第24話 庭の珍種


 城を取り巻いていた濃霧が、庭にまでたちこめている。今までの庭とは、まるで別世界のようだった。


 だがたとえ暗闇でも、もう一度会えるというのなら、詩津はあの人懐っこい笑顔に会いたいと思った。


 兄弟や庭を想う、優しい少年だった。


 彼がいなくなればおそらく、五樹や七生はきっと笑えなくなるだろう。



 ————三斗君は七生さんたちを悲しませたかったわけじゃない!



「三斗君! どこにいるの————あ」


 無茶苦茶に走りまわると、ふいに、ポケットからお守りがこぼれた。


 詩津はそれを急いで拾うもの、足元の闇に触れた瞬間、お守り袋が黒くなる。庭のほとんどが毒に汚染される中、詩津のお守りさえも飲みこまれようとしていた。


 手にしたお守り袋は、瞬く間に消し炭となって崩れ落ちる。


「え? ちょっと、ヤダ、どうなってんの——」


 慌てふためく中、何か白いものが落ちた。今まで一度たりとも開封したことのないお守りの中身だ。


 杜季の言いつけで、肌身離さず持っていたお守りだが——中に入っていたのは、意外にもただの小さな紙切れだった。


 足元を舞う紙が開く。


『詩津は普通の幸せを掴む』


 よく知る字体に、詩津は息をのむ。


 幼い頃にもらったお守りだった。おぼろげだが、杜季にそれを渡された時のことがぼんやりと浮かんだ。


 詩津の知る杜季が、今も昔と同じというわけではないことを——知っている。


 小さな詩津にお守りを握らせた杜季は、厚化粧なんてしていなかった。


 目立つ顔を隠すために化粧をしていると言った杜季。


 だが、それは、


 ————きっと違う。


 記憶の連鎖。そして詩津は答えを見つける。


 杜季が化粧を始めたのは――詩津が幼稚園の頃だ。母親と顔立ちが違うことで、詩津がいじめられたことがきっかけだった。


 詩津は子供心に、とても傷ついて悩み——そしてこのお守りを渡されたことを思い出す。


 杜季は何も最初から姉だったわけではない。


 小さい頃は確かに、『おかさん』と呼んでいた。


 掘り起こした幼い日の一ページで熱くなった手が、小さな紙切れを掴む。


 化粧を厚くし、自分を姉と呼ばせることで、詩都自身が好奇の目にさらされることはなくなった。だが、杜季はどんな気持ちで詩津と距離を置いたのだろう。


 一緒にいても、少しだけ遠くになった杜季。


「……あの人は……意地っ張りなんだから……」


 闇に包まれる庭では太陽さえもぼやける中、白い紙はまるで小さな光のようだった。


 だが小さな紙切れの隅にも、黒い染みを見つけてしまう。


「え? ちょっと待って!」


 杜季の不器用な愛情の切れ端にも毒が浸食し、整った文字が飲みこまれた。


 気づいてからものの数秒。


 残ったのは、真黒な紙の残骸。


「やだ、やめて……これは……」


 毒に汚染された紙を一生懸命手で拭うもの、汚れはいっこうに落ちず——ついには砕け散った。


「……そんな」


 肌身離さず持っていたそれの——中身を知って、さらに大事なものだと確信した時、詩津の胸に痛みが走る。


 初めて杜季の本心を見た。


 きっとこの先も、杜季は意地を張って本音を言わないだろう。彼女はそういう人間なのだ。杜季の性格を知っているだけに、詩津はお守りの価値をよくわかっていた。



 ————お願いだから、私の思い出を穢さないで————



 小さな手にお守りを握らせた、素顔の杜季が頭に浮かんだ時、詩津は全身全霊で何かに訴えていた。


 刹那、黒く病みきった世界が海面のように波打つ。


「…………何事だ?」


 五樹や七生が詩津の異変に気づき、駆け寄ってくる。


 だが詩津には彼らの姿が目に入らなかった。涙でぼやける手に残った炭屑。それをひたすら握りしめ、願う。


 すると、足元の黒い地に無数の芽が息吹をあげた。芽はみるまに細い木となって枝分かれし、白い花をつけてゆく。


 膨大な白い花の渦が嵐のように吹き荒れた。


 花の純白が庭をまるで雪原のように白く塗り替える。


「白椿が咲いている……?」


 七生が呆然と呟く。


 白椿の花は黒い世界を埋めるだけ埋め尽くすと、落とした硝子のように霧散した。残った庭には、色とりどりの植物たちが——何事もなかったかのように、各々の持ち場で佇んでいる。


