コドク箱 3

 山城武から箱を預かった翌日、廻と義時の二人はマツの家の片づけをしたという業者を訪ねていた。

 その業者の社屋は店から電車で三十分ほどの所にあり、二人にとっては馴染みの薄い土地だったため。約束の時間にかなり余裕を持って出発したにも関わらず、到着したのは約束の時間の十五分前だった。

 二人の対応をしてくれたのは、篠田輝明しのだてるあきという体格の良い中年の男で、彼に連れられて二人は会社の倉庫に入った。

 少し埃っぽい倉庫の中には、建物の解体に使うのであろう工具や、様々な資材の置かれた棚が並んでいる。

 その間をすり抜けるように進み、倉庫の中頃まで行った辺りで輝明は立ち止まった。


「竜二、お客さんだぞー」


 輝明の呼びかけに応えるように、色黒の青年が奥から顔を出した。

 

「あー、電話をかけてきたっていう人っすね。どうも」


 年若い黒田竜二くろだりゅうじという青年は、気だるげにぺこりと頭を下げた。

 話によれば彼は今年入ったばかりの新人らしく、マツの家が彼にとって初めての大きな現場だったという。

 輝明は役目を終えたという様子で、竜二に二人の対応を頼むと事務所の方へ戻って行った。


「えーっとそれで、何を聞きたいんでしたっけ?」


 軽薄そうかつ少し面倒そうな雰囲気を出しながら、竜二は頭に巻いていたタオルを取り、改めて二人の方へ向き直った。

 廻がちらりと義時の方を見ると、彼は質問をするのは君だとでも言いたげな視線を廻に送っている。

 

 義時はこういった……非常に口悪く言えば礼儀をあまり知らず、明らかに自分とは考え方や価値観が違う人間をとことん嫌う。彼曰く『意味のある話ができそうに無い相手とは話したくない』という事らしい。

 しかも厄介な事に第一印象で相手に対して見切りをつける事が多く、今回の竜二のような相手はまさしく悪い意味で義時にとってはストライクな人間だった。


 そのためそういった相手は、主に廻が対応する。

 だが彼自身も、竜二のようなタイプは別段得意というわけでは無い。だがこれも自分の仕事と割り切り、気持ちを切り替えた。


「山野マツさんの家で見つけた祠についてお話を聞きたくて……」


「ああ! あの押し入れの中にあった気味悪いやつの事っすよね?」


 そう言って竜二は露骨に顔をしかめる、それは彼の言った気味の悪いという言葉を一層強くした。


「参ったんすよね、まさか初めての現場であんな気持ち悪いモン見つけちまうとか。ツイてないなーって」


「あなたが見つけたその祠、どういう物でしたか?」


「どうって言われても……俺そーいうの詳しくないんで。一応写真は撮ってあるんでそれ見た方が早いんじゃないっすかね。まあとにかく気持ち悪いっつーか、不気味でしたよ」


「中に入っていた箱を取り出したのもあなたですか?」


「そっすよ、大事なもんだったら後がめんどいんで。取り出すのも大変で、なにせあの祠? の中に紐でがっちり縛られてたし」


 竜二曰く明らかにゴミと判断できる物は現場判断で破棄するが、価値がある可能性があるものや宗教的な品は、依頼主に返却する事が会社規定で定められているらしく、今回の箱もそれらの項目に該当したため返却したという。


「それであれって実際どうだったんすか?」


「どう、とは?」


「あれ、値打ちもんだったんすか?」


 廻の返答に察しが悪いと言わんばかりに、竜二は声をひそめて俗な質問を投げかける。


「それはまだ分かりませんが……なぜそんな事が気になるんですか?」


「いやー……はは、別に」


 誤魔化すように目を逸らし、頭をかく竜二を見た廻はなぜ彼がそんな事を聞いて来たのかなんとなく理解し、そして納得した。

 目の前にいる人間が、見た目通りの性根をしているという事に。


 これ以上話しても得るものが無さそうだったため、廻は竜二に軽く礼を言ってその場を離れた。

 そして二人は事務所へと移動すると、輝明に頼み例の祠の写真を見せてもらう事にした。


「えーっとですね……あった、これが山城さんのお宅で撮った写真になりますね」


 応接室で待たせられていた二人の元へ、輝明が何冊かのファイルを持って現れた。

 彼はその中から、数枚の写真を取り出し二人の前に置いた。


「なるほどこれは……」


 廻は写真に写っている祠を見て、ごくりと生唾を飲み込む。

 それは確かに祠だった、田舎道の片隅に置かれているような簡素な木製のやしろと、その前に置かれた薄い木を組み合わせたような粗末な鳥居。

 

 外で見れば少し珍しいオブジェクトに過ぎないはずだが、本来あるべきではない押し入れの中にあるというだけでここまで薄気味の悪い物になるのかと、彼は一種の感心に似た感情を抱いていた。

 その隣で義時は表情すら変えず、ただじっと写真の鳥居と祠を眺めている。


「いやぁ……長い事この仕事をしてますが、ここまで意味の分からないものは初めて見ました。何なんですかねぇ、これ……」


 それはこっちも知りたいよ、と廻は心の中で呟く。

 しかし見れば見るほど気味が悪い、会った事も無い故人を悪く想像するのは彼の常では無いが、廻の中には山野マツという老婆に対する黒い感情が静かにゆっくりとだが確実に湧き上がっていた。


