第50話 トナカイ出る

 翌朝。御膳と呼べそうなメニューの並ぶ朝食時、ちびりちびりと食べながら、

「はあ、お能登様と一緒に戻れると思ったのに」

 トナカイがため息をつきやがった。それから引き割り納豆のパックを手にすると必要以上に混ぜ始めた。納豆の美味い食べ方とてそれほど混ぜはしないだろう。魯山人先生も激怒するくらいの回数だ。

「体のため、ちょーないかんきょーを整えないとですしね」

 ご飯にかけないで、パックを口の傍まで運んでお茶漬け並みにかっこんだ。年末のトナカイが気にするのは腸内環境ではなく労働環境だと思うが。

「ふてくされるな、期日には間に合うようにすると言っただろ」

 お能登さまは怒るに怒れない様子で、ただただたしなめ諭すしか打つ手なしだった。確かに期限間際でも越してしまったわけでもなく、単にトナカイが心配をアドバルーン級に勝手に膨らませてやって来ただけなのだから、頬を膨らませるのはお門違いと言えばそうである。とはいえ、トナカイの気持ちも察せられないわけでもない。

「私が戻った時、円滑に取り掛かれるよう準備を整えておいてくれ」

「はーい」

 命令が下って機嫌が直った。

「だって、お能登様のために尽力できるんですよ、うれしいに決まっているじゃないですか」

 そのお能登さまはまだ戻る日取りを決めてないがな。ところで、このトナカイ、下手をしたらヤンデレの素質を秘めているのかもしれない。

「そういえば、お前は志朗を警戒しておらんな」

 朝食を順調に進ませ、お茶を啜ると、ギアトップに入れた弁天さんがそんなことを言い出した。いったい何を言っているのやら、それを言うくらいなら、玄関開けてトナカイが突進してくるかと俺の方が危機感を持っておかしくないのでは。

「いや、そういうことではなく」

 お茶を啜る。中途半端に自ら話しを折るから、文脈が伝わらないのでは。

「志朗はこう見ても男、オスだ。で、お能登は女、すなわちメスだ。トナカイなら分かるであろう。オスとメスが、しかも檻とは違うこういう密室で過ごしておって」

 お茶をまた啜った。だからそういうところで止めるな。いや、この弁天さんのことだからわざとやっているとも考えられる。現に箸を力強く置いて、ワナワナと俺を睨み始めたトナカイ、まったく怖くはないが、人間の姿から野生の姿になったら少なくとも殺意は感じるかもしれない。

「まあ、とはいえ志朗は……」

「私、戻るの止めます」

 弁天さんが神の手を持つ外科医の第一助手のようなフォローを始めようとしているのに、トナカイは遮る、というかまったく聞く耳を持たない様子で力強く立ち上がった。弁天さんは片目をつむって舌を出し、お能登さまはそれを見て頭に来た様子はないがあきれた様子でため息をついた。

 俺が弁明をしても耳を貸すことはないだろうし、むしろ焼け石に水である。そういえばサツマイモがあったら焼き芋にできそうだ。それはおいておくことにして、確かトナカイとはお能登さまへの共通理解というか共感というか、そういうのを共有しなかったっけ。

「それは羽場さんを人として扱っていて、オスとして扱っていなかったからです」

 トナカイの論理は俺の思考とはまるで違っているようだ。埒が明かないので、お能登さまを一瞥する。お能登さまは横目でとらえ、聞こえないほど静かに息を漏らしてから、

「志朗は言うほど不埒ではない。だとしたら、とっくに手籠めにされておるわ。お前は先に戻れ、それとも何か、私の言うことが聞けないとでも、そう言うつもりか?」

 湯飲みをコトリと置いてトナカイを目で制す。もはや刺しているのと変わりない。

「分かりました」

 まったく渋々な表情で、俺を睨むというか恨めしそうに凝視しながら着席。ごはん茶碗を差し出してきた。

「こんなの、食べる以外に恨みを晴らせますか」

 やはりトナカイの論理は人知を超えている。しかし、食欲によって解消できるのならこれから一升炊いてもいいくらいだ。

「なんなら住みついて一生養ってもらいたいくらいです」

 ご飯をよそった茶碗を受け取ると頬張るくらいに詰め込んだ。このトナカイ、自分で言ったことに気づいてないのか。一夜で割り当てられた区域の配達ができるくらいの運搬能力があるなら、ここに荷物を持って来て拠点として出発すればいいだけなのだが。が、どこへ赴くのかも聞いてないし、本人が見過ごしているのをあえてこちらか指摘しなくてもよかろう。それにこの食欲を維持されたら、さすがに依頼人から経費ストップされかねない。弁天さんがニヤニヤしているということは、それに気づいたようだ。お能登さまは茶を啜り、目を合わせてくれない。が、おそらく気付いているだろう。知らぬは飯を食う獣。後から言ったら、「なんで言ってくれなかったんですか」と涙目で絶叫しそうなので、この件は墓場まで持っていくしかない。

 食後、何度も渋るトナカイをなだめすかして、どうにかこうにか出発の途に就かせた。プレゼントの入った大きな袋を背負い、何度も振り返って遠ざかっていくトナカイ。もうあいつが人間の姿のままサンタコスして配りに歩けば済むのではないかと思うくらいだった。その背中を見やりながら、

「志朗、この家を拠点にするっていう発想を、なぜトナカイがしないと、さげすんでいただろう?」

 弁天さんの笑みが実にいやらしい。

「あいつがいたら生活がままならんから、致し方あるまい」

 お能登さまは確かに気付いていたようだ。トナカイが来てから毎日が運動会みたいなにぎやかさになったからな。食卓も言動も。ただ騎馬戦もどきの経験はお能登さましかなく、あのトナカイはお能登さま以外を先導するつもりはないのだろう。少なくとも俺は弁天さんのいわれなきチクリによって、トナカイから危険視されるに至ってしまったのだ。それこそ馬に蹴られるのも、トナカイに蹴られるのもいずれにせよそれで絶命は避けたい。

 ところで。このチクリとすると言えば言い過ぎだが、低周波治療器が機能しているような胸の感じはなぜだろう。不整脈ではないし、まさかトナカイの出発を寂しいと思っているわけでもない。むしろほっとしていた。だから、トナカイの一騒動によって、お能登さまがいよいよ戻るのだ、ということを自覚してしまったというのがその原因だろう。寂寥感と呼ぶには格好つけすぎているだろうか。

 家に入る拍子に、

「お能登のサンタコスを見たかったなあ」

 などと弁天さんが頭の後ろ手に組みながら残念そうにつぶやいた一言には、心底同意できた。

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