第2話 海の結界
港は帆船の出港準備に追われ、喧騒と慌ただしさに包まれていた。
その陣頭に立つエクセルは、残された軍船をかき集め、出撃の準備を急いでいた。傍らでは、セナも甲板上を忙しなく動き回っている。
「……しかし、十数隻しか残っていないのか」セナは眉をひそめ、口を開き「ガイア教の連中、自分たちの船だけでなく、ラスタリアの軍船まで何隻か持ち去ったようだ」
エクセルはやるせない表情で小さく首を振った。
「ガイア教が撤退すると聞いて、一緒に逃げ出した船もある」
「……なんてことだ。ラスタリア海軍も地に堕ちたものだな」
嘆かわしいセナの言葉に、エクセルは黙したまま応じる言葉を持たなかった。
ふと、セナは周囲を見渡し、口調を改める。
「ところで、第一王子アシュルム殿下の姿が見えない。戦場に立たぬなら、せめて兵士たちを鼓舞する演説でもすべきだろうに」
「……第一王子はすでに疎開された。というか、ガイア教国に避難したと聞いています」
力なく告げるエクセルに、セナは言葉を失い、呆れて糾弾すらできぬまま沈黙した。
改めて港に目を向ければ、まともに戦える練度の水兵を有するのは、エクセル自らが指揮する旗艦『ブルー・ホライズン』ただ一隻。他の軍船は、これまでガイア教の駐留中に戦列に加わることもなく、訓練も怠ってきた。果たして、どれほど戦えるのか、心許なさばかりが募る。
「まったく……いつも不利な戦いを強いられるばかりだ」
セナの口から、つい愚痴が漏れる。
そこに、アリアが足早に興奮した表情で駆け寄ってきた。
「そもそも今回の事態は、第一王子が招いたものです。エクセルお兄様が尻拭いなどなさる必要はありません! 今すぐ逃げてください!」
「心配するな、カシム兄上の秘策もある」
「そうですが……!」
憤るアリアに、エクセルは柔らかながらも断固とした口調で答えた。
「私は、これでもこの国の王子だ。逃げるわけにはいかぬ。それよりアリア、お前こそ避難の準備を整えておけ」
「いえ、私も王室の一員として、最後まで戦います!」
強く言い切るアリアに、エクセルは苦笑を浮かべる。
「その気持ちは嬉しいが、市民たちの誘導もまた大切な務めだ」
しぶしぶ頷くアリアを見届けた後、エクセルはふと周囲を見回しながら尋ねた。
「……そういえば、ルーシーは?」
唐突にルーシーの名を出されたアリアは、じと目で兄を見上げる。
「やっぱり……気になるのですね?」
「いっ……いや、アリアの護衛が……」
しどろもどろになるエクセルに、アリアはため息をつきつつ説明を続けた。
「最近、よく出かけています。海に結界が張られているらしくて、調査しているようです」
「結界……それがどうして?」
「わかりません。何をしようとしているのか……」
エクセルは小さく息を吐くと、静かに言った。
「わかった。とにかくアリアは、安全なところへ逃げるのだ」
アリアは、ただ小さく頷くばかりであった。
◇
その頃、ルーシーはアランとフェスを伴い、小舟を借りて結界の原因を探るべく海上を巡っていた。揺れる船上で、アランが難しい顔をして呟く。
「……これは高度な結界ですね。人間が張ったものではありません。神──しかもかなり高位の神の領域です」
ルーシーも腕を組み、深く考え込む。
「確かにそうだ。まったく手がかりがない。存在すら気づけないほど
「やはり、敵のアルカディアスでしょうか? 」
「うむ……だが、ポセイドンと同じ脳筋豪傑の王オーデルが、こんな手の込んだ真似をするだろうか? 」
「ならば、ガイア教国?」
ルーシーは頷きながら。
「異教を嫌う連中だから、可能性はある。いずれにしても、急がねばならない」
そのとき、空よりアリアからの伝書鳥が舞い降りてきた。急ぎ取り出した文には、切迫した報せが記されていた。
『アルカディアスが迫ってきました。避難するので急ぎ戻ってきなさい』
ルーシーの顔に焦りの色が浮かぶ。
「思ったより早かった。結界はまだ解けてないので、精霊艦隊を呼べない」
「どうするの? 」
アランが問いかける。
しばし沈思するルーシーだったが、やがて決意を固めた。
「やむを得ない。まずは、迫り来るアルカディアスを相手にするしかない」
「でも、第二王子のカシムが『ルシファーは切り札』と言っていたので、まだ戦っては、いけないのじゃないの」
「とりあえずは待機するが、いざとなれば出ていくしかないだろう。大丈夫だ──アルカディアスのオーデルのハゲなど、私一人でボコってやる!」
強気に笑うルーシー。しかし、神船『スカーレット・ジャスティス』といえども、単艦で大艦隊を相手取るのは心許ない。
さすがのルーシーも、異世界で孤立していることから、不安と緊張が入り混じっていた。
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