「この写真、コピーをもらっても?」


 そんな廻とは別に、義時の様子はいつもと変わらない。

 輝明の許可を取り、祠と家の内部の写真数枚のコピーを貰うと、もう行こうと言いたげな視線を彼に送る。

 二人は輝明に礼を言って、事務所を出た。


「で? どうなんだよ、何か分かったのか?」


「情報がまだまだ足りない、今のところ見当もつかないね」


 そう言ったきり、歩く義時の視線は先ほどの写真に注がれている。

 何か気になるところがあるらしい、こうなった時の彼はもうまともに話ができる状態では無い。

 

 廻が何を話しかけても空返事、時間や場所も忘れて熱中してしまう。SNSの公式アカウントにメッセージを送った方が、いくぶんかまともな返事が返ってくるようなありさまだ。


 廻はひとまず義時を道の端に追い込み、なるべく通行人の邪魔にならないようにした。

 少し歩くと二人の鼻を、香ばしい匂いがくすぐった。

 匂いの元に廻が視線をやると、一軒のラーメン屋が目に入った。

 チェーン店ではない、年季を感じる個人経営の店らしい。ぐうと廻の腹が鳴る、彼が腕に着けた時計に目をやるとちょうど昼時だった。


「なあ、せっかくだし飯でも食べていかないか?」


「構わないよ、店選びは任せる」


 彼は興味なさげに答えた義時を連れて、目の前にあったラーメン屋へと向かった。


「いらっしゃい!」


 少し建付けの悪い引き戸をガラガラと開けると、店主の元気の良い声によって出迎えられた。

 店は見た目通りこじんまりとしており、カウンターとテーブル席を合わせても十席ほどしかない。

 

「お好きなとこどうぞ! いま水をお持ちしますんで!」


 店主は頭にタオルを巻き、顔には年齢に相応しいシワが見える。彼は二人よりも二回り以上年上のはずだが、それを感じさせないエネルギーを感じさせた。

 二人はその言葉に従って、店の一番奥にあるテーブル席に座った。

 店の中に二人の他に客の姿は無い、店主には申し訳ないが二人にとってはその方が都合が良かった。

 昼時の混雑を気にしながらわたわたと食事をするのは二人の好みでは無いし、少しゆっくりするにも周りに人が居ない方がいいからだ。


 二人はテーブルの脇に置かれていた、手作り感満載のメニュー表に目を通す。

 

「俺は……醤油ラーメンにするかな、お前は?」


「僕も同じ物を」


 何でもいい、そう言いたげな義時の返事に呆れつつ、廻は注文を店主に伝えた。


「なあ、それちょっと見せてくれよ」


 あまりにも義時が熱心に写真を眺めているため、廻もついそんな事を言った。

 正直な話、どうせ見ても大して力にはなれないだろうとは彼も理解している。


「構わないよ、何か分かったら教えてくれ」


 目元を軽く抑えながら、義時は廻に写真を渡す。

 廻は写真を受け取り、目を通す。


 写真に写る鳥居は、廻にとっては只々気味の悪い物でしかなくそれ以上でも、それ以下でもない。それは祠も同様だった、厳かな霊験あらたかなものでは無く、嫌に影のある祠という印象しか抱けない。


「うーん……鳥居も祠もやっぱり気味悪いな。なんだってマツって婆さんは家の中にこんなもんを置いてたんだか」


「廻、君は鳥居がそもそもどんなものか正しく理解しているかい?」


「どんなって……神社とかにあるやつだろ。なんだっけ、人と神のいる場所を分けてるとかなんとか……」


「大体あってるよ、鳥居は神々の住まう神域と人間の住む俗界を分けるもの。人間が神……あるいは人ならざる存在に触れないよう、またあるいはそれが人間に触れないよう、住む世界を分け隔てる結界。それが鳥居だよ、では祠は?」


「祠って中に神様がいるんじゃないのか? 昔、田舎に行った時はそう教えられたぞ?」


「その通り、祠は神を祀るためのものだ」


「……ん? いや待て待て、それってつまり例の箱が神とかそういうたぐいのものって事か?」


「一概にそうとは言えないよ、霊的な意味を持った鳥居じゃなくてあくまで形だけという事もあるし、祠と言ったって確実にそうと言い切れるわけじゃない。鳥居があるから流れでそう呼んでるだけで実は特にそういうのじゃない可能性もある。そう……思いたい所なんだけどね」


「なんだよ、やたら回りくどいな。思う事があるならはっきり言えって」

 

 義時は水を一口飲み、ややうつむき気味で口を開いた。


「あれがもし、形だけの鳥居ではなく本物だったとしたら? あれの奥にある祠、そこにあったのが仮に一人の老婆の変わった趣味の産物で無いとしたら?」


「それって……」


「廻、僕が言いたいのはね、僕らはって事なのさ。本来超えてはならない一線を越え、触れてはいけないものに触れたんじゃないかって事だよ」


「へいお待ち! 醤油ラーメン二つ!」


 義時の言葉がちょうど終わったタイミングで、注文していた醬油ラーメンが二人の前に置かれた。

 立ち上がる香りは鼻腔をくすぐり、半透明な茶色いスープ、海苔や卵、チャーシューといった定番の具材が置かれた、見る者の食欲を煽る一品。

 だが二人は、すぐにはそれに手を付ける事ができなかった。


 真偽不明の義時の言葉は、二人に重くのしかかる。

 廻はそんなはずがない、と彼の言葉を一蹴できなかった。

 机の上に置かれた写真に写る鳥居、そしてその奥にあった祠をどうしてもただの飾りだとは思えなかったからだ。

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