第84話 席

 人それぞれには生来指定席が分け与えられている。本人は気づかずにだが。とはいえ、ずっと座ったままでいなければならないなんて決められているわけではない。所用で立つ時もあれば、寝入る時もある。そこで何をするかも決められてない。ぼうっとしていてもいいし、本を読んでもいいし、ジュースを飲んでもいい。ただ隣も前も後ろもやはり指定席なのだ。そこに誰がいるかまで気付かないでいると言うのは、悲しいことかもしれない。というよりももったいない。もしかしたら、それは人でないかもしれない。だからこそその席にいる意味が却って味わえるようになるのだ。といっても隣の席が運命の人というわけでもなさそうではある。

 ふと思い出した。お能登さまが何気なく言ったことだ。本当に煙のように消えてしまった。席でいうなら、途中下車だ。想いを率直に告げる前に、お能登さまはどこにもいなくなったのだ。宙ぶらりんの思いで、この地に生きていかなければならない。

 室内の電気を消し、カーテンを開け、月を見ながら酒を飲むと、こんなことなんかをとりとめもなく思うようになっていた。いつからセンチメンタルになったのか。あるいは著述をしない思想家か哲学者か。宗教家の素質はない自負があるから、良くてポエマーかな。冷笑が浮かんだ。今の自分にはちょうどいい。

 ちょうどいいのはこんな思いはもう浮かべなくてもよくなるだろうという予感があったことだ。

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