 暖かい庭が悦びを吹き返した時、詩津の手には杜季の願いの切れ端がほんの少しだけ残っていた。


 文字の断片すらない切れ端を、詩津は大事に抱え込む。


「お前、頭に——」


 七生が詩津の頭に触れて、何かを外した。最後に残った白椿の花だった。


「あれ? あたし、何してたっけ……えっと、これ花ですか? なんで頭に?」


「……もしかして……魔女の庭にある珍種の花って——」


 五樹が言いかけたところで、七生は唇にひと差し指を立てる。


 詩津が夢見心地で七生を見あげると、七生は悪戯っぽく笑った。


「花が咲くほどお前の頭は能天気だったんだろう」


 相変らずの悪態に、ようやく意識がはっきりした詩津は、口を膨らませる。


「おい、ブサイクな顔をするな」


「ちょっと、三斗君と同じこと言わないでください————て、そうだ! 三斗君!」


 庭が穏やかさを取り戻して間もなく。いつになく研ぎ澄まされた詩津の耳に、ささめきのようなものが聞こえた。


 詩津は胸が騒ぐのを感じた。落ちつかない気持ちで周囲を見渡すうち、妙なモノと目があった。いや、目なんてついてはいないから、顔があった、と言うほうが正しいだろう。


「どうした、詩津」


 一方向を凝視する詩都に気づいた七生が、怪訝な顔で訊ねるが、詩津の耳には入らない。


 ————何か聞こえる。


 詩津は何かの予感に導かれるかのごとく駆け出した。


 ささめくような小さな声が聞こえたのは、煉瓦の道に佇む一輪の花からだ。花には枝で出来た体があった。


 白と桃色が混じった花の頭に、枝の手足。まるで花で作った人形のような。


「こいつは、桃の花か? 三斗の誕生花だ」


 ついてきた七生が詩津の肩ごしに花をのぞきこむ。


 五樹も無言でそれを見おろした。


 桃の花はその場で両手をあげて高く跳ねると、くるりと背中を向けた。


 一向は、桃の花についてゆく。桃の花は足が異常に早かった。振り切られそうになりながらも、詩津は息を切らしながら追いかける。


 すばしっこい桃の花を追いかけて煉瓦の道を進むうち、背の高い花が並ぶ花壇に辿りつく。


 すると、桃の花は役目を終えたかのように、土にもぐって消えた。


 背の高い花壇の向こう側に、淡い陽光が落ちているのが見える。


 詩津は「ごめんなさい」と、花壇をかきわけ、光の中心に足を運んだ。


「み、三斗くん!」


 花壇の中心には、花に護られるようにして横たわる三斗の姿があった。幸せそうな顔をしている。


「……花たちがクモから三斗を、護ったというのか?」


 駆けつけた七生が、驚きに満ちた目で末っ子を見おろした。


 立ち尽くす詩津の周りから、話し合う声が漏れる。



 ————面倒なやつだなぁ。でもまぁ、世話になってるから、助けてやらないこともナイナイ。


 ————こいつ、間抜けだよな。すぐ花や人に騙される。


 ————全くの子供だな。俺たちがいなかったらどうするんだよ。


 ————迷惑かけやがって! ……オイ、起きたらちゃんと肥料メシくれよ!



 囁きは三斗の話をしているようだった。 


 三斗は『花の声が聞こえる』と言っていた。手はかかるが、花と一緒にいるのが楽しいとも。


 三斗にとって、庭は七生たちのように力をもたらさなくとも——それ以上に、かけがえのない友達なのかもしれない——と詩津は思う。


「あれだけ人を騒がせておいて、自分は呑気に昼寝か。こいつには本当に……完敗だ」


「ああ。こいつで決まりだな」


 七生と五樹は顔を見合わせるなり、双方ともわざとらしく肩を竦めた。


 弟の無事を確認し脱力した兄二人は三斗を放置したまま花壇を離れていった。


「——え。放置しちゃっていいんですか?」


 ゲート・ハウスに向かって歩きだした七生たちの背中と、三斗の寝顔を見比べて悩んだ末——詩津も城に戻ることを選ぶ。


 三斗の寝顔があまりに幸せそうだったので、起こすには気が咎められたのだ。


 そしてその後、三斗が目を覚ましたのは——夕食もとうに終わり、皆が就寝した後のことだった。




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