第11話

 喉につかえたものを、飲みもので流し込む。当然、杏は過去の私と鳴海君の、色恋沙汰を知っている。

 飲み物を一口飲んでから、杏は少し目を細めるようにしてこちらを見てきた。


「そういえばさ、最近聞いたんだけど……鳴海君、地元に戻ってきてるって」


 今度は思わず手が止まった。杏の言葉は、私の中の何かをざわつかせる。昨日、鳴海君の前で号泣してしまったことも影響している。何で、あんなことを言ってしまったのだろう。


「そうなんだ」


 詳しいことは私もわからないため、とりあえずそう答えた。

 私のせいで、間違った情報が広がって、鳴海君に迷惑をかけるわけにもいかないし。心がわずかに揺れているのを、杏はきっと見透かしていた。杏とはミニバスの頃から続いている仲だ。


 杏は、

「そっか」

 と、だけしか言わなかった。



 帰る頃、勢いよく立ち上がった際に、あたかも予期していたかのように、杏が倒れそうになる私の椅子を支えてくれる。


「ごめんっ。杏、ありがと」


 私の曖昧な表情を見て、杏の口元が少しだけ柔らかくなったような気がした。


「あいかわらず、おっちょこちょい」


 杏は、にこりと笑うと、まあ、と少しだけ間を空けてから笑い、

「昔のまんまの桃子で、少し安心した。いろいろとあるみたいだけど頑張れ。バスケ応援してるから」

 と言ってくれた。


 そのあと、杏とは、駅の改札の前で一言二言、言葉を交わしてから別れた。



 目が覚めて、重い体を引きずるようにして布団から起き上がる。

 昨日の疲れがまだ体に残っているのか、頭がふわついていた。吸い付くようなまぶたを擦りながら、壁に掛けた、昨日少年からもらったお面をぼんやりと眺めた。

 昨日のことが夢であったのなら良かったのに、と大きく伸びをして、ため息を一つつくと、ゆっくりと部屋を出た。

 ダイニングキッチンでは、ばーちゃんがテーブルの上で新聞を広げながらお茶をすすっていた。窓から差し込む光が、静かな部屋を明るく照らしている。


「純君、おはよう。ゆっくり寝れた?」


 新聞の上から目をあげ、ばーちゃんは、にこりと微笑んでいる。うっすらと笑いながら「おはよう」と返したけど、すぐに部屋を見渡し、母さんの姿がないことに気づいた。


「あれ、母さんは?」


 テーブルに近づきながら訊ねると、ばーちゃんは「ああ」と軽く頷き、カップを置いた。


「何だか朝早くから仕事の打ち合わせに行ったみたいだねえ。なんでも急な話だって」


 相変わらずだな。

 まあ、俺にとっては好都合だけど。

 しかし、バタバタと動き回って、まるでどっかの小動物と一緒みたいだな。



 翌日の日曜日、体育館では練習試合の反省を生かした厳しい練習が行われていた。

 秋とは程遠い空気に、混ざり合うようにして熱気が体育館内に染み渡り、皆んなの息づかいが激しく切れる。

 私はボールを持ちながら、一つ一つのプレイに集中していた。コーチの指示が飛び交う中、ミスをするとすぐに次の走り込みが待っている。チームメイトたちも、昨日の試合の反省点を反復して、各々のプレイに全力を注いでいた。



 練習は午前で終わった。誰にも気づかれないように抜け出そうと、そそくさと体育館の隅でバッグを持ち上げたところで――結衣に捕まった。


「こら」


 と、小さな子供をしかるような声だった。振り返ると、そこには結衣が立っていて、片手を軽く上げている。そしてチョップされる。結衣の手が私の額にちょこんと落ちた。

 私は、自分が捕まった理由はわかっていたけど、わざとらしく結衣と対峙した。


「え、何? 結衣…?」


 ちょっと不満げっぽく眉もひそめて。


「とぼけるな。ほら、行くよっ」


 結衣はにっこりと笑いながら言った。


「…うん、行きます」


 私は、何だかしょんぼりとしてしまった。



 カフェに入ると、古民家特有の木の温もりと、ほんのりとした香ばしい匂いが出迎えてくれる。カウンター近くの窓際の席に案内され、結衣と向かい合って座った。

 メニューをじっくり見ながら、楽しげに選んでいる姿を、ぼんやりと眺めていた。結衣と来る店は、いつもちょっと大人びた小洒落たカフェが多い。


「ここ、一度来てみたかったんだっ」


 と、結衣が微笑む。

 メニューを見る限り、自然食や美肌、アンチエイジングを目的としたサラダソースなんかがあるみたいだ。


「うん」


 私は小さく頷きながら答えた。

 注文を終えた後、少しだけ無言の時間が続いたけど、結衣は、いつもと同じように、訊きたいことを、ふとした小声で、直球を投げてきた。


「ねぇ、桃、昨日の子は?」


 前もってグローブは構えていたものの、その問いかけに、一瞬どきりとした。

 やっぱり結衣には敵わないな、と思いながら、私は軽く笑ってごまかそうとしたけど、今日はきちんと話そうと思った。このあと、飛んでくる豪速球に備えて。


「バスケ部の友達。中学のときの」


 私の目を、結衣が不自然にじっと見つめるから、気になった。


「え、何?」


 微笑みを浮かべながらも真剣な表情で続ける。


「ジェラシ~……」

「は? 何それ」


 あまりにもくだらないことすぎて呆れた。ひょっとして鳴海君に対しても、似たようは感情を? さっぱりとした性格だと思っていたから、ちょっと以外だ。

 でも、そんなに嫌ではない。その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった気がした。誰かが自分のことをこんなにも気にかけてくれていることが、とても嬉しくて、自然と心がほぐれていくような感じだ。


「ほんと、杏とは卒業以来でひさびさだったんだ。杏、中学の頃、副キャプテンやってたから」

「ジェラシ~……」


 再び、結衣の視線が刺さった。

 私の声は次第に小さくなり、すみません、と視線を下に落とした。

 結衣とは、先輩たちが引退後、キャプテンを選ぶ際に、結衣が第一候補に上がったときに、『桃が福キャプテンやるならやる』と、せっかく言ってくれたのに、私が断ってしまったいきさつがあった。

 あのときのことを、私はずっと申し訳ない気持ちを抱えていた。キャプテンの話が持ち上がったとき、結衣は本当に私のことを信じてくれていたのに、その期待に応えられなかった。

 私には自信がなかった。

 それは今も現在進行形なのだけれども。


「ごめん」


 と小さな声で謝ってから、カフェのテーブルを見つめたまま続けた。昨日の打ち上げに行けなかった件もある。


「なんかいろいろと迷惑かけちゃって……」


 すると、結衣は、で——、と一呼吸置いてから、今日の本題に入る。


「あのあと、鳴海君と何があったの?」


 ——きた。豪速球が。


 結衣は、昨日の練習試合、私が注意散漫で、プレーに集中できていなかった理由を見抜いていた。

 世界的に有名な選手でさえ、一試合に一本も入らないこともあるくらい、3ポイントシュートというのは、好不調の波が激しいものではあるのだけど、私の弱メンタルは考えものだった。

 何となくだけど、お祭りに四人で行くと言い出したときから、そんな弱メンタルを危惧して、結衣は、鳴海君との仲を取り持ってくれたような気がしていた。


 その気持ちに応えたい。


 結衣には、鳴海君と私の関係のことを伝えられるだけ話をした。


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