな、君は?」
「挨拶が遅れました、少し前から『さやま』で働かせてもらっている山野廻といいます」
「そうか、聞いてるかもしれないが俺は三枝徹。こいつとは先代からの腐れ縁ってやつだ。よろしく」
挨拶を簡単に済ませると、徹はコーヒーを一口飲む。
「しかしずいぶん久しぶりだな、前に会ったのは……ああ
「ええ、その節は本当にお世話になりました」
廻は、二人が口にした海境村という名前に覚えが無い。
それもそのはず、海境村で義時と徹の身に起こった不可解かつ陰惨な事件は、彼が『さやま』にやってくる半年も前の話だからだ。
「あの時はえらい目にあったよな、俺もお前もよく五体満足でここにいるもんだ」
「……ええ、本当に」
「海境村とは? そこで何が?」
廻の質問に二人は答えない。
少しの沈黙の後、徹はコーヒーをぐいと一気に飲み干し、にやっと口元を歪める。
「まあその話はまた今度ゆっくりしよう、今はこの箱が優先だ」
徹は机の上に置かれた箱を指差す。
二人はごくりと生唾を飲む、神妙な顔をした徹の口から自分たちの望む答えが出るのか? ただその感情が彼らの視線を徹にむかわせた。
「ぐるっと見たが、はっきり言って俺にもよく分からん」
気の抜けた答えに、がくりと廻の力が抜ける。
義時も何も言わないが、顔にはほのかに困惑と落胆の色が浮かんでいた。
「全く思い当たる節が無い、と?」
「まあ正確に言うと『中身』については分からない、って事だな。外側の箱については似たのを見た事がある」
そう言って徹は立ちがり、棚からいくつかのファイルを取り出した。
灰色のどこにでもありそうなファイルの表紙には、『祭具:九州地方』とある。
「これは九州地方で作られ、使用されたとされる祭具をまとめたものだ」
「すいません、祭具とはなんでしょうか?」
「祭祀という、神仏や先祖をまつる行為に用いられる道具だ。代表的な物としては太鼓、鐘、鈴、笛といった所だな」
廻の質問にすらすらと答えながらも、徹のファイルをめくる手は止まらない。
何ページかめくり、ファイルの中ほどまで来た所で彼の手が止まった。
「これ、似てると思わないか?」
ページの中央に貼られた一枚のモノクロ写真、日焼けの具合や粗さからかなり前に撮られたものである事が伺える。
そしてその写真には、二人が受け取った箱に似た物が映っていた。
「表面の模様や大きさもかなり近い、恐らくはこれで当たりじゃないか?」
ファイルを手に取り、義時と廻の二人が改めて箱と写真を見比べる。
細部こそ若干の違いはあるが、徹の言う通り大きさや表面の模様はほとんど同じだった。
「おそらくこれで間違いないかと。でも不思議ですね、祭具という可能性も考えてそういった資料も見てみたんですが、こんなにあっさりと出ては来ませんでしたよ」
「この箱を使って行われる祭祀は、九州の限られた一部地域でのみ行われるものだ。見つからなくても不思議じゃない」
机の上に置かれたファイルの写真をトントンと指差し、徹は二人の方を見る。
「こいつは『箱おくり』つってな、箱の中に『鬼』を封じ込めて追い払うらしい。不作、疫病といった良くない事が起きた年の終わりにやるみたいだな」
「箱の中身は鬼、ですか」
「鬼と言ってもまさか本物の鬼じゃない、厄という概念を見立てた何かだろうな」
徹はカップを持って立ち上がり、二杯目のコーヒーを注ぐ。
「古来から、厄や穢れを何かに封じて追いやるという儀式は多く行われて来た。
そう言いながら、彼は二人にコーヒーのお代わりを進める。
二人もそれに応え。厚意に甘えて二杯目をもらった。
そして二人はファイルのページをめくる、そこには祭祀の様子を映したと思われる写真が並んでいる。
病的なほどにきっちりと並んだ民衆の前で、神主のような出で立ちの人物が先ほどの箱を鳥居の奥へと置こうとする様子が収められていた。そしてその中の一枚、今まさに箱が鳥居の向こうに置かれようとしている瞬間を映したものがあった。
他の物よりもかなり近づいて撮影したのだろう、鳥居の造りや箱の模様がかなり分かりやすく映っている。
「この鳥居! これって……マツさんの家にあったやつじゃないか?」
「ああ、大きさや造りから見て、恐らく山城マツの家にあったものと多分同じだろうね」
やっと手掛かりを手に入れた二人の顔に、喜びの色が滲む。
だがそれとは対照的に、徹の顔には暗い影が差し込んだ。
「どうしたんですか? 何か気になる点でも?」
徹の表情の変化に気付いた廻が、何の気なしに尋ねる。
徹は一瞬の逡巡の後に、二人の方を見た。
「やっぱりお前ら、良くねえ物を引き受けたな」
困惑する二人からファイルを受け取り、徹は写真に写る鳥居を指差した。
「ここをよく見ろ、この鳥居……額束が向こうを向いてる」
「額束?」
「鳥居の上についてる、神社とかの名前が入ってる部分の事だ。でだ、そいつがあっちを向いてるって事がどういう事か分かるか?」
少しの沈黙の後に、義時が口を開く。
「箱が送られた方が外、という事ですか?」
「そうだ、鳥居は人間と神の世界を分ける結界……いわば境界線だ」
「鳥居は箱の方を向いている、つまり人間の世界からこの箱は追い出されている……」
「ちょ……ちょっと待ってくれ! 話がよく分からなくなってきたんだが……」
「廻君、仏教の言葉で
「いえ……」
穢土とは仏教用語で、煩悩にまみれた穢れの多い土地。現世を意味している。
言葉を意味を徹から聞いた廻も、少し遅れて事態を飲み込み始めた。
「穢土からすら追い出された箱……」
「ああ、ただでさえ穢れ煩悩に満ちた現世である穢土。そこよりもあの鳥居の向こうは更に下の世界という事になるな。そんな場所に捨てられる『鬼』と呼ばれる厄は一体どれほどのものだろうな」
廻は、そう話す徹の方を見れなかった。にわかに震える手でカップを持ち、コーヒーの水面に映る自分の顔を見つめる。
鳥居の向こうに送り捨てられた箱、それに封じられた鬼。
山城家の人間は、黒田竜二は、何を引きずり出したのか。
そしてそれに自分たちが、深く関わってしまったという事実が彼の心に影を落とす。
廻は水面でゆらゆらとゆれる自分の顔が、おぞましく酷く歪んで見えた。
そしてそれを見ないよう、かき消すようにまだ少し熱いコーヒーをぐいりと飲み干した。
裏口の鍵は開いている 2 猫パンチ三世 @nekopan0510
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。裏口の鍵は開いている 2の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます